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断罪された悪役令嬢は、公爵様の独占欲から逃れられない   作者: 春野スミレ


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1/11

NO.1 公爵様は社交界に妻を出したくない

 社交界の夜会を、明日に控えていた。

 リヒター邸の中は、いつもより少しだけ慌ただしい。


 廊下では侍女たちが行き交い、衣装箱が運ばれ、宝石のケースが開けられている。


 明日の夜会は、王都でも指折りの規模だ。

 当然、リヒター公爵夫妻も出席することになる。

 そのための準備だった。


 イリスは自室の鏡の前に立っている。

 部屋の中央には、夜会用のドレスが衣装台に掛けられていた。


 深い青。

 夜の空のような落ち着いた色に、銀の刺繍が細く流れている。


 派手さはない。

 だが、静かな気品があった。


 イリスはそっと布に触れる。

 この色を選んだ理由は、はっきりしていた。

 ――カーライルの色。


 濃紺の瞳。

 夜のように深い髪色。


 初めてそれを見たとき、冷たい人だと思った。

 近づきがたい人だとも。


 けれど今は、少し違う。

 イリスは小さく息を吐く。


「……久しぶりですね」


 ぽつりと呟いた。

 社交界の夜会。

 それ自体は珍しいものではない。


 ヴァルツ家にいた頃、数えきれないほど出席してきた。

 だが、今は違う。


 あの頃のように父の命令で動くわけでもない。

 誰かのために笑顔を作る必要もない。


 今回は――

 リヒター公爵夫人としての夜会だった。


 侍女が静かに一歩前へ出た。


「奥様、お着替えのお手伝いをいたします」


 イリスは衣装台に掛けられたドレスをもう一度見上げる。

 

「お願いします」


 侍女たちは慣れた手つきで動き始めた。

 ドレスが衣装台から外され、そっと広げられる。


 軽い布擦れの音が静かな部屋に響いた。

 背中の紐が結ばれ、裾が整えられていく。

 布が身体に沿う。

 見た目よりも軽く、けれど確かな重みのあるドレスだった。


 やがて侍女が一歩下がる。


「お召しになれました」


 イリスは鏡の前へ歩く。


 深い青のドレス。

 銀の刺繍。

 落ち着いた華やかさ。


 ヴァルツ家の頃に着ていたものとは、まるで違う。

 静かな美しさだった。


 そのとき。

 扉が静かにノックされた。


「失礼いたします」


 執事の声だ。


「カーライル様がお見えです」


 イリスは鏡越しに扉を見る。


「どうぞ」


 短く答えた。

 扉が開く。

 カーライルが部屋に入ってきた。


 そして。


 ――その足が、わずかに止まった。


 濃紺の瞳が、イリスを捉える。


 ゆっくりと。

 まるで確かめるように視線が動く。


 肩に落ちる銀の髪。

 深い青のドレス。

 細く絞られた腰。

 床に流れる裾。


 侍女たちも、その沈黙に気づいた。

 互いに視線を交わす。

 そして静かに一礼した。


「失礼いたします」


 気配を消すように部屋を出ていく。


 扉が閉まり、部屋には二人だけが残った。

 カーライルはまだ立ったまま、何も言わない。


 イリスは少し困ったように笑った。


「……変でしょうか」


「いや」


 カーライルはすぐに答えた。

 だが、その声は少し低い。


「変ではない」


 むしろ。


 ――美しい。


 自分でも驚くほどに。

 カーライルはゆっくり息を吐いた。


 ふと、記憶がよぎる。

 結婚式の日。


 あの日も彼女はドレスを着ていた。

 多くの貴族が集まり、華やかな式だった。

 当然、彼女は今日と同じように美しかったはずだ。

 だがそのとき、自分はほとんど見ていなかった。


 あの結婚は政略だった。

 ヴァルツ家への監視。

 問題を起こさせないための処置。

 そのための婚姻。


 彼女はただの「役目」だった。

 ヴァルツ家の娘。

 監視対象。


 それ以上でも、それ以下でもない存在。


 だから。

 ドレス姿の彼女を見ても、何も感じなかった。


 だが今は違う。

 視線を外せない。


 カーライルは一歩近づいた。

 イリスの前で止まる。

 少しだけ視線を落とす。


 深い青のドレス。

 イリスがその視線に気づき、小さく言う。


「その……」


 少しだけ恥ずかしそうに笑った。


「この色、カーライルをイメージして選んだんです」


 一瞬。

 カーライルの瞳が揺れる。


「……私を?」


「はい」


 イリスは頷いた。


「瞳の色と、似ているでしょう?」


 濃紺。

 夜の色。

 カーライルの瞳と同じ色。


 カーライルはしばらく何も言わなかった。

 そして。

 低く言った。


「……綺麗だ」


 イリスの頬がほんのり赤くなる。


「ありがとうございます」


 その表情を見て。

 カーライルの胸の奥で、何かが静かに動いた。

 そして同時に、別の感情も浮かぶ。


 社交界。

 夜会。

 男たち。


 ヴァルツ家の頃。

 彼女は何度も夜会に出ていた。

 男たちに囲まれ。

 囁かれ。

 近づかれていた。


 理屈では理解している。

 あれは彼女の意思ではなかった。


 父の命令。

 ヴァルツ家の策略。

 それでも。


 胸の奥が、わずかにざわつく。

 カーライルの眉がわずかに動く。


(……明日)


