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或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その4『二つの楔』
18/29

別れ方の流儀


「~……~~~……」


 町角に流れる、透き通るような歌声。


 演奏はない。


 それでも集まってきたわずか数名の聴衆は、ただ後ろに突っ立っているだけの不愛想な男にたまに奇異の視線を送りつつも、歌に聴き入っていた。


 もちろん『不愛想な男』は俺のこと。

 そして歌っているのはファルだ。


 開始10分ほどで、この場に留まっている客は今のところ6人。


「~……~……」


 生ぬるい風が流れていく。


 並木道の日陰に陣取ったためかそれほど暑くはないが、ファルの額にはうっすらと汗が滲んでいた。


 客がひとり去って、新たな客が2人やってくる。


 さらに10分。


 最初は緊張のためか声があまり出ていなかったが、少し慣れてきたのか、今は充分に伸びやかな声が出ている。



 客は10人。


 1曲終わるたびにパラパラと拍手が贈られ、演奏のない稚拙なコンサートにもかかわらず、客はいくらかの金を投げ込んでくれた。


 そのたびに顔を真っ赤にし、お礼を言いながらなんども礼を口にするファル。


 少し休み、俺が渡したタオルで汗を拭ってまた歌い出す。


 レパートリーはそれほど広くない。

 この前のコンサートで聞いた10曲ほどと、残りは誰もが知っているような子守歌、唱歌。


 たまに客から寄せられるリクエストには、ほぼ応えることができない。


 だから、正直なところ驚いている。

 こいつの歌に、これだけの人を惹き付ける力があるということに。


 もちろん人目につくこいつの外見や、俺との組み合わせの奇妙さに興味を引かれて、という連中もいるだろうが、それだけではないだろう。


 さらに10分。


 客は15人ほどに増えている。

 少しずつ入れ替わってるから、正確に何人いるのかはわからないが、大体それぐらいの人数だった。


『欲しいものがあるんです……』


 ファルはあの後そう言った。


 集まった金額は驚くほどのものじゃない。

 それでこいつの欲しい物が買えるのかどうか。それほど高い物を望んでいるとは思えないが、どうなのだろう。


 そして、


「……おい。そろそろヤメとけ」


 俺がそう言ったのは、歌い始めてから40分あまり経ったころだった。


 今は丁度6曲目を歌い終わったところ。


 1曲ごとにインターバルを挟んでいるが、しょせんは素人の体力だ。疲労の色は目に見えていたし、いくら日陰とはいえこの暑さでは体力の消耗も激しいだろう。


 だが、


「……もうお客さん、いなくなってしまいました?」


 汗をぬぐいながら、ファルは俺を見上げた。


「……」


 周りを見る。


 いなくなるどころか、ざっと数えて20人近い人間が次の曲を待っていた。


「いや」

「じゃあ、まだ頑張ります」

「……」


 疲労が色濃く浮かび上がっている。


 だが、そこにあった笑顔は明るく充実していて、どこか強い意志に彩られているようにも思えた。


「……あと2曲だ」


 結局、そんなこいつを止めることができず、そうやって制限するのが精一杯。


「時間も、そんなにあるわけじゃないからな」

「はい!」


 それでもファルは元気良くうなずいて。

 そして、次の歌を待ち続ける観客に向かい、再びゆっくりと歌を紡ぎだしていった。




 帰宅すると日は西に傾き始めていた。


 西向きに窓がついているこの部屋には、この時間もっとも多くの日光が射し込んでくる。


「はー……疲れました」


 ファルはそう言いながら、ベッドの上で着替え始めた。


「終わったら言えよ」

「あ、はい! 了解しました!」


 俺は無人のレベッカの部屋で、あいつが着替え終えるのを待っている。


 結局1時間ほども歌っていただろうか。


 最後には倒れるんじゃないかというほど汗だくになっていて、いくら暖かくなってきたとはいっても、そのままの格好でいられるはずもない。


 本当は風呂に連れていければいいのだが、今はあまり時間もないので、水を張った洗面器と手拭いを渡しておいた。


「あ」


 少し衣擦れの音がして、ふとそれがピタッと止まると、


「カーライルさん、のぞいたりしないでくださいねー」

「天地が逆さになってもありえんから心配するな」

「うわ。即答ですね」


 それからちょっと黙り込むと、


「……目が見えませんので、ちょっとぐらいのぞいてもたぶん気づかないですよ?」

「だからのぞかないっつーの」


 苦笑し、腕を組んだまま壁にもたれかかる。


 ……目を閉じると、先ほどの町角での光景がまぶたの裏に浮かんだ。


(歌、か)


 顔を真っ赤にしながら何度も頭を下げるファルと、拍手を送りながら金を投げ入れてくれた客。


 結局、どれほどの金額になっただろうか。


 数えずにすべて渡したので、正確なところはわからない。ただ、少なくともあいつが酒場で歌っていたころの日当の軽く数倍はあっただろう。


(……惜しい、な)


 もしも俺に金銭的な余裕があったなら。

 いや、それ以前にあいつの両親が健在で、もっとまともな環境で育っていたなら。


 そして、きちんとした人物に師事し、相応の練習を積んでいたなら。


 もしかしたら、と思う。


 それが素人目であることと、そこからさらにひいき目を差し引いたとしても。


 それでもあいつには、あの日見たコンサートのような大きな舞台が用意されていたかもしれない、と、そう思えて仕方がなかった。


(とことんツイてない奴だよ、お前は……)


