表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その4『二つの楔』
19/29

欲しかったもの


(どうして……?)


 二日酔いのまま理不尽な怒りをぶつけた、あの夜と同じ。

 いや、あるいはそれ以上か。


 ファルの盲目の瞳に宿った意志は少しも揺らぐことなく、まっすぐに俺をとらえていた。


 俺はずっと、ひどい言葉で突き放し続けているのに。


 ……なぜ?


「言葉は――」


 ファルは答えた。

 真剣な瞳をまっすぐ俺に向けながら。


「言葉は人のうわっつらでしかないって、そう言ったのはカーライルさんじゃないですか」

「……だから、なんだってんだ」


 さらなる動揺が俺を襲った。

 だが、ファルはそのまま言葉を続ける。


「今のカーライルさん、おかしいです。言葉に、心がないです」

「っ……!」


 瞬間、頭にカッと血が上った。


 怒りじゃない。

 羞恥だ。


 見透かされたことに対する、羞恥。


「……なにをわかったようなことを」


 俺はことさらに語尾を強めた。

 頭に上った血の勢いに任せて言葉を吐き出す。


「お前が俺のなにをわかってるってんだ? つまらねえこと言いやがって」

「ぅ……」


 俺の厳しい口調に、ファルは少しだけたじろいだ。


 だが、顔は上げたまま。

 自分を奮い立たせるかのように、やはり口調を強めて。


「す、少しはわかってるつもりです! カーライルさんはちょっとぶっきらぼうだけど、本当は優しくて、とっても暖かい人です!」

「……!」


 もう一度、頭に血が上る。


 今度は怒りだった。

 理不尽な怒り。


「ふざけるな」

「ふざけてないです! カーライルさんは――!」

「ふざけんじゃねえッ!!」


 怒声で言葉をさえぎり、乱暴に手を離して正面からファルに向き合う。


「優しい!? 暖かい!? はっ……おとぎ話の世界にひたる浸るのもいい加減にしやがれッ!」

「っ……!」


 今度こそ、ファルは怯えの表情を見せた。


 俺の剣幕に押されて。

 反射的に目を閉じて。


 それを感じた俺は、勢いに任せて言葉を続ける。


「てめえは何もわかっちゃいない! ここがどんな場所なのか! 俺がどんなことをして今日まで生き抜いてきたのかッ!」

「――!」


 おびえた表情。

 顔が歪み、瞳がわずかに揺らぐ。


 ……望んでいた反応。

 このまま突き放してしまえば、それでいい。


 それで、全て終わりだ。

 それで。


 ためらっちゃいけない。


 ためらっちゃ――


「優しいとか暖かいとか、ここはそんなもんとは無縁の世界なんだ! そんなもん大事にしてちゃ自分ひとりが生きていくこともできやしねえ!! ましてや、お前を――!」


 勢いのままに言いかけて、ハッと言葉を止めた。


 これ以上は蛇足。

 そう気付いたから。


 だが、その一瞬の判断の遅れが致命的だった。


「……私、を?」

「!」


 消えた。

 そこにあった怯えの色が。


 さっきまで見せていた『こいつの知らない俺』に対する怯えが。


「私を……なんですか?」

「……」


 すぐに答えられなかった俺に、ファルは少し誇らしげな表情を見せた。


「やっぱり……そうなんです。カーライルさんがそうやって苦しんでいるのは、いつだって自分じゃなくて別の……私のような、別の誰かのためなんです」

「……違う」


 俺は首を振ったが、ファルは少しも動じなかった。


「違わないです。確かに私、カーライルさんのこと全部わかってるわけじゃないです。でも……でも、私が感じていることはきっと真実なんです。少なくとも、私にとってはそうなんです」


 笑顔とともにそう言い切ったこいつの言葉に。


「……お前は――」


 先ほどまで頂点にあった怒りが、急速に冷めていった。


(……どうして)


 わからない。


 こいつはいつからこんなにも鋭く――強くなったんだろうか?


 以前はもっと単純で、俺のうわべだけの言葉に、もっと簡単に落ち込んでいたはずなのに。


 どうして。


「見えないですけど……見てたんです、ずっと」


 まるでそんな俺の疑問に答えるかのように。

 ファルはゆっくりと言った。


「ずっと見てたんです」


 そっと、俺に向かって手を伸ばしてくる。

 それが、腕に触れた。


「だから……なんとなくですけど、わかってきたんです。言葉だけじゃなくて、カーライルさんの本当のこと」

「……」

「最初はうぬぼれかと思ってました。でも、今なら自信を持って言えます」


 グッ……と、俺の腕をつかむ指に少しだけ力が入る。


(……ああ、そうか)


