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或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その1『不幸のはじまり』
4/29

天罰


 次の日の早朝。


「はっ、はっ……!」


 俺は朝っぱらから全力疾走という過酷なノルマを課されるハメになっていた。


「はっ……はぁっ……くそっ……!」


 朝飯を食った直後のことなので体が重いやらわき腹が痛いやらで苦しいことこの上ないのだが、止むに止まれぬ事情が発生していたのだ。


 拳には、先ほど酒場のオヤジを殴ったときの感触が鮮明に残っている。


(ふざけやがって!)


 ついでに言うと、俺の頭の中は怒りで煮えくり返っていた。


 ――朝、俺がファルの元を訪ねたとき、洞穴は無人だった。


 入り口に掛けられていたむしろがボロボロにちぎれて落ちていたのと、穴の中の荒れ具合、何かを引きずったような跡が残っていたのを見れば、そこで何が起きたのかは一目瞭然。


 俺はすぐさま酒場に走り、渋るオヤジからならず者どもの溜まり場を聞き出した。


 ついでに聞いた話だと、ならず者どもはつい30分ほど前まで酒を呑んでいたらしく、だとすれば連れ去られてからそんなに時間は経っていない。


 急いだ。

 向かった先は、村の一角にある古ぼけた倉庫。


 もともとは家畜を飼っていた農家のものであろう、人気のない場所だ。


 バンッ!


 大きな音を立てて扉を蹴り開けると、視界に映ったのは見覚えのある3人の男。

 間違いなく、ファルをいびっていた一団のメンバーだ。


 そしてその奥。

 隅に積まれた藁の上にファルは転がっていた。


 右の頬が赤く腫れ、泣き叫んだような痕跡がくっきりと残ってはいたが、目立つ異変はそのていど。


 どうやらギリギリ間に合ったと言って差し支えのない状況らしい。


「またてめえかっ!」

「……」


 無言で、男のみぞおちにつま先の一撃をお見舞いする。


「うッ……!」


 男はうめき声をあげ、口から大量の汚物をまき散らしながら倒れた。


「てめえっ!!」


 残りの2人が同時に向かってきたが、幸い昨日ほどの人数ではなかった上、ほぼ泥酔状態で足取りはおぼつかない。


 全員が揃って地面に伏すまでに、それほどの時間はかからなかった。


「……クソどもが」


 倒れて動かなくなったそいつらを見下ろしてそう吐き捨てると、俺はすぐにファルの元へと向かった。


(……大丈夫だったか)


 上に着ていた服はボロボロに引きちぎられていたが、怪我らしい怪我もなさそうだし、赤くなっている頬も思いっきり殴られたものではなさそうだ。


 ホッとする。

 これならとりあえず支障ない。


「大丈夫か」

「あ……うぅ……」


 俺が声を掛けると、ファルは少し錯乱していたのか、一瞬だけ怖がるような素振りを見せた後、


「カ……カーライル……さん……?」


 確認するように、俺の名を呼んだ。


「ああ」


 そう答えつつ、来るかな、と思った瞬間、


「わっ……わたっ……!」


 案の定、ファルは手探りで這うようにやってくると、俺の服をギュッとつかみ、そして泣き出した。


「わ、わたし……なにも悪いことしてない……のに……っ! そっ……それなのに……っ!」

「わかってる」


 ファルはさらに俺の胸に顔を押しつけてきたが、ガタガタ震えている小さな肩を見ていると、さすがに振り払う気にはなれなかった。


「なっ……なんでわたしが……っ! どうしてこんな……っ……!」

「……」


 何も言わなかった。

 そんなこいつの疑問に答える言葉を俺は持っていない。


『運が悪かった』

『産まれた環境が悪かった』


 そう言えば納得するのだろうか。


 ……俺がこいつなら、納得しない。


 だから、ひとまず無言でいた。


「うっ……っ……!」


 その後もファルはただ泣き続けるだけだった。


 ひとまず落ち着くまで待つ。

 そして――5分ほどもそうしていただろうか。


「……私……」


 ようやく泣き止んだファルは、少し落ち着いた様子で口を開いて。

 そこから飛び出してきたのは、俺の待ち望んでいた言葉。


「私……カーライルさんについて行っても……いいですか……?」

「……」


 すべて、上手く行った。


 こいつを連れて帰れば、おそらく向こうに気に入られるであろう自信はある。つまり、この時点で今回の仕事は大成功間違いなしと言ってもいい。


 望んでいた大量の報酬も目前だ。


 ……なのに。


(なんだ、これ)


