87話 まさかの展開、俺の提案
時間は戻る。
それは、アテナの煙幕が発動した直後のこと。
久々の全力バトルに終止符を打たれて水を差されたような気分だった。
だとしても最優先はこの大回廊からの脱出。
煙幕に乗じて逃げようとしたその時、アテナのデカい声が耳に届いた。
「コマチカジノに走れっ!!!」
裏カジノの野郎どものムサい声にかき消されながらの言葉に、嫌な予感がした。
アテナの姿は確認できていない。
頭は足りていないなりに、煙幕の発生場所もうまい具合に行っていたから心配はしていなかった。
だが……
(これまで隠れてたのに、わざわざ大声でコマチに指示?何のために?)
俺はアテナに『必要な時以外は潜入時禁止。足元すくわれますよ』と教えたことがある。
当然のことだ。存在殺して任務するのに、自分の声でアピールする意味がない。
あいつはバカだけど、やるなと言われたことを二度はしない。
(裏カジノの場所を探るためにとある貴族邸に潜入したとき、ずっこけて声を出しやがったからその時にきつく関節をキメた事がある)
考えられるのは……こちらへのアピール。
アテナがコマチを単独で送り出すことを選択するほどに追い詰められた状況。
思考一秒後、俺は跳んだ。
(声の方向からして煙幕発生地点のすぐ近く、この中を走れば30秒、跳べば15秒!)
煙幕の効果は大体20秒ほど。
俺は自信の離脱を諦め、アテナの方向に向かうことを選んだ。
仲間を見捨てるのは許さない、なんてクサいもんじゃない。
(教え子のアテナが死んだら、全面的に俺の顔に泥塗るようなもんなんだよ!)
煙幕が晴れる。
見えてきたのは、黒髪に染まったままの15にしちゃ小さい姿。
立ったまま子供を抱きしめて、動かない。
子供の手に握られたナイフを素手で掴んで、血が垂れている。
そして、膝から崩れ落ちるように一人倒れた。
「手袋外さないでください…って、聞こえてないですね」
アテナのそばに音もなく降り立つと、子供がこちらを呆然と見ています。
血が付いたナイフをそのままに、こちらに突撃する様子もない。
ナイフをよく見れば、刃の溝に紫色の液体。
(毒か。まだアテナには毒耐性訓練はしてませんでしたね)
どうするべきか。
煙幕が晴れた今、アテナは意識なし、俺もはしゃぎすぎて黒い潜入服が自分の血と返り血が滴っている。
目の前の子供はなんでしょう、無視してもいいですかね?
さすがに心は痛…まないですね。やられたら5倍返ししてもいいと勝手に思っているんですが。
「いたぞ!ジーク覚悟ォォォォ」
「ったく、トモエのやつしっつこいですねぇ……」
人数の多さというのは強い。
その上、このトモエはこれだけの人数を動かす何かがある。
さっき女子供と一緒にカジノエリアに入っていった奴も気になる。絶対にタダモノじゃない。
(アテナを抱えてカジノエリアにいく…間違いなく追ってくるのでカオスは必至なので却下。このまま戦闘を行う…いや、おそらくコマチが離脱している以上ここに留まっても利がない)
ひとまず押し寄せるトモエの軍団に対抗しようと、戦闘の構えをとったときまさかの人物がこのイノシシのようにうるさいトモエを止めました。
「やめてトモエの兄ちゃん!この人悪い人じゃないよ!!」
さっきまでアテナに抱えられ、毒で倒した幼い少女が、俺の前に立ち両手を広げて大声を出す。
その姿に「シズ!?なんでおまえここいんだよ!」と答えながらも足を止める。
先頭のトモエが足を止めたから、後続はつんのめってすっ転んでいます。
ハハハ、無様。
「お前も見てたろ!その男、あんだけ暴れてみんな大怪我だ!」
「この男の人は知らないっ!」
「あれ、俺は庇ってくれないんです?」
「この女の人、シズを守ってくれたの!なのに、シズ、毒で殺しちゃっ…」
「無視しないでください寂しいので。あとアテナを勝手に殺さないでくださいます?」
「ジークテメエは黙ってろ!」
「この状況で冷静に整理してるの俺だけなのにいいんです?」
シズと言ったか。この少女がアテナを庇っているのはよくわかった。
時間がないって言ってんのに子供庇って、その相手に毒食らってるようじゃまだまだでしたねアテナ。
ですが、この子供にここまでさせたのは合格です。
このカオス的状況、突破口になることでしょうから。
「トモエの兄ちゃん、お願い。解毒薬使っていい?この女の人治したいの」
「ダメだ!こいつらは裏カジノをめちゃくちゃにした、その報いだ。シズ、お前はいいことをしたんだよ」
「あーあー。子供にひどいこと言ってますよォあまりにも怖くて俺が泣いちゃいそうです」
「黙れや!!」
煽ってしまうのは悪い癖。
だって隙が見えやすくなるのでつい。
まだまだこれから煽っていこうというところで「若~~!!!若!!大変だあ!!」というちょっと間抜けな大声が入り込んできた。
カジノエリアでちらっと見た黒い礼服もどきを着た男。服の乱れもないから、俺がまだ叩きのめしていないのは確かです。
「どうした!」
「み、ミクサ幹部が!コマチさんとロシアンです!さっき、一発目が始まって」
「馬鹿野郎早く言いやがれ!!お前らカジノ行くぞ!」
オオオオー!!
イノシシのように俺達に向かってきたトモエの一群は、くるっと踵を返してカジノエリアに向かう道へ吸い込まれていく。
「あれー?俺達もういいんですか?」
「兄貴ーーー!死なないでぇぇぇぇ」
軽い調子でトモエの背中に問いかけるも、もう聞こえていないのか返事はない。
まさかの取り巻きも、俺がぼっこぼこにした野郎どもも全員こちらを見もせずにだ。
(……え、本気なんですか?ここまで俺を殺すチャンス放り出してそっち行くんですか?)
スパイの時もここまでの意味不明な状況には陥ったことがない。
一瞬アイツらが戻るの待っててやらなきゃダメなのかと考えるくらいには、俺の頭もやられていた。
すぐにハッとして倒れるアテナの様子を見る。
気を失っていますが、小さく呻き声をあげていたので2割ほどの力でビンタをする。
すると目を開けたので、一安心。
「よかったですアテナ。俺は心配で心配で涙が出そうでしたよ」
「バカ力がよ…叩きたいだけだろ」
「おやバレてました?」
「おねえちゃん…!うそ、生き返った!」
アテナの声に嬉しそうに近寄ってきたのは、考えるまでもなくさっきのシズという子供。
度胸があって、助けられた恩で味方すら止めるとんでもない子供。
ディアーナ様といい、この子供といい、最近のガキってのはどうしてこんなに将来有望なんでしょうか。
「シズ、と言いましたね。どうです?俺と契約しませんか」
「嫌です」
「おや残念。ではお願い聞いてくださいよ」
警戒心に満ちた目で俺を見るその顔、とてもいいですね。
幼いころの自分を思い出します。
「今なら誰も見ていません。この後、最高におもしろいものを見せてあげますので、解毒薬をアテナに使ってください。後悔はさせませんから」




