【短編】悪の帝王の姉に生まれてしまったので、せめて優しく殺されたい。
※最後に若干アレな描写があります。
私ことライラ・ブラッドレーは、後々、悪の帝王として世界を恐怖で満たし、暗黒の時代を築いてしまう男の姉に産まれてしまった。
どうして知っているかというと、私には「ある物語」の記憶がある。
この世界には預言者という存在もいるけれど、それよりももっと明確に。具体的に。
これから先の未来を知っている。
『大魔法使いアリシアの冒険』
前世で大好きだった本だ。
天涯孤独の少女アリシアが、相棒の精霊猫と出会って魔法を覚醒させて、やがて国一番の大魔法使いとなるまでの物語。
そのなかで、同じく天涯孤独で世界一の魔力を持ったアスランという青年がいる。
彼は圧倒的な魔力とその悪魔的な美貌で人々を従わせ、従わないものは殺していった。自分の家族でさえも。
やがてアリシアとアスランは対立し、最後は世界樹の力を借りてアスランを倒し、世界は平和になる。
――の、アスランさんの姉です。
本当にありがとうございました。
齢7歳にして、人生詰んだ。
未来で彼がすることはハッキリ言ってえげつなくて、卑劣で、残忍だ。
髪の毛一筋ほどの同情の余地もない。
私は大層な人間ではないし、世界のためなんて、そんな壮大なスケールで考えてもピンとこない。
そもそも物語の世界だし。
ただ、アスランの姉の存在が物語では二、三行でしか語られていなかったことから、たぶん私は死ぬ。
いやぜったいぜったい死ぬ。
というか殺された説すらある。
弟に。
(死にたくないし、せめて死ぬならやさしく殺して……!)
そんな多大な打算でもって、弟と仲良く……までは無理かもしれないけど、せめて好感度は上げておきたい。
ーーという私の甘い考えは目の前の光景でペシャンコになった。
弟、アリをつぶしてる。
プチプチやってる。
無理だこれ。
***
(よくよく考えなくても、悪の帝王としてあそこまで残忍なことができたってことは、かなり善悪の価値観がゆるいのでは……?
ということは、好感度を多少あげたところで『嫌な感情はそこまでないけどごめんね』にっこり、みたいなフランクさで消されるかもしれない。
でもまあ優しい殺してくれるならいいのか……。
いやよくないだろ!)
絶望的な状況をうっかり目撃してしまった私の脳裏にかけめぐるのは、物語の残酷描写。
たとえば、彼をがっかりさせた配下は、指をちょん切られて目の前で魔犬の餌にされていた。
たとえば、情報を吐かせるために捕まった男は、拷問を受け、死にそうになると治癒魔法をかけてまた拷問…を繰り返されて発狂していた。
彼を裏切った大臣は、忠誠の証として妻子を殺してみせろと言われていた。
そのどれもアスランは楽しそうに笑って行っていた。
目の前の弟はまだ5歳。
けれど、すでにそんな悪の帝王としての下地ができていたら…。
「面倒なところ見られたな、殺しといたほうがいいかな?」くらいのことは考えていそうな気がして怖くなってきた。
「誰にも言わないので、殺さないでください!」と弟に土下座して縋りたい。
いっちょ姉としての威厳を見せつけて教育してやるか、とか一瞬でも考えてすみませんでした。
やっぱり私の手には負えないかもしれない……。
脳内に「THE END」の言葉が脳に浮かぶ。
もはや諦めの境地。
……だけど、せめて。
せめて、愛されるということだけは教えておきたい。
ぎゅっと抱きしめられた感覚も、怒られた感覚も、なにも響かないかもしれないけれど。
それでも誰にも愛されていなかった、なんて。
そんな悲しい思いを、弟にしてほしくないなと思うのだ。
物語の最後は決まってる。
悪の帝王は倒されて、めでたし、めでたし。
君が死んでしまう物語。
(…………。死んで喜ばれるなんて、そんな存在にはしたくないよ)
だから、やっぱり私はがんばることを決めたのだった。
とりあえず、手をぎゅっと握って、まずはそこからはじめよう。
***
――――バチン!
