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或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その4『二つの楔』
20/29

悪魔の契約


 今日も夜がやってくる。

 外の風は生ぬるく、夜空には星々が輝いていた。


「カール」

「ん……?」


 人気のない我が家の前。


 何気なく空を見上げていた俺に声をかけてきたのは、言うまでもなくレベッカの奴だった。


「結論が出たみたいだな」

「ああ」


 俺の返答にレベッカは無言でうなずくと、そのまま隣に並んで、やはり同じように空を見上げた。


「歌、か。確かに彼女の歌なら少しはお金になるかもね」

「……」


 まだ話していないはずなのに、こいつは俺とファルのやり取りの中身を知っていた。


 あるいはどこかで会話を聞いていたのだろうか。


 どっちにしても、大した問題ではなかった。


「でも」


 レベッカはチラッと俺を見て、きっぱりと言う。


「無理だよ。彼女がいくらがんばったところで、君の借金を返すにはほど遠い。……まして、君はまだ仕事を再開できない状況じゃないか」

「明日から再開する」

「……カール」


 声が少し厳しくなった。


「約束を忘れたのか? 無茶はするな。それに少し再開を早めたからって、そんなに変わるものじゃない」

「……だろうな」

「わかっているなら考え直すんだ。君にとって2つの荷物は重すぎる」


 今日のこいつは妙におしゃべりだった。


 いや、数日前からそうだったのかもしれない。


「お前は……」


 今は特に怒りを感じることもなく、俺はそう問いかけた。


「そんなに俺に捨てさせたいのか? どうしてだ?」

「……」


 レベッカは黙った。

 そのまま2人とも沈黙。


 生ぬるい風が再び吹き抜けていく。


 少し開けた窓から、室内で寝ているファルの寝息が聞こえてきそうなほどの静寂。


 そして数分の空白。


 もう答えはないものだと思い始めた矢先、


「君は、まだ気付いてないんだな」


 レベッカからそんな言葉が返ってきた。


「いや、本当はとっくにわかっているはずなのに」

「なんの話だ?」


 俺が怪訝な顔を向けると、レベッカは小さく首を振って、


「言えない。君が自分で気付かない限りは」

「?」

「君は――」


 レベッカは壁から離れると、ズボンのポケットに手を入れてゆっくりと歩いた。


 1歩、2歩……3歩。


 そこで立ち止まり、ゆっくりと肩越しに俺を振り返る。


「君は私と出会ったときのことを覚えているか?」

「お前と?」


 そりゃ覚えている。


「俺が仕事を探してるときにそっちから声をかけてきたんだろ。家と仕事を紹介してやるから、コンビを組まないか、ってな」


 コンビってのは実際には少し違った。


 ひとりで住むには少し無駄の多いこの家の家賃を折半し、共同生活。


 俺はこいつからの迅速な情報を手に入れられるようになり、こいつは上客とちょっとした雑用兼ボディガードを手に入れた。


 それだけの関係だ。


「だろうね」


 そしてレベッカもうなずく。

 俺の言葉が真実であることを裏付けるかのように。


 ……いや。


「君の中ではそういうことになってるんだろうね」

「なに?」


 まるで予想外の言葉だった。


「違うってのか?」


 そんなはずはない。


 確かに何年も前のできごとだが、俺の生活形態が大きく変わったほどのできごとだ。忘れるはずはない。


 だが、レベッカの口から続いた言葉はそんな俺の自信を裏付けるものではなかった。


「君はそうやって」


 レベッカの目がすぅっと細くなる。


「ずっとそうやって目を閉じて生きていくつもりか?」

「なに言ってんだ、お前?」


 今日のこいつの言葉は、いつにも増して理解できないことばかりだった。


 まるで理解できない。


