雪春
―5月。出会いと別れの春が来て数週間がたち、GWを超えると、どこか浮き足立っていた教室内も随分落ち着いてきていた。いくらこの学園が中学からのエスカレータ式で、高等部になってもあまり代わり映えのしない面々だとしても、やはり春の空気には人を酔わせる効果があったらしい。
しかしその酔いも薄れたGW明けの初日、しかもお昼休み後のこの時間帯は、学生たちにとって魔の時間となってしまったようだ。
(しまった……)
教壇横で生徒ともに鑑賞をしていた三島雪春 は、生徒たちが次々と意識を手放していくのを背後に感じ取っていた。教室の前方に設置されているスクリーンにオペラを流してから、まだ10分も経っていない。
やはり1年生でプッチーニの「ラ・ボエーム」は早すぎただろうか。
直感でわかりやすい音楽は、大衆迎合的だと一部の批評家や指揮者には不評だが、恋や友情に忙しい多感なお年頃の高校生には受け入れやすいかと思ったのだ。
1幕のボヘミアンたちの会話から流してしまったのが失敗した。無難に有名なミミのアリアや、2幕の色気たっぷりなムゼッタのアリアを抜粋して流せばよかったと後悔する。音楽を専門に勉強したことのない高校生に、1幕に散りばめられているライトモティーフなど聞き分けられるわけがない。
(わかったら面白くなるんですけどね・・・。)
しかし今更嘆いても仕方ない。新米教師である自分には何分経験が足りない。次回から気をつければいいのだ。
すばやく自己反省を終えた雪春は、ピアノの椅子に座り、少し大きめに鍵盤を叩いた。
「あらすじを読んでもらいます。中井君、32ページ目を朗読してください。」
当てられた生徒は後ろの席の友人に助けられながら慌てて教科書を開くと、男子高校生らしい棒読みで読みはじめた。
彼をあてたのは一番大っぴらに寝ていた恨みを晴らすためでは、決して、ない。
ここ私立二葉帝学園は1学年300人を超えるマンモス校だ。それに伴い教室やグランド、体育館も他の学校と比べて数が多い。それはつまり、掃除場所も多いということである。
もちろん掃除は生徒がするが、教師には掃除後にチェックをする仕事がある。特に今年4月に着任したばかりの雪春には、割り当て場所は多かった。
学校は、グローバル化が進み〝能力序列″が加速していく社会の中で、未だ〝年功序列″というものが息づいている数少ない場所かもしれない。
もちろんそれに不満を述べるつもりはない。教師という使命に胸を震わせ、先輩教師を仰いで早くああなりたいという大志を抱き、いかような雑用でも経験だと身を粉にして働くため――ではなく。
ただ存外閉鎖的な人間関係に余計な波風は立てたくないという、ひどく後ろ向きな―しかし多くの日本人が持っているだろう―感情故であった。
生徒たちはよもや教師がそんな根暗なことを考えているとは微塵にも思っていないだろう。
何がそんなに楽しいのか、きゃいきゃいと笑いあっている掃除班の生徒たちを尻目に、備品は揃っているか、掃除用具はきちんと片付けられているか、というところまで一つ一つ確認する。
最後の掃除班の終礼が終わるころには、掃除終了時間をいくらか過ぎてしまっていた。
①「ラ・ボエーム」・・・プッチーニが作曲した4幕のオペラ。売れない詩人ロドルフォとお針子ミミの愛と感動の物語。ミミのアリア「私の名前はミミ」は有名です。
②「ライトモティーフ」・・・簡単に言うと、その人物や場面のテーマソングです。一幕でカフェに行こうという話をした時に流れた旋律が、実際に二幕のカフェで流れたりしてます。よく聴いてみるとおもしろいです。