その5
最終話をお届けします。お楽しみいただけましたら幸いです。
2016.11.14 ルビ追加、推敲の甘かった表現を改稿。
オフ会は私の同級生でもあるPK侍の“武蔵”さんの家を貸してもらうことになっていた。“武蔵”さんはプレイヤーが名乗るプレイヤーネーム、またの名をハンドルネーム、通称HNを本名から取っているので、彼女のことはいつも「武蔵さん」と呼んでいる。中年男のキャラクターを操っていて、その脳筋っぷりがリアルの言動と比べてみても一切のブレがないのはいっそ清々しいくらいだ。
そんな武蔵さんは私よりも後から加入したうちの一人で、プレイ実績はほぼない初心者だ。そもそも、従兄である“アップル”さんから「思う存分人が斬れるよ」などと騙されてゲームを始めてしまうあたり、ちょっと……他人事とは思えないくらい女子というやつを捨てている。
都内の、古くからの建物が今も残るその一角は閑静だ。彼女の家は剣道を教えている道場で、彼女は跡取り娘なのだという。現在は両親揃って海外遠征に出かけているとかでお祖父さんと二人で暮らしているらしい。車を乗り入れられないからと、家の門まで送ってくれた笹本と別れ、私は玄関前で立ち往生していた。
(インターフォン押さなきゃ……押さなきゃ……押さ………………恥ずかしいっ!)
理由は単純。たった一人で「こんにちは、武蔵さん。お邪魔します~。皆さんもうお揃いですか? うふふ」というご挨拶が出来ないからである。シミュレーションは完璧で、“ナインライヴズ”の中や、高校生以下のいつもの集まりでなら出来るのだけれど……。
(インターフォン押して、出迎えてくださるのがお祖父さんだったり、“暁”さんならまだしも“白銀”さんや“アップル”さんだったら……。ダメ、何を話して良いか分からないですよぅ。ううん、いっそ歩さんにメッセージ、入れちゃおうかなぁ)
鞄の中から携帯電話を取り出そうとしたとき、いきなり「やあ」と声をかけられて、心臓が飛び出しそうになった。
「こんにちは、いらっしゃい」
「……こん、にちは…………えっと、お買い物に?」
「うん、野暮用で」
にこやかに挨拶してくれたのは、武蔵さんの従兄の“アップル”さんこと灰原 伊織さんだった。このひとの掴みどころのない笑顔が苦手だ。いつもはビジネススーツなのに、今日はカジュアルなスリーピース、イタリア製だろうか。正直、男性物のブランドまで把握していないので正式な名称は見せてもらわないと分からない。普段なら絶対に着けてないだろう色付きのグラスが胡散臭さを最高値まで押し上げている。手には何も持っていないので、まさか今ここへ来たわけではないだろう。
「ようこそ我が家へ。狭いけど寛いでいってね~」
「え? 我が家……?」
「うん。住んでるしね、僕」
「ええっ?」
「嘘だけど」
(嘘じゃないですか!!)
一瞬、信じそうになるような嘘ばかり吐くのはやめていただきたい。私が彼を苦手な理由は、操っているキャラクターが毒舌幼女だからというばかりではないと言っておく。それにしても、何だか口許に違和感があるような……?
「……ああ、気付いちゃった?」
「何も気付いてません! 何も知りません!」
不穏な空気に慌てて否定しても、時すでに遅し! すっと一歩で詰め寄られて思わず悲鳴を飲み込んだ。
「それなら、仕方ない……ね?」
「ひっ!?」
ゆっくりとサングラスが取り除かれる。見開かれた虹彩はまるで人外みたいに鮮やかな紫。血走った白目と唇から覗く、鋭い牙が…………
「Trick or Treat……Ms.Azusa?」
「あっ、あのっ、吸血鬼のコスプレ……?」
「そうだよ~。朝からしてるのにあの娘ってば気付かないし、誰もつっこんでくれないんだもんな~。憂さ晴らししちゃってゴメンね~?」
「い、いえ……」
(憂さ晴らしだった!? というか武蔵さん……気付いてあげましょうよ。あの充血した白目、絶対、慣れないカラコンのせいで痛いんでしょうし。そもそも朝からとか……ちょっとだけ可哀想です)
「じゃあ、可愛い魔女さん、どうぞお先に」
「……は、はい」
サングラスをかけ直し、気取って会釈をしてから“アップル”さんが玄関の戸を横に引く。
ガジャッ!!
「………………」
「………………」
「あっはっは! 僕が出ていった途端にこれか~、も~………………後でオシオキだな」
(あっ、これダメなパターンだわ! 武蔵さん逃げてー!?)
ボソッと呟いた言葉はバッチリ聞こえていた。
表面上はにこやかに笑いながら、“アップル”さんは取り出した鍵で玄関の拒絶を壊す。ガチャリという音、次いでカラカラと小気味良い音がして戸が開く。招じ入れられながらもつい注目してしまう、その掌から見える可愛らしいキラキラした林檎のチャームは、武蔵さんのキーホルダー。ということは、無断で鍵を……?