 そりゃ確かに、俺は今まで色々なことに目をつむって生きてきた。それはこの世界で生きていく上で、罪悪感や良心を閉じ込めるために必要なことだった。


 けど、こいつの言ってることは、それは違う意味があるように思える。


「君が言う出会いより前に、君と私は会っている。君は覚えてないようだけど」

「それより前、だと?」


 驚いて、芸もなくただ言葉を返す。


 そして記憶を巡らせた。


 ただ、がむしゃらに金を集めようとしていた時代。

 他人から物を奪うことでしか金を稼ぐことができなかった少年時代。


 そうでなければ――孤児院。


 だがこいつの存在は記憶にない。

 まるで。


「いつの……話だ?」


 考え込む俺に、レベッカは目を細めたままで答える。


「そんなに昔の話じゃないよ。君が言う出会いのたった1週間前のことさ」

「はっ、馬鹿な」


 それでようやく気付いた。


 多分、これはこいつお得意の冗談なのだと。

 俺を困らせて楽しんでいるだけなのだと。


「変装でもしてたってのか? ま、確かにすっぽりフードでもかぶって、お得意の声マネでもされてちゃわからねえかもな」

「……」


 レベッカの表情は変わらない。

 ただ、冷たい視線が俺を射抜いているだけだ。


「……なんだよ」

「4ヶ月」


 体ごと、こちらを向く。

 1歩……2歩……近付いて。


 ポケットに入っていた手が、ゆっくりと俺の胸元に近づいた。


「君にとっては短すぎるかもしれないな。だが、これ以上引き延ばす意味も、おそらくは、ない」

「……」

「ただ、もう一度だけ言っておく」


 トン、と、人差し指が俺の胸板を押した。


「今の君に2つもの荷物を背負うことは不可能だ。必ず後悔する」

「……」


 なんだ。


 なんでこいつは……こんなにいつもと違う表情を、今日に限って。


 そして俺は。

 俺はどうして――そんなこいつの表情に――こんなにも気持ちが落ち着かなくなるのだろうか。


 わからない。

 なにもかも。


「……お前は」


 そして思わず口をついた言葉は、以前から疑問に思っていたことを問いかけるものだった。


「お前はあいつのこと、どう考えているんだ」

「ファルのこと? ……そうだね」


 レベッカはそっと、ファルが寝ているであろう部屋の窓に視線を移動させて、


「可愛いよ、あの子は。まるで妹が出来たみたいだし、あの子といると色々と嫌なことを忘れられる」

「……」


 じゃあ、どうして。


 そう問いかけようと思ったが、俺が口を開く前にレベッカは答えた。


「私にだって同時に2つも背負うことはできないよ」


 俺は少し驚いて、


「お前にもあるのか? 背負うものが?」

「そりゃあね」


 妙に不敵な笑みを浮かべて、ゆっくりと俺の耳元に口を近付けてくる。


 手が俺の両肩に添えられて、ほとんど身長の変わらない体がピッタリとくっついた。


「……」


 不思議に、引き離そうとか逆に抱きしめようとか、そういう感情は沸き上がってこなかった。


「カール……」


 肩に添えられていた手が動いて、ゆっくり俺の頭を撫でる。

 髪が、手の動きに合わせて揺れる。


 くすぐったい。

 変な感じだ。


 こいつのこんな調子の声を聞くのは初めてかもしれない。


 まっさらの、素の声。

 いつも聞いていた抑揚のないこいつの声は、実は作られたものなのかもしれない。


 初めて、そんなことを思った。


「ふふっ……」


 吐息がうなじにかかったかと思うと、そこに柔らかく生暖かい感触が重なる。


「愛してるよ、カール……」

「っ……!?」


 さすがに驚いて少し反応すると、レベッカはすぐに俺から離れた。


 表情には相変わらずの笑みが浮かんだまま。


「思ったよりいい反応だね」

「お前……な」


 びっくりした。


 別にドキドキしてるとかそういうことはないが、驚いたことは確かだ。


「冗談だよ、カール」


 そう言ったときのレベッカは、すでにいつもの調子。

 さっきまでの雰囲気は完全に失せていた。