おおよそ人から出た音とは思えない、鈍い破裂音がして、私の体は吹っ飛んだ。
その日は、たまたま用事があってアスランを探していた。
クッキーがうまく焼けたからとか、そんなどうでもいいことで。
だから、普段は近寄らないお祖父様の部屋のあたりまで足を運んだ。
ブラッドレー家は名門貴族の家系ではあるが、没落して久しく、貧乏で人手が足りない。
人を呼ぶのでもなんでも、当主であるお祖父様は別として、自分でやらなければならなかった。
お祖父様は気難しい人で、横柄なところがあり、少しでも気に入らない言動があると烈火のごとく怒る人だ。
見つかると面倒にしかならないので、うっかり出くわさないように細心の注意を払って廊下を進む。
手入れもあまり行き届かず、当主のいる棟であっても薄暗い。
しばらくするとどこからか、何かを叩くような不快な音と小さなうめき声が聞こえてきた。
(…………なんの音?)
嫌な予感に胸がざわつく。
見るな、引き返せ、と脳が警鐘を鳴らす。
けれど、好奇心が私の足を進めた。
***
そっと音のする扉に手をかけると、鍵はかかっていなかったのかスルリと開く。
心臓は、音が外に聞こえてしまうのではないかと心配になるほど、ドクドクとうるさく鳴っている。
わずかな隙間から中を覗き込むと、そこには傷だらけで倒れる小さなアスランと、それを冷たく見下ろすお祖父様がいた。
「立て」
お祖父様が命じると、アスランはよろよろと立ち上がる。
すると、その首を掴んで、お祖父様はアスランの白くて細い腕に、自分の杖の先を近づける。
お祖父様の杖は、暗い色をした木で出来ていて、神経質に磨かれていて、ぐねぐね曲がっている。
お祖父様そのものみたいだった。
ジュ…と焼けるような音と煙があがった。
「…ッ」
大の男が大声で喚き散らしてもおかしくないような状況にもかかわらず、アスランは小さく呻き声を漏らすだけ。
(な、なに、これ……)
異様な光景に足がすくんで、息が止まる。
「痛みに集中しろ。魔力を引きずり出せ。その膨大な魔力を覚醒させろ。
お前はそのために生まれた子ども。ブラッドレー家を再興し、落ちぶれたと馬鹿にしてくる者どもを屈服させるのだ」
目を爛々とさせ、呪詛のようにお祖父様はつぶやく。
(……魔力覚醒!)
物語の中で、アリシアは対立したアスランの手先によって大ケガを負わされ死にかける。
そのときに、彼女の中に眠っていた膨大な魔力が目を覚ます、というシーンがあった。
描写こそ無かったが、おそらくアスランも魔力覚醒はしていたのだろう。
(つまり、物語のアスランの魔力覚醒はお祖父様が引き起こしたものだった……?)
なんということだ。
諸悪の根源はお祖父様だったということではないか。
物語には、アスランの幼少期が辛いものであったとしか書いていなかったので、気がつかなかった。
「…チッ。近頃痛みに慣れてきたか。」
腕を焼かれても小さな呻き声しかもらさず耐えるアスランの姿に舌打ちをする。
そして、今度はアスランの目に杖を――。
「――やめてッッッ!!!!!」
思わずドアを叩くようにして開ける。
突然の闖入者にお祖父様の手は止まった。
この人はいま、幼い孫になにをしようとしていたのか。
怒りと緊張で手が震える。
アスランの体に今まで虐待の痕跡はなかった。
つまり、今までも同じようなことをして、そのたびに治癒していたということになる。
(私は、そんなことも気がつかないで今まで――)
なにが、「愛されることを教えたい」だ。
滑稽すぎる。
私は自分の心配ばかりで、アスランのことを「未来の悪の帝王だから」と決めつけて、今の彼を見てもいなかったのに。
アスランがこの家を、ひいては私を殺すのも仕方のないことだと思った。
「お祖父様、こんなひどいことはもう…」
やめてください。
そう言いきらないうちに、私は殴られ吹っ飛んだ。
(痛い痛い痛い痛い痛い…!)
