通りすがりの保護者
「どうして、犬飼先生が?」
一花の戸惑いに、犬飼は静かに笑った。
「君が僕の平和な日常を奪おうとするからだ。」
「は?」
「別にいいだろう?ナイフで切りつけるって言っても大した怪我はしてないんだ!ちょっと腕から血が出たぐらいで学校も騒ぎすぎなんだよ。それで僕はすっきりして、穏やかな毎日が送れるんだから、感謝してほしいよ。」
「先輩ちょーイカすー。」
三人組がはやし立てる。
一花は一人で戸惑っていた。
一体この人は何を言っているんだ?ナイフで切りつけるって一体何のこと?
犬飼は一花が困惑しているのも気づかないぐらい興奮したようにしゃべり続けている。
「だいたい、どうして有名大学を出たこの僕が、あんなガキどもに毎日毎日ビクビクしなくちゃいけないんだ?おかしいじゃないか。僕よりも一回りも下のくせに、むかつく、むかつく、むかつく!」
イライラしたように頭を両手で掻き毟った。
その異常な行動に一花の不安が高まる。犬飼の言っている意味がさっぱりわからなかったが、ひたひたと危険が差し迫っているのを感じた。
このままここにいたら、まずいことになる。なんとかして逃げなければ。
でもどうやって?
犬飼は延々と何かをしゃべり続けていたが、唐突に動きを止めると一花に暗い目を向けた。
「君が僕を脅したりしなければ、僕は平穏な毎日を送れたんだ。」
踵を返して後ろの資材に腰掛ける。
「やれ」
その言葉を合図に、男たちがにやにやと下品な顔で近寄ってきた。
一花は言いようのない不安に襲われ、座ったままじりじりと後ろに下がった。
「怖いの?かっわいいー」
「だぁいじょうぶ。痛いのは最初だけだから。」
「おっまえ、その台詞テンプレすぎんだろー。」
ゲラゲラと笑いながら、男のうちの一人が一花の後ろに回った。避ける間もなく乱暴に引き倒される。床に肩を打ち付け、口から息が漏れた。縛られた両腕が腰の下にあたってズキズキと痛む。恐怖が全身を包み、声を出すこともできない。
怖い、怖い、怖い
じっとりとした固い手が、一花の口を塞ぐ。
やめて、触らないで、気持ち悪い
もう一人の男が一花にのしかかった。
やめて、たすけて、誰か、誰か、誰か・・・・・・お兄ちゃん。
お兄ちゃん・・・・・・!
脳裏に、冷たくなって静かに横たわる幸太郎の姿が蘇った。
あぁ、まだだめなんだ。
一花の目尻にこらえていた涙が浮かんだ。
まだ、笑ってはくれないの―――
「おにぃちゃん・・・」
諦めて目を閉じた、その時だった。
「んだテメェ・・・・・・ぐぁっ!」
誰かの驚愕する声と何かを殴る鈍い音がして、一花の上の重さがなくなった。同時に資材に物がぶつかり、崩れる音が響く。
一花は目を見開いた。
そんな、どうして。
「なんなんだ、てめぇ!」
男が殴られた頬を抑えて叫ぶ。
視線の先に、西日を背に立つ小柄な輪郭が見えた。
「通りすがりの保護者だ。」
怒りに顔をゆがめた三島雪春がそこに立っていた。