 夜会には多くの貴族が集まる。

 当然、男たちも彼女を見る。

 声をかけて、近づこうとする。


 その光景を想像した瞬間。

 カーライルはゆっくりイリスに手を伸ばした。


 腰に触れる。

 そっと引き寄せる。

 イリスが少し驚いた顔をする。


「カーライル?」


 カーライルは低く言った。


「明日の夜会」


「はい」


「私から離れるな」


 イリスが少し首を傾げる。


「どうしてですか?」


 カーライルは一瞬だけ考え。

 それから静かに言った。


「……面倒だからだ」


 それは、ほとんど言い訳だった。

 イリスは一瞬きょとんとして。

 それから、ふっと笑う。


「分かりました」


 素直に頷く。


「離れません」


 カーライルの腕の力が、わずかに強くなった。


 明日の夜会。

 社交界。

 そして――


 まだ知らない出会い。

 そのすべてが、静かに動き始めていた。


***


 夜会の会場は、王都でも有名な大広間だった。


 高い天井から幾つものシャンデリアが吊るされ、磨き上げられた大理石の床に光を落としている。


 楽団の演奏が静かに流れ、貴族たちはグラスを片手に会話を楽しんでいた。


 その空気が、入口付近でわずかに変わる。


 扉が開いた。


 入ってきたのは、リヒター公爵――カーライル。

 濃紺の髪を整えた礼装姿。

 その静かな存在感だけで、周囲の視線が自然と集まる。


 そしてその腕に、一人の女性がそっと手を添えていた。


 銀の髪。

 深い青のドレス。

 夜の色のような布地が、光を受けるたび静かに揺れる。


「……あれが」


 小さな声が広間に落ちた。


「リヒター公爵夫人か」

「ヴァルツ家の娘……」

「思っていたより……」


 言葉が途切れる。

 視線はイリスに集まっていた。


 銀の髪と濃紺のドレスの対比は、夜の光のように静かに映える。

 その腕を、カーライルが自然に支えている。

 

 二人は腕を組み、歩幅を合わせてゆっくりと歩いていた。


「……仲が良さそうだな」


 誰かが小さく呟く。


「政略結婚だと聞いていたが」

「噂とは違うらしい」


 視線の先で、イリスが小さくカーライルに何かを言う。

 カーライルはわずかに顔を傾けて聞き、短く答えた。


 そのやり取りは静かで自然だった。

 周囲の貴族たちは互いに視線を交わす。


(思っていた関係ではない)


