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或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その3『せつない恋人たちの子守唄』
11/29

小さな恋心


「それじゃ、お預かりします」


 封筒を受け取った飛脚屋の男が馬車へと乗り込んだ。


「頼む」


 その馬車の中にはたくさんの荷物が積まれ、ここから1ヵ月ほども離れた町へと向かう。

 俺の出した手紙は、その町のとある診療所に宛てたものだ。


 足を帰路に向けたところで、空から湿った雪がチラチラと落ちてきた。


「今日は冷えるな……」


 ファルに少し歩み寄ろうと決めたあの日から約3ヶ月が経ち、もっとも寒い時期が過ぎ去ってこうして雪を見ることも珍しくなりかけてきたころ。


 未だ、あいつの落ち着き先は見つかる気配がなかった。


 やはり盲目というのがハンデになってまともな仕事はなかなか見つからないし、あの年齢では孤児院というわけにもいかない。


 個人的にもその場所にはあまりいい印象がなかった。


 だから、あいつはまだ我が家にいる。


「ふぅ」


 うっすらと白くなった細い道をたどりながら、今しがた受け取ったばかりの手紙を裏返してみる。


 差出人は書いてない。

 が、もちろん俺はそれが誰からのものか知っていた。


「カール」


 我が家の前まで戻ると、それに気づいたらしいレベッカがちょうど中から出てくるところだった。 


「ちょっと出かける。君が仕事に行くころには戻っていると思うが」

「ああ。いつも悪いな」


 相変わらずレベッカには留守中のことを頼んでいて、2人揃って家を空けることがないようにしている。


 もちろん、こいつの方にどうしようもない理由があるときには、仕事を休んででも俺が家にいるようにしていた。


 いい加減、それについての報酬を払ってやらなきゃならないな、ということも考えているのだが、レベッカの奴が言うには、


『そっちの方は出世払いで構わない』


 とのことだ。


 余裕のない俺にとってはありがたい。


「じゃ――ああ」


 いったん離れかけて、レベッカは俺が手にしているものに気付いたようだった。


「送金したのか」

「ああ」


 こいつもそれの正体が何であるか知っている。


 本来プライベートのことはあまり話さない主義だが、仕事仲間であるとともに、俺の抱える借金の債権者でもあるこいつには話さなくてはならないことだった。


「悪いな。いつかの報酬ももう少し待ってくれ」

「とりあえずはいいよ。今のところは私も少し余裕があるしね。踏み倒さない限り、多少は待つ」


 素っ気なくそれだけを言って、レベッカは去っていった。


 その背中に素直に感謝の言葉を心の中でつぶやき、それから家の中へと。


「おかえりなさい、カーライルさん!」


 話し声で俺が戻ってきたことに気付いていたのだろう。

 扉を開けた途端、目の前にファルの姿があった。


「ああ」


 それも特に珍しいことではなく。


「上着、お預かりします!」


 最近のブームなのか、まるで使用人気取りだった。


