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らいおう  作者: 久手野数馬
第二部 蝓蠖(ゆご)
8/13

第一章 奥羽の鬼女

 奥羽(おうう)のとある山中を、ミズキは歩いていた。

 季節は冬である。雪こそまだ降っていないが、寒さは日を追うごとに厳しくなっていく。

 同じ山でも不破(ふわ)とは異なって映るのは山の違いか。それとも季節の違いのせいだろうか……それとも、自分が変わったせいなのだろうか。足を止め、高い空を見上げる。

 不破の惨事(さんじ)から二年近く()っていた。

 ミズキは事後間もなくに師・ササメの元に戻ったが、自分を雷翁(らいおう)(あぎと)()けに(つか)わした真意を詰問(きつもん)したことが軋轢(あつれき)を生み、師と――そして蜈蚣(ごしょう)八岐(やちまた)(たもと)を分かつに至った。

 八岐において一族を抜けた者は「はぐれ」と呼ばれ、どの支族(しぞく)の者であれあらゆる八岐から追われることとなる。小源太(こげんた)十萌(ともえ)と同様に追っ手が掛けられ、ミズキは絶えず緊張を強いられる日々を送っていた。

 ちょうど一年前、ミズキは一人の男に出会った。己を救いに来たと言うその男――(ひだり)甚五郎(じんごろう)八岐随一(ずいいち)呪具(じゅぐ)製作者だった。左は八岐でありながら八岐ではなかった。一族のためでなく、左はあくまで己の目的のために生きていたのである。

 左がミズキを救った理由は一つ。己が造り出した呪具の力のほどを知るためだった。

 呪具とは主に施呪(せじゅ)をする際に用いる道具を指すのだが、左の造った呪具にはまた異なる効果があった。試作した呪具を使ってみてもらいたい、そういう腹積もりがあったのだ。

 思案の末、ミズキはその申し出を受けることにした。はぐれとしての戦う暮らしの中で施されていた(じゅ)を使い果たし、呪態(じゅたい)顕現(けんげん)が不能となっていた身にとって何よりの朗報だったからだ。ミズキは左の庇護(ひご)を受け、一年ほどかけて呪具の扱いに習熟した。

 ミズキが呪態に代わる力を手にしたのはなぜか。

 それは心に一つだけしこりが残っていたからだ――つまり、小源太と十萌の行方である。ミズキが今一度牙を得たのは、二人を見つけるためだった。

 二人の所在についても手を回していた左は、所在がありそうな幾つかの候補を挙げた。その中からミズキが選んだのが、鬼女(きじょ)()むというこの山だった。間違いなくここにいる。なぜ確信できるのかといえば、この山は小源太の育った(にえ)の里にほど近いところにあったからだ。そして鬼女の正体とはおそらく――ミズキはすぐさまこの山に足を向けたのである。

「奥羽の鬼女ね。差し()黒塚(くろづか)の再来ってところかしら」

 あの可愛らしい十萌が鬼女と呼ばれている。(にわ)かには信じられなかったが、不破の里であれだけのことを経験し、たった一人で追っ手に(おびや)かされながら(いと)しい男を捜しているのだ。少女の身にどのような変化が生じていてもおかしいことはない。

 気にかかるのは、その鬼女の存在自体は十数年前から噂されていたところだった。しかし、そのときに姿を現したのは最初の数度だけで、それからぱたりと途絶えてしまったそうだ。奥羽の鬼女は最近までは単なる怪談話の一つになっていた。

 しかし、この一年あまりで鬼女の目撃談が再び増えた。それも若い女らしいと聞き、ミズキはそれが十萌だと確信した。単なる直感の域を出ないがおそらく十数年前の鬼女と最近目撃されている鬼女は別のもの。現代において人と関わらず山に棲む女とはおそらく八岐のはぐれだろう。最近はぐれとなった若い女といえば、己を除けば十萌くらいしか思いつかない。

 ミズキの推察はこうだ。昔を(なつ)かしんでか、贄への復讐を考えてかはわからないが、小源太はこの山に帰ってきた。何らかの方法でそれを知った十萌もこの山を訪れ、そして二人は再会を果たしたのではないだろうか。憶測に憶測を重ねた推察ではあるがミズキはそれを信じた。なぜならば、生まれて初めて覚えた女の直感だからである。

