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二人が猟師小屋に辿り着いたのは、翌日の夜明け前のことであった。出迎えたカクタスらとの挨拶もそこそこに、クロツはすぐさま、リヴィニーシャもユファンの顔を確かめるなり倒れるように寝入ってしまった。
たっぷり半日ほど寝倒すと、クロツが起き抜けに空腹を訴えてきたので、遅い昼餉というか早い夕餉というか、とにかくあり合わせで数品が食卓に揃えられた。豆のスープに黒パン、チーズに煮戻した干し肉に葡萄酒と、ごく一般的な定番食である。曲がりなりにも宮廷暮らしのクロツから見れば貧相この上なかったろうが、それでもここ数日携行食しか口にしていなかったのだから、そもそも味がどうという次元ではない。
他方、腹具合はクロツ同様のはずのリヴィニーシャはといえば、日を跨ぎゆっくり起きてきたかと思えば、食卓になど目もくれず、ふらりと戸外に出て行ってしまった。
目に見えて憔悴した彼女を案じ、カクタス、オドネル、加えてユファンを抱えたハーラもその後を追うが、しかしリヴィニーシャは明らかに近寄り難い雰囲気を醸して、彼らに取り付く島を与えない。
だが、それで何をする、という訳でもなく。気もそぞろ、といった感じでふらふらと森の中を散策しているばかりであった。
「一体ラフダニで何があったのだ?」
カクタスが問う。
が、問われたクロツは黒パンのかけらを咥えつつ馬の手綱を柱にきつく結び直していて、応えようとしない。聞こえない振りをしているのは明らかだった。
しかしカクタスからすれば、衛士たる彼が小屋を出るなり、リヴィニーシャを追わずに馬の確保に動いたことこそ不審である。
じっと視線を突き刺して、問いを重ねる。
「……陛下は、確かにサルディエめに弑されておられました」
手綱をきつく――それこそ容易にはほどけない位に結び付けると、咥えていた黒パンを持ち直して盛大に噛り付く。硬く焼いたそれを水気なしに飲み込むのは相当困難なはずであったが、しかしクロツはお構いなしに次々と噛り付いていった。食べる、というよりは無理に胃に押し込んでいるような風情である。
「陛下が? 莫迦な、あの血族は人の手で害せらるるものではない!」
「陛下と、先王陛下が、です。サルディエはいかにしてか王家の宝剣を掌中に収めておりました」
「――あの竜殺しをか! なるほど道理だ、あの魔剣であれば陛下を弑することも容易かろう。して、その剣は今いずこに? よもや、未だサルディエの手の内か?」
恐らくは――クロツは、苦々しげにそう応えようとした。が、それは実に意外なところから遮られる。
「心配はいらぬ。魔剣は陛下が御身を鞘として封じられた。末裔たる王太子殿下を害する手段は最早ない」
いつの間に戻ってきていたのか、その声はごく近いところから聞こえた。
リヴィニーシャ。感情の薄い、冷えた声であった。
「……妃殿下……」
「同情はいい。そのようなことより、これからのことを考えなければならない。仔細についてはレメドの報を待たねばならぬが、しかしヴァドステンはすでに陥ちたものだと考える。周辺で、この謀略に対抗しうる者は誰だ?」
気遣わしげなカクタスの声を一言で切って捨てて、リヴィニーシャは一方的に議論を投げ掛けてきた。
ヴァドステンはすでに陥ちた――彼女がそう考える根拠は幾らでもある。
ラフダニから王都まではたった一日の距離だ。いかに早馬が走ろうとも、対策が講じられるまでに攻め寄せられれば無防備も同然だろう。しかも防備の要たるべき王軍の兵士を装い悠々帰還の態で尖兵を務めれば、数の知れた警備兵や開け放たれた城門などに意味は無い。そもそも事が起きる以前から宮廷内は蜘蛛の子を散らす混乱振りであったのだから、おそらくは周到に用意されていただろう教徒を用いての扇動や内応など、何一つ必要なかっただろう。予想を遥かに超えるあっけのなさに呆れるサルディエの顔さえ想像できそうである。
では、攻める側はどうか。王軍がそう素直に従うだろうか。
王軍内で同士討ちを起こした時点で、生残するマティラン及びフラルトゥは明らかに反逆者となってしまっている。であれば、このまま王都に戻れば重罪厳罰は確実。この状況下で、動揺せずにいられる者が果たしてどれだけいるだろうか。
動揺した時点で、すでにサルディエの術中だ。
毒食らわば皿まで。王家に与すれば罪人、教団に拠れば英雄。騙しようなど幾らでもある。
上手く丸め込み、冷静な判断力を取り戻す前に取り返しのつかないまでに既成事実を重ねさせてしまえば、あとは詐術を弄さずとも忠実な神兵へと自ら変じてくれることだろう。
結局のところ、王家や宮廷と教団に明確な対立関係があったとはいえ、それが政争の域を越えること――まして軍事行動を伴うまでに発展するとは誰一人想像し得なかったのである。
何しろ、歴戦の古強者であるはずのタナヴィス=ヴィセルがあっけなく混乱に呑まれたほどなのだから、この謀略を事前に察知し阻止することは不可能とするのが妥当だろう。その上で、起こってしまった武装蜂起を鎮圧する手腕を持つ人物。
女帝メルエーヴェの事実上の専制政治が長く続いたため、能力のある者は遠ざけられるか、或いは自ら王宮を離れた。それでもなおメルエーヴェは後進の発掘、育成などは考えなかったようで、現在、有能な人物を求めたとて王国中に幾人もおるまい。特に長い平穏の時代を経た今、武に長じた人材となるとなお限られてくる。
浮かぶ人物は一人。
ヴァドステン王領の東、ゼシューマを守護する人物。かつては初代王の近衛隊長まで務めた統一戦争後期に名を馳せた英傑、ダルアム=ディリゼ侯爵その人である。




