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或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その3『せつない恋人たちの子守唄』
12/29

芽生える才能


 それから数日後。

 

 仕事帰りにひと眠りした後、少し町の方を散策してみようかと思い、俺は昼を少し過ぎたぐらいに家を出た。


 数日前に降った雪は思った通りすぐに溶け、道端に微かにその名残を残す程度。

 町には本格的な春の風が訪れており、これぐらいの気温ならあいつを連れて歩くのにもちょうど良いかもしれない。


(しかし、目が見えないんじゃどこに行ってもイマイチだな……)


 俺が元々娯楽に疎いこともあって、行き先はなかなか決まらなかった。


 パッと思いつくサーカスだとか演劇だとかってのは、やはり目が見えないとあまり意味がない。雰囲気だけを感じ取れというのも酷な話だろう。


 と、そんなところへ。


「ん?」


 町を散策していて、ふと足を止める。


「……なんだ?」


 どこからか、メロディが流れていた。

 それに合わせて聞こえるのは、


(歌、だな……)


 興味を引かれてその方角へと足を向ける。


 閑散とした通りの中を少し歩くと、5、6人の見物客に囲まれ、楽器を手にした40歳過ぎの男と、歌を口ずさんでいる少年がいた。


 どこか顔立ちが似ている。

 親子だろうか。


(流し、か)


 少年の歌はなかなかのレベルにあり、これなら金を取れてもおかしくない。


 特に興味があったわけではなかったが、一曲終わるまでそこで待った。


 その間にもひとり、ふたりと客が集まってくる。


「〜」


 気持ちよさそうに声を張り上げる少年と、その隣に足を組んで座り楽器を演奏する男。


 どこか聞き覚えのあるメロディが通り過ぎていく。


 俺は特に歌に強い興味を持っているわけではないが、それでも聴くのが嫌いなわけじゃない。

 だから、少年の歌は俺にとってもそれなりに心地よいものだった。


 やがて演奏が終わる。


 親子が一礼し、客が拍手して用意されたケースに金を投げ入れ始めた。俺も丁度ポケットに入っていたわずかな小銭を投げ入れて、その場に背を向ける。


 しばらくして、次の曲が背中に聞こえてきた。


(いいかもしれないな)


 少しずつ遠くなっていくそれを耳の端にとらえながら、俺は名案を思いついていた。


 思い出すのは、あの村でファルに出会ったときのこと。


 あいつに目を止めたきっかけ。

 容姿の端正さもさることながら、俺は最初、あいつの歌に魅力を覚えたのだった。


 興味があるのなら、歌を聴かせに行ってみるのがいいかもしれない。それなら目が見えないことは関係ないし、あいつにとってもいい刺激になるだろう。


(近い内に連れてくか)


 町の中心にいけばちょっとしたコンサートを聴く場所ぐらいはある。詳しいことは俺もわからないが、それはレベッカに聞いてみればいい。


 そして俺は足を自宅へと向ける。

 行き先が決まった以上、これ以上町中を歩き回る理由もなかった。


 と、その帰り道の途中。


「お。よう、カールじゃねーか」


 町のメインストリートから外れ、路地に入ったところで、道の先から見覚えのある人物が近付いてきた。


 雪が溶けたとはいえ、まだ風はわずかに冷たさをはらんでいる。そんな中を、袖がない薄い服とボロいベストだけで歩いているひげ面の男。


「見てるだけで寒いぞ、お前」

「なに言ってやがる。若いくせにだらしねーな」


 そう言って笑うそいつは、以前ファルがさらわれたレイビーズとの一件で協力してくれたうちのひとりだ。


 少しオヤジくさい外見から想像できる通り、俺よりもひと回り以上は年上。おそらく40歳近いと思うのだが、正確な年齢は知らない。


 ここにいる、いわゆる『微妙に太陽の下を堂々と歩けない』連中ってのは、ガキのころからこっちの世界に足を踏み入れてる奴が多いのだが、このおっさんは珍しく30歳過ぎまで堅気の生活を送っていたらしい。