 特に拒否する理由もなかったので任せると、すっかり家の構造を把握しているファルは俺の上着を脱がし、迷うことなくそれを掛けに行く。


 その後、まるで目が見えるかのようにしっかりした足取りで俺の後ろをついてきて、


「少し遅いですけど、お昼はどうしましょうか?」

「ああ……食べるかな」


 太陽は頂点から西側に傾きかけていた。


 今日は朝方に仕事から帰り、そのまま昼まで寝て、それから用を足しに出かけていた。だから腹は減っている。


「そうですか!」


 ファルはパッと顔を輝かせると、ニコニコしながらテーブルにつく。


「サンドイッチ作ったんです。もしかしたらカーライルさんも食べるかなと思って、私も食べないでおいたんです。一緒に食べませんか?」

「……」


 こいつの思惑通りになったのは不本意だが、腹が減っているのは確かなので仕方ない。


 向かいに腰掛けて、皿の上のサンドイッチに手を伸ばすと、もう片方の手で手紙の封を切った。


「……?」


 そんな俺の行動に気付いたのだろう。

 ファルは見えないくせにこちらをのぞき込むような仕草をして、


「えっと。うーん。紙を破るような音でしたけど……」

「ああ。手紙の封を切った」

「へえ、お手紙ですかー」


 興味しんしんといった表情。


「どなたからなんです?」

「ああ……」


 答えるべきかどうか一瞬迷ったが、このぐらいは教えてやってもいいだろう、と、そう思い、


「弟からだ」


 答えて、手紙の内容に目を通す。


 中身は、特に代わり映えのしないものだった。

 診療所での生活、最近の体調、毎月の送金に対する礼、それと最後に『会いたいから訪ねてきてくれ』といういつもの言葉。


 ひとまず変わらないようで一安心。


 ふうっ、と息を吐いて、手紙を折り畳む。


「弟さんがいらっしゃったんですか?」


 読み終わったのを察してか、ファルがさらに尋ねてきた。


「ああ。双子の弟がな」


 一緒に産まれ、一緒に暮らし、一緒に捨てられ、一緒に苦労した弟。


 一卵性でないためか、顔はそれほど似てもいなかったし、俺と違って体も弱い。その上、小さいころの苦労がたたって、今は寝たきりに近い状態で診療所の世話になっていた。


 もう10年以上も前になる。

 回復の気配はなかったが、今のところ命を落とす危険もそれほどない、そんな状態が続いているようだった。


「それはぜひお会いしてみたいです」


 ファルはそう言ったが、それほど強い要求ではなかった。


 手紙をやり取りするところから遠くにいることはわかっているんだろうし、あまり無理は言えないと自分で判断したのだろう。


 2つ目のサンドイッチを手に取り、気づかれないように横目でチラッとファルを見る。


 3ヶ月。

 あっという間に過ぎ去ったその時間はおそらく、こいつの人生からしてみればそれほど長い時間でもないだろう。


 にもかかわらず。


 この3ヶ月でこいつの身体は明らかに成長していた。

 背も伸びているのが目に見えてわかるし、体つきも間違いなく女っぽくなってきている。


 食生活が少しはまともになって、荒れ放題だった肌や痩せぎすだった体が健康になってきたから、ということもあるのだろうが、おそらくそれだけではない。


(……完全に見誤っていたな)