 心からそう思った。


 他の誰にもないものをたくさん持っているのに。

 神様からたくさんの才能を与えられているのに。


 ただひとつ。

 人並みの環境だけが与えられなかったせいで、不幸な人生を歩むことになった。


 いや、これからも歩かされようとしている。


 あいつが今日から歩むであろう道も、おそらくあいつの持っている才能が活かされるようなことにはならない。


 俺なんかじゃなく、それなりの金を持っていて、もっと親身になってくれて、そしてその才能を活かす場所を提供してくれる、そんな奴と出会ってさえいれば。


 きっとあいつには輝かしい未来が待っていたはずだというのに。


 コツ、と。

 後頭部を軽く壁にぶつけて天井を見上げる。


「ふう……」


 自然とため息がもれた。


 俺はどうすれば良かったのだろう。

 どうすればこうならずに済んだのだろう。


 もっと早く、もっと必死に、あいつの落ち着き先を探してやれば良かったのか。


 それとも死んだあの男のように、無理してでも大金を手に入れるよう努力すべきだったのだろうか。


 ……いや。


 わかってる。

 答えは俺の中ですでに出ている。


 正解は『どうしようもなかった』だ。


 俺なんかにはどうすることもできなかった。

 おそらくはそれが正しい。


 たとえ最良の選択肢を選んだとしても、俺はあいつにふさわしい環境など与えてはやれなかっただろう。


 そりゃそうだ。

 俺自身がそういう状況から抜け出せない人間なんだから。


 だから――せめて。


「カーライルさーん! 終わりましたよー!」


 人並み以下であっても、今の俺に出来うる限りの環境をあいつに与えてやるつもりだ。


 ゆっくりと壁から離れ、部屋に戻る。


「ファル」

「はい?」


 終わったと言いながら、ファルはベッドの上に座って上着を着ている途中だった。


 構わず俺はテーブルのそばに腰を下ろすと、話を切り出すことにする。


「お前の落ち着き先が見つかった」

「……え?」


 ピタッと手が止まる。

 そして、ゆっくりと視線が動いて、


「落ち着き先、ですか?」


 上着が首の辺りに引っ掛かったまま、盲目の瞳が驚きの色を帯びてこちらに向けられた。


 これは、ほぼ予想通りの反応。

 俺は言葉を続けていく。


「急な話だが事情があってな。出発は今日、これからすぐだ」

「あ……え? えと……ま、待ってください!」


 ファルは当然のごとく戸惑った顔をして、引っ掛かっていた上着をきちんと着ると、少しだけ身を乗り出してくる。


「と、突然すぎます! それに……その、それってもう決まっちゃったんですか!?」

「……」

「その、他に選択肢とかは――!」

「ない」


 嘘だ。

 本当はもうひとつ別の選択肢がある。


 けど、それは言わない。

 言えばこいつは絶対にそちらを選ぶだろうから。