 詳しい事情は知らないが、その時代に2年ほど牢屋に入っていたこともあるようで、この辺りに住むようになったのはそれ以降のことだそうだ。


 それ以前は普通に結婚して子供までいたという話だが、もちろんそんなところまで本人に確認したことはないし、大して興味もない。


 俺にとってのこいつは『可愛い女の子が大好きな腕っ節の強いオヤジ』といったところでしかなかった。


「で? おめえんとこの……あー、例の娘は元気にやってるのか?」

「今まで通りさ」


 可愛い女の子が大好き、といったが、どうやらファルのことも例外ではないらしく、こいつは俺の顔を見る度にあいつの様子を聞いてくる。


 どうやらよほどのお気に入りらしいが、未だに名前すら覚えていないところが実にこいつらしいところだ。


 場所柄、こういう風に興味を持ってくる奴は敬遠し、注意しなければならないのだが、こいつの場合はあまりそういう心配がない。


 こいつの可愛い女の子好きは、どちらかというと赤ん坊や愛玩動物に対するそれに近いのだ。


「そうか。そりゃ良かった」


 俺の言葉を聞いて、本当に楽しそうに笑った。


「……」


 もし子供がいたという話が本当なら、こいつはきっと親馬鹿だったんだろうな、と思う。


 それはまったく無駄で無意味な想像ではあったが。


「そういや、お前」


 ふと、俺は思い出して尋ねた。


「最近、そこそこデカイ仕事が入ったらしいって聞いたが本当か?」

「おっと」


 俺の言葉にニヤッと笑う。


「レベッカの嬢ちゃんから聞いたのか? 相変わらず情報が早えな」

「お前の動向なんて、情報ってほどたいそうなもんじゃねえだろ」


 言ってやる。


 実際、それはレベッカから世間話のように出てきた話だ。

 それがあいつにとっての『情報』なら、タダで手に入るはずもない。


「言えてんな」


 否定せずにやはり笑い声を上げる。


 どうやら今日はいつにも増して上機嫌のようだった。

 いい仕事が入ったからなのか、あるいは他の理由があるのか。


 まあ最近はファルの影響か、俺と話すときはいつでも上機嫌なのだが。


「せいぜい気を付けてくれよ」


 俺はいつものように、そう言った。


 仕事の内容までは知らないが、デカイ仕事ってことは相応に危険な仕事でもあるはずだ。


「気が付いたら牢屋にぶち込まれてたなんてことがないようにな」

「んなヘマしねえよ」


 向こうもいつものようにそんな返事をして、ふと思い出したように、


「ああ。そういやおめえ、あの娘の引取先ってのは見つかりそうなのか?」

「いや、全然だな。……心当たりがあるのか?」


 少し期待して返す俺に、小さく首を横に振って、


「いんや。ただ、なんだ。何なら俺が引き取ってやろうか、と思ってよ」

「冗談だろ」


 落胆をため息にして吐き出す。

 が、向こうは意外にも真面目な顔で、


「この仕事が上手くいきゃ俺も結構余裕が出るしな。別に引き取るってんじゃなくても、しばらく面倒見てやってもいいぞ」

「……本気か?」


 意図が読めない。


 こう言っちゃなんだが、その日を生きるのに精一杯な俺たちにとってあいつを引き取ることには何の利益もない。


 レイビーズのようにどこかに売り飛ばすだとか、あるいは自分の女として囲いたいってんなら話は別だが、こいつにそんな意図があるとは思えなかった。


「ま、こんな話をおめえにするのもアレなんだけどな」


 そう前置きすると、


「おめえも俺の昔は少しぐらい聞いたことあるだろ。俺の娘がちょうど、あの子と同じぐらいでな」

「身代わりにしたいってことか?」

「ま、簡単に言やあ、そういうことだ。それに俺もそろそろ、ひとりきりで意地張って生きてくのが寂しい歳にもなってきたしな」

「……ふぅん」


 赤の他人を自分の娘に見立てて一緒に暮らしたい。


 容易には理解できない感情だったが、それは俺が実際に子を持ったことがないためなのだろうか。


「おめえがあの娘の引取先を見つけるまででもかまわねえ。ちょっと真面目に考えといてくれよ」


 表情はウソをついている風ではなかった。


 元々ここに住む人間にしては嘘をつくのが下手な奴だ。俺のこいつに対する認識が大幅に違ってでもいない限り、それはおそらく本心だと思っていいだろう。


(ファルをこいつに、か)


