NO.7 真の標的
セレーナ邸を出た頃には、すでに夕方の光が落ち始めていた。
庭を抜け、リヒター家の馬車へ向かう。
御者が扉を開けた。
「お帰りなさいませ」
カーライルが先に乗り込み、手を差し出す。
イリスはその手を取り、馬車へ上がった。
向かいにローレンスも乗り込む。
扉が閉まる。
馬車が静かに動き出した。
しばらく沈黙が続く。
外では石畳を進む車輪の音が規則正しく響いていた。
カーライルが口を開く。
「どうだった?」
イリスは少し笑いながら、言葉を選び言った。
「あまり、好意的ではないようでした」
カーライルは少しだけ考える。
「……そうか」
それ以上は言わない。
ローレンスが笑う。
「怖いひとだよね」
カーライルは腕を組んだまま、窓の外を見る。
「近づかないほうがいい」
イリスは少し首を傾ける。
「もう近づいちゃいましたよ?」
一瞬。
ローレンスが吹き出した。
「はは、確かに」
カーライルは小さく息を吐いた。
それ以上は言わない。
だが表情は明らかに不機嫌だった。
ローレンスがその様子を見て、肩をすくめる。
「じゃあ」
少し間を置く。
「次は僕の報告」
カーライルの視線が向く。
「何をしていた」
ローレンスは軽く笑う。
「調査」
イリスが少し驚いた顔をする。
「調査ですか?」
「ああ」
ローレンスは背もたれに体を預けた。
「三時間も暇だったからな」
カーライルは無言。
ローレンスは続ける。
「屋敷の使用人」
「門番」
「出入りしている業者」
指を折りながら言う。
「何人かと話した」
カーライルの眉がわずかに寄る。
「……どうやって」
ローレンスは笑う。
「簡単だよ」
少し肩をすくめる。
「女性は喋るのが好きだからね」
カーライルが睨む。
ローレンスはまったく気にしない。
「で」
「面白い話が聞けた」
馬車の中の空気が少し変わる。
カーライルが言う。
「話せ」
ローレンスは窓の外を見ながら言った。
「セレーナ邸」
「最近、出入りが増えてる」
カーライルの視線が鋭くなる。
「見慣れない男が来てるらしい」
ローレンスは続ける。
「使用人でもない」
「客でもない」
「でも」
小さく笑う。
「金を渡してるのを見たって」
イリスが静かに聞いている。
カーライルの声が低く落ちた。
「……いつの話だ」
「ここ数日」
ローレンスが答える。
馬車の中に沈黙が落ちる。
石畳の音だけが続いていた。
外では夕方の王都が流れていく。
通りの人々の声が遠くに聞こえる。
やがてローレンスが言った。
「あともう一つ」
カーライルの視線が向く。
「何だ」
「給仕に毒入りワインを渡した男」
「最近セレーナ邸に出入りしてる」
馬車の中の空気が静かに変わる。
イリスは黙って聞いている。
カーライルの声が低く落ちた。
「……確かか」
「殿下がくれた特徴と一致するし」
ローレンスは続ける。
「貴族でもない」
「使用人でもない」
「でも堂々と屋敷に入っていったらしい」
少し笑う。
カーライルは黙る。
「偶然かもしれない」
少し間を置く。
「でも」
「面白い偶然だ」
カーライルが言う。
「証拠は」
「ない」
ローレンスは即答した。
そして笑う。
「でも」
「僕の勘は当たる」
カーライルは何も言わない。
ただ静かに窓の外を見ていた。
しばらくして、イリスが口を開く。
「そういえば」
「カーライルはセレーナ様とお知り合いでしたか?」
カーライルの眉がぴくりと動いた。
変わりにローレンスが口を開く。
「昔さ」
「カーライルのこと、追いかけ回してた」
ローレンスは楽しそうに言った。
イリスが目を瞬く。
「追いかけ回していた……?」
ローレンスは頷く。
「社交界でも有名だった」
腕を組みながら続ける。
「セレーナを振り続けるリヒター公爵」
小さく笑う。
カーライルは無言。
ローレンスは続ける。
「夜会、舞踏、茶会、招待」
「全部誘ってた」
イリスはカーライルを見る。
「そうなのですか?」
カーライルは短く答えた。
「でも、全部断った」
「興味ないからな」
カーライルの視線が鋭くなる。
ローレンスは肩をすくめた。
「セレーナはプライド高い女だ」
静かに言う。
「振られたの、相当根に持ってるんじゃないかな」
イリスは少し考える。
そして小さく言った。
「……なるほど」
カーライルが視線を向ける。
イリスは続けた。
「今日のお茶会」
「理由が分かった気がします」
カーライルは何も言わない。
だがその瞳は鋭いままだった。
やがてカーライルが口を開く。
「イリス」
声は低く、はっきりしていた。
イリスが顔を上げる。
カーライルは言う。
「やはり、今後の外出は私と一緒じゃなければ許さない」
イリスが瞬きをする。
「え?」
カーライルは続ける。
「私が目の届かない場所には行くな」
ローレンスがすぐ笑った。
「過保護」
カーライルが睨む。
「黙れ」
ローレンスは肩をすくめる。
イリスは少し考え、それから小さく笑った。
「分かりました」
素直に頷く。
「カーライルと一緒なら安心です」
カーライルの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
そのとき、馬車がゆっくり速度を落とす。
リヒター邸の門が見えてきた。
やがて馬車が止まる。
御者が扉を開いた。
カーライルが先に降り、イリスへ手を差し出す。
イリスはその手を取った。
屋敷の灯りが二人を照らす。
その後ろでローレンスが馬車を降りた。
「先に屋敷に戻っていてくれ」
カーライルがイリスに言う。
少し不思議そうな顔をしてからイリスは頷いた。
「わかりました」
「お先に失礼します」
扉が閉まり、庭に残ったのは、カーライルとローレンスだけだった。
ローレンスが言う。
「やっぱり黒かもね」
カーライルは答える。
「ああ」
「イリスを狙った可能性がある」
短い言葉。
だが怒りははっきりしていた。
ローレンスは肩をすくめる。
「女の嫉妬は怖いぞ」
カーライルは静かに言った。
「そうだな」
少し間が空く。
カーライルの瞳が、ゆっくり冷える。
「だから」
「確実に潰す」
夜の庭は静かだった。




