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或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その2『から回る少女』
8/29

レイビーズ


「カール……」


 ゆさゆさ。


「カール……起きろ。起きなさい」


 ゆさゆさ。


「……ん」


 かすかな揺さぶりとともに、まぶたの向こうから射し込んでくる強烈な光。


 まだ、俺が起きる時間じゃない。

 というかものすごく眠い。寝付いてからそれほど経ってもいないはずだ。


(なんだよ……くそ)


 ただでさえ疲れている体。多少揺さぶられた程度のことでこの睡眠の魔力に抵抗できるはずがない。


「カール」


 ゆさゆさ。


「……」


 少しして、そばにいた人影が無言でスッと離れる。


(レベッカ、か……?)


 もうろうとした頭でそれを認識した途端。


(!?)


 強烈な悪寒が背筋を走って、覚醒すると同時にガバッと身を起こす。


 その瞬間!


 ……ゴッ!


 つい先ほどまで俺の頭があった位置に『鉄製の鍋』が落下してきた。

 

「おっと。起きたのか」

「……」


 ギギギッ、と、油の切れた機械のような動きで顔を横に向けると、そこには『何か』を投じた後のような格好をしているレベッカ。


「……」


 再び、枕の上に目を戻す。

 どう見ても鉄製の鍋。しっかりと枕を押し潰している。


「ふっ……」


 数秒遅れて、ふつふつと怒りが沸き上がってきた。


「……ふざけるな! 貴様、俺を殺す気かッ!」 


 が、レベッカはいつものしれっとした顔で言った。


「ふと思ったんだ。寝起きの悪い男には生きる価値がないのではないかと」

「そりゃいったいどこの国のふざけた法律だ! あぁっ!?」

「まあまあ。今はそれよりももっと大事なことがある」

「てめえの命以上に大事なものがあるかよッ!」


 当然の主張だったが、レベッカは呆れたように肩をすくめて、


「狭量な男だね、君は」

「ふっ……!」


 そこまで来てようやく、こいつにはいくら怒鳴ったところでまったく効果無しであることを思い出した。


(ダメだ……こういう手合いには何を言っても通じん……)


「ところで、カール」


 レベッカは何事もなかったかのように、手をポンポンと払って、


「この部屋を見て、何か異常を感じない?」

「……はぁ?」


 熟睡してるところをムリヤリ起こされた上、あまりに理不尽すぎる攻撃にさらされ、当然のごとく不機嫌レベル最高潮であった俺に、こいつの言葉をまともに聞くことは、世界最高峰の山を制覇すること以上に難しかった。


「何も変わってねえよ。有り得ない場所に鉄製の鍋がめり込んでることを除けばな」

「なるほど」


 レベッカは納得したようにうなずいて、


「つまり、君にとっての責任というのはその程度のものでしかないわけだ」

「責任?」


 その言葉を聞いてもう一度、部屋の中を見回した。

 そしてすぐに、こいつの言いたかったことを理解する。


「……いない?」


 この部屋の中にいなくてはならない奴の姿が、どこにも見えなかった。


「そう。いないね」

「トイレ……じゃないのか?」

「トイレどころか、彼女が知ってるはずの共同浴場までの道も、先ほど探索してきたところだよ」

「……」


 頭が痛くなってきた。


「……誰かが侵入して連れていったわけじゃないな?」

「それなら私も気付いてるだろうね」


 そりゃそうだ。いくら寝ていたとはいえ俺だって気付いているだろう。


 誰も侵入していないのにいなくなった。

 つまり、自ら出て行ったとしか考えられない。


 なおかつ、彼女が行動できる範囲に姿がないとすると、出たあとで迷子になったか、あるいは――


「……くそっ!」


 ベッドから飛び下りて素早く着替えを始める。

 吐き気がするほどの腹立たしさが込み上げてきた。


「あいつは! どれだけ俺を困らせりゃ気が済むんだ!」

「……ま」


 レベッカは壁に寄りかかって腕を組む。

 そしてゆっくり目を閉じると、


「彼女にも言い分はあるんだろうけど」


 その言葉にピタッと手が止まる。


「……なんだよ。俺が悪いってのか?」

「そうは言わないよ。ただ、君がもう少し打ち解けて、もっとこの場所の危険性を丁寧に説明していたなら、彼女ももしかしたらひとりで出かけることを思い直していたかもと思ってね」

