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あしたへ贈る歌  作者: こいも
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花の嵐

 小さな都市並みに広いこの学園は、3,4階建ての建物が何棟もある。基本的な授業は本棟内のみだが、特殊な授業や集会があると、列を作って延々と歩かなくてはならない。おかげで授業の間の休憩時間もゆっくりとはしていられないことがあった。

 いっそ送迎バスでも作って貰えないだろうか。現在の生徒会執行部は色々とやり手だという話なので、前向きに検討していただきたい。

 そんな何もかもが広く大きい学園に利益を見出せずにいる雪春だが、一つだけ気に入っている所があった。

 図書館である。図書〝室″ではなく〝館″なのは、文字通り県立図書館並みに広い図書館だからだ。

 89万冊を超える蔵書数もさることながら、AVライブラリーも充実している。そして古い洋館のようなレトロな作りも好ましかった。

 等間隔に並ぶ縦に細長い窓から入る木漏れ日を見るたび、ここで音楽に包まれながら眠れたらどんなに幸せだろうかと、割と本気で思っている。

 そういう理由で足繁く通っているうちに、図書館司書の岩田久実いわたくみに妙に気に入られ、いまでは新しいCDが入るとこっそり教えてくれた。

 普段、無表情で倦厭されがちな自分にしては、少しめずらしいことだった。



 図書室の中は閑散としていた。

 いつもなら受験勉強をしていたり、窓際のソファで睡眠をとったりしている生徒がいるのだが、今日は一人もいなかった。入り口のカウンターにいるはずの岩田も、当番であるはずの図書委員もいない。

 休館日の札は掛かっていなかったし、入り口に設置されている簡易ゲートも図書カードをかざしたら作動したので、開いていることは間違いないのだが。

(まぁ、そのうち帰ってくるでしょう)

 なんだったらそれまで留守番していてもいい。先週5枚を超えて借りられなかったCDがあるので、暇は潰せる。それに、どこか清閑な空気が漂うこの場所を独り占めできるのは少しうれしかった。

 心持ち軽い足取りで階段を上がると、図書館で一番大きな窓一面を桃色が覆っていた。それは中庭に生えている一本の遅咲きの桜だった。

 そこは本が焼けないように棚は設置されておらず、ソファを並べた読書スペースとなっている。ソファは一脚何十万もする代物らしくその座り心地は絶品で、生徒に限らず教師にも人気があった。

 どれもこの学園の卒業生が寄付したものらしい。なんとまぁ愛校心に溢れた卒業生が多いことだ。

 しかし生徒たちの姿がないせいか、今日はなんだか寂しげに見える。その心情に答えるように窓の外で一際強い風が吹いた。

 風に舞う花びらの一枚が雪春の足元に落ちたのをみて、窓が開いていたことに今更気がついた。

 無情にも花びらは散っていく。雪春は頭に浮かんだ言葉をぽつりとつぶやいた。


「花に嵐のたとえもあるさ―…」


 これはある漢詩を日本人作家の井伏鱒二が訳したものの一部だ。

“どんなに美しく咲いた花だって、突然の嵐で全てを奪われることがある”

 その言葉を教えてくれた人が、雪春の脳裏をかすめた。

 その残像を消すために、すぐに首を振る。

 今日はどこか感傷的になっているようだ。それは一本寂しく咲いている桜のせいか、今日、一花のあの笑顔をみてしまったからか。

 気を取り直すために軽く息をついた時だった。

「さよならだけが人生だ。」

 突然後ろから続きを言われたのに驚き、雪春は振り向いた。

「…やっぱり気のせいじゃなかったみたいだなぁ。」

 そういって一人で納得したように笑っていたのは、今日会ったばかりの一花の親戚だった。

「あの…帰ったのでは?」

 それとも何か用だったのだろうか。しかし青年はそれに答えることなく近づいてくる。

 何だか妙に嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 先ほどまで遠くから聞こえていた運動部の掛け声も、花を散らした風の音も今は止み、他に誰もいない不気味なほど静かな図書館内で、その姿は妙に―――誰もいない?

 その事実に思い至ったとき、雪春はぞっとした。


 この男はどうやって入ってきた?


 この図書館は一般公開もされているが、会員登録をして普及される図書カードで入れるのも18時までだ。それ以降は学内の生徒と職員のみ。ましてや岩田がいない今、ゲートを開けてもらうことも不可能なはずだ。

 正体のわからない焦燥感にかられて青年を見ると、何故か胸を張って言った。

「樋口幸太郎だ。」

 突然の自己紹介に戸惑う。

 ここは普通に挨拶を返すべきなのだろうか?

 幸太郎は黙っている雪春に何を勘違いしたのか、言葉を付け足してきた。

「俺は雨水を集めるためにながす雨どいの〝樋″《ひ》に、目は口ほどに物を言うの〝口″で、樋口ひぐちだ。簡単に言うと5千円札になった樋口一葉と同じ樋口だ。余談だが同じ雨どいでも地上に仮設して水を流す筒状のものは筧というそうだぞ。」

 だからどうした、と思わずつっこんだ。

 幸太郎と名乗る青年はこちらの困惑を気にもせず、良くわからない豆知識を添えて話を続ける。

 天然なのだろうか。

「そして下は幸せいっぱいの〝幸″に一姫二太郎の〝太郎″で幸太郎だ。」

「・・・はぁ。」

「でも俺は長男だ。」

 天然だ。雪春は確信した。

「・・・樋口一花さんのご親戚の方、ですよね?」

 このままでは話が進みそうにない。先ほどの悪寒もすっかり消えうせていたので、気を取り直すように質問した。幸太郎は一層笑顔を浮かべて元気良く答えた。

「あぁ、そうだ。一花の兄だ。」

 一瞬まだ他に兄妹がいたのかと思ったが、二人兄妹だと聞いていたことを思い出しすぐに却下した。

「実の兄同然に育った親戚ということですか?」

「いや、実の兄だ。」

 このとき初めて、このにこやかな青年に少しの嫌悪感を抱いた。

 こういう無神経なことを言うから、今日のように一花に無視されるのではないだろうか。

 しかし顔には出なかった。傍目には変わらず無表情に見えることだろう。

 小さいころからあまり動じることなく無表情が多かったため、周りの大人にはよく「つまらない子ね」と言われたものだ。

「・・・そういう冗談は、不謹慎だと思いますよ。」

「冗談ではないよ。」

 精一杯の皮肉をこめて言ったつもりだが、伝わらなかったらしい。少し心外な顔をして答えた。

 心外なのはこっちだ。

「彼女のお兄さんは先月に亡くなられたんです。交通事故で、」

「だから」

 幸太郎は徐に距離をつめて、雪春の肩を掴んだ―――はずだった。


「その、樋口幸太郎だ」


 肩を掴んでいるはずの右手は、ホログラムのように肩をすり抜けていた。

「――――っ!」

 先ほどまで脳内の記憶の中でつまらないつまらないと喚いていた大人たちも、今の雪春を見たら前言撤回することだろう。


 人生で初めて腹の底から悲鳴をあげた瞬間だった。


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