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らいおう  作者: 久手野数馬
第一部 雷翁
3/13

第二章 呪態研究所

「そこで見せたミズキどのの呪態(じゅたい)は、それはもうすさまじかったのだ。仁斎(じんさい)よ、うかうかしているとあっという間に尻に()かれてしまうぞ」

 がはは。源蔵(げんぞう)の大笑いが屋敷中に響く。

「源蔵よ。おれはおぬしのようなむさ苦しい中年ではなく、ミズキどのと話がしたいのだが」

 場の上座(かみざ)に座る壮年の男に(たしな)められ、源蔵は恥ずかしそうに頭を掻いた。

 男は不破の里長、不破(ふわ)仁斎その人である。仁斎はまた蜈蚣(ごしょう)一族の最高峰である十顎(じゅうがく)の一人でもあった。

「お、おおそうか。すまんすまん」

 野暮天(やぼてん)だったな、がはは。源蔵の笑い声を、十萌(ともえ)は複雑な心境で聞いていた。ダンゴムシの成果(なれのはて)を倒して里に戻る道すがら、源蔵が今のような調子でミズキが仁斎の後添(のちぞ)いだと言うのを聞いて以来気が気でなかった。どうしてすぐに気が付かなかったのだろう。小源太(こげんた)への雷翁(らいおう)の継承は大詰めだと聞くし、母が亡くなってから五年も経つ。父が母以外の女の人と一緒になってもおかしくはない……はずだ。でも、何だろうこのもやもやは。これじゃあ子ども扱いされても文句が言えないじゃないか。不安のあまり、十萌は最も頼りにしている小源太に目を向けた。小源太はその視線を受け止め、大丈夫、と口だけ動かすと(せき)払いをした。

「どうした、小源太」

「差し出口を挟むようで恐縮なのですが、よろしいですか」

 仁斎は鷹揚(おうよう)に頷いた。

「どうも、根も葉もない噂話が誤解を生んでいるように思えるのですが」

「む、それはどんな話だ」

 仁斎が眉を(ひそ)めた。

「有り体に申しますと、仁斎さまがミズキどのを招かれたのは後添いになさるためだろう、と」

「何だと」

 仁斎が声を裏返す。ここ数年来見せたことのない狼狽(ろうばい)ぶりだった。

「ふむ。どうも源蔵の言葉の端々が()に落ちんと思うておったが。なるほど、合点(がてん)がいった」

 じろりとにらまれ、源蔵は気まずそうに大きな体を縮こめた。

 仁斎は表情を和らげ、ミズキを見やる。

「どうやら無礼な歓待(かんたい)をしてしまったようだ。申し訳ない。このとおりだ」

 ごしょう――蜈蚣の頂点である十顎の一人に頭を下げられ、ミズキは思わず(かしこ)まった。

「そんな、気にしていません。源蔵どのも悪気があってなさったことではないようですし」

「そう言ってもらえるとありがたい。まったく、あれとは乳飲(ちの)み子の頃からの付き合いだが、繊細さを母の(はら)に忘れてきてしまったようでな。勘弁してやってくれ」

 これまた珍しい仁斎の冗談に一同は声を張り上げて笑った。ただし、さらに小さくなる源蔵は除いて、である。

「とはいえ、里のみなに詳細を伝えなかったおれの責もある。あらためて謝る。すまん」

「おやめになってください仁斎さま。許します、許しますから頭をお上げください」

 ミズキがそこまで言って、ようやく仁斎の気が収まった。

「これ以上の誤解がないよう言っておくが、ミズキどのは(あぎと)()けのために招いたのだ」

「顎分け、とは何ですか、おやじさま」

 (なご)やかな雰囲気に後押しされて十萌が口を開いた途端、場が凍りついたように静まり返る。

 いつもこうだ。十萌は悔しさのあまり(ひざ)に爪を立てた。父娘(おやこ)二人になってからというもの、仁斎は里の者の居る場では決して十萌と口を()こうとはしなかった。二人きりで屋敷に居るときですら必要最低限の言葉しか交わそうとしないのだ。