「この辺りね」

 ミズキは目撃談が集中した辺りで荷物を下ろし、黒塗(くろぬ)りの木箱を取り出した。木箱を開けると、中には人の頭大の金属球が二つ、納められていた。ミズキはくすんだ緋色(ひいろ)をした二つの球それぞれに左右の手を乗せた。

 これは緋々(ひひきば)という呪具である。これには呪態顕現の力はないが、その代わりに用いる者の意志に呼応して形を変える特殊な金属を用いられている。剣、玉、鏡の三つの形状を取り、さらにそれぞれ三つの能力が備えられていた。

 ミズキが緋々牙に意識を向けると緋色が鮮やかになり、欲する力を発揮する形態に変化する。球が液体のように()け、ミズキの両腕に絡み付く。緋色の液体金属は円蓋(えんがい)状の形を取り、両腕に小さな丸盾を着けたような姿になった。その能力は防御ではなく、探索と探知だった。緋々牙はミズキの五感を向上・統合させ、不可視の光線や不可聴の音域など周囲の膨大な情報を脳髄に送り込む。ミズキはその中から不要なものを断ち、必要な情報だけを絞り込んだ。

 ミズキが探知しているのは呪の流れだ。ミズキは左甚五郎の元で過ごす中で、呪を施された者が呪波(じゅは)という特殊な思念波を発することを知った。どのような機構なのかは理解の範疇の外だったが、理解と使いこなすこととは関係がない。体の仕組みを知らずとも手足を動かせるのと同じ理屈である。

 ミズキは五感を平時並に(おさ)え、呪波の感度のみを高めた。北北東へおよそ三十里といったところに呪が集中している場所がある。おそらくこれは贄の里。その周辺を動いている小さな呪波は里の者なのだろう。こちらに向かって来るような、やや大きい集団の反応もあった。

 これは違う。ミズキが探っているのは小源太の呪波だった。蝓蠖(ゆご)と化した小源太は、いわば奇異な呪態を常に顕現させているものだとミズキは仮定した。施呪されていない十萌を見つけることはできないが呪の塊である小源太ならば見つけられるだろうと思ったのだ。

 しかし、この一帯にそのような大きな反応はなかった。仮定は間違っていたのか。それとも、そもそも直感が外れていたのだろうか。不安になりながらも根気強く探知を続けていると、あることに気が付いた。明瞭な反応はないが――まさか。

 試しに探知の範囲を広域設定に変えてみると、思った通りだった。周囲の山麓の中でこの山の呪波が一番強い。うっすらとではあるが山全体を呪波が覆っている。よほどの霊山ならばそれも有り得るかもしれないが、ここは鬼女の噂があるだけのただの山だ。

 やはり、小源太はここに居る。そして十萌も。ミズキは範囲をこの山のみに絞り、呪波の感度を上げた。そして、ひと際濃密である地点を見つけた。

 西に四里。ミズキは緋々牙を着けたまま荷を背負い、そこへと駆け出す。一心不乱に――しかし、(はや)るあまりミズキは忘れていた。こちらへと向かう呪波の存在があったことを。

 不破の里で止まったかに思えた凶事(きょうじ)が再び動き出さんとしていた。


 駆け出して十分も経たない内に、ミズキは近寄ってくる気配を感じ取った。小源太に迫る者がいるかを警戒していたのだろう。呪波をほとんど放たないその気配の主は、間違いなく――。

 ただ会うというのも面白くないな。悪戯(いたずら)心を咲かせたミズキは緋々牙の探知機能を停止させ、その形状を変えた。右のものは以前の己の呪態のような鋭い刃に、左は腕から外して顔に着け、鬼女のような相貌(そうぼう)に変化させた。

