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或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その2『から回る少女』
9/29

記憶の残滓


 ファルは打たれた頬を押さえ、驚きの表情でこちらを見上げていた。


「カ……カーライル……さん……?」


 彼女はまだ、自分の頬を打ったのが俺の手だとは思っていないようだ。

 背中にレベッカの視線を感じたが、何も言ってはこない。


 俺は困惑するファルの胸ぐらをつかみ、ムリヤリ立ち上がらせた。

 そして、顔を近付ける。


「どういうつもりだ?」

「っ……」


 脅えたように身を縮ませる。


「ここに来た日、俺はお前に言ったはずだな。ひとりで外を出歩くなと」

「そ、それは――」

「俺を困らせるのがそんなに楽しいか」

「っ……!?」


 ビクッと顔を上げ、ファルは必死に首を横に振る。

 遅れて出てきた涙で、顔はぐしゃぐしゃになっていた。


「こ……困らせるつもりなんて……なくて、私……!」

「だったら、こんなふざけた真似は二度とするんじゃない」


 胸ぐらをつかんでいた手をゆっくりと離してやる。


「ぁ……」


 ファルは力が抜けたように、ペタン、と尻もちをついた。

 放心した様子で、


「そんな……そんなつもりじゃ――……」


 そうつぶやきながら視線を落とし、それから小さな嗚咽をもらし始める。


 俺は無言でそれを見下ろしていた。

 胸のムカつきは収まらない。


(くそっ……)


 わかっている。

 おそらくこいつの行動は、俺を困らせるためでもなければ、単なる好奇心でしたことでもないのだろう。


 他に何らかの理由があった。

 それは容易に推測できる。


 ただ、たとえどんな理由があろうとも、どんな考えがあろうとも、それを許すつもりはなかった。


 こいつの勝手な理由で毎度こんなことになってはたまったもんじゃない。


 だからもちろん、理由を尋ねるつもりもなかった。

 重要なのは、これから二度とこういう勝手をさせないようにすることだ。


 そして少しの間。

 5分ぐらいは経っただろうか。


「うっ……ううっ……」


 まだ泣きやむ気配がなかった。


 基本的にガマン強いこいつも、一度泣き出してしまうとなかなか止まらないのは以前に体験して良く知っている。


 それに。

 今回は以前のそれよりもはるかにショックを受けているように見えた。


「……カール」


 そこへしびれを切らしたのか、レベッカがそっと耳打ちしてくる。


「いつまでもここにこうしていられない。反省してるんだろうし、そろそろ許してあげなよ」

「……」


 あまり気が進まなかった。


 許してやることが、じゃない。

 というより、許すも許さないもない。


 何がどうなろうと俺はこいつに対する義務だけは果たすつもりでいたし、それだけの関係だから、許すとか許さないとかそういう感情的なものは介入する余地がない。


 気が進まないのは――レベッカの言う『許す』ってのは、要するに優しい言葉を掛けてやれということだから。


 怒られて泣いている子供をなぐさめてやれということだから。


 そういうのは苦手だ。

 心にもない言葉で相手を安心させるってのは、俺にはなかなかに難しいことだった。


 ……が。

 確かにずっとこうしているわけにもいかない。


(仕方ない……)