「おれもお聞きしたいです」

 こういうとき、助け舟を出すのはいつも小源太だった。

「ミズキどのが雷翁を学ぶためにいらっしゃることは伺っていましたが、顎分けという言葉ははじめて耳にしました」

 仁斎が重くなった口を開いた。

「万が一この里が絶えた際、雷翁が失伝(しつでん)せぬよう他の蜈蚣に(あぎと)を預かってもらうのだ」

「全ては顎を守るためなのですね」

 蜈蚣に十顎(じゅうがく)あり――だが、その実現在まで残っている顎は七つ。千年ともいわれる蜈蚣の歴史の中で、三つの顎が途絶してしまっていた。顎分けは蜈蚣一族の力を保持するための措置(そち)である反面、顎を盗まれる危険も伴うため慎重を期して行われるものだと仁斎は付け加えた。

 なぜ今それを、と(たず)ねる者はいなかった。これも雷翁を次代に――つまり小源太へ継承するために踏む手順の一つなのだと、みな無言の内に納得していたからだ。

「ミズキどのならば安心ですね」

 その継承者である小源太の言葉に、居並ぶ一同が大きく頷く。

「ご期待に応えられるよう、精進していきたいと思います」

 深々と頭を下げるミズキに小源太が声をかける。

「仁斎さまは素晴らしい御方だ。おれも父のように(した)っている。遠慮なく教えを乞うといい」

 里に来る途中に聞いた話によると、小源太には身寄りがなく、そもそも不破の里で生まれ育ったのではないのだという。それは、ミズキも同じだった。

「わたしは物心つく前に両親を亡くし、師・ササメに育てられました。そのササメもわたしと同じく女。こうして仁斎さまから教えを(たまわ)ることとなり、ようやくふた親を得たような喜びを感じております」

「うむ。小源太の言うようにおれのことを父と思ってくれて構わない。それと――」

 仁斎は一拍置き、言葉を()いだ。

「できれば、そこの十萌も、妹としてかわいがってやってくれ」

「は、承知いたしました」

 その言葉に一同は息を呑む。中でも当の十萌は呼吸を忘れて倒れるほど驚いていた。


 不破の親子と小源太との夕餉(ゆうげ)を済ませた後、ミズキはあてがわれた不破屋敷の居室で荷を解いた。ひと息つこうと障子を開く。おぼろ雲に揺蕩(たゆた)月輪(げつりん)が見えた。縁側に出ると、微温(ぬる)く緩やかな風が頬を撫でた。

「気持ちいいな」

 ミズキはひとり()ちる。人心地がついたというのはこのことを言うのだろう。腰を下ろし、月明かりすら届かぬ不破の山奥を見つめた。

成果(なれのはて)……」

 昼に戦ったダンゴムシの異形。あのような化け物がここには山ほどいるという。ミズキは背筋が(うず)くのを感じた。怖気(おぞけ)もあったが、それを押し流すほどの武者震いが湧いたのだった。

 ここは、あたしの力を思う存分に振るえる場所。ミズキは己の右手を見つめ、呪態を顕現(けんげん)させた際の激痛と開放感が()い交ぜとなった快感を思い出した。

 蔦針(つたばり)(つか)いの役目は、主に人を相手とする殺伐(さつばつ)としたもので、自制と緊張感を絶えず要求された。大概は蔦針の(わざ)のみで事足りており派手な呪態(じゅたい)を顕現させることはむしろ珍しかった。