祖父にぶたれた頬は焼けるように熱く、目はチカチカするし、切れた口からは血がボタボタ出るし、痛みでどうにかなりそうだ。
脚を痛めたその体のどこからそんな力が出るのかと思うほどの強さで、ライラは殴られていた。
「儂に逆らうな!!!!!」
大声で、この世の支配者のように吼える男。
物語として俯瞰して読んでいるだけなら、「最低、なにこのくそじじい」と怒ってお終い。
でも、こうして実際に暴力に晒されると足は竦んだ。
大人と子供の圧倒的な力の差に心が折れる。
本能的な恐怖で体が震えた。
霞む視界で、アスランを見ると――
光の消えた目で、何も感じていない表情で、ただただ心を殺した子どもがいた。
(――ああ。そういうことだったんだ……)
彼は、アスランは、これしか与えられてこなかったんだ。
暴力と恐怖。
世界征服ってなんだよって思ってた。
他人を力で従えて、それでどうしたかったんだろうと思ってた。
でも、もしかしたら。
それしか他人との関わり方を知らなかったのかな。
だとしたら、すごく。
――すごく、寂しいなと思った。
涙で視界が滲んだ。
(私には世界を助ける力なんてないけれど、いま、あなたを助ける力くらいは、たぶんある。)
反省なんて全部あと。
今しなければならないことは決まっている。
震える体を叱咤する。
ぐいっとドレスの袖で口の血を拭う。
お祖父様はブツブツ言いながら、私を殴った拍子に一緒に飛んで行ってしまった杖を拾うために後ろを向いている。
チャンスは一度切り。
私はそっと移動する。
「アスラン、一緒に行こう」
小声で話しかける。
アスランは目の前に差し出された手をぼんやりと見つめるだけだ。
仕方がないから、彼の手を無理やり取って、走り出した。
「――勝手は許さん!」
私たちの逃亡に気づいたお祖父様の怒声とともに、拘束魔法が飛んでくる。
それをなんとかすんでで避ける。
魔法で対抗できたら格好いいんだろうけど、私はまだ子供で、アスランみたいな才能もないので。
部屋を駆け抜け、廊下の角を曲がり、精一杯走る。
私たちを捕まえ損ねたお祖父様の魔法が背後ではじける。
転んで、またがむしゃらに走る。
無様な逃走劇。
こんなのは一時の反抗でしかない。あとで死ぬほど殴られるかもしれない。
(優しく死にたいのにな)
でも後悔はなかった。
この小さな温もりをただひたすらに、守れればそれでよかった。
***
その後は、めまぐるしく過ぎた。
屋敷の外に逃げ出した私たちは、近くの森に隠れた。
脚の悪いお祖父様ならここまで追ってくるにも時間がかかるし、お父様も今は王都に行っていていない。もちろん護衛なんてものもいないので、追手がかかることもない。
わが家が貧乏で本当によかった。
呼吸を整えて傷だらけのアスランを見ると、相変わらず何を考えているかわからないような顔をしている。
それでも構わず、傷に触れないように気をつけながらそっと抱きしめると、アスランは小さく震えて、けれど抵抗しなかった。
たぶん、私のほうがガクガクに震えていたけど、いつしか腕の中のぬくもりがそれを忘れさせてくれた。
その日は、森の中にある立派な木の下で、身を寄せ合って眠った。
次の日以降は、傷を治癒しようとするアスランを止め(「もう治癒魔法使えるんだ、すごいね!」と言ったら「できないの?」という不思議そうな目で見られてちょっと泣いた)、それを祖父の虐待の証拠として新聞に売り込んだ。
美しい少年の哀れな境遇は世間の同情を集め、結果、お祖父様は投獄となった。
ざまあみろ。
ちなみに、戸籍上では姉弟ということになっているものの、正確に言うと私たちは姉弟ではない。
お祖父様の気色の悪い妄執により、アスランは「作られた」。
つまりお祖父様と、お父様の妹である叔母様が、アレでアレした禁忌の子供である。