 確かにそれが叶うなら、俺の負担はだいぶ軽くなる。


 あいつに費やしている食費や生活費はもとより、今よりももっと自由に家を空けられるようになるし、行動力が増せばあいつの引取先を見つけられる確率も増える。


 考える余地は充分にありそうだった。

 が、


(自分の責任を肩代わりしてもらうってのもな……)


 利害が一致しているとはいえ、それはあまり気分のいいことではなく、たくさんの利を考慮に入れた上でも受け入れにくいことではある。


 色々考えた末、


「ま、それなりに考えておく」


 結局、そう答えた。

 それはどちらかといえば消極的な方の返答だったし、もちろん向こうもそのことには気付いただろうが、


「おう。ま、頼むわ」


 言って、すれ違いざまにポンッと軽く肩を叩いてくる。


 真剣な表情だった割に、実質断られた言葉にもあっさりしているのは、それを予測していたからだろうか。


(考える余地は、あったんだがな)


 俺にとっては、効率と益を優先するか、ポリシーを優先するかの差でしかなかったわけで。


(……娘、か)


 離れていく背中をなんとなしに見送る。

 あいつはもしかすると、元々ひとりで生きていくことに向いてない人種なのかもしれなかった。


 あるいは。

 俺も一度家族を持ったりすれば、そういう風になるのだろうか。


 想像できなかった。


 今はひとりになることに淋しさなどは感じないし、ファルにしろレベッカにしろ、いなくなったらなったで特にどうとも思わない。


(ま、考える必要のないことか……)


 どっちにしても俺には一生縁のなさそうなことだ、と結論づけ、俺も自宅へと足を向けることにした。


 嫌な予感なんて、別にしなかった。




 俺がファルを連れてコンサートにやってきたのは、それから2日後のこと。


「カーライルさんと遠出するのは初めてですよね。ちょっとドキドキします」


 天気は快晴。


 もちろんそれも今日という日を選んだ理由のひとつで。

 厚手の上着はもう必要なく、肌着の上に長袖を羽織るぐらいで充分に歩ける気温だった。


 町の中心に出ると、さすがに人が多い。

 冬の間、少し影を潜めていた活気が戻ってきている。


 そんな中を、ファルの手を引いてゆっくり歩いた。


 歩幅は俺の方が圧倒的に広く、少し気を遣ってやらないと後ろですぐに小走りになってしまう。


 それでもこいつの表情は終始明るく、


「えっと……その、こういうのは、デートっていうんですよね、確か!」

「……」


 パッ、と手を離す。


「わっ! カ、カーライルさんっ!」


 慌てて手を泳がすファル。

 少し間を置いて再び手を差し出してやると、すぐにそれをがっしりとつかんで、


「きゅ……急に手をっ……は、離さないで……!」


 ちょっと涙目になっていた。

 俺は冷ややかに、


「それが嫌なら、くだらんことを言うんじゃない」

「うぅ、カーライルさん、冷たいです……」


 わけのわからんことを言って、ファルは上目遣いに俺を見た。


「わ、私はただ、他の人からしたらそーいう風にも見えるのかな、と思っただけで……」

「ガキのお守りをしてるようにしか見えねえだろ」

「……くすん」


 ヘコんだ。


(やれやれ)


 でもまあ、確かに。


 数ヶ月前ならともかく、今のこいつならそういう風に見えなくもないだろう。手を引いてやってるから、事情を知らない他人にしてみればなおのこと。


 ただ、赤の他人からどう見られようと別に気にはしないのだが、そういう傾向がこれ以上進むのは勘弁してほしいところだ。


 そもそも今回は、こいつのそういうところを少しでも直せればという目的で連れ出したのだから。


「確か……こっちか」


 レベッカに勧められたコンサート会場へ向かう。


 あいつが言うには、今そのコンサート会場には有名な歌姫が来ているらしかった。名前を聞いても俺は知らなかったのだが、他の連中に裏をとってみると、確かに有名な人物らしい。


