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「陛下、どうなされましたか? 徒に皆を騒がせるとは陛下らしくもありませぬが」
ラティアルトの後から幕をくぐった侍従長が、背中に声をかける。
「ん――あ、いや、何でもない」
振り返らずに応えるラティアルト。だが、その声はいかにも心ここにあらずという態である。
「まあまあ、陛下とて一人の悩める若人、あれだけの女人を前にして、平静のままでおられるというのも無理な話でございましょう。オルゲウ老も無粋な真似をされましたな」
侍従たちの脇をするするとすり抜けて、飄々と話に割り込んできたのは教主サルディエであった。
「これはローデンウェリ卿、貴公、如何にしてこの場所に立ち入られた? 畏れながら、御自身の分を弁えるのがよろしいのではありますまいか?」
王城の中には、王族とその供回りの者にしか立ち入りを許されない不可侵の場所が少なからずある。当然ここもその一つであった。つまり侍従長オルゲウはサルディエに対して、ここはお前のいる場所ではない、と言外に伝えているのである。しかし、
「いや確かに。しかし即位の頃より陛下のお近くでその成長を見守ってきた老人の身として、不敬ながら孫の嫁取りを見る情を抱いてしまいましてな。それで、無理を承知でこうしてお側に上がった次第。この情はオルゲウ老とて同じでありましょうや――陛下、どうぞこの老人の無礼、お許しいただけますよう」
サルディエが恭しく頭を垂れると、一信徒として彼を敬愛さえしているラティアルトには、何を諌めることも出来ようはずはない。肩を抱いて顔を上げさせると、心底感じ入ったという面持ちで、嬉しく思う、とそう応えてしまう。主人がそのように態度を明らかにしてしまえば、侍従長の立場からではそれ以上食い下がることは出来なかった。
そうして免罪の言辞を得、諫言を封じてしまうと、途端にサルディエはその表情を変えた。そこでは、ラティアルトへの尊崇の色は薄い。
「それで陛下、如何でしたかな?」
「――如何、とは?」
「おとぼけなさるとは陛下もお人が悪い。さては、気になるお人を見つけなされたな?」
したり顔で問い掛ける様は、とても聖職者のそれではない。その様には鉄面皮と畏れられる侍従長オルゲウさえもその眉根に嫌悪の情を浮かべたが、しかしラティアルトだけはそれに気付かなかった。
オルゲウの目には、サルディエが多くの者の尊敬を集める教団の長などとは映っていない。目の前に居るのは、先の女王メルエーヴェと争って至上の大権を奪おうとした狡猾な政敵であり、しかもその妄執は老いて衰えるどころかなお盛んになっているのである。
そのような者を野放しにすることがどれほど危険なことか。このお妃選びもサルディエの提案なのだから、企みの一つや二つはあって当然と考えるべきであろう。しかしながら、オルゲウの主人たる現王ラティアルトは彼に心を許してしまっている。今は国事の大小に関わらず決してサルディエに偏重することはないが、しかしいつ老獪な手管に呑まれるとも限らない。
「気になる者、か。……そうだな、いるのかも知れん」
しかし、悲しいかなラティアルトがオルゲウの憂悶に気付くことはない。彼は忠実な老侍従長の思いをよそに、思わしげに俯いて拳を顎に添えた。
「ほほう、それはよい兆しでございますな。して、その幸運な娘はどのような者でありましょうや?」
妙に重い響きを持ったラティアルトの声とは対照的に、浮いた声でサルディエが問い返す。だが、応える声は、どこか間が抜けていた。
「さあ、どのような娘だったのか」
「……は?」
「いや、な……それがよく分からんのだ。とても印象的な目をしていたのは覚えているのだが、いかんせん一瞬ばかりのことだったのでな。何かの思い違いかも知れんし――今思うと、そのような娘が本当にいたのかも怪しい」
独白のようにして言葉を紡ぐラティアルトの脳裏で、思い出そうとすればするほど、印象はほどけて形をなくしていってしまった。水面にこぼれた葡萄酒を掬い上げるかのように、それは指の間をすり抜けて霞んでゆく――
「何を仰います、その印象こそ大事でございますぞ。およそ男女の仲というものは知恵や見識で測れるものではございませぬ。この仲立ちをするものとは各々の直感、つまりは印象でありましょう。なれば陛下、その直感はどうぞ大切になさいますよう」
まるで天恵を得たかのように恭しく頭を垂れておいて、その実サルディエはしてやったりとばかりににんまりと口元を歪めたのであった。事実が往々にして筋書きをすり抜けるものだなどとは思いもせずに。
思惑は様々。確かなことは、すでに運命の天秤がその均衡を失い始めていることばかりである。己が想い一つさえ御しきれない神ならぬ人の身では、それに気付く者などいようはずもなかった。