 その言葉と、こいつの強い意志のこもった表情を見て、ようやくわかった。


 最初と今。

 こいつの中で、何が変わったのか。


 どうして揺るがなくなったのか。


「カーライルさんは優しい人です。少なくとも私にとっては、そうです」


 絶対の信頼。

 ただなついていただけの頃の、薄っぺらいそれとは違って。


 俺がこいつに対する想いを変化させたのと同じように、こいつの中のそれも確実に変化していった。


 いつからかそれが、こいつの中で絶対的なものになった。

 だから、うわべだけの言葉で揺るがすことができなくなったのだ。


 ……単純なことだ。


「私――」


 少しひそめた声色でファルは言った。


「目が見えないから、その分、すごく耳がいいんです」

「……なんだ?」


 突然の話題転換。

 俺が怪訝な声を向けると、


「ですから。その」


 少しためらってから。

 そして思い切ったように口を開いた。


「私、少しだけカーライルさんの事情とか、わかってしまっているんです」

「……?」


『すごく耳がいい』


 その意味を考えてようやく気付いた。


 こいつに聞こえていないと思っていた会話が、もしかしたら筒抜けだったかもしれないということ。


 そんな俺の推測を裏付けるように、ファルは言った。


「細かいところまでは聞こえませんでした。でも、カーライルさんが私のせいでお金に困っておられることだけはわかっちゃいました」

「……」


 俺が黙っていると、


「すっ、すみません! で、でも聞こえちゃったから仕方ないんです!」

「それで?」


 もちろんいい気持ちはしなかったが、それは俺のミスだし別に怒るつもりはなかった。


「その……」


 もう一度。

 今度はさっきよりも長い時間をためらって。


 そしてファルは言った。


「本当のこと話して下さい。突然こんなことになって、それでわけもわからずにサヨナラなんて、そんなの嫌です」


 強い願いのこもった言葉で。


「本当のこと聞いて、それでどうしようもなかったらちゃんと諦めます。でも、本当のことを聞けないままだったら、一生後悔することになると思います」


 そんなこいつの言葉に。


「……」


 思わず返したのは、数秒間の沈黙。


 どうすればいいのか。

 どうするべきなのか。


 本当のことを話せば、こいつの返事はわかっている。


 こいつは必ず、少しでも長くここにいられる方――4ヶ月、生き長らえる道を選ぶだろう。そしてありもしない可能性に賭けることを望むだろう。


 だが、


(……ダメだ)


 何度考えたところでそれは変わらない。


 こいつの子供じみた、後先考えない無謀な賭けを容認するわけにはいかない。


 答えはすぐに出た。

 そして迷いが出ないうちに、すぐさまそれを言葉にする。


「それは――」


 出来ない。

 そう言おうとした、そのとき。


「私の欲しいもの……」


 小さくつぶやいて、ファルはゆっくりと俺の前に両手を差し出した。


「?」


 その手の中にあったのは何十枚かの硬貨だった。


 炎天下の中、懸命に歌って手にした幾ばくかの金銭。

 欲しいものがあるからと、少しの無茶をして手にした金。


「私の欲しいものは……これでは買えませんか?」

「……」


 その意味は問わずとも明らかだった。


(……ああ、そういうことだったのか)


 俺が金に困っていることを知って。


 それが自分に起因するものだと、こいつがそう考えたのはおそらく、ごく自然な結果。


 だからこいつは今日、倒れる寸前まで頑張ったのだ。


 『欲しいもの』を手に入れるために。


 それは――その判断は決して間違ったものじゃない。

 こいつがここを離れなければならないのは、まさにそれが原因なのだから。


 ……だが。


「今日だけじゃなくて、明日も明後日もずっと……ずっと毎日がんばって。そしたら――」


 ギュッと手に力が入る。

 声が少し震えた。


「そうしたら――」

「……難しいな」


 俺はすぐに答えた。


「それでは、おそらく難しい」


 嘘ではない。


 確かにこいつが毎日これだけの稼ぎをしてくれるのなら、こいつ自身の食費ぐらいはどうにかなるかもしれない。


 だが、それはあくまで、毎日これだけの額を稼ぐことができればの話だ。


 いくらこいつの歌に魅力があるとはいえ、演奏もなにもない稚拙な路上のコンサート。レパートリーだって広くはないし、安定した収入は望めるはずもない。


 たとえ、うわさがうわさを呼んで新たな客の獲得に成功したとしても、これからどんどんと雨が多くなり、気温も高くなってくるだろう。


 雨が降ればもちろん路上コンサートなどできないし、炎天下の中を歌い続けるには体力も必要だ。


 それに加え、俺の仕事だっていつ再開できるかわからないこの状況。


 あまりにも難しすぎる条件だった。


 しょせん、何もしないよりは確率が上がるという程度のことでしかない。


 なにもしないよりは。


 ……そう。


 なにもしないよりは、どうにかなる可能性がある――


(なにを……考えてるんだ、俺は)