 そんな空気が広間に流れる。


 その頃。

 広間の奥。


 大きな柱のそばで、一人の男がグラスを持って立っていた。


 金髪。

 さらりと流れる髪が肩にかかり、

 どこか気だるい雰囲気をまとっている。


 ローレンスだった。


 彼は特に興味もなさそうに、

 広間の入口の方を眺めていた。


 だが。

 視線が止まる。

 銀の髪。

 濃紺のドレス。

 ローレンスの眉がわずかに上がった。


「……へえ」


 小さく呟く。

 隣にいた男が振り向く。


「何だよ」


「知り合いでも見つけたか?」


 ローレンスは視線を逸らさない。


「いや」


 静かに言う。


「ちょっと驚いただけ」


 男が入口を見る。


「ああ、公爵夫人か」

「ヴァルツ家の娘」

「社交界の噂になってるな」


 ローレンスはグラスを軽く回す。

 琥珀色の酒が揺れた。


「……なるほど」


 彼は小さく笑った。


「確かに噂になる」


 その頃。

 カーライルは歩きながら、

 ふと広間を見渡した。


 貴族たちの視線。

 ざわめき。

 その奥。

 柱のそばに立つ男。


 金髪。

 カーライルの視線が一瞬だけ止まる。

 ローレンスもまた、その視線に気づいた。


 ほんの一瞬。

 二人の目が合う。


 ローレンスは軽く肩をすくめ、グラスを口に運んだ。

 カーライルは表情を変えない。


 だが視線を外すと、小さく息を吐いた。


 イリスが気づく。


「どうかしましたか?」


 カーライルは短く言った。


「……いや」


 少し間を置く。


「知り合いがいる」


「知り合い?」


 カーライルは視線を戻さないまま答えた。


「従兄だ」


 イリスは少し驚いた。


「ご挨拶したほうがいいですか?」


 カーライルは即答した。


「必要ない」


 そして付け加える。


「ろくでもない男だ」


 イリスが思わず笑う。


「そんな言い方……」


 カーライルは何も言わない。


 その頃。

 柱のそばでローレンスは、グラスを飲み干していた。

 そしてもう一度、イリスを見る。


 銀の髪。

 濃紺のドレス。

 リヒターの腕に寄り添う姿。

 ローレンスは静かに思う。


(……なるほど)

(これは)

(確かに面白い)


 彼は新しいグラスを取った。

 そして小さく呟く。


「社交界ってやつは」

「退屈しないな」


***


 会場を一周するころには、視線にも少し慣れてきていた。


 最初は突き刺さるようだったそれも、今はただのざわめきに変わっている。

 イリスは小さく息を吐いた。


「……少しだけ、緊張しました」


 隣でカーライルが答える。


「顔には出ていなかった」


「本当ですか?」


「ああ」


 短い言葉だが、声はどこか柔らかい。

 それだけで胸の奥が少し温かくなる。

 そのとき。


「やあ」


 軽い声が割り込んだ。

 二人が同時に顔を上げる。


 そこに立っていたのは、先ほど柱のそばにいた金髪の男だった。


 近くで見ると、思っていた以上に整った顔立ちをしている。

 長めの金髪がさらりと揺れ、どこか中性的な雰囲気すらあった。


 だがその目には、明らかに面白がっている光が宿っている。


「久しぶりだね、カーライル」


 男は気軽に言った。

 まるで旧友にでも声をかけるように。

 カーライルの眉が、わずかに動く。


「……ローレンス」


 低い声。

 歓迎の響きは一切ない。

 ローレンスはまったく気にした様子もなく笑った。


「相変わらずだなあ」


 そして視線がイリスへ向く。

 その視線は露骨ではない。

 だが、明らかに興味を持って観察している目だった。


「はじめまして」


 軽く頭を下げる。


「ローレンス・リヒター」

「カーライルの従兄です」


 イリスはすぐに礼を返した。


「イリス・リヒターです」


 ローレンスの眉が少し上がる。


「へえ」

「ちゃんと“リヒター”って言うんだ」


 イリスは少し驚いた顔をする。


「え?」


 ローレンスは笑った。


「いや、噂がすごかったからさ」

「ヴァルツ家の悪女とか」

「社交界を操る毒花とか」

「どんな人が来るのかと思ってた」


 カーライルの声が低く落ちる。


「ローレンス」


 短い一言。

 だが、止めろという意味は十分に伝わる。

 ローレンスは肩をすくめた。


「怒るなよ」


 そしてまたイリスを見る。

 少し首を傾げて。


「でもさ」

「思ってたのと全然違う」


 その言葉に、イリスは目を瞬いた。

 ローレンスは続ける。


「もっと怖い女性だと思ってた」

「でも」


 彼は少し笑う。


「普通に綺麗な人だね」


 その瞬間。

 カーライルの手が、わずかに動いた。

 イリスの腕を引き寄せる。

 自然な仕草。


 距離が少し近くなる。

 ローレンスの視線がそこに落ちる。

 そして、にやりと笑った。


(ああ)

(なるほど)

(そういう感じか)


 心の中で呟く。

 面白い。

 とても面白い。


 カーライルは昔からそうだった。

 冷静で、完璧で、誰にも興味を持たない男。


 その男が。

 今。

 明らかに警戒している。


 ローレンスはグラスを軽く掲げた。


「邪魔したね」

「また話そう、公爵夫人」


 最後にカーライルを見る。


「お前ともな」


 そしてそのまま、

 人混みの中へ消えていった。

 沈黙。

 イリスが小さく言う。


「……面白い方ですね」


 カーライルは即答した。


「関わらなくていい」


 イリスが少し笑う。


「そんなにですか?」


 カーライルは答えない。

 ただ、ローレンスが消えた方向を一度だけ見る。


(……面倒なことになりそうだ)

 小さく息を吐いた。


 その頃。

 広間の反対側にもどったローレンスは、2人を見ていた。


 遠くに見える銀の髪。

 濃紺のドレス。

 そしてその隣のカーライル。


 ローレンスは静かに笑う。


「へえ」


 グラスを回しながら呟いた。


「これは」

「本当に面白くなりそうだ」

カーライル×イリス

さらにあまあまで書いていきます!

ぜひお付き合いくださいませ。


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