 この急激な変化は、遅れていた成長分を今になって取り戻し始めているということなのだろう。


 初めて会ったときは確かに10歳程度に見えた容姿は、今、改めて見るとそれより2つ3つは年長に思えた。


 まだもう少し急激な変化が続くと仮定すると、実際の年齢はさらに上、下手をすれば14、5歳ぐらいだと思った方がいいのかもしれない。 


 こんなんじゃ、そのうち嫁のもらい手を探した方が早くなってしまう。


 とはいえ。


「そういえばですね。今日、レベッカさんにお聞きしたのですけど……」


 言って、ファルはふーむと腕を組む。


「雪って、雪女さんが空をスーッと通り過ぎるときに降らせているのだそうですよ。私、今まで知りませんでした」

「……」

「雪女さんってメルヘンの中の人かと思ってたんですけど、本当にいたんですねー。いったいどんな感じの人なんでしょうか。私も一緒に空を飛んでみたいです」

「だまされてるぞ、お前」


 見てのとおり、中身はあんまり変わっていなかった。




 レベッカは言葉通り夕方に戻ってきた。


「あ、レベッカさん。おかえりなさーい」


 物音に素早くファルが反応する。


 最近はドアを開ける音だけで俺かレベッカか、あるいはその他の人間なのか判別することができるらしい。


「ただいま」


 レベッカはいつものように素っ気なく答えると、俺の部屋を素通りして自分の部屋へと進んでいく。


 そんな彼女に、俺はなにげなく声を掛けた。


「今日は仕事だったのか?」

「……」


 レベッカは少しだけ怪訝そうな顔で振り返った。


「なんだよ」

「いや」


 言って、レベッカはチラッとファルの方を見る。

 そして、すぐ俺に視線を戻すと、


「君がそういうこと詮索するの、あまりなかったと思ってね」

「……嫌ならもう聞かないが」

「別に」


 相変わらず、何も考えてなさそうな表情で、


「君と違って、詮索されるのが嫌いだったりしないよ、私は」

「よく言う」


 詮索されることで機嫌を損ねたりというわかりやすい反応は確かにないが、それに対して答えることもしない。


 こいつはそういう奴だ。

 実際、今だってすんなりと質問をかわしている。


「仕事だよ」


 いや、答えた。


 それはつまり、こいつにとって答えることに何の支障もない質問だったか、あるいは平気な顔をして嘘をついているかのどちらかだ。


 そしてレベッカは部屋の入り口で足を止めたまま、少し考えると、


「彼女の影響かな。君がそういうこと聞くようになったのは」

「別に変わったつもりはないが」


 そう言ってから、ふと考え直した。


「……いや、そうでもないか」


 確かに以前は、仕事帰りのこいつにわざわざ声をかけるようなことはなかった。


 といっても、それは俺が変わったということではなく、前はこうやってこいつが帰ってくる時間に部屋でのんびりしていることがなかったからだ。


 大抵は寝ているか、あるいは外に出ているかのどちらかで。


 ファルが来たことによって、こういう状況が生まれたという意味なら、確かにその影響と言っていいのかもしれない。


「あのー……」


 と、そんな俺たちの会話にファルがおずおずといった様子で片手をあげ会話に割り込んでくる。


「カーライルさんに影響を与えた彼女さん、ってどういった方なのでしょう? あの……もしかしてカーライルさんの恋人さんだったりするのでしょうか?」


 そして相変わらずのボケっぷり。


「全然違う」


 説明するのも馬鹿らしい。というか、こいつのこういう類の反応にいちいち答えを返していたら、あっという間にストレスで押しつぶされてしまう。


 故に、いちいち答える気にはなれない。


「ファルは最近、顔立ちが女っぽくなったな」


 いきなり話題を変えるレベッカ。


「え? あ、その。私、男の子だったことは、多分ないと思うのですが」


 多分じゃない。


「大人っぽくなったってこと」


 そんなボケに、いつもはスルーのレベッカが珍しく律儀に説明した。


「はあ。なるほど」


 納得顔のファルは小さく首をひねって、


「でも私、鏡を見ることができないので、そういうのはよくわからないのです。ですから、大人になったかどうかはまるで実感ないですねー」

「そう?」


 言って、レベッカは正座するファルの全身を下から上まで眺め回すと、


「顔立ち以外にも、色々と成長してるはずだけど」

「……わぁ! レ、レベッカさん! そ、そーいうことは、できればカーライルさんのおられないところで――!」


 慌てた様子でブンブンと手を振る。


「……」


 別にそんなことを聞いたところで何を感じるわけでもないのだが、こいつの中ではそういうものでもないらしい。


「そんなの気にしなくていいんじゃ」


 と、レベッカが珍しく俺の心を代弁してくれた。


「カールだって聞きたがってるんだから、聞かせてやればいいのに」

「おい待て」


 訂正。まったく代弁していない。


「そ、そーなんですか?」


 頬をうっすらと赤く染めて上目遣いのファル。


「んなわけあるか」


 ガキじゃあるまいし、そんなことにいちいち反応するはずもなく。


 ついでに付け加えておいた。


「言っとくけど俺は女にそこまで興味ないし、お前みたいなお子様はもっと眼中にないから」

「う……」


 ちょっと落ち込んだ表情のファル。


(言い方が悪かったか?)