「……」

「もちろん、叱る必要はあるだろうけど」

「……んなことは後でいい」


 反論はいくらでもあったが、今はそんなことをしている場合じゃなかった。


「レベッカ。早速で悪いが、頼みたい」


 そう言うと、レベッカはチラッと俺を見て、


「君が起きる前に、もう網を張った」

「そうか。助かる」


 こういうとき、情報を売り買いして生計を立てているこいつの人脈は役に立つ。


「ま、安くしとくよ。ツケのほうがいいかい?」

「……利息は安くしといてもらえると助かる」

「出血大サービスの同居人利率でね」


 それはつまり、他と変わらない利息ってことだ。


「ま、君の稼ぎになんて大した期待もしてないけど」

「……」


 また生活が圧迫されるのは間違いなさそうだった。


「けど」


 と、レベッカは壁から離れて、着替え終えた俺に近付いてくると、


「すぐに動いてくれればいいけど、どこかに長いこと潜伏されたら厄介だよ」

「そうだな……」

「心当たりはない?」

「ありすぎて困る」


 あれだけの容姿を持つあいつのことだ。

 道ばたで偶然すれ違った初対面の悪党に連れ去られたとしてもおかしくない。


「一応」


 レベッカはトン、トン、と足先で床を2度叩いた。

 考え事をしているときのクセだ。


「近くで彼女の悲鳴を聞いた人はいない。だから、彼女が自分でついていったか、あるいはよほど手際よく連れ去られたかのどちらかだろう」

「それでも見当なんて――」


 言いかけて、ふと思い出した。


「いや、見当違いの可能性はあるが……今朝、レイビーズとかいうグループの頭が、あいつのことで俺に話しかけてきたな」

「レイビーズ、ね」


 レベッカは素早く手にしたメモ帳に何事か書き込んだ。


「あの餓鬼どもの集団か。ああいう餓鬼は無知で無謀だ。やりそうではあるな」

「調べられるか?」

「あんな素人集団、1時間もかからない」

「頼む」

「追加料金と必要経費が発生するよ」

「……」


 俺とレベッカは、前にファルに対して言ったような仕事仲間なんかではなく、単なる客と商売人、大家と店子の関係だったりする。


 だから、料金を請求されるのは至極当然のことなのだ。


 ただ、


「そっちはなるべく抑えてくれ……」


 結構ギリギリだった。


「カールくん。お願いには可能なことと不可能なことの2つがある。餓鬼どもを調べるのが可能なことだとすると、今の君のお願いはさて、どっちだろう?」

「……わかった。とにかく頼む……」

「了解」


 満足そうにうなずいて、レベッカとかいう名の守銭奴は家を出ていった。


(……さて)


 もしファルを連れ去ったのが予想通りレイビーズだったとすると、さすがに俺ひとりでは心もとない。


 奴らは単なるチンピラの集団でそれほど恐さは感じないが、メンバーは確か10人以上いたはずだ。


(何人かに声をかけておくとして……)


 それだってタダではない。

 頭の中で素早くそろばんが弾かれて、


(……胃が、痛くなってきた……)


