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Farcemythosー魔女戦争ー  作者: 奏似
一章 至高なる日々

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6/18

1-5

お妃候補が城中に集結してより、およそ三月あまり。

ラティアルトは侍従長が語ったとおり、数多ある王の公務の合間を縫って候補の一人一人を招聘し、それぞれと語らい合う時間を設けた。いざ接してみると彼女らはそれぞれ実に多彩な才美に彩られていて、彼は時の過ぎるのを忘れることも少なくなかった。

とはいえ、たった一月で数百に及ぼうかという女たちと接せられるほど、ラティアルトは女性の扱いに長けている訳ではない。実のところ、接することができたのは数十がいいところであった。結局、ホールで互いに顔を合わせた折、器量の及ばぬところを知って自ら辞退した者が多くいたのである。

その間、城下には絶えずそわそわと落ち着かない雰囲気が漂っていたのだが、それも再び伝令吏が辻に立つまでのことであった。


「ご婚約成れり! ラティアルト陛下の選ばれたるは、西方ホトよりはるばる参り来られた麗しき娘リヴィニーシャ。その肌は陶の如く艶やかな白、その髪は黒真珠の如く輝きを放ち――」


普段はただ淡々と伝令を聞かせるだけの彼らも、この時ばかりは興奮のあまり詩人となって、その喜びを声に乗せて響かせた。

彼らがそのような有様なのだから、この報を今か今かと待ちわびていた臣民たちが喜びを祝わないはずはなく、昼は踊り明かし夜は呑み明かし、城門前の大広場は祝辞を届けようと集まった者たちですっかり埋め尽くされてしまった。

ご婚儀は一月の後、日取りは追って報ずる――と、思い出したかのように伝令吏がそれを口にした時には、もはやそれを聞く者などあろうはずもなく、まるで今日がその善き日であるかのように、市中は沸き返ったのであった。

時の過ぎること、まさに矢の如く。

踊り狂い呑み狂う祝いの輪は衰えることを知らず、むしろ近隣から集い来る者たちを加えて更に勢いを増し、そうなれば市外に広がる自由市はそれ自体が一個の巨大な街のように広がって賑わっていった。


そして、とうとう善き日を次の朝に迎える晩。

ラティアルトはようやく、自分の妻となる女性と過ごす時を得られたのだった。

王の寝室へと続く幾つかの部屋の一つである。もともと凶事を避ける目的で作られた小部屋であるからお世辞にも快適とは言い難いのだが、しかし二人で語らう分に不足はない。片隅に置かれた燭台の火だけが、仄かに部屋を照らしていた。

「…………ふう」

ぱたん、と戸が閉じられたのを見送って、ラティアルトはふと溜息をついていた。前後の部屋には王と妃それぞれの近衛や侍従が控えているから、二人きりといって、彼としてはあまり落ち着けるものでもない――

「お疲れですか、陛下?」

否、背中越しにかけられた声はとても涼やかな響きを持っていた。優しい声は、落ち着かない彼の心持ちをも安らかにさせる。

「あ、いや、そうではない。――済まないな、このような場所で。あれこれと決まり事が多くて困る。はは、王といっても不自由なものだ」

振り返ると、娘――リヴィニーシャは実に悠々と佇んでいる。大陸において唯一至上の王の御前であるのだからもう少し緊張してもよさそうなものだが、しかしこの娘は初めて面と向かい合った時でさえ、そのような素振りは微塵も見せなかった。

その初対面の折には、彼女はろくに化粧もせず、身に纏うものといえば丈夫さばかりがとりえの瑣末な衣服であった。徒に才をひけらかすこともせず、とりとめもなく言葉を交わしただけ。それだけで、ラティアルトは惹き付けられていた。

無論今は王の傍らに添う身として恥ずかしくない装いとなっているが、しかし心根の在り様には何の変わりもない。ただの街娘が突然王侯の列に身の置き所を移したというのに、尊大にも卑屈にも傾倒せず、あるがままの自身を保っているのだ。

贅沢に頓着がなければそもそもお妃集めに応じるはずもなかろうに、この落ち着きぶりは尋常ではない。

「王の妃たる者、婚前には男との関わりを全て断ち、己が身を清めるべし。その折には、王ご自身さえその例外ではない――と、耳が痛くなるほど聞かされました。その無理をおしてこの時間を作って下さったのでしょう? その為に陛下がご尽力されたこと、とても嬉しゅうございます」