「……タチの悪い冗談だ」


 言いながら、俺は軽く首筋を拭った。

 そこにはまだ、少しだけこいつの唇の感触が残っている。


「契約さ。4ヶ月間の」


 レベッカは相変わらずのしれっとした表情で、


「悪魔との契約はキスが基本だろう?」

「悪魔、か」


 なんとなく的を射ているようで少しおかしかった。


 レベッカは俺に背中を向けて、


「君の仕事は2、3日中に再開できるみたいだ。もう少し我慢するといい」

「……そうか」


 ホッとした。


 とりあえず危惧していた最悪の状態だけは抜け出ることができそうだ。


「やるだけやってみるのもいい。けど……」


 そんな俺を振り返ってレベッカは言った。

 まるで仕事の話をするときのような、事務的な声で。


「4ヶ月後、約束が果たされなければ私は間違いなくあの子を売り飛ばす。情とかそういうものは期待しないほうがいい。君は現実の中から、正しい道を選ばなきゃならない」

「正しい道、か」


 こいつが言うところの正しい道。

 それは俺が聞けば、ああそうか、と納得できるものなのか。


 言えない、と、こいつは言った。


 なぜ、言えないのか。


 そもそも、こいつの言う正しい道と、俺が望む道は果たして同じものなのか。


 なにもわからない。


 だけど。


「なんにしても、やるしかないからな」

「……」


 レベッカは黙った。


 言いたいことを我慢しているかのようにも見えた。


 言いたいのに言えない。

 それがなんなのか、俺にはさっぱりわからない。


 けどきっと、それはこいつが『抱えているモノ』に起因するのだろう。


「俺とお前ってのは、意外と似たもの同士かもな」


 俺はふとそんなことを思った。

 同時に、思ったことをそのまま口に出してしまった自分の行動にも驚く。


「似てる、か」


 そんな俺を、レベッカは細めた目で見て、


「新しい口説き文句か?」

「違うな、どう考えても」

「残念だね」


 冗談なのか本気なのか区別のつかない表情だった。


「でも、君と私が似ているのは必然なのかもしれないよ」

「どういうことだ?」


 俺が怪訝な声を返すと、レベッカは相変わらずのしれっとした顔で、


「だって、よく言うだろう? ペットは飼い主に似るって」

「……いつから俺がお前のペットになった」

「なんだ。気付いてなかったのか」

「気付く気付かない以前に、そんな事実はねえ!」


 しかし、考えれば考えるほど不思議な関係だ。


 俺とレベッカ。


 お互い基本的には一匹狼なのに、奇妙な共同生活をこうして送り始めて、若い男女であるにも関わらず色恋沙汰にはまるで発展する気配もなく。


 破綻することもなく、それが何年も続いている。


(何年も、か)


 家に戻っていくレベッカの後ろ姿を見送りながら考えた。


 この生活――あいつとのこの生活は、これから先も続くのだろうかと。


 成功するにしろ失敗するにしろ、ファルがこの場所からいなくなって……その後、俺たちはまた以前のような生活を続けているのだろうかと。


 なんとなく、そうはならないような気がした。


 4ヶ月という時間。


 それは借金返済のタイムリミットであると同時に、今まで続けてきたこの生活の期限であるかのように、俺には思えて仕方なかった。


 その先に待っているのは、なんだろうか。


 今までと大差ない生活か。

 小悪党らしい、救われない結末か。


 それとも――


(……馬鹿馬鹿しい)


 なんであれ、訪れる現実はいつも過酷だ。

 ただ、それがマシであるかそうじゃないかの違いに過ぎない。


 ……できるだけマシであるように。


 あと4ヶ月。


 たぶん。

 たぶん、レベッカの言うように無理だとわかっている。


 そういうものだと、そんなことは百も承知で。


 だけど。

 だけど、それでも――――


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