身ごもり絶望する叔母様をお父様が逃がして、叔母様は遠くの村にひっそり隠れ住んだ。
けれど、死んだことでお祖父様にアスランが見つかってしまった。
これは物語の知識である。
そういった意味でも、お祖父様は永遠に投獄されていてほしい。
なので、厳密に言うと私たちはいとこのようなそうでないような。
まあ、アスランは知らなくていいことだ。
そして、ブラッドレー家には平和が訪れた。
これでめでたしめでたし、と思っていたのだけれど、甘かったようです――。
「姉上、なにそんなところで間抜けな顔して突っ立ってるんですか。邪魔です」
「貴女を姉と呼ばなくてはならない苦痛がわかりますか?」
「まだそんな程度の魔法で手こずってるんですか?」
今日も虫ケラみたいな目で見られている。
(世界の皆さん、ごめんなさい。改心させるのは無理だったみたいです――)
昨年、私の入学から1年置いて魔法学校に飛び級入学した弟は、天才の名をほしいままにしている。
現在12歳のアスランは、魔力覚醒はいまだしていないものの、制限がかかった状態でも人並み以上の魔力があるうえに、才能の塊だった。さすが悪の帝王。
一方、私はといえば、落ちこぼれの名をほしいままにしている。
正直言って、なんで魔法学校に入学できたんだろうというレベルでショボい。
追っ払おうとした魔犬に鼻で笑われる始末である。
魔犬はそのあとやってきたアスランに哀れにもボコボコにされ、私は「こんな雑魚にまで…?」と困惑された。哀れである。
私を知る教師や同級生たちからは、あんなに優秀な弟さんがいてなぜ…という目で見られ、下級生たちからは、あのアスラン様の姉があんなのなんてうそでしょ…という目で見られている。
「せめて悪の帝王になってもさ、一人称を我が輩にするのはやめた方がいいと思う!」
「は???」
「アナグラムで名前考えるとかも正直痛いよ!」
悔し紛れに未来のセンスをあげつらってみる。
頭湧いてんのかという目で見られた。
「やーいやーい、おまえ厨二病!」と心の中で罵ってみたところで、あまり気分は晴れなかった。
***
数年後、ちょっとした出来事で弟の魔力が覚醒していまい、終わった――と思ったものの。
悪の帝王は覚醒せず、現在、別の方向に危機が生じている。
「ちゅ…ん、はっ……ふぇ?」
暗がりの中。
唇に押し当てられる柔らかくてあついもの。
寝台に縫い止められた手のひらを長い指でいやらしく擦られて、思わず体が跳ねる。
のしかかる重みと熱の正体。
――弟に押し倒されている。
見る人を魅了する赤い瞳が、昏い熱をたたえて私を焼いていた。
さらさらとした美しい銀糸の髪は、檻のように上から下に流れ落ちる。
(ど、どういうことですか…)
現実逃避しかける頭を強引な口づけが引き戻す。
吐息すら逃さないというよに、深く。
「……んんっ!」
「姉上、…姉上っ」
貴女以外、何もいらないと私を貪っていく。
いつの間にか、弟の執着心は世界ではなく私に移っていたようで、でも、別に嫌でもない自分もいるので。
私は彼をぎゅっと抱きしめた。
本当は、この世界に生まれてから寂しくて、寂しくて、死んでしまいそうに寂しかった。
でも、アスランが来てから私はひとりじゃないと思えた。
人と違う自分。前世がある自分。
いつだって現実感がなくて、ともすれば発狂しそうに不安定で。
目を覚ましたら、今日こそ目を覚ましたら。
なんだよかった、夢かって、なるんじゃないかと期待した。
目が覚めるたびに自分の曖昧な存在に泣きそうだった。
この世界で、初めてたしかなぬくもりをくれたアスランになら殺されてもいいか、と思うほどに。
ふふっと笑ったライラを見て、アスランは泣きそうな顔をした。
そっと唇に同じもので触れれば、堰を切ったように。
(――これからは、夜の帝王ってか…)
やかましすぎる。




