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そこは、"無"だった。
気付けば一人リゼルクは立ち尽くしていた。
見渡す限り、黒一色が支配していた。目を凝らせども、終わりの見えない闇。隣にいたラグナスの気配もない。明らかに城内ではなかった。おそらく水の精霊が媒介としていた滴に仕掛けをほどこした何者かによって、強制的に城内の庭から異空間に転移させられたのだろう。空耳だと思っていた、あの助けを求める女が関係しているのだろうか。
(そもそも、助けを求めておきながら姿を見せないとか、相手の意図がわからん。……俺にどうしろと言うんだ。それとも、何かの罠か?王都を脅かす組織でこんな芸当ができるところはないはずだが……。)
思考だけがぐるぐると回る。もどかしい思いを昇華させるため、リゼルクは深いため息をついた、
……。
はずであった。かなりの量の息を吐いたにも関わらず、音が響かなかったのだ。そういえば自分はまだ仕事途中で、腰に剣を腿にはホルダーを装備しており、身動ぎをするたびに剣と鞘が擦れる音が聞こえるはず。にも関わらず何も聞こえない。
……今、耳を触っているはずなのに、自らの体温はどこへいったのか?不様だと思うほど焦っているのに、心臓の鼓動はいつから聞こえていないのだろう、今日は、酒場で乱闘騒ぎなり汗臭かったはずだ……、意識の片隅で思考を止めろと警鐘が鳴っているにも関わらず、意識してしまった五感を一つずつ奪わることを止められなかった。
(落ちるッ!)
一瞬だった。闇を意識した途端、あったはずの全て、「自身」でさえ呑み込まれた。リゼルクは、為す術もなくただただ底のない闇をひたすら沈み続けた。
✳✳
「仕様のない子。せっかく役に立ってもらおうと“心”の中に入ってもらったのに。これで『黄金樹の苗』の中で最も能力のある人間?……つまらないわ。」
闇の中、誰に話しかけるでもない女の独り言が響いた。
「さて、蒼。あなた、そこにいるんでしょ?どうするのかしら?彼女が死ぬのは、こちらにとっても都合が悪いの。今回は、私達の利害は一致しているはずよ。彼女を救えるだろう、あの人間の手助けを赦してあげてもいいわ。ただ、そのあとは私に従ってもらうけど。」
しばらくして何もなかった闇の中に、ぽつんと闇に弱々しく青白い光が現れた。女に応えるわけでもなくそこに在るだけだった。
蒼は、迷っていた。
主の願いを叶えるため、そして、主と共に永く眠りにつくため、自身の最大限の力を行使し雨を降らせた。まさか、つまらなそうに脚を組んでいる女――エルフの姫が手を貸すとは予想していなかったのだ。しかし、この女性もまた主にとっては害のある存在である。姫によって表面に浮き上がった主の助けを求める心。主にとっての救いは、静寂な永遠の闇の中なのか、逆流になることが約束されている光の中なのか判断できなかった。ただ、主の声が胸を締め付けていた。