一花の心
とは言ったものの。
まず自分ができることとといえば、夜に歩き回るのをやめさせることぐらいだ。
しかもできるだけ早く。
もし昨日のようなことがまたあって、そこで何か事件にでも巻き込まれてしまえば流石に学校にばれるだろう。
そうすると、教師陣(事件が大きければ大きいほど上のポストの人間)に教育的指導が下され、親に連絡され、彼女の小さな放浪劇?は終了。
(その方が簡単ではありますけど。)
と心で呟く。
少なくとも、こんな風に買い物の途中に引っ張り回されることもなくなるわけだ。
昨日と同じく物陰から一花を見ている幸太郎の後ろ姿を見て、雪春はため息をついた。
「それで?私はいつまでストーカーみたいなことをしていればいいんですか?」
幸太郎は変わらず(幽霊なので当然だが)同じスーツ。
しかし雪春の格好はジーパンにTシャツ、そして薄手のカーディガンという格好である。
今日は土曜日だからだ。
部活動を終えて早めに家に帰り、少しゆっくりしてから近くのコンビニに飲み物を買いに出て―――またこの幽霊にあったのだ。
また一花が出歩いてる、と泣きつかれて。
それから昨日とは違う駅の公園にいる一花を見つけてから、ずっとこの体制である。
「親御さんには言いませんから、早く帰るように本人に言えばいい話ではないんですか?」
飲み干したペットボトルを公園のゴミ箱に捨てながら言う。
「だけど、それじゃあ明日もまた同じことするだろ?」
確かに出歩く根本的な理由を解決しない限り、彼女は同じ行動を続けるだろう。
だがどうすればいいというのだ。
自暴自棄になっている一花の腕を捉えて、「お兄さんが亡くなったのは君のせいじゃない!自分を責めるのはもうやめるんだ!」と涙ながらに訴えろと?
某有名青春ドラマの教師のように、夕日に向かってあつく語る自分を想像し―――だめだ。似合わなすぎる。
「あ!またあいつら!」
声をあげる幸太郎が見ている方向に目を向けると、昨日と同じく男たちに声をかけられている一花がいた。
またか、と雪春は内心呆れた。
たしかに一花は美少女だ。声をかけたくなるのもわかる。だが同じ男たちに声をかけられるとは、よほど気に入られたのか。
男たちは昨日と同じ、例のピンポンパンであった。不良だったら同じところにたむろしてほしい。こんな綺麗な公園に出没するなんて、意外とかわいいところがあるのだろうか。
「私が声をかけてきます。昨日みたいに乗り移ったりしないでくださいね。」
「・・・わかった。」
不満気な顔をした幸太郎をつれて、一花たちに近寄る。
三人組の目の前に立ちふさがると、彼らは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「あぁ?またテメーかよ!」
こっちの台詞だ、と脳内で言い返した。
しかし彼らの睨みよりも、背中から刺さる不穏な視線の方が怖いのはなぜだ。
一花の方を振り向けなかった。
「あなたたちも懲りないですね。同じ子に声をかけるなんて」
そして昨日のファッションとの違いを教えてほしい。
もちろん上に来ている服も、腰まで下げたズボンも違うものであるが、与えられる印象は同じである。
“だらしない”
昨日名づけたピンだかポンだかは、イライラしたように凄んできた。
「テメーあんま調子乗ってっと痛い目みるぞコラァ」
台詞もなんと芸がないことか。
だがこれ以上刺激してはまずいので、早々に切り上げることにした。
「彼女は私の教え子です。連れて帰る義務があります。お引き取りください。」
だが、雪春の動じない姿が返ってカンに触ったのだろう。
「テメェっ・・・!」
一人が握った拳を振りかざした。
あ、やばい。
学校にばれる。
そんな場違いな心配したその時、雪春の前を黒いものが横切った。
「な、なんだこいつ・・・!」
それはカラスだった。
何度も何度も不良たちの前で羽ばたき、彼らの目を攻撃する。追い払おうと手を振り回しても上手く逃げられる。
カラスって、人を助けるのか。
毎朝ゴミ捨て場にたまっているカラスを思い出して、雪春は感心した。
「っ覚えてろよ・・・!」
