81話 コマチの取り合い
「コマチはディアーナ王女に忠誠を誓っていない」
その事実を突きつけられたディアーナ王女は、表情が変わらなかった。
王族にとって専属使用人は最も身近な人間。
自らの家族よりも長い時間を過ごし、いざというときに盾になるのも厭わないほど忠誠心に満たされた存在。
専属使用人は、敵の多い貴い身分の者が最も信頼を寄せる者であり、危うい事態になったときに真っ先に命を預け、主が生き延びるために命を捨てられる、忠誠心に満ちた者たち。
少なくとも、アンナ王妃の専属使用人は他国から嫁いだ彼女にとって命綱として認識できるほどに彼女のためにすべてを惜しまない者たちの集まりであった。
王族の専属使用人は、それほどの心構えが求められるというのに。
「コマちゃんはね、自分を裏カジノから表に引き上げてくれたクソ王妃に恩義を感じてるだけ。それ以外にコマちゃんが仕える理由、ある?」
「ずいぶんと知ったような口を利くのね」
「知ってるからさ。小さいころから競わせるために近くで育てられてきたんだ」
「幼いころのコマチと今のコマチが一緒だとでも?執念深い男は嫌われるわよ」
「言うじゃないか、まだ9年しか生きてないガキが」
「2年彼女の主をして、毎日ともに過ごしているのだからわかることはあるわ」
「たった2年で知ったような口をきくなよ」
「されど2年、の間違いではなくって?」
ディアーナ王女はこんな時でも気丈に振舞う。
背が高い黒髪のメイドに守られているからなのか、彼女は明らかに先ほどまでとは違う自信に満ち溢れていた。
それが気に入らないミクサは、とことん煽る。
彼にとって、コマチを勝手に語る者は敵意を向けるべき一人でしかない。
「お前に何ができるっていうんだ。民衆の声を聴く王女として2年間やってきたとして、たかが『王の娘』。政策に影響できる力は皆無だろ?」
「それは、コマチの件とは関係ないわ。あなたも、それわかっているんじゃなくって?」
「なんだと?」
「血よりも強いものはあるということよ」
それを告げた後、ディアーナ王女はメイドのコマチの背に手を当てた。
それだけだ。特に特筆べきことはしていない。
ただ優しく、手のひらを自らより広い背に向けて言葉を放つ。
「わたくしは、あなたを信じている。あなたに、命を預ける。あの日のあなたを、忘れない」
それだけを告げて手を下ろした。
ミクサは意味が分からないという顔をして首をかしげていたが、コマチはディアーナ王女を振り返り、信じられないとでも言いたげな表情を浮かべる。
「自分は、罪人です。それでも、よいのですか」
「あなたが、いいのよコマチ」
それをディアーナ王女から告げられたコマチは、目を見開き顔を真っ赤にした。
いつも肌が真白で、血色の悪そうだった彼女はそれだけで目に涙を浮かべる。
その様にミクサもメリーも目が離せなかった。
「わたくしをお母様の代わりにするのなら、それでもいい。でも、この2年間で過ごしたあなたが『お母様への思い』だけでわたくしに仕えられるほど器用だとは思わないわ」
「ですが、自分がアンナ王妃に恩を感じていることは事実です」
「だとしても、5人でお茶をしたあの風景が嘘だなんて思えない。あなたは、わたくしを、わたくしたちの仲間でしょう?」
それがとどめだというようにコマチは膝から崩れ落ちた。
嗚咽一つ漏らさず、目から大粒の涙をこぼしながらもディアーナ王女から目を逸らさない、瞬きすらしない。
そんな彼女を、ミクサ、メリー、ディアーナ王女が眺めていた。
ミクサですら銃を下ろし、彼女の反応にすべての意識を向ける。
「コマちゃん、そんな奴の話なんか聞く価値ない。このままワシと裏カジノにいればいい、コマちゃんなら幹部の座を渡すよ」
「コマチ、自分で考えなさい。わたくしは指示しないわ…裏カジノで幹部になるか、わたくしとこの国を動かす柱となるか。選びなさい」
かたや裏社会の幹部、かたや王国の後継を補佐する使用人。
考えるまでもなく、前者の待遇がいいに決まっている。
しかし、コマチは決めきれないでいた。
実にぜいたくな悩み。
彼女の出自が裏カジノ幹部の娘として英才教育を受けた才女である経歴と、現在まで国民のため研鑽を続ける王女の側近として働いた現実があるために起こったヘッドハンティング闘争。
コマチは、意を決したように口を開いた。
「自分は、自分のままであなた方のもとに戻ってもいいのでしょうか…」
少々弱気なその言葉は、明らかにミクサとディアーナ王女の返答を求めていた。
その言葉にいち早く返したのはミクサだった。
ディアーナ王女に相対した時とは全く違う優し気で、彼女を気遣うように正面から目を合わせてコマチに向かって両腕を広げ、まるで抱きしめるのを待つように立ち上がる。
「もちろんだよ。ワシはずっとコマちゃんが戻るのを待ってた、ワシに匹敵する頭脳と度胸を持つのは小さいときから同じ教育を受けたコマちゃんしかいない」
さて、反対にディアーナ王女は腕を組んで目を閉じる。
何かを考え込み、誰とも目を合わせないその姿は拒絶ともとれる。
しかし、数秒後、彼女は目を開けた。
コマチの背を前に、目すら合わせず彼女の背に向けて言葉を発した。
「ダメよ。あなたは向き合いなさい、自分の心と、過去と、自分自身の意志と。その上でわたくしを選ぶなら、王宮に迎えてもいいわ」
厳しい言葉だった。
ミクサに比べれば優しさのかけらもないと言える。
彼女のままでいいと言わない王女の言葉は、一つの忖度すらなかった。
だが、ミクサもディアーナ王女も思っていたはずだ。
『彼女の返答に良しと言われたほうが、コマチを手に入れる』
彼女はただの王族専属使用人だ。
しかもその経緯は王女にコソ泥を働いたという実に汚いもの。
出自は裏カジノとしては輝かしい。幹部の娘として生まれ、今後の未来を託された存在であるにも関わらずだ。
コマチはうつむいた顔を上げた。
その表情は、揺るがない意思を決めた凛々しいもの。
「自分は…」
彼女の返答は、ディオメシア国と裏カジノに影響を与える。
王女と幹部、二人に乞われる彼女の答えは大きな歴史の礎となる。




