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あしたへ贈る歌  作者: こいも
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この道

 翌日月曜日。今日の授業は歌のテストのための練習だった。GW前に渡したコピー譜は忘れてきた生徒が数人いたが、多めに用意してあるのでぬかりはない。エコじゃないと言われようが、新米教師にとって授業が段取りよく進まないことの方が問題なのだ。

 曲は北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「この道」だ。

 大学生の時副科でとっていた声楽の授業で、雪春のオペラアリアを聞いては嘆いていた先生も、この曲は及第点をくれた。郷愁に笑顔は必要ない。

 歌い始める前に、女子生徒に歌詞を朗読させた。高校生らしい澄んだ声が教室内に響き渡る。


 この道は いつかきた道

 ああ そうだよ

 あかしやの花が咲いてる


 あの丘は いつかみた丘

 ああ そうだよ

 ほら 白い時計台だよ


 この道は いつかきた道

 ああ そうだよ

 お母様と 馬車で行ったよ


 あの雲も いつか見た雲

 ああ そうだよ

 山査子さんざしの 枝も垂れてる


「この歌は北原白秋が晩年に旅行した北海道と、母親の実家である福岡県南関町から柳川までの道の情景を歌ったものです。風景を想像しながら、表現豊かに歌ってください。」

 どの口が言う。自分ができないことを平気で生徒に押し付ける教師の典型的な例だ。

 しかしここは音楽大学ではない。学校だ。仮にプロ顔負けの歌声を披露する子がいようとも、下手でも元気よく一生懸命歌い、授業態度がよく、意欲も感じられたら、評価は同じ“5”になる。

 つまり今の指示も、高評価を与える絶対条件ではなく、単なるアドバイスにすぎない。

 文科省が決めた評価体制に文句があるなら、志望大学を音楽大学に変えるしかない。

「ではまず、CDを聞いてもらいます。楽譜を見ながら聴いてください。」

 映像にしなかったのは、以前DVDを見せたら大爆笑だったからだ。オペラアリアをねっとりと歌いあげる姿は、高校生には刺激的だったらしい。確かに、歌っている姿はあまりドアップで映されたくない。

 生徒たちは大人しく聴いていた。聞いたことある曲だからか、寝ている生徒もいない。

(今日はまずまずかな…)

 教室の後ろで、幸太郎が気持ちよさそうに浮いていた。 







 鑑賞に使ったCDを図書館に返しに行った帰り道、六時間目が既に始まっていたので、歩いているのは雪春だけだ。傍目には。

「いやーいいもんだなー音楽って!」

 周りには見えないとは信じられないほどの存在感を放つ幸太郎が、しきりに感心していた。

「・・・そうですか。」

「今まで音楽には縁がなかったけど、もうちょっと聴いてみれば良かったかなー。」

「・・・そうですね。」

「ユキの授業もわかりやすくて良かったよ。段取りよくまとまってたし。」

「・・・それはどうも。」

 ボソボソと答える雪春に、幸太郎が首をかしげた。

「どうした?元気ないな。」

「あのですね・・・」

 一応周りを確認してから幸太郎に顔を向ける。

「あんまり学校で話しかけないでもらえますか。」

 予想はしていたが、幸太郎は不満そうな顔をした。

「どうして。」

「傍目には独り言をしゃべっているようにしか見えないからに決まっているでしょう。」

 なぜわからない。どこまでもノーテンキな男を睨む。

「別に誰も見てないからいいじゃないか。」

 まるで往来での抱擁を恥ずかしがる恋人に向けるような笑顔で諭された。

 この顔に騙された女が何人もいたに違いない。無自覚だから余計にタチが悪い。

「空き時間に教師が出歩いているかもしれないし、授業をサボっている生徒と遭遇するかもしれません。危険はどこに潜んでいるかわからないんです。」

 とは言っても、前者はともかく、後者はほぼありえない。漫画やドラマと違って、大体の学校はサボれないような体制を整えている。

 授業の初めに毎回出欠をとり、朝来ていた生徒が授業にいない場合、職員室や保健室に確認をとるからだ。いくら青春の場と言っても、学校は勉強する所だ。

 屋上に寝転がって詩をそらんじようとも、感動で涙を流す教師はいない。

 しかしここでそんな現実を言っても仕方ない。あくまでも例として、幸太郎を説得するために利用させてもらおう。

「だから、そういう人たちに見られでもしたらまずいでしょう?」

「ほんとだ。いるな。生徒。」

「そう、いる―――え?」

 目を上げると、遅咲きの桜の前に男子生徒が一人佇んでいた。何かを思案するように桜を見上げている。

 まさかこんな堂々とわかりやすい場所にいるなんて、普通の神経では考えられない。

 しかし幸太郎がこちらをじっと見つめてくるので、慌てて取り繕った。

「ほ、ほら、いたじゃないですか。」

 動揺を悟られないように、わかっていたかのような口ぶりで答える。

 しかし、今までこんなおおっぴらなサボりを見たことがなかったので、どういう反応をすればいいかわからない。

 男子生徒を見つめたまま押し黙ってしまった。

「・・・。」

「・・・。」

「・・・注意しなくていいのか?」

 幸太郎が小首を傾げる。雪春は心の中で答えた。


 わかってますとも!


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