「……内緒だよ?」
「………………」
(照れたように笑って見せても、色々と物騒なのは隠せていないのですよ、お兄さん……)
せっかくのハロウィーン・パーティーだというのに、“アップル”さんに捕まった武蔵さんが耳元で延々と囁かれる「必修英語構文100選」に耐え切れず泣きながら謝ることになるのも、いつものメンバーらしいといえばらしいのだった。
皆で持ち寄ったお菓子やおかずでテーブルはいっぱい、和室に不似合いな大型テレビで昨日放送されていた“ナインライヴズ”の番組録画を見ながら、おしゃべりは途切れなかった。
お祖父さんを含めた成人四人はお酒も入って楽しそうだったし、芽衣さんと瑠那さんは“ショット”を見せ合って談笑していた。皐さんや武蔵さん、“クロス”くんが引き起こす騒動をたしなめる歩さんもとても楽しそうだった。
「あずさ……」
「はいっ!」
頭上から降ってくる皐さんの声に背筋が伸びる。皐さんは私の隣に腰を下ろした。手にはコーラのペットボトルと新しい紙カップがある。
「……飲む?」
「あっ、はい、いただきます!」
本当は苦手だけれど、咄嗟に言葉が出てしまった。渡される紙カップ、注がれるコーラを両手で受けつつ、皐さんを盗み見る。整髪剤で少し固めてある金褐色の髪の毛。スタジャンを脱いだ今は薄手の長袖シャツ一枚で、襟ぐりのおおきな首もとは鎖骨がくっきりと浮き出ている。薄い胸板、でもしっかりした手足。手もとは彫金師志望だからか意外と武骨で傷だらけだ。
(触りたい……)
邪な目で見てしまっていたせいか、パッチリしたつり目と視線が合ったとき、必要以上にドキッとした。
「楽しんでるか……?」
「は、はい、すごく楽しいです」
「そっか。ならいいんだ。けど、無理すんなよ、お前、すぐ熱出すし……。具合悪くなったら我慢せずに、オレに言えよ?」
「……ありがとうございます」
“ナインライヴズ”で話すときよりも、ぶっきらぼうで荒い言葉遣い、それでもその内容は常と変わらず、とても優しい。皐さんに触れられない代わりに紙カップを持つ手にきゅっと力を入れる。
(皐さんが優しくて、嬉しい! 不純な目で見てごめんなさい、梓はいけない子です……)
「帰る時さ、車が来られる場所まで送ってくけど、ちょっとだけ時間、取れるか……?」
私は和室の壁掛け時計に目をやり、皐さんに微笑んだ。
「だったら、もう、出ましょうか」
秋の日は暮れるのが早い。狭く、のし掛かるような建物に挟まれた小路を行く私たちの間には会話がなかった。話すことならいっぱいあるはずなのに、互いに口をつぐんでいたのは、いつでも話せるような下らない些事でお茶を濁すことをしたくなかったからだろうか。
(昨日のキス……。何度考えてみても、偶然や友情のキスじゃありませんでした。ムードに流されたと言えばそうなんでしょうが、それでも……、私のこと、少しくらいは意識してくださっているでしょうか……)
皐さんについて、一歩下がった距離を保つ。
何も言わない背中。手を握ったら、彼はどうするだろう。
(こういうことは男性から言ってもらいたいのが乙女というものですが、もし恋人になることなど考えておらず、流されただけだったらどうしましょう! いえ、流されてお付き合いしてもらえるなら、いっそ流されてください、皐さん。もうこうなったら、私から告白を……!)
「あ、こんな所に公園がある。……寄ってく?」
「……! は、はい」
皐さんは、私の手を取って公園への狭い斜面を上った。
(はぅぅ! 皐さんの指が、指が! 私の手を……! ああ、心臓が……! 不整脈が!)
絞め殺される時の雄鶏みたいな鳴き声をあげそうな口許を手で押さえて必死で耐える。ここで醜態を晒すなんて、百回死んでも許されない!!
「ブランコがあるな。オレたちが座るには、小さすぎるか……」
「………………」
「そうだ……。言い忘れてたけど、その衣装、似合うよ」
「!!」
「ゲームのとそっくりじゃん。あずさらしい」
「あ、ありがとうございます! 本当は縫製もしたかったんですが、お裁縫は苦手で……」
「はは、そんなの気にすることないって。普通は服まで縫わないだろ」
(今の私には、その笑顔が眩しすぎます。浄化されそう……)
皐さんの笑顔にうっとりしていると、彼は急に真面目な顔を作ってこちらを向いた。私もつられて姿勢を正す。
「昨日のキスのこと……急だったから驚かせただろ。ごめんな……」
「………………!」
『謝らないでください』
『全然嫌じゃなかったです』
言いたいことはあるのに、開いた口は空気を吸い込むばかりで声にならない。
(謝らないで……。どうして謝るんですか! 謝るならなぜ……キスしたりなんかしたんです!)