やんわりと微笑を浮かべてリヴィニーシャが応えるが、しかしそれでもラティアルトの表情は晴れない。危うげな蝋燭の火は、その翳りを一層際立たせた。

「前代未聞だ、などと散々に言われたよ。だが、私とて元を正せば辺境貴族の身の上、所詮は田舎者に過ぎん。堅苦しいのは性に合わんのだ」

何を愚痴くさく語っているのか――そうは思うものの、口先は彼の意思を離れたかのように言葉を紡いでいる。だが、それでもリヴィニーシャの微笑は絶えなかった。というより、どこか嬉しげにその表情は明るさを増している。

「あら、陛下もそうお感じでして? よかった、息を詰まらせているのは私ばかりのことかと思っておりました。私が何かするたびに、やれあれは違う、やれそれは妃のすることではないなどと――信じられます? 気疲れして椅子に座っただけでも、座り方が違うと叱られてしまうんですよ?」

瞼の端を指で吊り上げて怒った風を装うその様は、躾役が目にしたら卒倒しそうなものである。唐突の変わりように一瞬は呆気にとられたラティアルトであったが、しかし彼女がおどけて見せたのだと分かると、思わず吹き出してしまっていた。

「ああ、やっと笑って下さった。折角二人きりの時間を得られたというのに、そのようにずっと暗い顔をされたのでは私とて寂しゅうございます。それとも陛下が私を選んで下さったのは、玉座の傍らに置く人形を選んだだけのことでしかなかったのですか?」

安堵の笑みを浮かべたかと思えば、今度は拗ねたように視線を傾ける。それまでは彫像のように微笑だけを浮かべていたのが、一度表情を変えると、彼女はまるで堰を切ったように様々な表情を覗かせた。

それらは、彼が王の御輿に乗せられてからは、ついぞ見ることのなかった表情ばかりであった。彼の意に違わぬよう常に配慮を絶やさないことばかりに必死の、追従するだけの作り笑いの数々とは明らかに違う、実に活き活きとした表情。

「いや、違う! 違うのだ、誓ってそのようなことはないぞ。私は――そうだ、私はそなたのその不思議な眼差しに惹かれたのだ」

すっかりうろたえて、否定の言葉が我知らず怒声まじりになる。だが、弁解の言葉が浮かばずに泳がせた視線がリヴィニーシャの双眸を捕らえると、動揺は一瞬にして消失してしまっていた。

「…………。不思議な、とは?」

「ああ、どう言えばいいのか……私はそなたの目を見ると、視線を逸らすことが出来なくなるのだ。いや、逸らせないというのは違うか――逸らそうと思うことすらないのだから。何かこう、頭が真っ白になって…………」

ひどくもどかしそうに言葉を紡ぎ紡ぎする間とて、ラティアルトの視線はリヴィニーシャの瞳中から外れることがなかった。瞬きの時間すら惜しむようなその様を目にすれば、真っ向見詰め合う彼女には、元より言葉に意味はなかった。

「――つまりは、今のように?」

ふと、リヴィニーシャが尋ねてみる。と、彼は浅黒い肌の上からでも見て取れるほど、見る見るその顔を紅潮させてしまった。

全身火がついたように熱くなって汗ばむほどであるというのに、口中はひどく渇いて唾も出ない。応えようにも声が出せずに、ラティアルトは頷きで返すしかなかった。恥ずかしさが先に立ったのだろう、視線は再び外されて戻らない。

「陛下」

彼女の目から逃れるように視線を泳がせるラティアルトに、リヴィニーシャは優しく呼びかける。と、彼の視線は否応なく彼女の瞳中に引き戻されてしまっていた。

「私は陛下と視線を交わす時には、まるで至上の幸福を得たような気持ちを陛下から授かっているのです。もし陛下が私とお心を同じくされておられるのならば、どうぞ、眼差しはそのままで……」

