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断罪された悪役令嬢は、公爵様の独占欲から逃れられない   作者: 春野スミレ


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6/11

NO.6 怪しいお茶会

 茶会の日の朝は、穏やかな陽射しで始まった。

 リヒター公爵邸の窓から差し込む光は柔らかく、庭の木々も静かに揺れている。


 だが、その穏やかな空気とは裏腹に――

 寝室の一角には、明らかに不機嫌な空気があった。


 カーライルは腕を組んで立っている。

 その視線の先には、ドレスを整えているイリスの姿があった。


 今日の茶会のための装い。

 落ち着いた色合いのドレス。

 派手ではないが、上品で美しい。


 イリスが鏡越しに振り返る。


「そんな顔をなさらないでください」


 カーライルは即座に言った。


「する」


 あまりの勢いに、イリスは思わず笑ってしまう。


「ただのお茶会ですよ」


「相手が問題だ」


 カーライルの声は低い。

 イリスは少し肩をすくめる。


「社交界ではよくある集まりです」


「やっぱりついて行く」


 イリスが振り返る。


「本気だったんですか?」


 カーライルは淡々と続けた。


「三時間」


 イリスが首を傾げる。


「三時間?」


「茶会のタイムリミットだ」

「それを過ぎたら迎えに行く。」


 イリスは驚いて瞬きする。

 それから諦めたように小さく笑った。


「覚えておきます」


 カーライルの視線はまだ厳しい。


「必ず戻れ」


「はい」


 イリスは頷いた。

 そのときだった。

 扉が開く。


「お、出かけるの?」


 軽い声。

 二人が同時に振り向く。

 そこに立っていたのはローレンスだった。


 いつもの気だるそうな笑みを浮かべている。

 カーライルの眉が寄る。


「なぜここにいる」


 ローレンスは肩をすくめた。


「今日は噂の彼女とお茶会って言うから」


 ローレンスはカーライルを見る。


「送ってくの?」


 カーライルは答える。


「待つ」


 ローレンスは目を瞬く。


「待つ?」


 カーライルは短く言った。


「馬車で」


 一瞬。

 ローレンスは黙った。

 そして吹き出した。


「はは」

「何時間待つつもり??」


 カーライルは答えない。

 ローレンスは続けた。


「暇つぶしに僕も付き合ってあげるよ」


 カーライルの声が低くなる。


「来るな」


「暇じゃん」


「必要ない」


 ローレンスは楽しそうだった。


「ついでに調べ物もできるし」


 カーライルの視線が少しだけ動く。

 ローレンスは続けた。


「なにか新しい発見があるかもしれないし」


 軽く笑う。

 カーライルは少し沈黙してから言った。


「……勝手にしろ」


「決まり」


 ローレンスは満足そうな顔をしている。

 イリスはそのやり取りを見て、少し笑った。


***


 馬車は王都の通りを静かに進んでいた。

 窓の外には、春の光が広がっている。


 やがて視界の先に、大きな屋敷が見えてきた。

 白い石造りの建物。

 広い庭。

 整えられた花壇。


 何台もの馬車が門の前に並んでいた。

 イリスは窓の外を見て言った。


