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金継ぎのアルケミスト   作者: Gにゃん
-砕かれた魂の在処-
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第四章:金色の共鳴


 玲とアカリが、公安局本部のセキネの執務室に呼び出されたのは、ジン・タカサゴの事件から二日後のことだった。

 重厚なマホガニーのデスクの向こうで、セキネは組んだ指の上に顎を乗せ、二人を、特に玲を、値踏みするように、しかし以前とは明らかに違う、一種の敬意を込めた目で見つめていた。

「……単刀直入に言おう。君たちには、引き続き、『ゼロ』の調査を続行してもらいたい」

 セキネの言葉に、玲は驚いたが、アカリは、すべてを予測していたかのように、表情一つ変えなかった。

「君たちが持ち帰った、あの『データの欠片』。あれは、ナギ君の解析通り、我々の技術では複製も、追跡も不可能な代物だった。だが、同時に、希望でもある。あれこそが、ゼロの正体と、『破砕』のメカニズムを解き明かす、唯一の鍵だ」

 セキネは、机の上に、一枚の特務辞令を置いた。

「これは、君たち二人を、公安局内の独立部隊として認可するものだ。表向きは、サイバー犯罪課の特殊コンサルタント、ということになる。君たちには、VR空間内における『ゼロ』、及びその協力者の追跡と、可能であれば、その無力化を要請する」

「しかし……僕は、ただの修復師で……」

 玲が、思わず口を挟む。

「君のその力が、今や、我々が持つどんな兵器よりも有効な『武器』になりつつあるんだ、継実君」

 セキネは、静かに言った。

「VR空間という、魂が剥き出しになる戦場で、敵は精神を直接攻撃してくる。ならば、こちらも、魂に直接干渉できる専門家を立てるのが、最も合理的だろう」

 それは、玲にとって、到底受け入れがたい理屈だった。自分の力は、戦いのためのものではない。人を、傷つけるためのものではない。

 その玲の葛藤を見透かしたかのように、アカリが口を開いた。

「……彼には、戦闘能力はありません。ですが、彼の力は、敵の位置を探知し、その弱点を暴く『最強のレーダー』になります。攻撃は、私が担当します。それで、問題ありませんか」

 その言葉には、玲を守るという、明確な意志が込められていた。セキネは、アカリの顔をじっと見つめ、やがて、深く頷いた。

「分かった。すべて、君に一任する。必要な機材、情報、予算は、無制限に提供しよう。……頼んだぞ」

 こうして、玲とアカリは、正式に、謎のサイバーテロリスト『ゼロ』を追う、秘密のパートナーとなった。

 工房に戻ると、アカリは、すぐさま玲の「訓練」を開始した。

「話にならないな」

 VR戦闘シミュレーターの中で、玲のアバターが、開始三秒で敵の弾丸に蜂の巣にされるのを見て、アカリは、冷たく言い放った。

「君の反射速度は、一般人の平均値を、さらに下回っている。思考パターンも単調で、容易に予測可能。これでは、戦場に出る前に、雑魚キャラにすら狩られるのがオチだ」

「だ、だって、僕は、こういうのは……」

「言い訳はするな。君が死ねば、任務は失敗する。まずは、基礎的な回避行動と、敵性対象の行動パターンの予測を、君のその“のろまな”身体に叩き込む」

 その日から、玲の地獄の特訓が始まった。アカリの指導は、一切の妥協がなく、玲は、来る日も来る日も、仮想空間の中で、撃たれ、斬られ、爆破され続けた。

 一方で、アカリもまた、自らの「訓練」を始めていた。

 彼女は、ナギに頼み、工房内に、微弱な精神汚染フィールドを発生させる。それは、人体には影響のない、ごくごく僅かな『破砕』の残滓データだった。

 アカリは、目を閉じ、意識を集中させる。そして、自らの右腕に刻まれた、金の継ぎ目へと、意思を注ぎ込む。

 ――感じろ。

 最初は、何も感じなかった。だが、何度も、何度も繰り返すうちに、彼女は、空気中に漂う、目に見えないノイズの「質感」のようなものを、肌で感じ取れるようになっていった。

