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或る小悪党の苦悩  作者: 黒雨みつき
その1『不幸のはじまり』
1/29

ファーストコンタクト


 ガラガラガラガラ……


 馬車がレンガ道の上をやかましい音を立てて走っていく。


 初秋の風が涼やかに人の波を縫うようにして吹き抜け、空では薄雲の隙間から太陽がその顔をのぞかせていた。


 道行く人々は楽しそうな笑い声を上げ、子供は両親に手を引かれながら、道ばたの露店を指さして何事かねだっている。


 にぎやかな喧騒。


 25年ほど前、剣と血と軍馬のいななきが遺していった爪あとも今は昔の話。この時期、町のメインストリートはいつもこんな感じだった。


 うだるような暑さはすっかり影をひそめ、町の人々もどこか嬉しそうに通りを行き交う。


 人が行き交うから、商売人たちも商売に精を出す。

 にぎわう。


 その光景はまるで、この世のすべてが幸せの固まりで出来ているんじゃないかと錯覚してしまうほどの、そんな明るさと前向きさに満ちあふれていた。


 ……が、それはあくまで錯覚でしかない。


 なぜかって?


 それは少なくともここにひとり、不幸に捕らわれてしまった人間がいるからだ。




(冗談じゃねぇぞ、ったく)


 あれ、ちょっとおかしいぞ、という感じはあった。

 脳裏にちらついた大金の気配に事を急ぎすぎてしまったという面も確かにある。


 ただ、前者は少なくともその時点においてはささいな違和感に過ぎなかったし、後者についてはその機会を逃すと大魚を逃してしまう可能性が高かったのだから、必ずしも判断ミスだったとは言い切れない。


 となれば、俺がおちいっているこの状況はまさに運が悪かった、つまり不幸だったということに他ならないだろう。


 秋風は冷たい。

 それはきっと、この俺が貧乏だからだ。

 だってほら、道行く奴らは誰も彼もが暖かそうだろう?


 そう。俺は貧乏なのだ。

 まあそれは今に始まったことじゃないし、言っても仕方ないのだが――


 あぁ、なんか支離滅裂になってきた。

 これ以上は愚痴しか出てこないだろうし、ひとまず自己紹介といこうか。


 俺の名はカーライル。

 ファミリーネームはない。


 歳は今のところ20歳そこそこで通しているが正確なところは俺にもわからない。

 俺の生活範囲において正確な年齢を必要とされることなんてまずなかったし、それで困るようなこともなかった。


 背は高いほうだが町中を歩いていて目立つほどではない。

 体はやや細身。これは意図してその体型をキープしているわけじゃなく、食事が質素なのと毎日体をそこそこに動かしているためだ。


 ルックスは……自分でどうこういうのもなんなのでノーコメントとしておこう。

 仕事仲間が言うには、怒ってなくても怒ってそう、怒らせるとさらに恐ろしい見た目になる、らしい。


 女に不自由したことはないが、これはモテるという意味じゃなく、女にウツツを抜かしていられるような身分じゃないってのが正しい。

 そんなものに情熱を傾けるヒマがあったら金策に走っている。


 女よりは圧倒的に金。

 それは断言しておこう。


 金策――そう、職業か。


 これは答えるのが非常に難しいところだが、最も適切な言葉で答えておこう。


 ズバリ『小悪党』だ。


 ……なんだそれは、って?