「思っていたより大きなお屋敷ですね」


 カーライルは短く答える。


「社交界で長く力を持っている家だ」


 ローレンスが横で言う。


「目立つの好きなんだよ」


 カーライルは視線だけ向けた。

 ローレンスは肩をすくめる。


「そんな顔するな」


 馬車がゆっくり止まる。

 御者が扉を開いた。


 カーライルが先に降りて、手を差し出した。

 イリスはその手を取り、静かに地面へ降りる。


 春の風が庭を抜けていった。

 カーライルはイリスをまっすぐ見た。


「イリス」


「はい」


「三時間だ」


 イリスは小さく笑う。


「覚えています」


「それを過ぎたら迎えに行く」


「分かりました」


 カーライルはまだ何か言いたそうだったが、結局言葉は出てこない。

 代わりに、イリスの手を少しだけ強く握る。

 ローレンスが横で言う。


「心配性だな」


 カーライルは無視した。

 イリスは二人を見て微笑む。


「では、行ってきます」


 そう言って屋敷へ向かった。


 セレーナの茶会は、庭のテラスで開かれていた。


 白いテーブルクロス。

 銀のティーセット。

 並べられた椅子。


 春の光の中で、数人の女性たちが談笑している。

 イリスが現れると、視線がゆっくり集まった。

 小さなざわめき。


「リヒター公爵夫人……」

「夜会の……」


 囁きが交わされる。

 その中心に立っていた女性が、ゆっくり振り向いた。


 黒髪。

 整った顔立ち。

 背の高い、美しい女性。

 赤いドレスが春の光の中で鮮やかだった。


 セレーナ。


 彼女はイリスを見る。

 一瞬、沈黙が落ちる。

 それから微笑んだ。


「ようこそ」


 声は柔らかい。


「リヒター公爵夫人」


 イリスは丁寧に礼をした。


「お招きありがとうございます」


 セレーナはゆっくりと近づいてくる。

 距離が近づくにつれ、その視線の強さがよく分かった。

 笑っているのに、どこか冷たい。

 セレーナは言う。


「お会いするのは初めてね」


「はい」


 セレーナは少しだけ目を細めた。

 そして静かに言った。


「噂は、よく聞いているわ」


 その言葉には、何重にも意味があるように思えた。


 テラスには、春の穏やかな空気が流れていた。

 貴婦人たちの笑い声が、庭の空気の中に柔らかく溶けている。

 セレーナはゆっくりと席を示した。


「どうぞ」


 イリスは頷き、席へ座る。

 侍女が紅茶を注ぎ始めた。

 カップに注がれる音が静かに響く。

 セレーナは扇子を軽く揺らしながら言った。


「夜会は大変だったそうね」


 周囲の女性たちがすぐに反応する。


「ええ、聞きましたわ」

「王太子殿下を……」

「毒だとか」

「公爵夫人がお止めになったの?」


 イリスは静かにカップへ視線を落とす。


「偶然です」


 短く答えた。

 セレーナは首を少し傾ける。


「偶然?」


 その声は柔らかい。

 けれど、その視線はまっすぐだった。

 周囲の女性たちも、自然と会話を止めている。

 セレーナは続けた。


「王太子殿下のグラスに毒」


 扇子を閉じる。


「そんなもの、普通は気づかないでしょう?」


 静かな空気が落ちる。

 セレーナは微笑んだ。


「それなのに、あなたは止めた」


 少し間を置く。


「不思議ね」


 テラスの空気が、ほんの少し冷える。