 俺の寿命は1日ごとに、確実に縮まってきているような気がする。


 死因はおそらく胃の病気か餓死だろう。




 レベッカの仲間から、どうやらファルがレイビーズの連中と一緒にいたらしいという情報が入ったのは、あいつの言葉どおり1時間も経たないうちのことだった。


 そして俺が3人の仲間を連れ、レイビーズが普段溜まり場としている古い廃家屋に乗り込んだのは、それから約15分後。


「なっ……なんだ、お前らっ!」


 無言で突入するなり、そこにいたレイビーズのメンバー9人を10分も経たずに無力化した。


 いくら人数が倍以上であっても、暮らしてきた世界が違う。というか、俺以外の3人が強烈な連中なので、ぶっちゃけ俺はいなくても問題ないぐらいだ。


「カ……カーライルさん……かんべんしてくれ」


 今朝会ったばかりのグループの頭は、みぞおちと顔面に蹴りを1発ずつ喰らっただけで、完全に降伏した。


 あまりにも情けないが、あの3人の戦闘力を見せつけられては仕方なくもある。


「余計なことは一切聞かない。お前が答えなきゃならないことはひとつだけだ」


 ボロくなったソファの上に倒れて咳き込む男の胸ぐらを引き寄せ、グッと顔を近付ける。


「連れていった娘はどこにいる」

「っ……!」


 男は脅えたような色を表情に浮かべ、慌てて答えた。


「な……7番通り3の10……仲間の家の物置に……緑の屋根の……」

「そうか」


 パッと手を離すと、男は力なくソファに崩れ落ちてうめき声をもらした。


「おーい、カールちゃーん」


 言ったのは体格の良い、普段は詐欺とスリで生計を立てる俺の知人。

 微妙にオカマっぽいのがたまに傷だ。


「こいつら、とことんやっちゃってもいいの? ちょうどみんな、こいつらの勝手さにちょっと頭に来てたとこなのよぅ」

「ああ……」


 俺はチラッと振り返って、


「あとはお前らの好きにしたらいい。俺の依頼はここまでだからな」

「そっちの手伝いはいらないのか?」


 ちょっと物足りなそうな顔の、細身の男。


 普段は無口で大人しいが、見た目に似合わないケンカ屋なんて商売をやっている。そのためか、一度体に火が点くとなかなか収まってくれないらしい。


 が、


「お前が来ると事が大きくなりそうだしな」

「そうか……」


 残念そうだった。

 さらにもうひとり、


「おうカール。あの可愛い娘によろしくな」


 強面のヒゲ男が頬をポッと赤く染めながらそう言った。


「……わかった」


 気持ち悪いことこの上ないが、手伝ってもらったのだし、そのぐらいは伝えておいてやることにしよう。


「んじゃ、カールちゃんの許しも出たことだし」

「もう少し教育してやるとするか……」

「可愛い娘をいじめる奴は許さんっ!」

「……っ……!」


(ほどほどにな……)


 妙に勢いづく3人の男たちと、脅えた声を発する複数のうめき声を背に。


(さて、7番通り3の10、緑の屋根か……)


 大体どの家か見当はついていたので、俺はすぐさま通称7番通りへと急ぐことにした。




「あ」


 太陽はもう頂点近くにまで昇っている。


「カール」


 緑の屋根の家。緑といってももう年季が入って、かなり深い色になっている。


 その近くにはおそらく違うルートから情報を仕入れてきたのだろう。すでにレベッカが待っていた。


「ここか?」

「間違いないね。中には餓鬼が3人。ひとりはここの借り主で、あとはその仲間。……ただ」

「どうした?」


 不吉な予感がして尋ねると、レベッカは冷静な顔と声のままで、


「さっきまで女の子の泣き声が少しもれてたけど、聞こえなくなった」

「そうか」


 答えると同時に、胃の辺りからどす黒いものがせり上がってくる。


 そんな俺を見て、レベッカは少しだけ眉をひそめた。


「多分、彼らにとっては大事な商品だろうし、口を塞がれたか気絶させられただけだと思うけど。……カール」

「なんだ?」

「あんな奴らでも、殺すと厄介だ」

「……わかってる」

「じゃあ……ほら」


 言って、レベッカはかなり大きめの木槌を差し出した。


「正面のドア、ボロくなってるし一撃だと思うけど」

「ああ……」


 蹴破るつもりでいたが、そうすると怪我も覚悟しなきゃならない。道具があるのは確かにありがたかった。


「でもあそこは多分借家だし、もしかしたら君に請求がくるかもしれない」

「……知ったことか」


 ここまで来ればどれだけやったところで同じことだ。


(貯めてた分で足りりゃいいけどな……)


 レベッカに払う分とあの3人に払う分。それに加えてもしかするとドアの修理代……馬鹿にならない。


(明日からは仕事も残業どころじゃ済まないな……)


 が、まあ今は考えても仕方あるまい。


 ゴッ……ガァーンッ!


 木槌で殴ると、ドアの鍵が一瞬で弾け飛んだ。


「なっ……!」


 中から驚いた声が聞こえる。


「何者だ……てめ……!」


 飛び出してきて、俺を見た男たちの顔が引きつった。


「おまえ……や、あんたは……」

「……」


 無言で狭い家の中を眺める。


 奥にはベッド。床に転がる酒のビン。

 その左手奥に、かすかに両開きのドアが見えた。


「そこか」

「ちょ……あんた! 一体ここに何の用……ぐっ!?」


 迫ってきた、おそらくここの借り主であろう男ののど元を鷲づかみにする。


「白々しいな」


 そこをつかんだまま相手の体を小さく浮かせて、乱暴に床に押し倒す。


 ドンッ!