 久方ぶりの呪態顕現で心の(たが)が緩んだのか、ミズキは背後に近寄る影に気付かなかった。

「見事な手際でしたね」

 はっと振り返ると、そこには精悍(せいかん)な顔立ちの若い男――小源太が立っていた。

「気配を消して後ろに立つなんて、趣味が悪いわね」

 迂闊(うかつ)なところを見せた恥ずかしさを誤魔化すように、ミズキは口調を毛羽(けば)立たせた。

「こ、これは失礼。ちょっとした悪戯(いたずら)のつもりだったのですが」

 小源太の慌てるようすは、(さわ)やかで微笑ましかった。

「ふふ、冗談ですよ。気になさらないで。それと――」

 呪態のこと、誉めてくれてありがとう。ミズキは素直に礼を言った。

 薄い月明かりに照らされた笑み。その静かな美しさは小源太の胸を深く打つ。

「お世辞でも嬉しいわ」

「世辞などではありません。あそこまで(あざ)やかなものは滅多に見られませんよ」

 小源太の(まぶた)の裏には、成果(なれのはて)の返り血を浴びて佇むミズキの姿がはっきりと焼き付いていた。凄惨ともいえる光景に小源太はうつつではない美しさを垣間見たのだった。

「少しお話でもしませんか。里のようすなど、教えていただきたいこともありますし」

 ミズキがそう言うのを、小源太はわたわたと手を振って断った。

「ああ、いや。それならば、明日(みょうにち)里の案内をすることになっていますので、そのときにでも」

 そう言うと、小源太は足早にその場を去っていった。

「面白い人ね」

 いそいそと去る後ろ姿を見送りながら、ミズキはくすりと笑った。

「どのような日々になるのかしら」

 おぼろ月をもう一度見上げて呟く。

 その胸に、希望に近い思いが去来する。

 しかし、ミズキと不破の里が歩む先には、希望など欠片(かけら)も存在しなかった。



 翌朝、ミズキは小源太と源蔵に連れられ、里の案内がてらとある場所に向かっていた。

「昨日はわしの早とちりで迷惑をかけた。すまん」

 源蔵が平謝りをする。

「よしてください、源蔵どの。わたしはむしろ嬉しいのです」

「というと」

「不破の里のみなさまが、仁斎さまを慕ってらっしゃることがよくわかったからです。師とともに転々としてきたわたしには、賑やかな里の暮らしが羨ましくて仕方ありません」

 ミズキがにこやかに言うのを聞き、小源太は蔦針の遣い手の生業(なりわい)についてを思い出した。

 ()(てい)にいうと、蔦針は暗殺術だった。ミズキの持つ洞察眼は生き物の構造のみならず、地形や風向き、建造物の普請などにも応用でき、戦国の世には斥候(せっこう)や要人暗殺に重宝(ちょうほう)されたという。その(あぎと)の遣い手は現在でも似たようなことを生業としており、ミズキもその手を血に染めた経験があると仁斎から聞かされていた。

 人間を(あや)めたことがない小源太には、殺伐とした生活を送りながらそれをおくびにも出さないミズキが恐ろしく、そして一層魅力的に感じられた。

「小源太どの、今向かっている呪態研究所とは、一体どんなところなのですか」

 突然ミズキに声をかけられ、小源太は心臓が口から飛び出そうになった。

「じゅじゅ、呪態研は(じゅ)(ほどこ)す場所です」

 どもる小源太を見て、ミズキはくすくすと笑った。

「そんなことは当たり前だろうが」

 源蔵に(たしな)められ、小源太は耳まで赤くした。

「面白い人なのですね、小源太どのは」

「がはは。もしやおまえ、ミズキどのに()れたのか」

 からかわれ、小源太は唇をへの字に曲げた。

「舌の根の(かわ)かぬ内ですよ、源蔵どの」

「む、そうか」

 痛いところを突かれ、源蔵は口を(つぐ)んで肩を落とした。

 平静を取り戻した小源太が説明をし直す。

「不破の施呪(せじゅ)師の在り方は、他の里とはいささか異なっているのです」

 蜈蚣は、さらなる大きな一族の支族である。八岐(やちまた)の一族や地這(じば)い、(むし)などと呼ばれた彼らは、この国に最も早く住まった人間の末裔だった。八岐の一族はその名のとおり八つの大支族とその眷族によって構成されており、それぞれ常人を超える肉体と異能の(わざ)を持っていた。例えば、蜈蚣(ごしょう)は雷翁や蔦針といった(あぎと)と呼ばれる体技と集団戦法を発達させている。