 チケットも手に入れてやると言うし、その値段も相応で、それならと思いレベッカに頼んだわけである。


(……しかし)


 頭の中でこの町のマップを広げてみた俺は、少し疑問を感じていた。


(この先にあるコンサート会場なんて思い浮かばないな)


 興味がないので記憶も曖昧だが、少なくとも俺の知っているどの会場とも違う方向だ。


 あるとすれば、この町でも最も大きな中央のコンサートホールだが、そこは俺があいつに支払ったチケット代程度で入れるような場所じゃない。


 ――はずだった。


「到着したんですか?」


 その前で足を止めた俺を、ファルが不思議そうな顔で見上げてきた。

「……多分、な」


 とりあえずそう答えて、そのコンサート会場の前にある看板とチケットを交互に見つめる。


 間違いなさそうだった。


(レベッカの奴、どんなルートを使いやがったんだ)


 だが、確かに。

 この会場で歌うぐらいなら有名な歌姫で当然だった。


(……外出用の服を買っといて正解だったな)


 ファルに着せているのは数日前に買ってやったばかりの、ちょっとだけ質の良いものだ。


 ここに来るような連中の着ているものよりははるかに下だろうが、それでもパッと見で浮いてしまうようなことはないだろう。


 そして俺たちは中に入った。


「はー……」


 雰囲気を察したのだろう。

 ファルが物珍しそうに周りを見回している。


「キョロキョロするんじゃない」


 注目されるのも嫌だったので、すぐに止めさせる。


(……というか、見えないんだから意味ないだろ)


 あまり座ったこともないような上等な座席に腰掛け、時間を待つ。ステージはそれほど派手な造りでなくとも、どこか上品な雰囲気がただよっており、天井はとてつもなく高い。


 俺だって、生まれてこの方体験したことのない場所だった。


(何を考えてやがるんだ、レベッカの奴……)


 ますますわからなくなってくる。


 さっきも言ったように、俺があいつに支払った金額はとてもこんなところで歌を聴けるような金額じゃない。


 どんなルートで手に入れたチケットなのかは知らないが、売ろうと思えばもっと高く転売できるはずだし、事実上あいつがいくらか自腹を切ったようなものだ。


 気まぐれにしても有り得ないことだし、他の目的があるとも思えなかった。


(あいつがそこまでいれ込んでるとは思えんが……)


 チラッと隣のファルを見る。


 確かに一見、こいつとレベッカは非常に仲が良いように見える。だが、レベッカに関していえば、おそらくそれは表面上だけのことで。


 あいつはそういうところをきっちり割り切っている奴だ。

 まあ、俺の知らない何らかの事情があって、それでこいつに本気でいれ込んでいる可能性も否定はできないが――


(ま、それならそれで、俺には関係のないことか)


 会場内の明かりが徐々に暗くなっていった。


「そろそろ始まるようだな」

「は、はい。わ、私は準備オッケーです」


 ファルは両手を胸の前で組んで、緊張した面持ちだ。

 もちろん、こういうところで他人の歌を聴くのも初めてのことだろう。


(さて、どう出ることやら)


