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9話 私はクッキーを食べる

アンナの手に導かれて、私だけベッドに近寄っていく。

3メートルくらい離れた距離から、彼女の手の届く範囲へと向かうのに、一歩一歩背中がびっしょりになっていく気がした。

そして、アンナの目の前に立った時。恐れていた彼女の手は、私の頭に収まる。


「緊張しているね。最近は血なまぐさいことはしていないが……おまえは私から血の匂いがすると泣いて嫌がっていたから、そのせいか?」


優しく頭を撫でる王妃に、私はあっけにとられた。

バレてない?バレてない!

私に穏やかな目を向ける彼女は、何も気づいていない様子で近くの椅子を勧めてきた。

おずおずと座る私に、メイドに持ってこさせたお菓子をくれる。

なんだかハーブのような香りがするクッキー。どこか柑橘のすっぱい香りがして、ちょっとおいしそう。


「今回の遠征でたまたま私の祖国に寄ったから、土産と思って。おまえは甘いものが好きだが、甘すぎるものは好みではない。レモングラスのハーブが入ったこのクッキーは、少々大人向けだがとても美味しい」


なんと王妃自ら私の口元にクッキーを差し出す。

あーんの体勢にちょっと戸惑ったけど、思い切って口にする。

それは確かに香りが良くて、甘いけどすっきりしている。確かにおいしい。


「おや、そんなに喜んでもらえるとは。持ち帰った甲斐があったな」


口元の食べかすをぬぐってくれるアンナに笑顔を見せると、少し驚いた表情を見せた。


「おっと、そんなに嬉しかったのか。そこまでの反応は珍しい、まだまだあるから食べなさい」

「はい、お母様……あ」


ふと後ろを振り向くと、私のメイドたちが少し羨ましそうにこちらを見ている。

主とその母の再会を邪魔しないように離れた位置にいるのは、使用人の基本。それに、主人はメイドと違うのだから、そこまで心を砕かなくていいのはわかっている。

でも、私たちを見つめるその顔は、スラムの私よりも幼い子たちが食べ物を欲しそうに見る目と重なって胸が締め付けられた。

色んな理由があれ、平均以上の賃金がもらえる王宮の使用人なのに、お金に困っている彼女達。彼女たちは、自分でお菓子を買って食べることがどれだけできるだろう。


「あの、このクッキー自室に持っていってもいいかしら。後でまた食べたいの」

「お前のメイドたちにか?随分と気に入っているようだな。使用人に情を見せるなんて、人が変わったように成長したものだ」


ギクッとアンナの言動一つ一つに過敏に反応してしまう。

表情に出さないようにしていても、既にバレているかもしれないという思いは消えない。

でも、アンナが絶えず私に触れて愛おしげに撫でるものだから、疑いきれない。


「距離感を考えなくてはいけないが、専属になった者は大切にしなさい。お前の手足で懐刀で、そして、命綱だ」


アンナの傍らに控えている彼女の専属メイドが嬉しそうに声を上げるのを、専属の執事が優しく諫める。

彼女は他国から政略結婚のために嫁いできた人だ。信頼できる人を連れてきたかもしれないけど、自分の周りを他国の人間で埋めるのは周囲からの心象が良くない。

きっとこの慣れない国で信頼を得て、自分の命綱とまで言える人達を選んだんだろう。

喜ばしいといったのは、そのせいかもしれない。

すべて自分の策略で、自分に縛り付けるようにして選んだ彼女達を思う。

なんだか、いざというときに裏切られても仕方のない気がしてきた。


それからアンナは本を読んでくれた。

子供向けの、この国建国の伝説が綴ってある「英雄ディオメシウス」の本。

ディアーナのために用意したのだろうその本と、自分がスラムで貴族から聞いた内容は全く変わらない。

それでも、優しく朗読する母としての彼女に胸が痛んだ。


「もう出ていくのか?もう少し居てもいいのだぞ」

「ううん、お母様はお体が悪いから、お休みになってほしいの。淑女はちゃんと気遣いができるのよ!」


じゃあごきげんよう!とアンナの部屋退室する。

外は美しい夕焼けで、窓から入る光は少し眩しい。

専属の者以外は、既に仕事が終わっている時間だからか、昼間ジロジロ見られた視線はどこにもなかった。


「なあ、そのクッキーあたしたちも食べていいのか?」

「いいんでしょうか、だって王妃様からのですよ?」

「ディアーナ様、よいのですか」

「ええ、いいわよ。あなた達三人で分けて。……だからちょっと一人にしてちょうだい」


メイドたちを置いて、私は急いで自室に戻った。

灯りも炊いていない室内は薄暗くて、アンナの部屋と違って誰もいない部屋はどことなく冷たい。

私は床にへたり込む。

そうでもしないと、自分の考えに押しつぶされそうだった。


「私は、偽物だ……!」


ボロボロと流れる涙は、悲しいのか苦しいのか、なんで流れているのかもわからない。

ただ、母としてディアーナを思うアンナを見て、これ以上ここに居続けることがどうしようもなく苦しかった。

彼女から我が子を奪い、その座に成り代わった子供。

それは、どれだけ重罪だろう。法律の話ではなく、この愛を受けるべき子供のすべてを奪ったことが胸にのしかかる。


私にだって抱えているものがある。それは、ディアーナの犠牲とスラムのみんなの命。

自分が、今アンナを死なせないように立ち回るのは罪滅ぼしかもしれない。

明日からまた彼女の死を回避するために行動することは変わらない。

でも、でも今だけは。

今だけは、床ですら豪奢なこの場所で一人、吐き出させてほしかった。

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