 そしてそれは、こいつにとって最悪の事態を招きかねない選択肢だ。


「で、でも……その!」


 ファルはグッと手元のシーツを握り締めて、


「私、まだ準備もできてませんし! それにレベッカさんにお別れも――」

「身支度のことなら必要はない。心の準備なら、今すぐに済ませればいい」

「そ、そんな……」

「時間がないんだ」


 いつもレベッカが帰ってくる時間まではあと1時間ほどあるが、早めに行動しておくに越したことはなかった。


「あ、あの、えっと……」


 と、ファルは口をもごもごさせながら、


「じゃ、じゃあ……これから行く場所というのは、ど、どういうところなんですか!?」

「……ああ」


 どうも話を引き延ばそうとしているようだ。

 その間にどうにか逃げ道を探そうというところか。


 とはいえ、こいつの思惑は別にしても、それについてはとりあえず答えておかなきゃならないか。


 そして俺は答えた。


「最初お前を連れていこうとしてた場所と、似たようなところだ」

「最初……?」

「ああ」


 昨晩あちこちを駆けずり回って、色々考えて、その結果浮かび上がってきたひとりの知人の顔。


 その人物とは以前、間接的にではあるが関わったことがあり、向こうも一応は俺のことを知っている。


 その人物は俺よりもだいぶ年上で、この世界で長く生き、そして俺のような小物ではなく本物の悪党だ。


 たくさんの裏稼業を持ち、たくさんの顧客を持っている。

 もちろん善人ではないし信用できる人間でもない。


 だが、『本物』であるがゆえに、価値があると考えればそれにふさわしい待遇を期待できるだろう。


 ファルには盲目という大きなハンデがあるものの、それを補って余りある大きな武器を持っている。


 あの酒場から連れ出したときとは違い、今の彼女はもう誰がどう見ても美少女といって差し支えのない容姿に成長していた。


 親馬鹿的な非難を恐れずに言えば、頭にもう少し強い形容詞を付けてやってもいい。


 今ならおそらく、彼女に対して金を積む人間はいくらでも見つかるに違いないだろう。


 ただ――


 仮に盲目のハンデも気にせず、その外見に価値が認められ、それにふさわしい待遇を受けられたとしても。


 その行き先はおそらく、こいつの人間としての意志や尊厳や自由が無視される場所である可能性が高い。


(それで……いいんだな?)


 自問する。


 そうなれば生きていくこと自体は難しくなくなる。上手くいけば気に入られて、こいつ自身が体験したこともないような贅沢な暮らしすら出来るようになるかもしれない。


 その点でいえば、これ以上ない環境だ。


 少なくとも、レベッカの手によっていずこともわからない場所に売り飛ばされてしまうよりは。


 ただ、それはあくまで『人並み以下』。

 決して恵まれたものではない。


 失うものも、もちろんある。


 その代償として失うものは、こいつにとってどれほどの価値を持つのだろうか?