 八岐の中で最も力のある蠎蛇(もうだ)は特異な呪法を操った。蠎蛇の呪は敵対する者に害を与えるものだけではない。その特筆すべき点は同じ八岐の一族に呪を施し、体の一部を異形と化す力を授けるところにあった。その力こそがミズキが成果(なれのはて)を斬り裂いた変形(へんぎょう)――呪態(じゅたい)である。

 武力自体は(とぼ)しい蠎蛇だったが、その施呪によって不可欠のものとされ、八岐のほとんどを牛耳(ぎゅうじ)るまでになった。呪態は使用するごとに再度呪を施す必要があったため、各支族に蠎蛇の施呪師が遣わされている。蜈蚣においては原則として十顎(じゅうがく)それぞれに一人ずつ付いているのだが、小源太の言うように不破の里だけは異なっていた。

 不破の里は山の奥から湧き出てくる成果(なれのはて)を相手にするという蜈蚣、いや八岐の中でも特殊な役目を担っていた。成果は妖物(ようぶつ)と呼ばれる謎の存在に寄生された生き物の変わり果てた姿とされており、先の巨大ダンゴムシだけではなく多種多様な奇怪さと凶暴性を備えていた。近年さらに力を増す成果に対抗するという理由で、不破の里には呪態研究所という周囲の環境には似つかわしくない白亜の建物が置かれたのだった。

「呪態研には、研究員として三人の蠎蛇の施呪師が詰めているのです」

「三人も。それは心強い」

 里を持たない蔦針の使い手は、役目の度に近在の蠎蛇に頼っているのだとミズキは語った。

「その三人は、どのような方々なのですか」

「それはわしが説明しよう」

 源蔵がずいと話に割り込んだ。

「三姉妹でな、どの女御(にょうご)も麗しい。長姉(ちょうし)()()どのはこの上なく妖艶(ようえん)で、次姉(じし)()()どのは知的で物静か、末妹(すえいもうと)()()どのは快活でいつも元気一杯なのだ。わしはやはり於ぼ路どのの(つや)っぽいところが好きだのう。いや、志の歩どのの奥ゆかしさも男心をくすぐるな。真つ里どのは娘にしか見えぬから間合いの外じゃがのう」