 何も深読みする必要はない。

 法律スレスレ、中には完全にアウトなヤツもたくさん混じってるが、そんなようなことをして糊口をしのいでいる、つまりは俗に言う小悪党ってヤツなんだから。


 もう少しだけ具体的に言うと、この見た目を活かして少し乱暴な借金の取り立てとか脅迫の片棒を担いでみたり、ご禁制のちょっと危ない薬の売り子をしたり。


 その他に人身売買の斡旋なんてのもたまにやるが、これは最近取り締まりが厳しくなってきているから本当に条件がいいときにしか手を出さない。


 ……ヤなことを思い出しちまった。


 自己紹介はこんなもんでいいだろう。

 で、次に説明しなきゃならないのは、要するに俺がどうして不幸なのかってことだ。


 先に断っておくと、貧乏イコール不幸、なんてことを主張したいわけじゃない。


 さっきも言ったように貧乏なのは今に始まったことじゃないし、そもそも裕福だったことなんて一度もないから、貧乏であること自体はそれほど不幸であると感じない。


 事の始まりは、そう。

 人身売買の斡旋。


 滅多にやらないその仕事が久々に舞い込んできたことから始まった。


 斡旋といっても俺は『小』悪党だから、人さらいとかそういう大胆なことはやらない。


 俺がやるのは孤児院やそれに類する施設、その他、身寄りのない子供が出そうなところを歩き回って、依頼主の希望に沿った商品を見つけてくるだけだ。


 条件の合う子供が見つかったらあとは簡単。

 まったくの家無しなら適当な甘い言葉で釣り上げてやればいいし、孤児院や施設にいるのならちょっといい服を着て、適当に身分証明を偽造して言うだけだ。


『ナントカ家の者ですが、主人がどうしてもそちらの子供を引き取りたいとおっしゃっておりまして』


 なんて。

 言葉はそのときによって様々だが、設定は毎回ほとんど同じ。


 要するに小金持ちぐらいの子供のいない老夫婦が、孤児を自分の子供として引き取りたいと言っていて、自分はそこから使いで来た者だ、と。


 そんな簡単にと思うかもしれないが、これが驚くほど簡単だった。


 戦争からの復興が進んできたといいながらも、孤児院だのなんだのってのは経済的に余裕のないところがほとんどで、基本的に子供がどこかに引き取られていくことを喜ぶ。


 ついでに言うと、そういった施設の大半はよほどきちんとしたところじゃない限り、相手のことをしっかり調べる余裕なんてありはしない。


 だから、多少乱雑な身分証明でもすんなり通ってしまう。もちろんこっちも最初からそういう施設ばかりをターゲットにしている。


 で。

 今回の依頼主の注文はこんな感じだった。


『10歳から14歳ぐらいまでの、健康で容姿の整った娘』


 依頼主は40代でまだ独身の、この界隈ではちょっと有名な男。


 バルバ=フラックマンという。


 ただ、有名といっても権力者だとかそういった類のもんじゃない。


 それなりに財のある男であることは確かだが、そいつが有名なのはそういう意味じゃなく、彼は男としてあまり好ましくない十字架を背負わされた、悲劇の人物なのだ。


 ……あー、ちょっとカッコ良すぎるか。


 ぶっちゃけた話、ロリータコンプレックス、略してロリコンなのだ、そいつは。


 そんな男の依頼だから連れてこられる娘の行く末も知れたものだが、それは俺の考えることじゃない。


 この世知辛い世の中、孤児なんてのは早いタイミングで自立するか引取先が見つかるかしなきゃ、どこからともなく闇の手が伸びてきて、男だったら労働力として死ぬまで家畜のように働かされるし、女だったら大抵は娼楼、あるいはそれ以下の地獄へ消えていくことになる。


 それに比べたら多少はマシってもんだろう。


 ……まあ、そのバルバって男は結構飽きっぽい性格で、何人もそういう娘を拾ったり捨てたりしてるらしいが、それは本人の努力次第だ。

 せいぜい頑張って飽きられないようにするしかない。


 とにかく。


 俺が言いたいのは、俺にはそんな見も知らぬ他人の行く末を気に掛けてやるほどの余裕はなく、その仕事の報酬が俺のかすかな罪悪感などあっさりと打ち消してしまうほど高額なものだったってこと。


 もちろん、俺は血眼になって条件に合う娘を探した。


 何度も言うように俺は貧乏だから、出し惜しみできる労力などこれっぽっちも持ち合わせていない。いつでも全力で仕事に取り組むし、そうしなければやっていけない。


 さて、依頼人の言う『容姿の整った娘』だが。

 これがなかなかに難しい注文だった。


 何しろ具体的な指定があるわけでなし、つまりは選ぶ人間の感性に任せるってことになるのだろうが、当然、俺の選んだ奴を向こうが気に入らないことだって有り得る。


 そのことでいちゃもんを付けてきて報酬をケチられる可能性もあるし、俺以外の同業者にも打診しているだろうから、せっかく苦労して連れて行っても気に入らないといって門前払いされる可能性もある。