 なんて一瞬思ったが、ファルはすぐに立ち直った様子で顔を上げると、


「あの……カーライルさんにとってそのお子様というのは、具体的にどの辺りまでなのでしょう?」

「具体的に?」

「たとえば、ですね」


 と、ファルは少し考えて、


「その、レベッカさんはすでにそこから抜けてるわけですよね」

「まあ……」

「というか年上だし」


 俺の曖昧な返答にレベッカが付け加える。


「あ、そーだったんですか?」


 どうやら初耳らしいファル。


「実際どうだかは知らんがな」

「年上」


 お互い実年齢は知らないくせに、レベッカは妙に自信満々で言い張る。

 そんなに優位に立っていたいのだろうか、こいつは。


 そこへファルが急に思い出したように言った。


「そういえば私、カーライルさんもレベッカさんも、どのぐらいのお年なのか全然知らないのでした……」

「だろうな」


 目が見えないのだから声で判断するしかない。


 とはいえ、俺もレベッカも――まあレベッカの奴はちょっと特徴的な声だからわからんが、それほど老けた声はしていないはずだ。


「もしかしてカーライルさん、40歳過ぎのおじさんだったりしますか?」


 おそるおそるといった様子で聞いてくる。


「その、若い方にしてはこう、結構落ち着いた感じもありますし、口調はお若いですけど、もしかしたら若作りを――」

「アホか、お前。俺が40歳過ぎならレベッカの奴はそれ以上のおばさんってことだぞ」

「はっ。そういえばそうでした……」


 気付いて、自分の馬鹿さかげんにしゅんとする。

 そこへレベッカも追い打ちを。


「私、まだ18歳だけど」

「ええっ!?」

「カールは16歳」

「えええっ! ホントですかっ!」

「……」


 ホント、だまされやすい奴だ。


「と、ということは、実は私とそんなに……」

「おまえ、まただまされてるぞ」


 俺はため息とともにそう言うと、


「正確な歳は自分でも知らんがな。俺はおそらく22歳とか23歳とかそんなもんだ」

「そして私は18歳」


 またまた引っかき回すレベッカ。


「貴様はさっき俺より年上だっつったろーが」

「18歳だけど、精神的には年上ということで」


 カチン。


「なんだそりゃ。つまり俺の精神年齢が低いって言いたいのか?」

「つまらんことですぐに怒るのは餓鬼の証拠」

「ぐ……」


 一撃で反論を封じられてしまった。


「?」


 そんな俺たちのやり取りに、ファルが混乱し始める。


「え、えーと、つまり、カーライルさんが22歳ぐらいで、レベッカさんは18歳だけどカーライルさんより年上なのですね」

「つまりも何も、致命的な矛盾があるぞ、それ」

「そ、それはどーでもよいのです」


 どーでもいいらしい。


「つまり、私がお聞きしたいのは、あと何年経てば私はお子様の枠から抜けられるのでしょうかということで……」

「ふーん。なるほど」


 レベッカが意味ありげにつぶやくと、ファルは急にアタフタし始めて、


「あ! あ、いえ、別にだからどーだというわけでもなくてですね! ただ、参考までにということで――」


 こいつが何を考えているのかは、もちろん俺にもわかっている。


「そうだな。年齢でいえば大体17歳以上ぐらいかな」


 素直に答えてやった。


「な、なるほどー……ということは、えっと多分、あと2、3年ぐらい……」


 指を折って何事か数えているファルに、俺はもう一言。


「2年後には19歳以上だ」

「は……?」


 きょとんとした顔。


「3年後には20歳以上だな」

「そ、それはつまり、1年ごとに1歳ずつ増えていくということですか?」

「そりゃそうだろ。俺だって歳を取っていくんだから、好みの女性の年齢だって上がっていくさ」


 必ずしもそういうものではないだろうが、この場はそう答えておいた方が良さそうだった。


「そ、そんな! それは……その、横着すぎますっ!」

「お前、多分言葉を選び間違えてると思うぞ」


 もしかして横暴と言いたかったのか?


「うう……」


 突っ込まれていつものようにヘコむファル。

 こうして見ているとなかなかに面白い奴だった。


 とはいえ。


(……こういうのは、ちょっとな)


 そう思う。


 最近、こいつはこうして、何かにつけて俺に気があるかのような素振りを見せることが多くなってきた。本人は隠しているつもりなのかもしれないが、その態度はかなりあからさまだ。


 まあそれに関しては、おそらく依存心を恋愛感情と勘違いしているのだろうし、そういうことに憧れる年ごろでもある。


 だから、それはひとまずいいにしても。


 俺が困るのは、


「大丈夫大丈夫。口ではああ言ってるけど、カールはなんだかんだ幼女でもイケるクチだから」

「そういう冗談はやめろッ!」


 こうやってレベッカにからかわれることで、溜めなくてもいいストレスを溜めてしまうということだ。


 もともと、酒以外にストレスの発散方法を持たない俺としては、これはなかなかに深刻な問題であった。


「さ、さすがに幼女ではないと、自分では思ってたりするのですが……」


 苦笑いのファル。


「……」


 つい最近までそのぐらいの年齢だと思っていたことは黙っておこう。


(……たまには外にでも連れていくべきかもな)


 ふと、そんなことを思った。


 こいつをここに連れてきてから約4ヶ月弱。


 ひとりでの外出を禁じている上、俺がずっと仕事で忙しかったから、こいつは風呂に行く以外ほとんど外に出ていない。


 ただでさえあんな村で乞食同然の生活をしていて、世間のことをあまり知らないのは明らかだし、これからどうなるにしろ、少しはそういうことをわからせるべきなのかもしれない。


 それで視野が広くなれば、こいつの一面的な見方も少しは改善されることだろう。


(問題はどこに連れて行くか、か)


 それは考えてみてもすぐには思いつかなかった。

 が、まあ、別に今日明日の話ってわけでもなし、それについてはゆっくり考えることにしよう。


 そんなことを考えつつ、俺はこの日もそのまま仕事に出かけたのだった。


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