恋の病に効く薬
〇お題「お菓子」の短編です。
出先で仕事を終えて職場に戻るすがら、私は懐かしい場所を通りがかった。
実家が引っ越す前、このあたりで暮らしており、この先にある小学校に通っていた。
学校からの帰り道、時折、妙なものを売るおじさんがいたものだ。
飛ばすと光る円盤。
授業より分かりやすいと銘打った計算教材。
大人になった今は、鼻で笑ってしまうような商品の数々。
でも、あの頃は――
◇ ◇ ◇
私の初恋は、小学校五年生。
同じクラスにいた足の速い男の子。
あの頃の私は、自分に全く自信が持てなくて、好きなくせに視線さえ合わないように避けていたように思う。
その男の子が好きだと、他の誰に知られるのも、嫌だった。
『恋がかなうペンダント』
『両想いになれる香水』
雑誌の広告には、好きな相手を振り向かせるというアイテムがよく載っていたものだった。
欲しかったけれど、手は出さなかった。
手が届かない額ではなかったが、通販だと、私が家に居ない間に届くかもしれない。
お母さんに見つかったりしたら、何を言われるか分からない。
無駄遣いにとても厳しい家だったのだ。
バレンタインデーの前日。
いつもの小学校からの帰り道。
道の端に商品を広げた、年嵩のおじさんがいたのだ。
「効き目ばっちり、恋を叶える薬なんだ。お菓子とかに混ぜて、好きな子に食べさせてごらん。そこで目と目が合えば、叶わぬ思いが通じるのさ」
おじさんが示した小さな透明な袋には、恋に効く薬らしく薄いピンク色の粉が入っていた。
何人かの女の子が買おうかどうか迷っているようだった。
値段は、三百円。
それくらいなら、私の手持ちでも買えるはずだ。
でも、私は興味などないフリをして、その場を通り過ぎた。
だって、そんなの、片思いの人がいるって白状しているようなものだと思ったから。
家に帰ってランドセルを置くと、私は財布を取り出して手持ちのお小遣いを数えた。
――うん、九百円あるね。
私の記憶に間違いはなかった。
でも、明日のバレンタインデー、義理チョコを作っておかないとだから。
私はお小遣いを握って、スーパーに手作りセットを買いに出かけた。
スーパーは小学校を挟んで反対側にあった。
その道中でさっきのおじさんが、まだいるのを見てしまった。
おじさんは、広げていた商品を鞄に詰め込んでいるところだった
周りには、誰もいなかった。
つい、魔が差したのか。
私はそちらに足を向けていた。
「もう店仕舞いだよ」
「……買いたいの。欲しい」
「恋の薬?」
おじさんは、しょうがないねえともったいぶりながらも仕舞いこんだうちの一つを摘まみ出した。
私は財布から三百円ちょうどを取り出して、その袋をひったくるように受け取ると、逃げるように家に引き返したのだ。
イケナイことをした感覚はあった。
でも、それ以上に昂揚感が私の身を包んでいた。
家に着いてから、手作りセットを買い忘れたことに気づいて、もう一度、家を出たのだった。
とにかく、明日はバレンタインデー。
一時間で終えるからと、私は姉と母を追い出して台所を占領した。
大きなボウルに熱湯を注ぎ、そこに小さなボウルを浮かべて、細かく刻んだチョコを放り込んだ。
右へぐるぐる。
左へぐるぐる。
木べらで念入りに溶かして潰していく。
滑らかになってきたら、バターを入れて、溶かしながら掻き混ぜる。
良く混ざったら、今度は生クリームを投入だ。
つやつやになったチョコの元は見ているだけでウキウキしてくる。
ポケットから、さっきおじさんから買った桃色の粉を取り出した。
――本当に効くのかな?