追い払うのを諦めたのか、ひとまず退散することにしたらしい。三人はおなじみの台詞を言い捨てて、その場を去っていった。同時にカラスも去っていく。
ありがとうカラス。
今朝ほうきで追い払ってごめんね。
孤高に飛び去っていくカラスを見つめていたが、突然背筋に悪寒が走った。
そうだ。まだ終わっていなかった。
振り向くと、一花が不審そうな顔で睨んでいた。
「助けていただいてアリガトウゴザイマス。」
ほとんど棒読みで礼を言われる。
「どうして先生がこんなところにいるんですか?」
それはこっちが言いたい。一花が出歩かなければ、自分もここにはいなかったからである。
「まさか・・・つけてきたんですか?」
その通りです。
とは言えず「ち、がいま、す」と切れ切れになりながら言う。
しかし二日連続で目の前に現れたら、さすがに不信にもなるだろう。ますます剣呑さをます一花に、慌てて付け足した。
「見回り、です。最近物騒なので。」
完全に嘘ではない。この辺りで最近通り魔事件が多発しているのである。職員会議でも生徒に注意を促すようにという指示があった。
自主見回りは勧められていないが。
「・・・そうですか。」
全く信用していない目だ。しかし突き通すしかない。こういう時、自分の無表情は便利だった。
「昨日のあれは・・・どういうつもりだったんですか。」
どう誤魔化そうと考えていると、一花が目をそらしながら尋ねてきた。
兄だと言った件だろう。兄を馬鹿にされたのは悔しい。でも気になる。そういう感情がありありと伝わってきた。
雪春はちらりと幸太郎を見ると、懇願するような目とぶつかった。
本当のことを言えというのか?君の兄が心配のあまり成仏できなくて、私に憑依したんですと?
信じられるわけがない。
自分は見えてしまったから信じざるを得なかったが、逆の立場だったらまず精神を疑う。
雪春は幸太郎から目をそらした。
「・・・つい。」
「つい!?」
しまった。間違えた。
ついで兄を騙られて、腹が立たないわけがない。
幸太郎はハラハラとこちらを見ていた。
「えーっと、お兄さんと昔からの知り合いで、自分に何かあったら・・・」
一花の眉がピクっとする。
「妹を助けてくれって・・・」
なんて苦しい言い訳だ。戦時中じゃあるまいし、そんなことを言い残しておく人間がいるだろうか?
こういうのを巷では「死亡フラグ」と言うらしいと、大学の友人が言っていた。
例えば「この戦いが終わったら、俺結婚するんだ」とか。
例えば「俺の代わりに、明日から猫に餌をやってくれないか」とか。
漫画とかドラマでは、こんな台詞を言った人物は必ず死ぬらしい。
「だからユキ、急に笑顔でありがとうとか言い出したりしないでよ?」
色んなことに詳しかった友人は、雪春の肩を掴んで言った。
「君こそ、どうしてこんな夜に出歩いているんですか?」
失礼な友人を頭から追い出しながら、一花に尋ねた。
「先生には関係ありません。」
即答。頑なな態度に、雪春も負けじと答える。
「あります。君は私の教え子です。もしこれが続くようなら、私は親御さんに連絡しなくてはいけません。」
「っそれは!」
「でもしません。何か理由があるのでしょう?」
一花は押し黙った。整った綺麗な眉がきゅっと寄せられる。
背けられた顔は、雪春に立ち入られるのを全身で拒否していた。
でもここで引き下がるわけにはいかなかった。幸太郎のことがなくとも、教師として生徒が夜な夜な出歩くのを放っておいてはいけない。
まるで意地の張り合いをしているかのように沈黙が続く。
「早く帰るようにします。」
先に降参したのは一花だった。鞄を悔しそうに握り締める。
「だから・・・親には言わないでください。」
「理由は教えてもらえないんですか。」
一花はもう一度押し黙る。強い意志を込めて唇を噛み締めた。
これ以上は聞いても無理だろう。そう判断して、雪春は小さくため息をついた。
「わかりました。」
雪春の声に、一花が顔をあげた。
「もう少しだけ、黙っています。あまり遅くなってはだめですよ。」
「・・・はい。」
漏れた息は、安堵か悲愁か。
雪春にはわからなかった。