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「あなた達、本当にそれでいいの? もう国も王家も形をなせてない。報いる術が何もないというのに」
「いいえ。私どもは今まで充分な禄を頂戴してきました。残りの時間を忠に費やしたとして、なんの不足がありましょうや」
「ありがとう……」
「そのお言葉だけでも報われた思いですとも。おや、お客人が目を覚ました様子」
「あら、お寝坊さんがやっとお目覚め? おはよう、よく眠れた?」
何やら神妙な顔をしていた気がしたけれど、気付いた時には見知った顔。
言われてみれば、なんだかすっきりしている。お腹が膨れてゆっくり眠って、それだけでなんだか暗闇から這い出た気分。
記憶の最後は森の中だったのに、どうして今は屋根の下なのだろう。ここはどこかと聞こうと思った。のだが。
「なんか慌ただしくない?」
「ええ、旅支度の最中だから」
決して広くない屋内で、幾人かがぱたぱたと荷をより分けたり詰め込んだりしている。屋内ばかりではない、外からも人の声やら物音やらが聞こえてきた。
「旅支度?」
「そう。ちょっとこの辺りは危なそうだから、落ち着けるところに移ろうと思って」
危なそう?
その言葉が呼び水となって、引き起こされたのは、父の背中、婚約者の手、見知った人たちの見知らぬ顔、目、表情。
血の気が引くほど固く服の裾を握りしめた手。そこにそっと添えられる、柔らかく暖かい、手。
「大丈夫? 不安にさせたみたい。安心して、ここは大丈夫だから」
自分と大して歳も変わらないだろう目の前の女の、この落ち着きぶりはなんだろう。理屈とか難しいことはすっとばして、暖かさで混乱を治めてくる。
「……ねぇ」
「なあに?」
「あなたは、何が起きたか知ってるの?」
こちらの問いかけに、彼女はふと視線を落とした。
「おおよそは。でも、それがどう影響を及ぼしているのかは分からない。だから今は人を遣って、調べてもらっているところ」
彼が戻ったらここを発つつもり、と彼女は続けた。
この人たちは色々知っていて、考えて、身の振り方を決めている。
私はどうだろう。あの黒パンと水袋がなければ、もう生きてすらいなかったかもしれない。放り出されたら、結局は同じことだ。
ぽんぽん。重ねられていた手が、軽い調子で叩いてくる。
にっこり。
「この先どうなるのか不安?」
見透かされたように、思ったそのままを言い当てられる。
「そりゃあ、だって。私には行くあても食い扶持も何もないもの」
「大丈夫、あなたの身の振り方は決まってるから」
「は? え、なんで?」
「あなたは私の侍女になるから。ぱちぱち、おめでとー」
「いやいやいや待って待って、訳分かんない。なんでそうなるの?」
「いや?」
「いやとかいやじゃないとか、そういう話じゃなくて。なんで勝手に」
きゅ。
重ねていた手が身体ごと引かれて、彼女の口元が耳に寄せられた。
「あの持ってた大きい石、なんに使おうと思ったの?」
ぞっ。
「あ、え、あの」
血の気が引く。
一瞬で喉がからからに乾く。
「侍女になるの、いや?」
「………………いやじゃないです」
「やった、ありがとー」
がばっ。
満面の笑みで抱きしめられる。
「いや、あの」
「え、やっぱりいやなの?」
「じゃなくて。なんで? 会ったばっかの素性のしれない女なんか、信用できる訳ないじゃない。おかしいでしょ」
「うーん、あ、ほら。あなた、妖精の声聞こえたじゃない。あれが聞こえるのは、よっぽどのお人好しか、あとは」
「あとは?」
「よっぽど気にいられたか、そのどちらかだから」
「…………なるほど、あんたは気にいられた口って訳ね」
言外にお人好しじゃあないものね、と嫌味を乗せるが、効いた様子もない。
「ハーラ、決まったわよ。彼女、侍女になってくれるって。えっと」
彼女の呼び掛けに、支度の手を止めて貫禄ある女性がこちらを向く。
「……呆れた。何を話してたんですか、名前も聞かないで」
「いやほら、色々と秘密の相談とか」
「はいはい、私には聞かせられない話なんですね分かりました。
それで? あなた、お名前は?」
「……ツィー」
「ツィーさんね、分かりました。では早速で悪いけれど、手伝っていただける?」
「あ、はい。えっと、あんたは手伝わないの?」
「私は手伝おうとすると怒られちゃうの」
「なにそれ、お貴族様みたいなこと言っちゃって」
「お貴族様は違うかな」
「うん?」
「いちおう王妃だから、私」
えー、と口をついたつもりというかはずというか。
聞いたことないすごい音が、自分の口から飛び出していた。
「姫様、お元気になられたようでよかった」
手は休まず荷造りを進めながら、ハーラの口は安堵の声を零した。
「……そうだね」
対するカクタスの表情は渋い。
空元気、作り笑いと指摘しても益もない。それを言ってハーラまで暗くするより、呑気でいてもらった方がずっとましだろう。
ツィーという娘はその意味では思わぬ拾い物という他ない。歳が近いことも手伝ってのことか、随分と気を許しているようだった。
「それよりハーラ、姫様呼びはやめなさい。聞く者が聞いたら、不敬だと咎められるよ」
「あら、私ったらまた。気を付けているつもりなのだけどどうしてもねぇ。ユファン様もリヴィニーシャ様も、自分の子供のように可愛くって」
「またそういうことを……」
これが権力を笠に着るつもりなら、咎めるどころの騒ぎでは済まないことをどうしたら分かってくれるものか。
一向に直る様子もないのが頭が痛いところだった。
その後戻ったレメドの報告は、呑み込むのが困難な内容であった。
王都ヴァドステンの大門には教団の旗が掲げられ、神軍の兵が厳しく出入りする者たちを検めている。
外套などで顔や肌を隠すことは禁じられ、ウォレイスと見るや躊躇なく暴力が降りかかり捕えられる。神兵たちは暴力行使者の喜悦を隠そうともしなかったという。
それでも、それは随分とましなほうだ。悪といえど、秩序の担い手がいるのだから。
それを持たない周囲の街や村。
それらはおろか、倫理の崩れた生活拠点から逃れた難民たちさえも、集団を維持できず衝突を繰り返す。
レメド自身、衝突する難民を仲裁したことで難民たちに頼られ身を寄せざるを得ない場面もあった。だが、一事が万事、ひとつ意見を拾えば癇癪のように反発が噴き出しせめぎ合う有り様で、収拾などつく気配もなく。
救いを求め縋る、四方から際限なく伸びてくる手、手、手。
王妃に報をもたらさねばならぬ身のレメドは、剣を振りかざしそれらを振り切って逃げ出さざるを得ない始末となった。
「そう……。では、迂闊に難民をまとめて東を目指すのは命取り、ということだな」
よく無事で戻ってくれた、と労う様は確かに王妃のそれだった。
夜陰に紛れ、一行は猟師小屋を後にする。
教団の網にも難民の目にも触れぬよう、慎重を期す道行きはもどかしい。
「あぶぅ、きゃはは、だー」
赤ん坊とは思えないユファンの胆力には、救われるばかりだ。
環境が変わったなどという程度の話ではない。不安があれば泣いて知らせるのが赤子だろう。
だというのに。
泣き声ひとつが命取りのこの状況が、まるで嘘かのように。
母の温もりひとつでユファンは上機嫌であった。