 セレーナの目が、細くなる。


「まるで最初から知っていたみたい」


 遠回しな言い方だが、意味は明白だった。

 周囲の女性たちが、ゆっくりイリスを見る。


 その視線には好奇心と――ほんの僅かな疑い。


 イリスはカップを持ち上げた。

 一口だけ紅茶を飲む。

 それから、静かに言った。


「残念ですが、私には動機がございません」


 セレーナの視線がわずかに動く。

 イリスは続ける。


「ほんの少しだけ」

「そういった物に敏感なのです」


 落ち着いて、とても澄んだ声色。

 微笑みを絶やさずに答える。


 態度とは裏腹の事実。

 彼女の生まれを考えれば、だれでも理解できた。


 一瞬。

 沈黙。

 それから、一人の女性が口を開く。


「……でも、すごいですわ!」

「王太子殿下をお守りするなんて」


 別の女性も続ける。


「ええ、公爵夫人にしかできないことですね」


 テラスの空気が少しだけ緩む。


 セレーナはその様子を見ていた。

 扇子の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。

 だがすぐに、また笑顔を作った。


「そうね」


 ゆっくり頷く。


「公爵夫人は素晴らしいわ」


 セレーナはカップを持ち上げる。


「でも」

「噂は誰にも止められませんからね」


 その声には、確かな敵意が含まれていた。

 イリスはそれを感じ取る。


 そして微笑む。


「そうですね」


 セレーナの目が、わずかに細くなる。

 だがそれ以上は言わなかった。

 代わりに別の話題を出す。


 周囲の女性たちが、また話し始める。

 紅茶の香り。

 穏やかな会話。

 表面上は、完璧な茶会だった。


 けれど。

 その奥で、確かに何かが動いていた。


 茶会は穏やかな空気のまま続いていた。

 紅茶が何度も注がれ、菓子皿が運ばれる。

 会話の内容は取り留めないものばかりだった。


 新しく開いた店の話。

 最近の夜会の噂。

 王都の流行。


 だが、その合間にセレーナの視線が何度もイリスへ向けられていることに、イリスは気づいていた。

 そして、その視線は決して偶然ではない。


「公爵家の生活はいかが?」


 セレーナがカップを持ったまま尋ねる。


「慣れましたか?」


 イリスは微笑む。


「はい。とても良くしていただいています」


「そう」


 セレーナは軽く頷く。


「カーライル様は、捨て猫を無視するほど冷たくはなかったのね」


 少しだけ笑う。


「よかったですこと」

「カーライル様は本当は優しいお方ですから」


 周囲の女性がくすくす笑った。


 イリスはその言葉に反応せず、静かに紅茶を飲んだ。

 セレーナはその様子を観察している。

 そのまま話題を変える。


「夜会では王太子殿下とも踊ってらっしゃいましたね?」


 イリスは答える。


「少しだけ」


「そう」


 セレーナは少し目を細めた。


「殿下も面白い方でしょう?」


 イリスは頷く。


「ええ」


 会話は自然に流れていったが、セレーナが悪意を持っているのは明白だった。

 茶会の参加者たちは、かつての社交界の華と、現在の女王、どちらにつくか決め兼ねているようにも見えた。


 様々な心理戦が行われていく中、太陽はゆっくりと傾いていった。


(そろそろ……)