今仰(あおぐ)ったこと、一言一句違(たが)えずに奥方さまに伝えさせていただきます」

「む、それは困る」

 聞いてもいないことまで喋り出す源蔵に掣肘(せいちゅう)を加え、小源太は話の筋道を戻す。

「於ぼ路どのは所長の職をこなしているため、施呪はほとんど行わないのです。志の歩どのは里長の専任で、他の里の者は真つ里どのが一手に引き受けています」

「では、わたしはその真つ里どのに施呪をお願いするのですね」

「おそらくは」

 話している内に、一行は呪態研究所にたどり着いていた。

 そこは、里と成果の棲む山奥をつなぐ直線上にあった。


「やっほー、呪ってやるぞぅ!」

 呪態研に入るなりかかったその声に、ミズキは拍子(ひょうし)抜けした。

 現れたのは桃色の看護服に身を包んだ少女だった。不破の里で役目を持たない者が雑務に従事していると聞いていたが、彼女もその一人なのだろうか。

「おー、(げん)ちゃんに小源(こげん)ちゃん、ようきたようきた」

 少女はぴょんと跳ねると、源蔵の胸に抱きついた。

「源ちゃんは相変わらずごついねー。鍛えてるねー」

 そのまま小源太の背中に飛び移る。

「お、小源ちゃんもなかなか(たくま)しくなってきたな。さすがは次期十顎と(もく)される男であるな」

 少女にじゃれられてまんざらでもないようすの小源太を見て、ミズキの胸中がわずかに揺らぐ。十萌との兄妹のようなやりとりでは感じなかった心の揺れだった。

「毎度毎度よしてくださいよ、()()どの」

「えっ、この子が蠎蛇(もうだ)の」

 ミズキは思わず声を上げた。

「おっおっ、きみがミズキちゃんだね」

 真つ里は小源太の背からぴょんと下り、ミズキの全身を()め回すように眺めた。

「話は聞いてるよ。わっちがここの施呪主任の真つ里だ。きみの施呪もわっちが担当するので、よろしくよろしく」

 真つ里が手を差し出してきた。ミズキが取ろうとすると、その手がひらりと動き、ミズキの胸を鷲掴みにした。

 一瞬何が起こったのかわからず、ミズキは唖然(あぜん)とした。

「むほほー、なかなか豊かでありますのう。ちーネエ以上おーネエ未満ですな」

「き、きゃあっ」

 ミズキは慌てて真つ里の手を振り払って胸部を守るように腕を組んだ。

 それを見た真つ里はさらに興奮し、両手の指をわしゃわしゃと動かした。

「ほほー、乙女ですなあ。お次はおヒップをば……」

 ばしん、という音が響き、真つ里が頭を押さえてうずくまる。

「あいたー」

 いつの間にか真つ里の背後に女が立っていた。理知的な顔立ちで洋服の上に白衣を羽織っている。手には書類の束を持っている。それで真つ里をはたいたのだった。

「あにすんのさ、ちーネエ」

「はしゃぐのもいい加減になさい」

 白衣の女は抑揚(よくよう)のない口調で真つ里を(いさ)めた。彼女が三姉妹の次姉・()()なのだろう。

「ひがんでるんだな。ちーネエよりお胸があるって言ったから……」

 志の歩の目が鋭く光る。

「ひいッ。ご、ごめんよちーネエ。堪忍(かんにん)、堪忍や」

 真つ里は冗談ではなく顔を青くした。

「いいから準備をなさい。ミズキさんは今日が初診なのだから失礼があってはなりませんよ」

「ア、アイサー」

 真つ里は最敬礼をするや、すたこらと奥に走り去ってしまった。

「はしたない妹でごめんなさいね」

 志の歩は小さくため息をついた。

「よいのですよ、志の歩どの。わしはいつも真つ里どのに元気を分けてもらっているのだ」

「そう言ってもらえるとありがたいわ、源蔵さん」

 白磁の人形のような志の歩の口元が(かす)かに上がった。それは同じ女であるミズキすら見とれてしまうほど端麗(たんれい)な微笑だった。いわんや男子をや。源蔵は今にもとろけてしまいそうなだらしない顔をし、小源太すら頬を赤らめている。

 その小源太に志の歩が話しかける。

「小源太さんは、今日からわたしが担当することになりました。よろしくお願いしますね」

「え、おれが」

「そうですよ。仁斎さま直々のお達しです。わたしの施呪室はわかりますか」

「あ、は、はい」

「では、わたしも準備があるので先に行っています。後からゆっくりいらしてください」

 志の歩は颯爽(さっそう)と白衣を(ひるがえ)し、去っていった。

「おおう。いいのお、小源太。さすが次期十顎と目される男」

 心底うらやましげに、源蔵は小源太の背中を叩く。

「痛いですよ。まったく大人げないんだから」

 これまたまんざらでもない小源太の顔を見て、ミズキの心は再び揺れた。


 志の歩の施呪室に赴いた小源太は、上着を脱いで寝台の上に身を横たえた。

「まだ真つ里の(じゅ)が残っているわね」

 触れもせず、一見しただけで志の歩はそう判じた。

「ええ。雷翁(らいおう)のコツを掴んでからは、呪態に頼らずに戦えるようになったので」

 小源太が密かに自己顕示をするが、志の歩は全く反応しなかった。その目に映るのは、小源太ではなく施呪対象としての蜈蚣(ごしょう)でしかなかった。

「あの子の呪は癖が強くてわたしのとは合わないの。呪態を引き出してもらえるかしら」

 つまり、以前に真つ里が施した呪を出し切って(から)の状態にしろということだ。

 小源太は言われたとおり呪言(じゅごん)を唱え、呪態を顕現させた。

 名状しがたい不快な音を立て、小源太の両腕が変化する。蜈蚣の呪態は両腕をムカデの顎門(がくもん)の如く変形(へんぎょう)させるのが特徴だった。小源太の呪態はミズキのように攻撃に特化したものではなかった。表皮は硬質化するが手首から先が一体とはならず、細かい動きができるようになっていた。これは不破の(あぎと)・雷翁の性質に合わせての処理である。

