ピンポンパン
雪春は一花たちのもとへと近寄っていく。
隠しきれない下心で一花の体を嘗め回すように見ることに忙しい男たちは、こちらに全く気がついていない。目を向けたのは一花との間に割り込んでからだった。
ナンパを邪魔された男たちは不快そうに闖入者を睨みつけた。
「なんだぁ?テメエ」
雪春は腰に手をあて胸をはった。
「通りすがりの保護者だ。」
なぜか誇らしげに答える。すると背後にいた一花が戸惑った声を出した。
「三島先生・・・?」
先生と聞いて不良たちは一瞬鼻白んだが、相手が小柄なのを見てすぐに威勢を取り戻した。三対一という状況も強気になる理由だろう。どこまでもベタな不良たちだ。
丁度三人なので、雪春は勝手にピンポンパンと名づけた。この場合のピンポンパンはNHKの子供番組ではなく、プッチーニのオペラ《トゥーランドット》にでてくる三人組である。
脳内で派手な中華服に着せ替えられているとは露知らず、三人は見下すような視線を向けた。
「学校の先生が何の用ですかー?」
こちらの顔を覗き込んでくる金髪ピアスのピン。
「俺らはこの子に用があんの。先生はお呼びじゃありませーん。あ、良かったら引率されますぅ?」
なれなれしく肩に手を置いてくる長髪ピアスのポン。
「引率って幼稚園かよ!」
ぎゃははは、と品の無い笑い声をあげる顎ヒゲピアスのパン。
やはりあげるほどの特徴がない。三人の性格を見事に音楽で書き分けたプッチーニに失礼な気がしてきた。
肩に置かれた手をさりげなく除けてから、一花が彼らの視界から外れるように後ろ手で引き寄せた。
「悪いな。こっちが先約なんだ。君たちももう家に帰った方がいい。だいたい何だその格好は!」
「はぁ?先公が説教する気かよ。」
不良というものは得てして“説教”というものが嫌いだ。それまで面白がっていた三人も自分たちの格好に口出しされてとたんに不機嫌そうに顔をゆがめた。
それを知ってか知らずか、雪春は嘆かわしいという表情をした。
「そんなに大きなズボンなんか履いて・・・。成長期を見越して大きめのを買ってしまったのか?大丈夫だ、もうそれ以上大きくなる可能性はないが、お母さんに頼んで縫ってもらえ。」
「これはファッションだ!」
代表して叫ぶポン。
「君たちのお母さんなら、子供のかわいい背伸びぐらい受け止めてくれる。むしろありのままの自分を認めた君たちを誇りに思うだろう。やだわ、この子も大人になったのねって。」
「言うか!」
怒りの声を上げるペン、間違えた、パン。
いまやBGMは窪田聡の「かあさんの歌」である。雪春は脳内で歌った。
♪かあさんはー夜なべーをしてー手ぶくーろ編んでくれたー
「ぶふっ」
「・・・先生?」
突然吹き出したのを訝しがってこちらを見てくる一花に「なんでもない」と答えると、もう一度ピンポンパンに向き合った。彼らは大分やる気を削がれてしまったようだ。
「チッもう行こうぜ。」
ペースを乱されたことに苛立ったピンが、他2人を引き連れて去っていった。
いや、あれはポンか?
まあどちらにしろ何とか穏便にピンポンパンを追い払うことができた訳だが、問題はむしろここからだった。
ずっと握っていた手を放して後ろを振り返ると、彼女は気まずそうに目をそらして口を開いた。
「あの…すみま―
「一花――――!!!!」
もう辛抱たまらんとでも言うように、ほとんど変わらない背丈を抱きしめる。一花は突然の出来事に目を白黒させていた。入学してからまだ数回しか会っていない教師に親しげに名前を呼ばれたら、戸惑うのも当然だ。
しかしそんな困惑など気にもかけずにぎゅうぎゅうと抱きしめる腕は強さを増していった。
「一花一花一花一花一花―――!!!だめだろうあんなところぶらついたりして!もう俺がどれだけ心配したか!ナンパしてくださいって言っているようなものだろう!」
「え?あの、先生?」
腕の中からますます困惑した声が聞こえる。しかし言葉は止まらなかった。
「今日はあんな奴らだから良かったものの、もっと気性の荒い奴だったらどうするんだ!昔から言ってるだろ!一花はかわいいんだからもっと危機感を持てってお兄ちゃんが!」
それまでされるがままだった彼女だったが、最後の単語を聞いた瞬間、体がピクリと揺れた。
「もう兄ちゃんはお前が心配で心配で―
「離してください。」
ぐいっと押しやる手に本気の色が伺えたのか、思わず体を離す。
その顔は怒りの色で塗られていた。
「今日は助けていただいてありがとうございました。もう帰ります。」
「一花?」
急に雰囲気が変わったことにうろたえる。
彼女は血が出るのではないかというぐらい手を握りしめていた。
「そんな…そんな冗談言うなんて…お兄ちゃんだなんて…私を馬鹿にしているんですか?」
思わずはっとなって慌てて弁解した。
「違う!俺は本当にお前の兄―
ぱんっと乾いた音が公園に響いた。
じわり、と頬が熱を持って初めて、頬を叩かれたことに気がついた。
「っ最低…!」
大きな瞳から耐え切れずに涙が一粒落ちると、拭うこともせずに走り去っていった。
①「トゥーランドット」・・・「ラ・ボエーム」と同じくプッチーニのオペラです。中国を舞台とした話で、冷酷な姫トゥーランドットを手に入れるために、国を追われたカラフ王子が奮闘します。個人的に一番の見所は姫よりも裏ヒロインである召使リュー。苦しみながらも愛を貫く姿は、プッチーニが好きな女性像です。アリアは言うまでもなくカラフの「誰も寝てはならぬ」ですが、リューの「氷のような姫君の心も」は映像で見ると泣きます。………長くなってしまった。