 足を止め、周囲を窺う。気配の主は樹上に潜んでいるのがわかった。

「誰だ」

 芝居がかった口調で言うと、冬の木漏れ日の中から声が返る。

「これより先に入ることは(まか)りならん」

 気配の主は若い女だった。声色は大人びたが、少し鼻にかかっているところは変わらない。嬉しさに気が緩み、ミズキは思わずその名を呼ぼうとしてしまうのを自制した。

「それは聞けぬ話だ。この先にあるものを確かめるのが我に与えられた御役目」

「ならん」

 鬼女の面で声がくぐもっているせいか、向こうはミズキに気付いていないようだ。

「察するに……きさま、はぐれだな。安心しろ、我ははぐれ狩りに興味はない。邪魔さえせねば見逃してやる」

「ならんと言った」

 挑発に乗り、怒気を含ませた気配が頭上から落ちてきた。

 ミズキは身を(ひるがえ)してかわす。

 気配の主は体勢を崩すことなく着地し、顔を上げた。

 愛らしさの残る(りん)とした表情――それはこの二年で少女から女へと成長した十萌だった。

 駆け寄って抱き締めたくなる衝動をぐっと(こら)え、ミズキは芝居を続けた。

「奥羽の鬼女とはおまえだな――よかろう」

 どちらが(まこと)の鬼女であるか、身を以て教えてやる。ミズキが構える。

「それは、蔦針(つたばり)か。贄の者ではないようだな」

 十萌は雷翁の構えを取る。見違えるほどの気勢――二年間で相当の修練を積んだのだろう。

「ほう。それがわかるということは、きさまも蜈蚣(ごしょう)か。我にもわかるぞ、そちらは雷翁(らいおう)だな」

 もしや弟子に殺されたという不破仁斎ゆかりの者か。ミズキのさらなる挑発に十萌は怒気を(ふく)らませたものの、構えには一分の隙も生じさせなかった。

「見事ね……」

 独りごちつつミズキは間合いを詰め、刃を突き出す。

 十萌は翁の動作でそれをかわすと、独楽(こま)のように回りながらミズキの鳩尾(みぞおち)(ひじ)を立てる。

 ミズキはそれを先読みし、左の(てのひら)で肘を包むなり同じく翁の動きを以て勢いをいなした。

「なっ……」

 驚きの声を上げながら、十萌は体勢を立て直し、攻めに転じた。

 直線的な突きから曲線的な手刀(てがたな)へ、そしてそれが鋭い貫手(ぬきて)に変化する。

 緩やかで(とら)えどころのない流麗な攻め手に、ミズキは舌を巻いた。ここまで腕を上げているとは。これなら二年前の小源太とも五分に渡り合えるだろう。

 再会の喜び以上に、(あぎと)に全てを(そそ)いできた蜈蚣としての本質が甦り、沸き出した。

 ミズキは緋々(ひひきば)の刃を納め、雷翁を禁じ、蔦針の(わざ)のみで勝負することを決めた。

 翁の攻めに応じつつ、洞察眼を駆使してその機を窺う。

 気勢を高めた十萌が電光石火の右貫手を喉元へ放つ。

 ここだ。ミズキはあえてその一撃を浅く受けながら右手指を(とが)らせて十萌の心臓を突いた。

 ふわり。しかし手応えはなく、指撃(しげき)は空を突いたのみだった。

 十萌の体がくるりと横に回転する――洞察眼が次の手を予測するが、反応が追いつかない。

 十萌は左腕をしならせ、鬼女の面を横殴りにした。

 ミズキにできたのは、後方に跳んで威力を減じさせることだけだった。

 体勢を崩したミズキの体が地面を滑る。

 かららん。鬼女の面が転がった。

「とどめッ」

 言いつつ胸倉を掴んだ十萌は、そこで手を止めた。

「…………ミ……ミズキどの」

「あはは、ばれちゃった」

 これが、雷翁に運命を狂わされた二人の女の二年越しの再会だった。


 二人はその場で腰をかけ、積もる話を交わし合う。

「ミズキどのも蜈蚣から離れられたのですか」

「どのはやめてよ、お互いもうただのはぐれなんだからさ」

 ぽん、とミズキは十萌の肩を叩く。

「そうですね、ミズキさん」

 十萌は可憐(かれん)に微笑んだ。

 ミズキは己の二年間を十萌に語って聞かせ、二人の安否(あんぴ)を確かめに来たことを伝えた。

「――(ひだり)甚五郎(じんごろう)さまのご高名はあたしでも耳にしたことがありましたが、そのように豪放な方だったとは。八岐(やちまた)は一様に閉ざされ、殺伐(さつばつ)としていると思っていましたが、中にはそうではない方々もたくさんいらっしゃるのですね」