 俺は素直に喜べなかった。

 まるで自分が、後ろで倒れているならず者どもの仲間になってしまったかのような、そんな錯覚を覚えてしまう。


 ……偶然だ。


 確かにこいつが俺を信頼するようになったのは、このならず者たちから何度も助けてやったからだろう。


 そしてそれは言い換えれば、彼らのおかげで俺の仕事が上手く行ったのだとも言える。


 だが、俺にそんなつもりはなかった。


 ……なかったはずだ。


(なんなんだよ……)


 そんなイラ立ちを抱えながら、挙げ句の果てに、


「ホントに……来るのか?」


 そんなとぼけた言葉まで口にしていた。


(……最低だ)


 そうしてまた自己嫌悪におちいる。


 こいつが今さら意思を曲げないことはわかりきっていた。

 だから俺がそんなことを口にしたのは、やはり自分の行為を正当化しようとしただけの薄汚い行為に過ぎない。


「私を連れていってください。お願いします、カーライルさん……」


 ファルの言葉はいつもより弱々しかった。


 元から栄養の足りてない体に精神的な疲労。

 いずれにせよ限界だったのかもしれない。


 もしも俺がここで突き放したなら、冗談ではなく自ら死を選ぶのではないかと思えるほど。


 つまり、今のこいつは俺にすべて依存している状態だった。


(……くそっ)


 さらにイラ立つ。

 こんなはずじゃなかったといくら心の中でつぶやいてみても、俺に他の選択肢があろうはずもなく。


「わかった」


 そう答えるしかない。


 ……予感があった。


 おそらくこの仕事は、とてつもなく後味の悪いものになるであろう、と。


「なら、これ以上のトラブルが起きないうちに出るぞ。支度はすぐできるか?」


 顔を埋めたままのファルをそう言ってうながすと、彼女はゆっくりと顔を上げた。


 目は真っ赤で目尻にも涙の跡が残っていたが、気持ちはもう落ち着いているようだ。


 ゆっくりと自分の足で立ち上がると、


「あ……はい。えっと、替えの服さえ取りに戻れば……」


 そう言いながら目尻を拭う。

 俺は頷いて、


「それなら必要ない。すぐ行くぞ」

「あ、で、でも、私、これじゃほとんど下着のままで――」

「途中で買ってやるって言ってんだ。それまでは俺の服を貸してやる。どっちにしろあのボロ服じゃ旅はできん」


 そのまま、俺はファルの手を引いて倉庫を出た。


「かっ……買ってくれるんですか!?」


 大袈裟な反応。


「その格好で隣を歩かれると、俺が迷惑だ」

「……あ」


 恥ずかしそうに顔を伏せる。

 少しずつ元気も戻ってきているようだった。


 あとは早いうちにまともな物を食わせてやらなきゃならないだろう。


(……余計なことは考えないでいい)


 そして俺は何度も自分に言い聞かせる。


(すべては上手く行った。あとはこいつを引き渡してやればそれで終わりだ)