 小源太がうめきを漏らした。身体を変化させる呪態は尋常ではない苦痛を(ともな)う。それは何度行っても慣れるようなものではなかった。

「解いていいわ」

 小源太は途切れ途切れに(みそぎ)ぎの言葉を口にした。こうやって施された呪を自ら祓うことで、元の姿に戻ることができる。逆に、祓わなければ呪に体を(むしば)まれて命を落としてしまうのだという。同じく呪を何度も施される度にも命が縮まるそうだ。小源太はそのどちらかで死んだ者の姿を見たことはないが、呪態における最も注意すべき点として教え込まれていた。

 小源太の腕が人のものに戻った。

「お疲れさま。では、施呪を行う前に問診をします。楽にして」

 志の歩は寝台を操作して傾けると、膝上に小源太の診断書と思われる書類を開いた。


「あなたの名前は」

「小源太」

「出身は」

(にえ)の里です」

「贄といえば、舞鎌(まいがま)遣いの里よね。どうして不破の里に来たの」

「……それ、答えなければいけませんか」

「ええ。あなたの資料はもらっているけれど、それだけでは不足なのよ。あたしは真つ里のような一辺倒(いっぺんとう)の施呪は行わない。施呪対象との意志疎通(そつう)を何より重視するの。さあ、答えて」

「……おれは、贄の里では厄介者でした」

「親御さんは」

「物心つく前に亡くしました」

「どんな風に暮らしていたの」

「里長である贄の家で下働きをしていました」

「たしか、贄の家にはあなたと同じ年頃の男の子がいたわね。文吾(ぶんご)といったかしら」

「はい。その下に兵吾(ひょうご)冬吾(とうご)という双子の弟がいます」

「あなたとその三兄弟との仲は」

「良いわけがないじゃないですか。あいつらはおれを口を()く野良犬のように扱いました。毎日が地獄だった」

「それがどうして不破の里に」

「仁斎さまが助け出してくれたんです」

「細かい経緯(いきさつ)を教えて」

「不破の雷翁と贄の舞鎌は同じ源流を持つらしくて里同士の交流も比較的盛んなのです。五年前、贄の里にいらした仁斎さまが見様見真似で舞鎌の鍛錬をしていたおれを見つけ、引き取ると言ってくれました」