 十萌の口振りに、ミズキは引っかかりを覚えた。

「たくさん、ってどういうこと。他にもはぐれを庇護する八岐がいるって言うの」

 十萌は柔らかく(うなず)き、腰を上げた。

「あの人の――小源太のところへ案内いたします」

 詳しい話は道すがらで。ミズキは十萌に(いざな)われるまま歩き出した。


 十萌は、ミズキとよく似た二年間を過ごしていた。

 不破の里を出た十萌には即座に追っ手がかかった。しばらくは身に着けた雷翁の顎で凌ぐことができたが、小源太の行方は(よう)として知れなかった。

 ひと月ほど経ち、次々と襲来する追っ手に十萌はとうとう追い詰められた。間一髪のところを救ったのは、八岐でありながら八岐ではない(いにしえ)の一族だった。

 彼らは八岐にも一般民衆にも付かない中立的な立場を長く取っていたが、近年の八岐――特に蠎蛇(もうだ)の一族がよからぬ策謀(さくぼう)を巡らせていることに気付き、それを抑制するための行動を起こした。はぐれの庇護もその一環で、不破の里の異変を察知した彼らは十萌を救ったのだそうだ。

 庇護された十萌は、ミズキと同様に小源太の捜索を願い出た。程なくこの山に小源太らしき異形(いぎょう)が潜んでいることを知り、足を運んだ。

 小源太はすぐに見つかった。赤子の彼を取り上げた八岐の老婆(ろうば)(かくま)っていたのだそうだ。

「もしかして、その人が奥羽の鬼女なの」

 ミズキが訊ねると、十萌はこくりと頷いた。

「その方は、浄那(じょうな)さまという蠎蛇の女施呪者でした」

 浄那は元々贄の里に(つか)わされた施呪者だったが、殺伐とした贄の里の気風を(いや)がり、小源太が生まれたのと同時に隠遁(いんとん)したのだという。

「浄那さまは突然現れた蝓蠖(ゆご)を一目見て、それが小源太だと見抜かれたそうです」

「どうしてわかったの」

呪波(じゅは)、というのですか。浄那さまはそれで小源太だと判じたと(おっしゃ)られていました。けれど、わたしはそれだけだとは思いません。浄那さまはおそらく女の――いえ」

 母の直感で、それが小源太だと気付かれたのでしょう。十萌は嬉しそうに言った。

「そう。小源太は贄の里に良い思い出はない、なんて言っていたけど」

 気にかけてくれた人は、ちゃんと居たんだね。ミズキはそのことを心から喜んだ。

「わたしが小源太と逢えたのは、昨年の秋でした」

 それからの一年は、穏やかな生活を送ることができた。人には戻れなかったものの、小源太は意識を保ち続け、十萌とさまざまな言葉を交わした。

「体でつながることができない分、心は何よりも強く、深く結びつけることができました」

 この上ない幸福を語る十萌の顔が(かげ)る。その後の二人に何が起きたのか、ミズキにはおおよその察しがついていた。十萌の言葉は全て過去のことを語るものだったからだ。

「あれは、ひと月ほど前のことでした」

 異形の小源太や老いた浄那に代わって生活を支えたのは十萌だった。山を巡り、ときに人里に下りている十萌の姿を目撃した者たちが、鬼女の再来を噂するようになったのだという。

 その噂は贄の里にも届いた。真偽のほどを確かめようと、三人の贄の若者がここを訪れた。十萌と小源太の身を隠して浄那が応対に出たものの、若者たちは納得せず、強引に山狩りをした。そして――とうとう山中に潜む十萌と小源太は見つかってしまった。

 小源太を矢面に立たせまいと、十萌は必死に応戦した。しかし、多勢に無勢。十萌の窮地を見た小源太は力を開放し――そして、再び蝓蠖に食われた。

「あのときと、同じことが起こりました」

 蝓蠖はあの黒い閃光を放出して三人を掻き消し、そして十萌に手をかけようとした。

「そこに現れた浄那さまが……」

 浄那は力を振り絞って蝓蠖を封じ込めたが、その代償として命を落としたらしい。

「……それで、小源太は」

 胸を(えぐ)られるような思いで訊ねた。

(かす)かにですが意識を取り戻しました。小源太は浄那さまとわたしに礼を言い、そして――」

 十萌が足を止め、その先にある岩壁を指差した。

 ミズキは言葉を失う。岩壁には異形がその身を埋め込むように同化していた。

 あの、不破の大空洞で見た鎧霊(よろいだま)のように――。


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