 取るに足らない、少しの慣れで手放してしまえるほどのものか。


 あるいは――


(……けど、どっちにしても同じことだ)


 もう片方の選択肢とて、ただの延命に過ぎない。


 4ヶ月。

 たったの4ヶ月を生き長らえるだけ。


 そして、その先に待っているのはおそらく、それ以上の苦痛と困難だ。


 それなら。

 それならせめて――


「俺は最初から言っていたはずだ。お前の面倒を見るのは一時的なことだと」


 ためらいの表情を見せるファルに、俺は続けてそう言った。


 たぶん、ことさらに冷たく。

 自分でも違和感を覚えるほどに事務的な口調で。


「そ、そうですけど……それにしても突然すぎます……」


 ベッド上での沈んだ表情には、まだ困惑が同居しているように見えた。


(……突然、か。その通りだな)


 だが、それは仕方のないことだった。


 こんなことにさえならなければ、もっと時間をかけて彼女にふさわしい環境を――


(時間をかけて、か)


 自嘲する。


 俺はまだそんなことを考えてしまうのか。

 その甘えた考えこそが、今のこの状況を招いてしまったというのに。


 ……時間を確認。


(そろそろリミットだな)


 レベッカの奴が何を考えているのかはわからない。

 だからこそ、今はあいつに余計な口を挟まれたくなかった。


「カーライルさん……」


 ファルは今にも泣き出しそうだ。


 その表情のまま、それでも一生懸命に考えを巡らせているかのように見える。


 おそらくは、なんとかこの場所に留まろうとして。


「さあ……」


 手を伸ばす。


 余計なことを考えさせないように。

 考えれば考えるほど、悲しくなってくるだろうから。


「……」


 ファルは動かない。


 顔は伏せたまま。

 おそらくは、最後の抵抗。


(そう、だよな)


 やはりというか。

 まあ、わかっていたことではある。


 無責任で。

 無計画で。


 そんなんで後くされのない綺麗な別れを演出しようだなんて、それこそ虫が良すぎる。


 最初から、わかっていたことだ。

 わかっていたから、ためらうこともない。


「……いい加減にしろ」


 時間的にもそんなに余裕はない。

 あとはただ、突き放すだけだ。


 そういうのは慣れている。


「なにを勘違いしているのか知らんが、お前には選択権なんてハナからないんだ」

「っ……!」


 ハッとして向けられた瞳が悲しそうに歪む。


 他人を拒絶することは、俺の得意技だ。


「モタモタするな」


 グッとファルの腕をつかみ、強引に引っ張る。


「あ……痛っ……」

「……」


 思わず力を緩めそうになったが、すぐに思い直して無理矢理立ち上がらせる。


 そのまま有無を言わさず手を引いた。


「あっ……」


 もつれたようになりながらも、足は俺についてくる。


 ……別に、難しいことじゃない。


「カーライルさん……」


 声が気になるのなら耳をふさげばいい。

 表情が気になるのなら目をふさげばいい。


 そもそも俺は、今までずっとそうやって生きてきたじゃないか。


 なにも見なければいいのだ。

 見なかったことにすればいい。


 こいつのことだって――。


「今朝も言っただろ。俺はトラブルのない生活が一番好きなんだ」

「……」

「お前は俺にとってトラブルそのものだ」


 これは本心。


「これ以上、お前の面倒を見るのなんてゴメンだからな」


 これはいつからか本心じゃなくなった。


「お前を養っていくのだって楽じゃない」

「お前は俺にとって疫病神みたいなもんだ」

「お前は――」

「……」


 ピタッ、と。

 急にファルの足が止まった。


 玄関で、ちょうど俺がドアノブに手をかけたところで。


「……おい」


 少し強めに引っ張る。

 だが、動かない。


「……」


 ファルは小さな体で、懸命にそこに留まろうとしていた。


「おい!」


 少し強めの声を出す。


 が、やはりファルはそこから動こうとしないまま。

 ゆっくりとつぶやく。


「……おかしいです」


 そう言った。


「それ、おかしいですよ……」


 顔を上げて。

 泣いているのかと思えばそうでもない。


 ――いつか見た。


「なにが、おかしい……?」


 動揺が胸を襲う。

 あの夜と同じ。


 悲しそうな顔をしながらも、ファルの盲目の瞳には強い意志の光が宿っていたのだった。


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