言うリヴィニーシャの目に惑いの色はない。今も、初めて視線を交わしたあの時も――戸惑っているのはラティアルトだけだ。だが、彼は確かに彼女を想い、また確かに彼女に想われている。であれば、視線を重ねることになんの躊躇いがあろうか。

見詰め合う時間は、長いようにも、また短いようにも感じられる。

リヴィニーシャはこれこそ至上の幸福と言ったが、しかしラティアルトはそれ以上を求めずにはおれなかった。人である以上、男である以上は、肌の感触を求めることこそ自然であろう。

だが。

彼女がすっと身を退いたのは、彼がつと挙動を起こそうとした刹那のことであった。穏やかだった眼差しに、僅かに暗い影が落ちる。

「陛下、それはなりませぬ」

語調こそ変わらず柔らかであったが、しかしその響きはラティアルトを押し留めるに充分なものであった。

「この身は長く清めの時を経、ついに陛下と結ばれるまでこの一夜を残すばかりとなりました。本来ならば今宵こうして陛下とお会いすることも、長らく禁忌とされたものを、陛下や多くの方のお心遣いによってようやく実現したもの。

今陛下が私に触れてしまえば、それらのお心遣いや、ひいては陛下のご尽力さえも無為のものとなってしまいます。それはとても悲しいことでありましょう?」

その言い様は尤も、しかし同時に冷淡にも思われる言であった。そうだな、と応える声も、どこか無機的な響きでもって発せられる。想いの発露をそのように押し留められれば、独りよがりの道化であったかと憤懣を抱くのも致し方ないことであろう。

「あと一日、あと一夜でございます。陛下が長く待ち焦がれたように、私とて待ち焦がれていたのです。この一夜はさぞ長く感じられましょうが、それでもこれまでの時間を無為にせぬ為にも、陛下、今宵ばかりはお留まり下さいませ。

明日よりはこのリヴィニーシャ、ずっと陛下のものでございますゆえ」

子供をあやすように、と言ってはラティアルトの立つ瀬がないだろうか。しかし彼女の語る様は、まさにそのようなものであった。そう言われては、利かん坊ならぬ彼が従わぬ道理はない。いやむしろ待ちの苦しみが和らぎ、代わりに喜びを与えられた心持ちでさえある。

「それでは陛下、名残惜しゅうございますが、今宵はこれまで――」

「――あ、待て!!」

一礼し、リヴィニーシャは身を翻す。と、ラティアルトは思わずその背中に呼びかけていた。咄嗟のことに、声が裏返ってしまうのが悲しいところであるが。

「待て、リヴィニーシャ! ……あ……いや、婆たちに口煩く言われたのは私も同じだ。大丈夫、そのうちに慣れる」

自分は何を言っているのだろう、と思った時には、それはすでに後悔でしかない。扉の取っ手に手を掛けたところで彼女は挙動を止めていたが、一拍間を置いて、リヴィニーシャはこちらを振り返ってきた。

すでに心底惚れ込んでしまっているラティアルトにしてみれば、それこそ眩しいほどの笑顔であっただろう。

「ああ、やっと私の名を呼んで下さいましたね? ずっと待っていたというのに一度も口にして下さらないんですもの、明日は一日ふてていようかと思っていたのですけれど。

ご安心下さいましな、婆さまたちが煩くするのは私や陛下を思ってのこと、それが分からぬほど幼くはありませんわ。

――では陛下、明日は忙しゅうございますゆえ、今宵はお早くお休みになられますよう」

その声は玉のように弾んで、小さい部屋の中を跳ね回るかのようだった。自身も、身も軽やかに改めて一礼すると、扉を開いてするりとその向こう側に姿を消してしまう。

扉を閉じるより先、次の間に控えていた世話役の婆たちが早くも口煩く声を掛けるのが聞こえてくるが、しかしそれも僅かのこと、彼が何か応えるより先、すぐに扉は閉じられてしまったのだった。

共にいた時間というのも、実際のところどれほどの長さもなかったのだが、しかしその短い間に起こった感情の振幅は、彼が王座についてからの振幅を上回るかのようである。嬉しいやら悲しいやら、すっかり疲れ果てたラティアルトは、訳も分からず、まずは胸を撫で下ろしたのであった。

――今夜は、眠れそうにない。胸から手に伝わる拍動が、そう告げていた。

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