 イリスがカップを置く。


「今日はお招きいただきありがとうございました」


 そう言って立ち上がろうとした。

 そのとき。


「もう少し」


 セレーナの声が柔らかく落ちた。

 イリスは視線を戻す。

 セレーナは微笑んでいる。


「せっかくですもの」


 扇子を軽く揺らす。


「まだお話ししていないことがたくさんあるわ」


 イリスは少し考えた。

 ここで強く断るのは、社交界ではあまり美しくない。

 イリスは再び椅子へ腰を下ろした。


「では、もう少しだけ」


 セレーナは満足そうに笑った。


***


 一方その頃。

 屋敷の外。


 セレーナ邸の門の前には、リヒター家の馬車が止まっていた。

 カーライルは腕を組んだまま、屋敷を見ている。


 表情は変わらない。

 だが、機嫌が悪いことは明らかだった。

 隣でローレンスが言う。


「まだ帰ってこないね」


 カーライルは答えない。

 ローレンスは空を見上げる。


「天気いいな」


 沈黙。

 ローレンスはちらりとカーライルを見る。


「僕はちょっと遊んでくるよ」


 そう言って馬車を降りていった。


 カーライルは一人イリスを待った。


 暫くして人影が見える。

 カーライルはその方向に目を凝らすが……。


 軽やかな金髪の青年がやってきた。


「まだ帰ってきてなかったんだ」

「がっかりした?」


 ローレンスは笑う。

 カーライルは明らかに不機嫌である。


 ローレンスは続けた。


「そろそろ3時間たつね?」


 カーライルの視線が動く。

 時計を見る。

 そして、ゆっくり立ち上がった。


「迎えに行く」


 ローレンスは笑った。


「お待ちかねだ」


***


 テラスの茶会はまだ続いていた。

 女性たちが話に花を咲かせている。


 そのときだった。

 庭の入口の方から、ざわめきが起きる。


 女性の一人が振り向く。


「……あら」


 別の女性も言った。


「公爵様?」


 テラスの空気が止まる。

 イリスも振り返る。


 庭の向こうから歩いてくる人影。

 濃紺の髪。

 整った礼装。

 リヒター公爵――カーライルだった。


 その後ろの方にローレンスも見える。


 カーライルは迷いなくテラスへ入ってくる。


 女性たちは突如現れたリヒター公爵に釘付けだった。


 カーライルはまっすぐイリスの前まで来る。

 そして言った。


「時間だ。迎えに来た」


 短い言葉だった。

 イリスが少し驚く。


「カーライル」


 カーライルがイリスに手を差し伸べる。


 セレーナがゆっくり立ち上がる。

 微笑みは崩れていない。


「もう帰られるの?」


 カーライルは一瞥する。


「そうだ」


 それ以上の言葉はない。

 カーライルはイリスの手を取った。


「ここで失礼する」


 イリスは少しだけ周囲を見る。


「今日はありがとうございました」


 深々と礼をする。

 女性たちがざわめきは止まらない。


「まあ……!」

「お二人は、あんなに仲がよろしかったかしら」

「絵になりますわね」


 いままでと少し違う視線に、イリスは驚く。

 カーライルはそのままイリスを連れて歩き出した。

 セレーナはその背中を見ていた。


 微笑んだまま。

 けれど。

 その目だけは、笑っていなかった。


 テラスの茶会は、ほどなくして終わった。

 客たちは順番に屋敷を後にしていく。


 馬車の音が庭に響き、やがて静けさが戻る。

 白いテーブルクロスの上には、まだいくつかのカップが残っていた。

 紅茶はすでに冷めている。


 庭の空気は穏やかだ。


 だが。

 その穏やかさとは対照的に、セレーナの表情は変わっていた。


 テラスには、もう彼女一人しかいない。

 扇子を手に持ったまま、セレーナは庭の門の方を見ていた。

 さきほどまで、カーライルとイリスが歩いていた方向。


 その背中を思い出す。

 カーライルは一度も振り返らなかった。

 イリスの手を取ったまま、当然のように連れて行った。


 セレーナの扇子が、ぱたりと閉じる。

 音が小さく響いた。

 しばらく沈黙。

 やがて、ゆっくりと息を吐く。


「……気に入らないわ」


 静かな声だった。

 誰も聞いていない。

 だがその言葉には、はっきりした苛立ちがあった。


 セレーナはテーブルへ歩く。

 紅茶のカップを指先で軽く弾いた。

 カップが小さく音を立てる。


「ヴァルツの娘のくせに」


 小さく呟く。

 

 あの落ち着いた表情。

 穏やかな声。


 そして。

 カーライルの態度。


 セレーナは小さく笑った。


「公爵夫人ですって」


 その笑みは、先ほどまでの優雅なものとは違う。

 冷たい。


「本当に」

「気に入らない」


 セレーナは椅子へ腰掛ける。


 庭の花が風で揺れている。

 その様子をしばらく見ていた。


 そして、ふと笑う。

 先ほどまでの苛立ちは消えていた。

 代わりに、別の表情が浮かんでいる。

 楽しそうだった。


「まあ、いいわ」


 静かに言う。


「時間はあるもの」


 扇子をもう一度開く。

 ぱちりと音がした。


 セレーナはゆっくりと立ち上がる。

 そして庭を見渡した。


 春の光。

 静かな庭。

 誰もいない。

 

 その目は、まるで獲物を見つけた獣のように冷たかった。


「社交界は」


 ゆっくり笑う。


「そんなに甘くないわよ」


 春の風が庭を抜けていく。

 その静けさの中で、セレーナの笑みだけが残っていた。

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