 すべての明かりが落ちて。

 スポットライトがステージ上を照らした。


 演奏が始まって。

 そして、歌が始まる。


 それから俺たちはお互いに一言もしゃべることなく、ステージ上に釘付けになった。




 その帰り道。


「〜」


 町の中央を走る大通りを俺に手を引かれて歩きながら、ファルはずっと鼻歌を歌っていた。


「よほど気に入ったらしいな」

「はい!」


 満面の笑顔で俺を見上げる。


「あんなに素晴らしい歌を聴いたのは初めてで!」


 そう言ったファルの言葉は、未だ興奮覚めやらぬといった様子だった。


「途中、泣いてたぐらいだもんな」

「そ、それは……」


 恥ずかしそうに顔を伏せる。


「その、あまりに切ない歌でしたので、つい」

「別に悪かないが」


 思った通り、感受性は高いらしい。

 そして俺は、そんなこいつに少し驚かされていた。


 何に驚いたかというと――


「お前、あの歌は初めて聴いたんだよな?」

「あ、はい。もちろんです」

「……なるほど」


 すべて初めて聴く曲。


「〜」


 再び流れる鼻歌。


 初めて聞いた歌であるにも関わらず、こいつはそれを一度聴いただけで、おそらくほとんど間違うことなく覚えているようだった。


 俺はそのことに少し興味を覚え、足を止めて、


「おい、ファル」

「はい?」

「鼻歌じゃなくて、ちゃんと歌ってみたらどうだ?」

「え……」


 ファルはびっくりした顔をすると、すぐに恥ずかしそうに顔を伏せて、


「で、ですが、あの後に私なんかの歌を聴いたら、せっかくの余韻が台無しになって――」

「気にしないから、歌ってみろ」


 有無を言わさぬ口調でそう言うと、ファルはちょっと困ったような顔をしながらもうなずいて、


「え、えっと、それでは……どの歌がよろしいでしょうか?」

「お前が一番気に入った奴でいい」


 俺がそう答えると、ファルはあまり考えることもなく、


「じゃ、じゃあ、六曲目の」

「ああ、それでいい」


 何曲目がどの曲だったかなんて覚えちゃいないが、それはどうやらこいつが泣きながら聴いていた曲のようだ。


「で、では……いきます」


 意味があるのか知らないが目を閉じて。

 そして少し緊張した面持ち。


 空白の時間が流れて、そして、ゆっくりとその口が開く。


「……あ、あの、ホントに歌いますよ」

「いいから早くしろ」

「は、はい」


 必要以上に緊張していた。


 再び、心を落ち着かせるように深呼吸し、そして指先で自分の太股辺りをリズム良く叩き始める。


 そして今度こそ、ファルは歌い始めた。


「……〜……〜〜」


 ゆったりとしたリズムの、静かな曲。

 演奏はなかったが、原曲を聞いたばかりということもあって、俺の頭の中にもそれが蘇ってくる。


 歌詞の内容から察するに、悲恋モノ。お互いに愛し合っていながら、誤解とすれ違いが重なり続けて離れ離れになってしまったせつない恋人たちの歌、という感じか。


 まあこの世の中に溢れてる恋愛歌ってのはその大半が悲恋物だし、その方が大衆の心を捕らえるのだろう。


 ただ、この歌の場合は極大解釈すれば、恋愛に関わらず人間関係そのものの難しさを歌っているともいえるかもしれない。


 しかし、それはともかくとして。


(……驚いたな)


 その事実に言葉も出ない。


 やはりこいつはすべて覚えていたのだ。

 歌詞すらも、おそらくは一語一句間違わずに。


 先ほどのコンサートでやったのは、10曲前後。

 しかもこいつはそのすべてが初めて聞く曲だという。


 記憶力。音感。他にも色々な要素があるとは思うが、ともかく、こいつは歌うことに関してはとんでもない能力を持っているのかもしれない。


(少し声量が足りない気もするが、それは練習次第として)


 それに声と表現力。


 俺は素人だから詳しいことはわからないが、あの酒場で初めてこいつの歌を聞いたとき思わず聞き入ってしまったことを考えると、そういったものも高いレベルにあると思っていいんじゃないかと思う。


(歌、か……)