 そして、ある時。

 彼女の右腕の金の継ぎ目が、ふわり、と、自発的に、淡い光を放った。

 光が広がると、周囲に満ちていた精神汚染データが、浄化されるように、霧散していく。

『……すごいな』

 ナギが、感嘆の声を漏らした。

『アカリ、君のその腕は、玲の能力に共鳴するだけでなく、一種の指向性を持つ、能動的な防御フィールド(フォースフィールド)を形成できるらしい。君の完璧な精神制御能力が、玲の魂の力を、増幅し、安定させているんだ』

 アカリは、光を放つ自らの腕を、静かに見つめていた。

 かつて、完璧だった自分。

 今の、傷を負った自分。

 どちらが、より強いのか。答えは、まだ、出なかった。

 数週間の訓練を経て、玲の動きは、ようやく、ぎこちないながらも、戦場で生き残れる最低限のレベルに達した。

「よし。これより、実戦に移行する」

 アカリは、最終的な承認を下した。

「ジン君のチームオーナーだった、コウガミ氏から情報が入った。『アヴァロン・ブレイク』の非公式対戦サーバーに、最近、ゼロの模倣犯コピーキャットのようなプレイヤーが出没しているらしい。対戦相手を精神的に追い込み、引退に追い込む、悪質なプレイヤーだ。まずは、そこから探る」

 玲とアカリは、工房に設置された、最新鋭のフルダイブ装置に、並んで横たわった。

「玲」

 ダイブを開始する直前、アカリが、彼に声をかけた。

「シミュレーションとは違う。何が起きるか分からない。だが、忘れるな。君の背中は、私が護る」

「……うん」

 玲は、力強く頷いた。

「僕も、君のこころが、壊れないように、傍にいるよ」

 二人は、視線を交わし、同時に、意識をデジタルの海へと解き放った。

 目指すは、『アヴァロン・ブレイク』の闇。

 ゼロへと至る、最初の足跡を見つけ出すために。


デジタルの奔流が収束し、玲とアカリのアバターが、ある場所に実体化した。

そこは、新京都のきらびやかな風景とは似ても似つかぬ、猥雑わいざつで、危険な匂いに満ちた空間だった。

空には、どす黒い雲のテクスチャが広がり、錆びついた鉄骨が蜘蛛の巣のように張り巡らされた路地裏には、違法な改造を施したアバターたちが、品定めするような視線を二人に向けてくる。壁には、絶えず点滅を繰り返す、グリッチアートのグラフィティ。腹の底に響くような、歪んだ重低音のビート。

『アヴァロン・ブレイク』の非公式対戦サーバー、通称『スクラップ・ヤード』。

ここは、公式サーバーを追放された者や、より過激な刺激を求める者たちが集う、無法地帯だった。

「……空気が悪いな」

アカリが、周囲を警戒しながら、忌々しげに呟いた。彼女のアバターは、無駄な装飾を一切排した、黒い強化戦闘服姿。だが、その洗練されたフォルムと、隙のない佇まいは、この無法地帯では、逆に異様なほどの存在感を放っていた。

「うん……いろんな声が、混じり合ってる。妬み、怒り、焦り……」

玲は、目を閉じて、周囲の魂の残響に耳を澄ませる。彼の感覚は、VR空間内では、より鋭敏になるようだった。

「だが、目的の『ノイズ』は、この奥だ」

アカリが、路地の先を指差す。そこだけ、ひときわ強い悪意と、熱狂した思念が渦巻いているのを、玲も感じ取っていた。

二人が辿り着いたのは、ドーム状の、巨大な金網で囲まれた闘技場アリーナだった。

中央では、二体のアバターが、激しい戦闘を繰り広げている。観客たちは、金網に張り付いて、野獣のような歓声を上げていた。

やがて、勝負が決した。一体のアバターが、派手に吹き飛ばされ、地面に倒れ込む。

勝利したアバターは、ゆっくりと、敗者へと歩み寄った。その姿は、ゼロを模倣したかのように、黒いコートに身を包んでいる。だが、本物のゼロが持つような、底知れない威圧感はない。代わりに、サディスティックな愉悦が、その全身から滲み出ていた。