急に涙がせり上がってきて、私はまばたきで誤魔化した。下を向いては雫がこぼれてしまうのに、それでもまっすぐ前を向いていることができない。胸が苦しくて息をするのもやっとで……。
「あずさ」
「……!」
大きな手が肩を包む。思わず頭を上げると、真摯な眼差しとぶつかる。皐さんの両手が私の双肩に置かれ、額が触れそうなほど近くに彼がいた。
「急だったことは、悪かったと思ってる。でも、軽い気持ちなんかじゃない。オレはずっと、ずっと……!」
「皐さ……」
「好きだ、あずさ」
「!」
「知り合ってから、会う前から好きだった。あずさに会って、そしたら、もっと好きになってた。オレ、お前に釣り合う男になるから、だから、オレの恋人になってほしい!」
震える手。
しかめられた眉。
熱のこもった瞳は潤んでいて、暮れ始めた秋の空気に白い息が流れた。
「……なんて」
「え?」
「釣り合いなんて、必要ないです。皐さんは、皐さんのままがいい……」
「あずさ……」
「好き。好きです、皐さん……」
「あずさ!」
ぎゅっと抱き締められて、私もその背中にそっと手を回す。
肩に頭を乗せると、ポリエステルの上着が頬に冷たい。
私の伏せた睫毛の隙間から、熱い雫が流れ落ちていった。
どちらからともなく身を離して。腕だけを繋げた程よい距離で。
皐さんの笑顔が目に入って、私も微笑んでいた。
想いを伝える瞬間のことを、あんなに夢想していたというのに、想像とは全然違っていた。気負うことなんて全くなくて、するっと体から抜け出したように言葉が風に乗っていた。
「………………」
「………………」
視界の全てが彼で埋め尽くされているかのように、皐さんしか目に映らない。まるでそうすることが自然で間違いのないことのように思えて、そっと唇を重ねた。
皐さんとの二度目のファーストキスは、昨日のキスよりもずっと確かな質量と熱を持っていて、嬉しさと恥ずかしさに揺れた。
唇が名残惜しげに小さな音を立てて、私たちは声を上げて笑った。皐さんの腕が私の腰に回され、今度は被さるようにもう一度……
「梓様、お迎えに上がりました」
「ほあっ!?」
「うおっ!」
びっくりし過ぎて、離れるのではなく、逆に皐さんをさらに抱き締めてしまった。
「さ、笹本!!」
「はい。お時間で御座いますので」
すっと頭を下げる笹本。時計を見れば、確かに帰る時間になってしまっていた。
「どうやって、ここ……」
「梓様のことは任されておりますので」
その答えに皐さんは納得がいかない顔をしているけれど、笹本は笹本だからとしか言えない。どこにいても時間になれば私を迎えに来るのだから、気にしても仕方ないのだ。
「さあ、参りましょう、梓様」
「でも、もうちょっとだけ……。ダメ?」
「駄目で御座います」
(笹本のケチ!)
「皐さ~ん」
「あずさ!」
連れて行かれつつ、私は皐さんの方へ手を伸ばした。皐さんも私に走り寄ってきてくれた。
「皐さん、私の全ては皐さんのものですから!」
「!」
「忘れないでくださいね!」
「…………それは、そのうちオレから、貰いに行く!」
「皐さーん!」
「……あずさ、いつでも会いに行くから。向こうでも、こっちでも!」
皐さんと引き離されてしまった。どうにか一台だけ通れる道に乗り入れていた車に詰め込まれる。
「せっかくの皐さんとの逢瀬が……。笹本はイジワルですね」
「何も意地悪をしているわけでは御座いません。これも仕事ですから」
「…………もう!」
「ところで梓様、一つよろしいでしょうか」
「なんですか?」
「……私の全て、とは、いったい何を差してのお言葉でしょうか?」
「私名義の動産です」
「………………。それは、何と言ったらよろしいのか……。ある意味、予想外で、ある意味、とても梓様らしい考え方で御座いますね」
「ああ、皐さん…………。幸せ!」
「聞いていらっしゃらないですね」
車のウィンドウを流れていくイルミネーションを眺めながら、私は心のアルバムに皐さんとの思い出と、これから作っていくであろう日々を並べた。“ナインライヴズ”で過ごす時間も、リアルでのは触れあいも、どちらも大切な私たちの現実だ。
私に釣り合うような男になる、と言ってくれた皐さん。釣り合あいという意味では私こそ、彼が自分の夢に向かって積み重ねている努力に見合うだけのことを為さなければならない。そのための一歩はもう見えている。
「ちょっとずつ、変わっていけたら……」
人差し指で唇をなぞって、希望を口に上らせた。空にはもう、星が輝いていた。
★おまけ★
皐「全てって……どこまで!?(ドキドキ)」