 そう考えてしまった自分に驚く。


 無理に決まっている。

 そんなことで上手くいくはずがない。


 今までだって、今まで生きてきた中でだって、そんな賭けみたいなことが上手くいった試しはなかった。


 いつも、やってみてから後悔するんだ。


 あのときだって。

 最初に孤児院を逃げ出そうとしたあのときだって、そうだった。


 ……ダメだ。


 もっと計画的に、もっと正確に、もっと堅実に。


 上手くいくかどうかわからない、上手くいかない可能性の方が高い、そんな賭けなんて絶対にしちゃいけない。


「おそらく、ですか」


 だが、ファルは深刻そうな顔でうなずきながらも、再び俺の顔を見上げて言った。


「それってつまり、大丈夫かもしれない可能性があるってことですよね?」

「だっ……」


 ダメだ。

 その言葉がすぐに出てこない。


 ……可能性。


 俺自身、それをアテにしようとしてしまっているのか。


 すべてが上手く行けば。

 そうすればこいつにもっとまともな世界を与えてやることができるかもしれない。


 俺もなにも失わずに済む。


 ……まさか。


 そんな都合のいい話が現実に起こりうるはずもない。


 この非情な世界は、いつでも希望を裏切るものだ。

 少なくとも、俺が知っている世界ではそうだった。


 だけど。

 もしかしたら。


 でも。

 きっと――


 ……考えがまとまらない。


 頭の中がグルグルと回って――


「……」


 そして最終的に導き出した結論。


「4ヶ月……だ」

「え?」


 不思議そうな顔のファル。


 それはあまりにも自分勝手な結論だったが、すでに出した言葉を引っ込めることなどできなくて。


「失敗すれば4ヶ月後、お前はきっとひどいところに行かされることになる。……おそらくお前が想像しているものよりもさらに劣悪な環境のところに、だ」


 そして俺は、現在の事情を正直に話した。


 俺が借金を抱えていること。

 とある理由で、今は仕事ができない状況であること。


 そしてこれ以上ここにいたら、ファルが4ヶ月後にはどこかに売り飛ばされてしまうということ。


 借金している相手がレベッカであることはあえて言わないことにした。


 こいつにとってのあいつはまだ、優しいお姉さんという存在だろうから。ギリギリまでそれを話す必要はないと判断した。


「4ヶ月……ですか」


 すべてを聞いて、ファルは少し緊張したような顔でうなずいた。


「はっきり言って、どうにかなる可能性は低い。それよりも今日、ここを出た方がお前にとっては何倍もいいはずだ」

「でも……」


 こんな状況にも関わらずファルは小さな笑顔を浮かべる。


「やっぱりカーライルさんは、私のことを考えてくれてたんですね」

「……それはどうでもいい」


 たぶん、俺の声は必要以上にぶっきらぼうだったかもしれない。


 わずかな罪悪感。


(違う……)


 こいつはやっぱり俺のことを過大評価している。


 本当にこいつのことを考えているなら、こんなことを言い出すべきではなかったのだ。問答無用でここから引っぱり出して、連れて行くべきだった。


 こんな賭けが成功するはずはないのだから。


「だから……俺はここに残ることはすすめない」


 責任逃れ。

 こいつにリスクを背負わせて、自分にとって都合のいい賭けに誘い込もうとしているのだ。


 だって……わかってる。


「そんなの――」


 こいつがどう答えるかなんて、最初からわかってる。


「決まってます。私、ここに残ります」


 どこにも絶望の色なんてない。

 ただ、自分の気持ちにまっすぐに進もうとしている。


 ……目をそらしたくなる。


「本当に、いいのか?」


 無意味な聞き返し。

 結局のところ、俺はそういう人間だということだ。


 そしてそんな俺の言葉に、こいつはやはり迷うことなく答える。


 強い意志をその言葉に込めて。


「だってこんな風にサヨナラしたら、絶対後悔します! だから……!」

「そうか」


 ツイてないヤツだ。


 こんな俺に出会って。

 俺の自己満足に付き合わされて。


 ……なにも疑わずに信じ切って。


(ホントにツイてないよ、お前は……)


 もう後戻りはできない。

 逃げ道はどこにもない。


 ただ、目標に向かってがむしゃらにやるしかなかった。


 俺が外道に堕ちるかどうかは、その結果次第。


「本当に……いいんだな?」


 4ヶ月の契約延長。


 その先にあるリスクはこいつにとって、とてつもなく大きいものだというのに。


 たぶん、それを理解していないわけじゃないのに。


「はい!」


 満面の笑顔を浮かべて。


「ふつつか者ですが、これからもよろしくお願いします!」


 弾んだ声で。

 ファルは深く、深く、頭を下げたのだった――


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。



― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