 選ばれれば信用度アップで報酬ウハウハ、選ばれなければ信用度ダウンの上にしょぼい必要経費だけが支払われて終わりだ。


 この界隈、そういう話が広がるのは結構早く、信用が落ちると他の仕事にもいくらか支障が出てくる。


 だから俺も慎重に選んだ。

 そりゃもう、誰が見ても文句のない娘を探そう、と。


 難航したことは言うまでもない。


 この世の中、孤児や浮浪児なんて別に珍しくもないが、整っている容姿の娘なんてそう多くはないだろうし、そういう娘はそれだけで価値があるわけで、早いうちに他の連中に取られてしまっている。


 だから、ある程度の運と、あとはとにかく足で稼がないとそうそう出逢えるもんじゃないのだ。


 普段ネグラにしている町から離れ、色々な場所を回った。

 幸い、そのための時間と必要な金は事前にそれなりに与えられていた。


 そして……そう。


 現在、俺が陥っている不幸の元凶であるところの『そいつ』に出会ってしまったのは、仕事の期限が迫りつつあったころ、その道中で立ち寄った村でのことだった。


 以下、回想。






 村に入った途端、陰気な匂いが鼻をついた。


 都からは大きく離れ、周りには人の集まるようなスポットもなく、訪れるのは盗賊か、あるいは俺のようなワケありの旅人ぐらいのもんじゃないかというような、そんな寂れた村だった。