「おら、立てよ。まだ、遊んでやっから」

黒いコートのアバターは、倒れた相手を足蹴にする。そして、その指先から、黒く、淀んだ光――『破砕』の、まがい物――を放った。

「やめろ!」

相手は悲鳴を上げるが、もう遅い。黒い光を浴びたアバターは、痙攣し、その姿がバグを起こしたかのように、激しく点滅を始めた。魂に、修復困難な傷を負わされたのだ。

「ひひっ、また一人、壊れちまったなァ!」

黒いコートは、満足げに笑った。

「あれが、ターゲットだ」

アカリの声は、絶対零度まで凍てついていた。

玲は、こくりと頷く。間違いない。あの男が使う力は、まがい物ではあるが、間違いなく、ゼロと同じ系統の、魂を汚染する力だ。

その時、黒いコートの男が、アカリと玲の存在に気づいた。彼は、にやりと、下品な笑みを浮かべる。

「お? 見かけねぇ顔だな。そこの姉ちゃん、いい身体してんじゃねぇか。俺様と、遊んでいかねぇか? お前のその綺麗な顔が、絶望に歪むところを、見せてくれよ」

挑発。

だが、アカリは、それに乗らなかった。彼女は、ただ、静かに闘技場の中へと足を踏み入れる。

「……お前が、次に壊れる番だ」

戦闘は、一瞬で始まった。

黒いコートの男は、素早かった。彼は、空間にノイズを発生させて相手の視界を奪い、その隙に死角から攻撃するという、トリッキーな戦い方を得意としていた。

「見えねぇだろ! 俺様の攻撃はよぉ!」

男の卑劣な笑い声が、闘技場に響く。事実、アカリは、彼の幻惑攻撃に、動きをわずかに乱されていた。彼女の完璧な予測システムが、この無秩序なノイズによって、わずかなエラーを起こしている。

「アカリ!」

その時、玲の声が、プライベート回線を通じて、彼女の脳内に直接響いた。

「左だ! そいつ、右からの攻撃を警戒するフリをして、左に意識を集中させてる! 自信がないんだ、自分の左側に!」

玲には「見えて」いた。男の魂が放つ、恐怖と虚勢の揺らぎが。

アカリは、一瞬の躊躇もなく、玲の言葉を信じた。彼女は、右に避けるフェイントを入れると同時に、身体を反転させ、左方向へ、全速力で突っ込む。

「なっ!?」

完全に意表を突かれた黒いコートの男が、驚愕の声を上げた。アカリの、電光石火の蹴りが、がら空きになった男の胴体を、正確に捉える。

男のアバターが、大きく吹き飛ばされた。

「てめぇ……!」

体勢を立て直した男は、逆上し、その両手に、今までで最大級の、黒く淀んだエネルギーを溜め込み始めた。

「もう許さねぇ! お前ら二人まとめて、魂ごとスクラップにしてやる!」

狙いは、アカリではなく、その背後で無防備に立つ、玲。

男が、魂を砕くための、最大の一撃を放とうとした、その時――

アカリが、玲の前に立ちはだかった。

そして、自らの右腕を、前へと突き出す。

「――その穢れた光、私の領域に入れるな」

アカリの腕に刻まれた、金の継ぎ目が、まばゆい光を放った。

彼女の腕から、黄金の光の粒子が、半透明のシールドとなって展開される。それは、完璧な秩序と、穢れを知らぬ聖域の具現。

黒く、無秩序な破壊のエネルギーが、その黄金のシールドに激突した。

だが、破壊は起きなかった。

黒いエネルギーは、金色の光に触れた途端、まるで、闇が光に浄化されるように、すうっと、音もなく消滅していった。

「……な……に……?」

黒いコートの男が、自らの切り札が、いとも容易く無力化されたことに、呆然と立ち尽くす。

その一瞬の隙を、アカリは見逃さなかった。

彼女は、黄金の光をまとったまま、一瞬で男との距離を詰めると、その金の継ぎ目が輝く腕で、手刀を、相手の胸元に、寸止めで、突きつけていた。

「……チェックメイトだ」

アカリの冷たい声が、静まり返った闘技場に響き渡った。

勝敗は、決した。

玲は、震える足で、敗北し、戦意を喪失した黒いコートの男のアバターに近づく。そして、その胸に、そっと手を触れた。

「……もらうよ。君が、弄んでいた、その呪いを」

玲は、男が力の源にしていた『破砕』のコードを、その魂から、静かに引き抜いた。

それは、ゼロへと繋がる、二つ目の、小さな欠片だった。

黒いコートの男は、魂の拠り所を失い、その場にがくりと膝をついた。彼のアバターは、もはや何の力も持たない、ただの初期設定モデルへと姿を変えている。彼は、恐怖に歪んだ顔で玲とアカリを交互に見ると、悲鳴のようなログアウト音を残して、その場から掻き消えるように姿を消した。