「五年前といえば、仁斎さまが奥方を亡くしたのもその頃よね」

「そうですけど、それが何か」

「いいえ、特に意味はないわ。あなたがそのことを知っているのか、少し気になっただけ。それで、あなたは不破の里に来ることになったのね」

「はい」

「どうして雷翁を継承することになったの」

「……それは、おれの口からは答えられません」

「なぜ」

「おれだけの問題じゃないからです。あなたもわかっているはずだ」

「たしかに見当はつくわ」

「ならいいじゃないですか」

「よくはないわ。言ったでしょ、あたしは施呪対象とのコミュニケーションを重視しているって。あなたの口から聞くことが大切なのよ」

「一つ聞いていいですか」

「いいわよ」

「もしかして、仁斎さまの施呪もこのように」

「そうよ。これがあたしのやり方だもの」

「じゃあ、仁斎さまにも口にしたくないことを無理矢理言わせているのですか」

「質問は一つでしょう。それにこれ以上は話せないわ。仁斎さまとも他言しないと約束を交わしたから」

「仁斎さまが、あなたに……」

「寄り道はこのくらいでいいでしょう。さあ教えて。あなたはなぜ雷翁の継承者になったの」

「理由は……二つあります。一つはおれの舞鎌の腕が仁斎さまに認められたこと」

「もう一つは」

「……十萌さまに雷翁の資質がなかったからです」

「そう。その十萌さまの、あなたへの態度は」

「はじめは戸惑っていたようですが、今では実の兄のように慕ってくれています」

「あなたはどう」

「……妹のように大切にしています」

「兄と妹ね。本当にそうかしら」

「どういう意味ですか」

「どうもこうも。長の娘としての役割を果たせない十萌さまが、贄での逆境から一転して次の十顎となったあなたを、そんな素直な気持ちで見ていると思うの」

「あなたに何がわかる。おれと十萌さま、そして仁斎さまは家族としてつながっているんだ」

「家族として、ね。仁斎さまと十萌さまを見る限りは、とても家族のつながりがあるようには思えないけれど。あなたから見て、どうかしら」

「…………」

「黙らないで教えてちょうだい」

「たしかに……仁斎さまは十萌さまに厳し過ぎるところがおありだ」

「そう」

「だが……だからこそ、おれがお二人を家族としてつなげる必要があるんだ」

「あなたが。どうやって」

「おれが雷翁を継承し、十顎となれば、今までどおり三人で暮らしていける」

「わからないわ。どうしてあなたが十顎になって家族のつながりを維持することになるの」

「何だと」

「だってそうでしょう。十顎になるということは、あなたが不破の名とこの里を受け継ぐということ。継承が済めば不破仁斎さまはただの仁斎に、不破十萌さまはただの十萌になるの。これは不破の里のみならず、蜈蚣全てに通じる決まりごとよ」

「そうはさせない。おれが里長になったら、そんな決まりなぞ変えてやる。仁斎さまを慕っている里の者たちだって、おれと同じ気持ちのはずだ」

「そうかしら。千年間守ってきたものを、たかだか十顎の一人が変えられるなんて、わたしにはとても思えない」

「たかだかだと」

「それに、里の者たちだってあなたと同じように考えているとは限らない。たしかに今は仁斎さまを慕っているかもしれない。でもそれは里長に従うという意識が根底にあって、それがひとかどの人物ではないから喜んでいるだけなのかもしれない」

「ふざけるな。それ以上言ったら、いくらあんたが蠎蛇だからってただじゃおかんぞ」

「あら、都合が悪くなったら暴力に訴えるつもりなのね」

「きさま」

 小源太が志の歩に掴みかかろうと身を起こす。

 ぱたん。激昂(げっこう)する小源太の目前で、書類が閉じられた。

「はい、おしまい」

 志の歩が優しく微笑む。研究所の入り口で見せたよりも魅力的な微笑に、小源太の気勢は()がれてしまった。

「何だって」

 振り上げた拳を下ろすのを忘れるほど、小源太は唖然とした。

「問診は終わり、と言ったのよ」

 志の歩は元の人形面を取り戻すと、立ち上がって書類を机上に置いた。

「あなたのことはよくわかったわ。あなたはいつも気さくで、誰に対しても誠実で優しい。それは里の者でないわたしも知っていること」

 志の歩は机に寄りかかり、腕を組みながら小源太を見た。

「けれど、その底にあるのは負の感情ね。例えば、贄の三兄弟への恨み(つら)みや十萌さまへの後ろめたさ。そういった負の感情があなたの中で絶えずくすぶっている」

 志の歩の指摘は問診で明らかになったことだったため、小源太は反論できなかった。

「誤解しないで。悪いとは言ってないわ。その負の感情があなたを強くしてきたのだもの」

 それがあるから、あなたはここまで強くなれた。志の歩は小源太の全てを――師・仁斎にも見せていなかった暗い部分までをも含め、その全てを肯定した。

 志の歩のその言葉を聞き、小源太は知らずに涙を流していた。

「さあ、もう一度横になりなさい。起きたままでは作業がしづらいわ」

 小源太は言われるがままにした。

「少し眠りなさい。その間に、わたしがあなたをもっと強くしてあげる」

 まるで幼子(おさなご)のように従順に、小源太は深い眠りに落ちた。

「いい子ね」

 すやすやと眠るその顔に、志の歩の指先が触れる。

「だから、あなたもあたしに尽くすのよ、坊や」

 志の歩の指が、小源太の涙をたおやかにすくい上げた。


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