「〜〜〜」


 一番気に入ったというだけあって、感情の入り方もかなりのものだ。いつの間にか声も大きくなり、完全に自分の世界に入ってしまっている。


 気が付くと、俺たちの周りには数人の見物人が集まっていた。止めるかどうか迷ったが、結局そのまま歌わせておくことに。


「〜……〜〜……」


 最後に余韻を残すメロディで、歌が終わる。

 途端、


 パチパチパチパチ。


 周りに集まっていた数人のギャラリーから送られる拍手。と同時に、俺たちの足下にはいくつかの硬貨が投げ込まれ、チャリンチャリンと音を立てた。


「……え?」


 状況がつかめず、ファルはびっくりした顔をする。


「あ、あの、カーライルさん……?」

「お前の歌に対する、報酬だとさ」


 戸惑うファルに代わって落ちた硬貨を拾い上げ、それを手に握らせてやった。


 それほどの額ではない。が、楽器もなしにいきなり路上で歌い出し、それに対して聞き手が金を出そうとしただけでも大したものだろう。


「え? え?」


 それでもまだ状況がつかめてないらしい。

 キョロキョロと辺りを見回してアタフタしている。


 パチパチパチパチ。

 まだ続いている拍手。


「あ、あのっ」


 それでようやく状況を把握したのか、ファルが慌てたように頭を下げた。


「あ、ありがとうございますっ!」


 その顔は真っ赤だ。

 一際、拍手が大きくなって、止む。そうして見物人たちは少しずつ離れていった。


 中には次の曲を期待しているのか、まだその場に留まる奴もいたが、ギャラリーがいるとわかってはこいつもさっきのように歌えはしないだろう。


「じゃ、行くぞ」

「は……」


 まだ真っ赤な顔をしているファルの手をつかむ。


「はい……」


 夢でも見ているかのような表情だった。


 以前にも歌で報酬を得ていたことがあるとはいえ、ここまでの賞賛を浴びたことはきっと初めてなのだろう。


「はー……」


 その帰り、ファルはずっと嬉しそうなため息ばかりついていた。




 家に帰ってからのこと。


「あのー……カーライルさん?」


 ファルが少し困った顔をしながら寄ってきた。


「なんだ?」


 仕事へ向かう準備をしながら、言葉を返す。


「大したことじゃないなら後にしろよ」


 今日は客との待ち合わせが早い時間に入っていて、あまり時間がなかった。


「あ、いえ、その」


 ポケットをゴソゴソやって、何やら取り出すと、


「あの、私、浮かれててすっかり忘れるところでした。……これ」

「ん?」


 見ると、手の平に乗っているのは、昼間こいつが路上で歌って手に入れた金だった。


「少しでも生活費の足しにしていただければ」

「ああ、そんなことか」


 上着を着て、色々と必要なものを内ポケットにしまい込む。それを上からポン、と叩いて、ベッドから立ち上がった。


「それはお前が稼いだ金だ。お前が使えばいい」

「え――で、でも私はこうしてカーライルさんに養っていただいているわけですし……」

「何度言わせる気だ?」


 ゆっくりと歩み寄って、ぐっと顔を近付ける。


「お前の面倒を見るのは俺の義務だ。それに対してお前が何か貢献する必要は全くない」

「で、ですが!」

「その話は終わりだ」


 反論しようとするファルに、俺は有無を言わさずにきびすを返す。


「そいつはお前が自由に使え。使わないのなら貯めておけ。いつか役に立つこともある」

「う……」


 それ以上の反論はない。

 ただ、どこか不満そうだった。


 と、思ったら、


「……あ」


 急に何やら思いついたような顔をして、


「あのっ、これ、私の自由に使っていいんですよね?」

「ああ」


 何度言わせるつもりだと思ったが、どうやら何か違うことを思いついたらしい。


 さらに念を押すように、


「じゃあじゃあ、何に使っても怒らないですか?」

「そう言ってるだろ」


 面倒くさそうに答えると、それでもファルはパッと顔を輝かせて、


「了解しました!」


 何故か笑顔で敬礼してみせた。


「?」


 いまいち意図がつかめなかったが、まあ、こいつが稼いだ金だ。何に使おうが俺が文句を言う筋合いはない。


「じゃあ行ってくる。……レベッカ! あと頼む!」

「あーい」


 部屋から相変わらずの返事が戻ってくる。


「行ってらっしゃいませー」


 それに続くファルの声に送られて俺は家を出た。

 出る直前、あいつが妙に嬉々としてレベッカに声をかけていたのが、気になるといえば気になったが。


(ま、なんでもいいさ……)


 とにかくこれで、あいつが多少なりとも視野を広げてくれればそれでいい。


 事態が少しでも好転することを願いながら。

 俺はこの日も仕事へと向かったのだった。


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