 それで終わり。

 それで俺は大金を手にすることができる。

 それで一件落着だ。


 次の仕事に手を付け始める頃には、いつものように、もうこいつの名前も思い出せなくなっているに違いない。


 そのはず、だったのだ。


 だが――




 俺が違和感に気付いたのは、村を出て1時間ほども歩いたときのことだった。


「おい。お前、なんでずっと俺の手を握ってるんだ」


 空にはまぶしいほどの太陽が顔を出している。


「え?」


 相変わらずフラフラと危なっかしい足取りのファルは、俺の言葉に顔を上げて、


「あ、あの、怖いので……」

「はぁ?」


 先ほども言ったように、今はバリバリの昼間だ。

 辺りは当然明るいし、こいつが怖がるような暗闇はどこにも存在していない。


「何が怖いんだ。まだ昼間だろうが」


 もしかしたら甘えられているのかもしれないと思い、その手を振りほどこうとすると、


「わっ……ま、待ってくださいっ!」


 ファルは今度は両手で必死に俺の腕をつかんだ。

 そして、泣きそうな顔を向けてくると、


「あ、あの、わ、私、ほんとーに怖いので! でっ、できれば離さないでいたっ……いただけると、ひ、非常に嬉しいのですがっ!」


 せっぱ詰まったような声。

 何だかイマイチ良くわからないが、確かに甘えているという雰囲気ではなかった。


「だから。何が怖いんだよ。……お前、暗闇が怖いんじゃなかったのか?」

「……え?」


 今度はファルが不思議そうな顔をする番だった。

 そして、ハッとすると、


「あの……もしかして、気付いておられなかったりします……?」

「なにが」


 もちろん何のことだかわからなかったのでそう問うと、ファルは取りつくろうような笑顔を浮かべて言った。


「あ、あの……私、目が見えないので、手を引いていただけないとすぐにはぐれてしまいますので……」

「……ああ」


 その言葉にようやく納得する。


「なるほど。目が見えなかったのか」


 そして直後、ピタッと足が止まる。


「……目が、見えない?」


 驚愕。


「目が見えない、と言ったのか、今?」

「は、はい」


 ファルは緊張した声だった。


「待て……ちょっと待てぇッ!」


 俺はグイッとファルの顔を引き寄せ、その目を見つめた。


「カ、カーライルさん……あの……」


 ちょっと脅えているようにも見えるが、俺にはそれを気に止めてやるほどの余裕はなかった。


(……マジ……か)


 言われてみれば確かに。

 傍目にはなんの違和感もなかったが、こうして近くで見てやればわかった。まったく焦点が合っていない。


(そういや……)


 俺は今までのこいつの行動を思い出す。


 酒場で椅子に座るとき、俺と手をつないで歩くとき、頻繁にふらついていたこと。


 歌ってる最中、俺の方を見ながらもまったく目が合わなかったこと。


 そして何度か、俺の姿を見てもすぐに俺だと気付かなかったこと。


 確かに盲目だったと考えれば、それらはすべて当たり前のことだった。


「……はは」


 確認して、俺は乾いた笑い声をもらす。


(馬鹿な)


 バチが当たったのかもしれない、と思う。

 だが、今さら気付いたところで、もうすべては取り返しがつかない。


 依頼主の要望は『健康で容姿の整った娘』だ。

 繰り返す。『健康で』である。


 盲目だけど体は健康です、なんて、そんな主張が受け入れられる可能性は、考えるまでもなくゼロだろう。

 それどころか依頼内容もまともに確認できないのかと失笑されるに違いない。


 ファルから離れ、俺は思わず天を仰いだ。


(マジかよ……)


 かといって、今さらこいつを置き去りにするわけにもいかない。


 彼女にもう帰る場所はないのだ。

 盲目であればなおのこと。置き去りにするということは、すなわち『そこで死ね』と言ってるのと同じことだろう。


 何度も言うように俺は『小』悪党だ。

 間接的とはいえ進んで人を死に追いやったりできない。


(……ってことは)


 ファルは不安そうな表情で俺を見上げていた。


 おそらくは、俺の気が変わらないかと心配になっているのだろう。その意味で言うと、彼女のそれは余計な心配だったと言えるが。


(しばらくは……俺が面倒を見るしかないの、か……)


 それは金に目がくらんだ愚かな小悪党に下った天罰だったのか。


 こうして俺は人生最大の不幸をこの身に抱え込むことになってしまったのである――。


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