 考えた末、なるべく本心でなぐさめる方法を選び出す。

 出来る限り口調をやわらげるようにも心がけた。


「心配するな。別に今回のことでお前を放り出したりするつもりはない」

「っ……うっ……!」


 収まる気配はない。

 耳に入っているのかどうか……おそらく聞こえてはいるのだろうが、今の言葉はあまり効果がなかったらしい。


 面倒なことだ、と、そう思いながらも、このままではラチが明かないのでさらに言葉をかけてやることにした。


「いいか、前にも言ったが」


 言って、フウッと小さく息を吐く。


「お前が素直に言うことを聞いてさえいれば、俺がお前の生活を保障してやる。それがやむを得ないことであれば、今回みたいに助け出してもやる」


 まだ、止まらない。


「もちろん、お前が落ち着くことのできる場所も探してやる」


 止まらない。


「簡単なことだろ? ただ、俺の言いつけを守っていればいいだけの話で、何も難しいことを考える必要はないんだ」

「っ……」


 ピタっと。

 ようやく嗚咽が止まった。


 が。


「……?」


 少し不自然な止まり方だと思った。

 ただ、その時点では俺は深く考えず、すぐに気を取り直して言葉を続ける。


「けど、それができないようだったら、俺だっていつまでもお前の面倒を見切れない。今後もこんな馬鹿なことを繰り返すようなら――」


 言いかけた、そのときだった。


「っ……わたし……!」


 視線を床に落としたまま肩を震わせていたファルが、突然叫んだのだ。


「そんな……そんなことじゃないんですッ!」

「……?」


 驚く。

 涙声ではあったが、それは今までに聞いたことのないほどにヒステリックな声だった。


「おい、どうした急に――」


 もちろん俺にとっては予想外の反応だ。

 が、ファルはそんな俺の言葉も聞こえてない様子で、声をしぼり出すように叫んだ。


「困らせるとか、追い出されるからとか……そんなの関係ないんですっ! わ、私……私はただ……!」


 グッと手をにぎり締める。


「私はただ、カーライルさんと仲良くなりたいだけなんです! それでっ!」

「……それで?」


 俺も一瞬の驚きからすぐに脱却して、冷静に言葉の先をうながしてやる。


「それで――」


 ファルもすぐに落ち着きを取り戻したのか、少しトーンが下がった。


「それで……どうやったら仲良くなれるのか知りたくて……そうしたら、カーライルさんのお友達だっていう人に会ったから……」

「……なるほど」


 それでこいつの悲鳴を聞いた奴がどこにもいなかったということか。


 おそらくこの場所に来て、この物置に閉じ込められるまで、自分がだまされていることにすら気付いていなかったのだろう。


 だが、そんなのは何の理由にもならない。


「それも来た日に言ったはずだ。そもそも俺は、お前と仲良くなるつもりなんてこれっぽっちもない」

「っ……!」


 息を呑む音が俺の耳に届く。


「……はぁ」


 後ろでレベッカのため息が聞こえた。

 それが俺とファルのどちらに向けたものかはわからない。


 ただ、ファルは体を震わせながら顔を上げた。


「……」


 案の定、泣いている。

 それは予想通りだった。


 が――


(……なんだ?)


 なぜか胸の中がざわついた。


 それは――どこかで見たような泣き顔だった。

 遠い昔、どこかで。


「……そんなの――っ!」


 そしてファルは叫ぶ。

 再び先ほどの、ヒステリックな口調に戻って。


「仲良くなれないのなら……それなら……なんの意味もないじゃないですかっ!」

「……何が、意味ないんだ?」


 ドクンッ……

 心臓が、大きく鼓動を打った。


(……なんだよ)


 視界がかすかに歪んだ。


『……さん……おと――さ……ん……』


 耳の奥で聞こえてくる。

 誰かの声。


(なんなんだ……これ――)


 ドクンッ……


「いくら食べ物があったって……ちゃんとした服が着られたって……!」


 ファルの言葉は続いた。

 その度に、まるで心臓を直接揺らされているかのような嫌な感覚が俺を襲う。


『……ねえ……おかあさん……ねえ……さん……』


 聞こえる。

 聞こえる……誰かの声。


(っ……)


 不快になる。

 胸がざわめく。


 そして、直後。


「絶対に仲良くなれないんだったら! 一緒に暮らしててもなんの意味もないですっ! それならひとりで生活してた方がよっぽどマシじゃないですかぁ――ッ!」


「っ――!!」


 ファルの言葉が耳の奥に突き刺さった。


 同時に、強いめまいを覚えて頭を押さえる。


 ドクンッ……


 意識が、剥離していく。




『だれか……だれか――ぼくとおはなしして……』


『だれか……』


『……だ・れ・か――――――』




「くぅっ……!」

「……カールっ!」


 耳元でレベッカの声が聞こえた。


 そのおかげか、何とか意識が保たれる。

 現実へと戻ってくる。


「ぅ……っ……!」

「……えっ? カーライルさん……?」


 突然の異変に何が起きたのかわからない表情のファル。


「……ぁ……?」


 俺はいつの間にか床の上に膝をついていた。

 額と首筋にはびっしょりと汗をかいていて、妙な寒気がする。


「ど、どうしたんですかっ!? レベッカさん! 何が……っ!?」


 うろたえた様子で、手探りで俺の姿を探すファル。


「くっ……いや」


 頭を押さえながら立ち上がる。

 頭痛も幻聴も、すでにその姿を消していた。


「なんでもない……少しめまいがしただけだ」

「……」


 ファルは心配そうに、キョロキョロと周りを見回した。

 その意図に気付いたレベッカが答える。


「心配ないよ。本当にめまいがしただけのようだから」

「そっ、そうですか……」


 ホッと息をつく。

 そしてすぐに、泣きそうに顔を歪めて、


「ごっ、ごめんなさい。私……私のせいですね……」


 うつむくと、ポタッと涙が落ちる。

 先ほどの興奮はすっかり冷め、後悔の色が浮かんでいた。


「私がカーライルさんに無理させてしまってるから……」

「……」


 妙な感覚だった。


 先ほどまではなんとも思わなかった彼女のそんな表情。


 なのに、今はわずかに俺の心を揺り動かす。


 どうして――いや。


 今の俺は、その原因に気が付いていた。


(ああ、そういうことか……)


 どこかで見た泣き顔だと思ったのだ。


「私、身勝手なことばかり言って……カーライルさんのこと、これっぽっちも考えてなくて……」

「……いや」


 心臓の鼓動もようやく通常運転に戻り始めている。

 気持ちも落ち着いてきたので、俺は大きな息を吐くとともに、答えた。


「お前のせいじゃない。これは俺の持病なんだ」

「……え?」


 ファルは意外そうな顔で俺を見上げて、


「持病……ですか?」

「ああ。だから、気にするな。とにかく話の続きは家に帰ってからだ」


 言って、ゆっくりとファルの手を取った。


 不思議と、こいつに対するイラ立ちは完全に姿を消していた。体の調子は最悪だったが、気分はそんなに悪くない。


 手を引くと、ファルは少しだけ抵抗した。


「あっ……あの、わたし……こんなにご迷惑をおかけして――」

「いいから、来い」

「あっ」


 強引に引っ張ると、今度は抵抗しなかった。


「……」


 レベッカは相変わらず何も言わずに腕を組んでいたが、その表情はいつになく真剣で。


 道中は、誰も彼もが無言のまま。


 そして太陽が最も高い位置に顔を出したころ、俺たちはようやく我が家へと戻ってきたのだった。


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