 田舎だから、というだけじゃない。この空気の元凶は村のあちこちから流れてくる荒廃感だ。


 道端では真っ赤な顔をした男がいびきを立てている。

 手には酒のビン。

 たまにシラフの人間が歩いているかと思えば、死んだ魚のような目をした老人。


 子供の姿なんてどこにも見えやしない。


 おそらくここは、何度も賊の脅威にさらされた場所なのだろう。それが村を荒廃させ、ロクでもないならず者たちを引き寄せる。


 若者たちは村を捨て、残った老人たちは気力を失い、抜け殻のようにただ生きている。


 別に珍しいわけじゃない。

 俺は他にいくつもこういった場所を見てきたし、それに対して感傷的になれるほど世間知らずでもなかった。


 とにかく俺は、ここに一晩の宿を取れさえすればそれで良かったのだ。


 夜の酒場はにぎわっていた。


 といっても、この村の現状を考えれば想像もつく。そこはガラの悪い男たちのたまり場で、奴らが毎晩ドンチャン騒ぎするための場所に過ぎない。


 が、それでも金を払えば酒は出てくるし、ひとりで黙って酒を呑むだけなら運が悪くない限りトラブルになったりすることはない。


 何より、一向に進展する気配のない仕事に俺も若干の安らぎを求めていたし、そして残念ながら、今、俺の心を癒してくれそうなのは酒しかなかったのだ。


「あいよ」


 やはりどこか陰気くさいオヤジが麦酒のジョッキを持ってくる。


 俺は無言でそれを受け取ると、立ち去るオヤジの背中を一瞥してからそれに口をつけた。


「! ……!」


 周りは相変わらず騒々しい。


 聞こうとしなくとも耳に入ってくるのは、下品な笑い声と、旅人から金品を強奪しただの、近くの村から女をさらってきただのの、悪事自慢ばかり。


 誇張されたものがほとんどだろうが、おそらくは事実も混じっている。

 そんな奴らの集まりだ。


 ……思うことは特にない。


 そりゃ悪党なりのポリシーもルールも持たず、そんなことを自慢している奴らに不快感を禁じ得ないことは確かだが、俺だって奴らと同じ穴のムジナだ。


 それを自慢するかしないかの違いに過ぎないし、それで迷惑をこうむる奴らにしてみればどちらだって同じこと。


 1杯目の麦酒を飲み干して、すぐに追加をオーダーする。


 今日は3杯までと決めていた。それ以上は明日の行動にも支障が出るし、金銭的にも余裕はない。


 2杯目は少しペースを落とした。

 と同時に、別に興味もなかったが、周りに少し視線を向けてみる。


 俺の座るカウンター席の奥では、相変わらず陰気そうなオヤジが緩慢な動作で洗い物をしている。

 カウンターに座っているのは俺だけで、店の中にはあと数人の客。


 テーブル席で騒いでいるのは五人組の、見るからにならず者という雰囲気の男たち。

 俺がいることを除けば、ほとんど奴らの貸し切りと言ってもいい状態だった。


 他に人影はない。


 ……いや。


 俺の視線は店の中のある一点で止まる。


 壁際にポツンと置かれた椅子。

 そこにもうひとりいた。


(……なんだ?)


 服と呼ぶのに若干のためらいを覚えてしまうボロを身にまとい、薄黒く汚れた顔とボサボサに伸びきった髪。


 あまりのみすぼらしさに性別すらも一瞬わからなかったが、よく見てみるとどうやら女の子のようだ。


 10歳を過ぎたぐらいの年頃だろうか。

 手には鈴をいくつか束ねたものを握りしめていて、それだけがまるで借り物のように綺麗――いや、それだけがまともだった。


 この村の荒廃した雰囲気にはピッタリの少女だが、酒場であることを考えれば場違いでもある。

 座っている粗末な椅子とその位置を考えれば客ではないし、動かないところを見ると給仕ってわけでもない。


 店に来た男どもを惹き付ける役にしては――無いともいえないがさすがに幼すぎるし、いくらなんでもあんな汚い格好はしていないだろう。


 いずれにしても、店の関係者だとすれば何らかの役目を与えられているはずだ。


 少し興味を持って見つめていると、ふと視線がこちらを向く。


「……」


 こちらを見たというより、たまたま視線がこちらを向いたというほうが正しいか。

 少女は俺に対して特別な反応を見せることはなく、少し困ったようにキョロキョロとしていた。


 やがて、店のオヤジが俺の視線に気付いたらしい。

 コン、コンと壁を叩いて、


「ファル」


 少女に合図をした。

 どうやらそれが少女の名前らしい。


「あ、は、はい!」


 おどおどした印象の少女は弾かれたように顔を上げ、オヤジの方を見る。


 その声は年相応の幼さを残していたが、意外にも暗いイメージの少ない、透き通った声だった。


「えっと……い、いいんですか?」


 ならず者どもの大声に掻き消されそうな声で、少女はオヤジになんらかのうかがいを立てている。


「……」


 オヤジは何も答えずに再び洗い物を始めたが、それが肯定であることを少女は知っているのだろう。


 大きく深呼吸をして、それから自分を落ち着かせるように二度、三度、胸の辺りをポンポンと叩いた。


 シャン。


 手にした鈴の束が音を立てる。


 シャン……シャン……


 それが規則的なリズムを刻む。

 相変わらず男どもの声はうるさいが、集中すればそれほど気にはならない。


(なるほど)


 そこまで来て、俺はようやく少女の役目を悟った。

 鈴の音は演奏というにはあまりにも貧相だが、ないよりはマシだろう。


 問題は、おそらく少女がこれからやるであろう『歌』の方だ。


(さて……)


 常識的に考えると、こんな場所でまともな歌が聴けるとは思えなかった。


 それでも俺がほんのわずかにでも興味を引かれたのは、先ほど少し聞いただけの、少女の透き通るような声があったから。


 あの声ならもしかしたら、と思えたのだ。


 シャン……シャン……


 そして、鈴の音が十数回目のリズムを刻んだ後。

 少女はゆっくりとその口を開く。


 ――掃き溜めのような酒場にいた、ボロ雑巾のような少女。


 これが、俺と『そいつ』との最初の出会いだった。


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