闘技場を支配していたのは、水を打ったような静寂だった。

先ほどまで野次と罵声を飛ばしていた観客たちは、誰一人、声を発しない。彼らは、ただ呆然と、闘技場の中央に立つ二人を見ていた。特に、アカリの腕から放たれた、あの神々しくも、絶対的な秩序の光。それは、この無法地帯に生きる者たちが、最も理解できない、そして、最も抗えない力の色だった。

アカリは、周囲の視線を意にも介さず、玲に一瞥をくれると、無言で踵を返した。玲も、その後ろに続く。

二人が闘技場を去る時、モーゼの奇跡のように、観客たちの間に、道が開いた。それは、畏怖の道だった。

工房に戻り、現実世界へと意識を浮上させた玲は、どっと、全身から力が抜けるのを感じた。VR空間での戦闘は、肉体的には疲れないはずなのに、精神的な消耗は、現実のそれ以上だった。

「お疲れ様、二人とも。見事な連携だったよ」

ナギが、出迎えるように言った。その声には、称賛の色が滲んでいる。

「早速、新しい『欠片』の解析を始めた。……これは、興味深い結果が出た」

ナギは、工房の壁に、ホログラムディスプレイを投影する。そこには、二つの複雑なコードが、並べて表示されていた。

「一つ目の欠片と、二つ目の欠片。単独では、意味のない情報の羅列だ。だが、二つを重ね合わせると、特定のパターンが浮かび上がってくる。まるで、鍵と鍵穴のように」

ディスプレイ上で、二つのコードが融合し、新たな文字列を形成していく。

『M_System_Ver.4.0_Archived_Data』

「……Mシステム?」

アカリが、その文字列に眉をひそめた。

「旧世代の、没入型教育支援システムだ」

ナギが、即座に答える。

「十年以上前に、開発が凍結されたプロジェクトだよ。人間の脳と、仮想空間をより深く結びつけ、学習能力を飛躍的に向上させるのが目的だった。だが、被験者の精神に、深刻な副作用が出たために、計画は凍結。関連データは、すべて封印されたはずだった」

「ゼロは……その、封印された技術にアクセスできる、ということか?」

アカリの問いに、ナギは「その可能性は、極めて高い」と答えた。

ゼロの正体は、単なる凄腕のゲーマーではない。国家レベルの、旧世代の機密技術にさえ通じている、恐るべきハッカー、あるいは、研究者。

敵の輪郭が、ほんの少しだけ、だが、確実に見えてきた。

「……疲れただろ」

玲が、椅子に深く腰掛けたまま動かないアカリに、声をかけた。

「君の『光』がなければ、僕は、あの闇に飲まれていた。ありがとう」

「……礼を言うな。私は、私の任務を遂行しただけだ」

アカリは、ぶっきらぼうに答えた。だが、すぐに、小さな声で付け加える。

「……それに。君の『目』がなければ、私は、あのまがい物にすら、勝てなかったかもしれない」

それは、彼女の口から出た、初めての、率直な弱音であり、そして、パートナーへの信頼の言葉だった。

玲は、その言葉に、静かに微笑んだ。

彼は、ゆっくりと立ち上がると、作業台の隅に置いてあった、あのブリキのオルゴールを手に取った。戦闘の合間に、修復を終えていたのだ。

玲が、そっとゼンマイを巻く。

すると、工房の静寂の中に、ぽつり、ぽつりと、優しく、懐かしい音色が響き始めた。

それは、誰もが子供の頃に聞いたことのあるような、素朴な子守唄。

激しい戦闘の熱が、その穏やかな音色に、洗われていくようだった。

アカリは、何も言わずに、その音に耳を傾けている。その横顔は、玲が初めて会った時のような、鋼鉄の仮面のような硬さは、もう、どこにもなかった。

ゼロの影は、まだ、都市の深い闇の中に潜んでいる。

彼らの戦いは、始まったばかりだ。

だが、工房に流れる、この小さなオルゴールの音色が、二人が戦う理由、そして、守るべきものの温かさを、何よりも雄弁に物語っていた。

不完全な二人は、互いの傷を補い合いながら、明日もまた、闇の中へと、足を踏み入れていく。

確かな絆だけを、道標にして。


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