「う……ぐ……っ!」


 あまり手加減しなかったためか、男の顔が一気に赤くなり、それからすぐに青白くなり始めた。


 そのまま、奥に控える2人の男に視線をやる。


「っ……!」


 動かない。

 しょせんは、集団で老人や女を襲うことしかできない連中だ。


「いいか」


 少し手の力を緩める。


「っ……は……っ……!」


 ようやく呼吸と同時に脳に血が巡るようになって、真っ青になりかけていた男の顔色が戻っていく。


「てめぇらが外でどんなことをやってようと俺には一切関係ねえ。けど、ここで勝手な真似をするとどうなるか……」


 ゴスッ!


「っ!?」


 みぞおちに俺の拳がめり込んで、瞬間、男は目を大きく見開いた。

 そのまま体を横に転がしてやると、その口から汚物を吐き出し始める。


「……」


 奥の2人は青ざめていた。


 あのグループの頭や、この床に転がる男よりもさらに年下。

 せいぜい13、4歳ぐらいだろう。


「わかったら、そこをどけ。……そのポケットに突っ込んだ手、刃物が入っているのかもしれんが――」


 ゆっくりと立ち上がって、近付いていく。


「そいつを出したら命はないと思えよ」

「っ……!」


 手が震えていた。

 小さく首を振りながら、ゆっくりと物置とは逆方向にあるベッドの方へ後ずさっていく。


 刃向かう意志は完全になくなったらしい。


「それで、いい」


 それでも念のため、目で牽制しながら物置の方へ向かう。

 そして、そのドアに手を掛けようとした、そのとき。


 ダンッ!


 床を蹴る音。

 動いたのは、俺にみぞおちを殴られて床に転がっていた男だった。


 手には、刃渡り10センチほどのナイフ――


(っ……の野郎!)


 一瞬、体中の血が沸騰しかけた。

 そのとき男がそのまま俺に飛びかかっていたら、死ぬまで殴り続けるのをやめなかったかもしれない。


 だが、男が床を蹴ってこっちに向かってこようとした、その瞬間。


「っ……!?」


 その体がまるでサーカスか何かのようにクルッと前方に4分の3回転した。


 ドンッ!


 驚愕が顔に張り付いたまま、男が再び背中から床に落ちる。

 と同時に、男の持っていたナイフが男の顔の横、わずか数センチのところに突き刺さり、


「ひっ……!」


 さらにその直後、のど元に細身のナイフが突きつけられた。


「ふと思ったんだ。身のほどをわきまえない餓鬼には生きる価値がないのではないかと」

「……またかよ」


 あいつの手にかかると誰でも生きる価値がなくなってしまいそうだ。


「さて、坊や。私はそれほど気が長くないよ」


 つぷっ……と、ナイフが男ののどにその先端を埋める。

 赤いものが一筋流れ落ちた。


「っ……!」


 動けない。

 そのまま、顔が青ざめていく。


「すぐに消えるなら10秒間だけこのナイフをよけてあげよう」

「っ……!」


 今度こそ、男は戦意喪失した。


「よし……そっちの2人も行けっ」


 レベッカがナイフで促すと、倒れていた男と壁際に張り付いていた少年たちは、足をもつれさせながら騒々しい足音とともに家を出ていった。


「ふぅ」


 それを見送って、レベッカはゆっくりと腰を上げると、


「まったく。まさかこの私が肉体労働とは」

「悪いな、レベッカ」


 礼を言うと、奴は相変わらずの表情で、


「これも別料金」

「……勝手にしてくれ」


 すでに抵抗する気力もなくなっている。


 そのまま物置の前に立って両開きのドアを開けると、そこには手足を縛られたファルが横向きに転がっていた。


「……んっ! んんっ!!」


 声が聞こえなくなったのは、どうやらしゃべれないように猿ぐつわを噛まされていただけのようだ。


 着衣にはそれほどの乱れもなく、見たところ外傷もなさそうで、確かにレベッカの言うようにそこそこ丁重に扱われていたらしい。


「……」


 無言で手と足を解放し、順序は逆だが、最後に猿ぐつわを外してやる。


「カ……カーライルさん……っ!」


 おそらく外から聞こえた声などで俺が来たことには気付いていたのだろう。

 ファルは目に涙を浮かべたまま、いつかのように俺の服のすそをつかんだ。


「わ、わたし――!」


 何かを言い切る前に。


 ……パァンッ!


 平手打ちが飛んで、ファルの体が再び床の上に転がる。


「え――……?」


 なにが起きたのかわからない、という様子で。

 ファルは頬をおさえ、困惑したままこちらを見上げていた。


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