一瞬、疑問に感じたが、ここまで来て躊躇うのも莫迦莫迦しい気がした。
袋に縁をもどかしくも引きちぎると、中身を全部ボウルにぶちまけた。
あとは型に入れて冷ませば、完成。
――型はどうしよう。
ハート型は、さすがに露骨。
丸にしようか。
でも、それって、義理チョコみたい。
やっぱりハートで。
ドキドキする。
チョコの元を型に流し込みながら、明日のことを夢想してしまう。
明日、あの男の子にこれを渡す。
食いしん坊だし、きっと、すぐに食べる。
私と、目と目が合う。
そうして、私を好きになるのだ。
そうしたら、一緒に帰ったり……まだ早いかな。
そのうち、手なんか、繋いじゃったりして。
「えへへ」
自分でも気持ち悪いくらい、顔が緩むのが分かった。
これから何もかも上手くいく気に感じられて、世界が思い通りになった気がしたのだ。
バレンタイン当日の朝。
意気揚々と学校に向かおうとする私を、姉が呼び止めたのだ。
「なに?」
姉の表情がいつになく厳しかった。
私は嫌な予感がした。
「あんた、まさか惚れ薬入れたそのお菓子、誰かに食べさせるつもり?」
図星を刺された私の心臓が、跳ねた。
「し、知らないよ」
姉は逃げようとした私の胸ぐらを掴んだ。
「どんな成分なの?」
「え?」
「どのくらいで効き始めるの?」
「……食べて、目が合ったら」
「見つめ合わないと、効かないの?」
「そう言ってたもん」
「誰が?」
「おじさん……」
姉はため息をついた。
そして私を居間まで引っ張り戻すと、水屋の引き出しから取り出した箱を、私の胸へ突きつけた。
「注意書きを、読みな」
それはよくある市販の風邪薬だった。
「……何?」
姉の勢いに、声が震えるのを止められなかった。
「成分。用量。効能。副作用。注意事項。薬を売るってのは、そういうものよ」
「でも、これは――」
つい、言い訳してしまう。
これは、違うのだと。
「その惚れ薬には、これが書いてあるの?」
「……」
袋は捨ててしまった。
だが、透明で、薬の名前さえ書いてなかった。
おじさんが、恋の薬と言っていただけだ。
「それが毒だったら、どうするの?」
「毒じゃないよ!」
それでも、言い返してしまう。
何の根拠もありはしないのに。
「なんで毒じゃないって言い切れるの。成分もわかんないんでしょう?」
「……」
「仮に毒見して、あんたが平気だったとして、じゃあ相手はどう?」
姉が風邪薬の箱を指で叩いた。
「アレルギーって、知ってるわよね。薬にだって注意書きがある。食べ物だって、アレルギーがある人にしたら、毒と変わんないんだよ」
私の喉が、不意に恐怖で詰まった。
そんなこと、考えもしなかったのだ。
「知らなかった、じゃ済まないよ。誰かに食べさせるつもりなんでしょ?」
「放っておいてよ!」
「そのお菓子、渡しなさい」
私はチョコを背中へ隠して、姉に抵抗した。
「嫌!」
力では姉に敵わない私は、隙を見てテーブルの下に籠城したのだった。
「……あんたのやろうとしていることってさ」
姉の声が一段と低くなった。
「栄養剤だって嘘ついて、覚せい剤を使わせるのと、何が違うのさ」
「違う!」
「何が?」
「だって、私は好きだから!」
「でも相手は、あんたを好きじゃないんだろ?」
姉の容赦ない言葉に、私は顔面を殴られた気がした。
「だから薬を飲ませて、言うこと聞かせたいんだろ?」
「違うもん!」
私は姉に恋を叶えるはずだったチョコの袋を投げつけた。
そして、泣きながら家を飛び出したのだった。
◇ ◇ ◇
「好きな人が、あなたしか見えなくなるよ」
聞き覚えのある文言に、私は足を止めた。
そこには小学生くらいの女の子がいて、傍にいる老人から小さな袋を受け取ろうとしているところだった。
その袋の中には、桃色の粉が入っているのが見えた。
私は二人の元につかつかと歩みよって、女の子をかばうように体を割り込ませた。
「取引される前に、少し、お話を聞かせてもらえますか?」
「……何だよ」
その老人は、不機嫌そうに私にあっちへ行けと手を振ったのだった。
「今、この子に何て説明しました?」
「あんたには、関係ないだろ」
「効能をうたって販売してましたよね。薬機法って、ご存じですか?」
老人の顔が引きつった。
「販売の許可は? 資格、お持ちですよね?」
私は胸ポケットから警察手帳を取り出して、その老人に見せつけた。
老人は袋を私の顔面に投げつけると、反対方向へ走って逃げたのだ。
――証拠がない今、無理に追うこともないだろう。
私は署の地域課に顛末の連絡を入れて注意喚起を促すと、私は女の子に振り返った。
その女の子は、震えて俯いていた。
「あなた、好きな人、いるのかな?」
小さく頷くと、その子の目から涙が零れ落ちた。
「その人に、好きになってほしいのかな?」
「でも、だって……私になんて」
「だからって、それを薬に頼ってしまったら、どういうことになるのかしら?」
私は落ちている桃色の袋を回収した。
「あなたの好きな誰かは、モノじゃないの。その人が誰を好きになるかは、その人が決めることなの」
ずっと昔に、姉から逃げた自分に説教しているような錯覚を覚えた。
「その意味を、ちゃんと考えて」
昔から言うではないか。
――お医者様でも、草津の湯でも
恋の病に効く薬など、ありはしないのだ。
《終わり》
お菓子がテーマなのに、どうみても惚れ薬がテーマになってしまいました。
昔、子どもの頃に見た漫画では、時々出てきた惚れ薬。
その存在の信ぴょう性はともかく、『人の意思を無視して操る』ことに変わりはなく。
『恋の呪い』とやらで、『髪の毛』『唾など体液』『爪など体の一部』を食べ物に混入するの。
マジで止めてくださいね。




