願いと叫び
「前島と犬飼が恋人同士ぃ!?」
「大きな声を出すな。見つかるだろう。」
案内されて着いた場所は西区にある廃工場だった。雪春たちは積み上げられた資材の影に隠れて様子を伺っていた。
潤平は夏目の言葉に信じられないと言った顔をしている。
雪春たちも驚いた。前島と犬飼。二人はあまりにもかけ離れているからだ。
かたや30過ぎだが色気がたっぷりの美人教師。かたや25歳のひょろっとして冴えない教師。
もちろんどういう恋愛をしようと本人たちの自由だが、仮に二人が街中を歩いているのを見ても、大半の人は付き合っているとは思わないだろう。二人が仲良く休日にデートをする姿を思い浮かべようとしたが、無理だった。
「それで、犬飼をかばうためにあんなことしてたって言うのか?」
前島が重々しく語った事実はこうだった。
犬飼が一花にまずいところを目撃されてしまい、彼女を脅そうとしていたと。
前島は必死で止めた。
以前から犬飼の悪癖には困っていたが、そんなことをしてしまったら取り返しのつかないことになる。自分がなんとかする。彼女が学校にいられないようにするからと言って。
バレることを恐れていた犬飼は、一花がいなくなるまで学校には行けないと休んでいたらしい。
潤平は呆れ果てた声を上げた。
「なんだそりゃ。彼女に尻拭いさせておいて、自分は家の布団に隠れてたってことか?」
そういうことになる。なんとも情けない、高校生でもわかる無責任で卑怯な振る舞いだ。
「それで?犬飼が隠そうとしたことって何なんだよ。」
潤平の疑問に、夏目が廃工場を見つめたまま答えた。
「通り魔事件。」
「は?」
「犬飼は最近起きていた通り魔事件の犯人だ。その現場を、樋口一花に見られたと思ったらしい。」
犬飼が高校生を切りつけて逃げていた時に、少女に遭遇してしまった。焦った犬飼は、その場でその少女をどうにかしようと思ったが、失敗して逃走。バレたことを恐れ、犬飼は学校を休んだ。
しかし数日たってもなんの音沙汰もなかったので、杞憂だったと安心していた。
GW明けに、その少女が登校してくるまでは。
ずっと休んでいた樋口一花という女生徒が、その少女だと知って驚愕した。自分が授業を受け持つクラスの生徒、しかも委員会は風紀委員を選んだ。疑心暗鬼に陥っていた犬飼は、この少女が自分を脅そうとしているのではという不安に苛まれた。
なんとかしなければ。
犬飼はすぐに、つるんでいる仲間たちに連絡した。暴行を加えてその現場を写真に収めれば、世間を知らなそうな箱入りのお嬢様のことだ。泣き寝入りするに違いないと考えて。
「最低だな」
潤平は吐き捨てるように言った。
そう。最低だ。
人間として、大人として、教師として、最低の行いだ。
そして、それを正せなかった前島のやり方も。
「守りたかったの。」
彼女は諦めたような笑顔で呟いていた。
年下で、頼りなくて、自分がいなきゃダメだと思っていたと。犬飼が通り魔事件を起こすようになった時、前島は止めた。泣きついたりもした。でも聞いてくれなかった。だから守ろうとした。
愛していたから。
結局愛という大義名分を振りがざして、罪もない少女の思いを踏みにじろうとしたのだ。
兄が死んで自暴自棄になっている少女一人、学校に来られなくするのは簡単だろうと。
胸ぐらを掴んでふざけるなと言いたかった。
一花がどうして黙っていたかも知らないくせに。
どうして夜な夜な歩き回っていたかも知らないくせに。
あの子は自暴自棄になってなんかいない。あんたと違って、幸太郎への愛情をはかり間違えてなんかいない、と。
でも言えなかった。
愛にすがる前島は、訪れていたかもしれない未来の自分だった。
あの時あの人から逃げ出せなかった自分の。
「ユキ」
現実に引き戻したのは、偵察から帰った幸太郎の声だった。
目の前に立ってこちらを見つめている。
「中はどうでした。」
夏目が問う。
「犬飼って奴と、この間の三人組がいる。一花は縛られてた。」
廃工場を見つめる幸太郎の横顔は、飛び出そうとする自分を必死で押しとどめているようだった。
唇を引き結んで、様々なものが混ざった焦燥感を目に宿して。
自分が生きていたら。
全身でそう叫んでいた。
ここに着いた時に連絡した警察はまだ着きそうにない。そして、それまでに一花が何もされない保証はない。
雪春は顔を上げた。
「幸太郎。」
幸太郎が驚いて振り向く。初めて名前を呼んだからだろうか。
「大企業の御曹司なんでしょう。格闘技とかできないんですか。」
「先生?何言って・・・」
幸太郎が見えない潤平は戸惑ったような声を上げた。
雪春は気にせず続ける。
「どうなんですか。」
幸太郎は雪春の質問の意味を図るように、じっと見つめた。
「一応。狙われる可能性もあるから習ってた。その辺の人間には勝てる。」
「じゃあ、あの中にいるチンピラ四人ぐらいわけないですね。」
幸太郎は目を見開いた。
「まさか・・・。」
「私が行きます。だから、幸太郎も手伝ってください。」
雪春は立ち上がって幸太郎を見据えた。
「妹を自分の手で守りたくないんですか?」
幸太郎はしばらく雪春の顔を見つめてから、泣きそうな顔で微笑んだ。
「ありがとう、ユキ」
予感していた。きっとこれが最後になるだろうと。
手を伸ばす。幸太郎と手が重なり、体が重なり、心が重なった。
懐かしいこの感覚。
ずっと昔、こうしていたような気さえする。まるで欠けたところがぴったりと合わさったようだ。
「樋口幸太郎。」
廃工場に向かう背に、夏目が声を投げる。
「先生の体にカスリ傷でもつけたら、地獄に突き落とすぞ。」
本当にやってしまいそうな夏目に、雪春は不敵な笑顔で答えた。
「まかせろ。」
ゆっくりと確かな足取りで向かって行った。
話が分かっていない潤平は、一人で目を白黒させていた。
「一体なんなんだ?」
夏目はふ、と笑って答えた。
「弔い合戦だ。」




