33話 それぞれの夜、涙、平穏
気が付けば夕日が沈み、あたりは暗がりに包まれかけてた。
孫娘と惜しみながら別れのあいさつを交わしたヴァルカンティアの宰相夫婦は、
孫娘ディアーナと手塩にかけて育てたジークに見送られて馬車に揺られている。
「いやはや、あまりに意地が悪かったんじゃないかハイネ。七歳相手だというのに、いくつも試すような真似をして。
ジークだって、ちゃんと君が教育を施したのは8歳になってからだったと思うが」
「アンナには6歳の内から教えていたんだぞ。それに国を背負って立つ運命にあるんだ。相手の約定を見破り、利益の度合いを読み、自分の要求を通す。
全て今のうちにできなくては今後が危ぶまれる。多少甘くしたが、今回は及第点」
「多少?かなりの間違いだろう。ジークが顎を外したような顔をしていたのを見たか?」
「多少だ。これから長い付き合いになる同盟国の交渉相手に、第一印象で悪感情を持たせるわけがない。今回だけだ」
「ちゃっかり報告の名目で文通の契約まで取り付けていただろうに……でも、そういうことにしてやるさ」
夜の森を進む馬車は、真っ暗だ。
ろうそくでぼんやり照らされた馬車の中は、夫人の微かな笑い声が響いていた。
「それにしても、ジークを欲しがるなんて、やはり母子か。アンナが問題児だったあいつを引っ張ってきたときには目を剝いたというのに」
「ああ、全く。アンナも負けず劣らず、言うことを聞かないで突き進んで、勝手に戦場の指揮をとっていた。アニータ、お前の血だろう」
「赤銅の髪はまだしも、私にあまりに似すぎていたな。アンナも、ディアーナも」
「アンナはあそこまで駄々をこねたことはなかったと思うがな」
「そうでもない。ジークが来る前、ハイネがいないところで『どうして訓練に参加させてくれないんだ』と必死に地べたに寝転んで騒いだことがあるぞ?」
「……はぁ、では、ディアーナにとってのそれが今回だったというわけか」
「そうさ。二人の女に乞われているのだから、ジークには頑張ってもらわないとな」
しんみりと言葉の途絶えた馬車の中、娘を失った親たちの馬車は夜の中を進む。
王女が偽物とも知らず、国を救済するか破滅させるかの片棒を担がされたことも知らず。
涙が、どちらともなく頬を伝っていた。
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「ごきげんよう未熟なメイドさん達。俺はジーク。今日から嫌々ディアーナ様の専属執事兼教育係を拝命したので仲良くしてください」
「誰かあたしに武器くれ、すぐに沈めてやるよ」
「アテナ、この人からかってるだけだよ。また捕まっちゃうからやめよう?」
「嫌々など、あまりに不遜です。ディアーナ様に頭を垂れて許しを請いなさい」
日が落ち切ったディアーナの部屋で待っていたのは、ディアーナのメイドたち。
怪しげな男についていった主の戻りを、今か今かと待っていた彼女たちを待っていたのは、ベテランの新入りだった。
庭師のキャスケットは脱いで、ブラウンの髪をさわやかに整えたヘアスタイル。
王宮の執事に支給される、白のシャツに黒の燕尾服と白い手袋。
そして極めつけは、彼の胸元に王族の紋が入ったカメオ。
装いを変え、何事もなかったかのように挨拶をする、主を攫っていった男。
しかも、専属執事宣言である。
ディアーナの側に仕え、メイドたちと密に接することになるということ。
平たく言えば『信頼できる仲間』だ。
いきなりの展開にアテナが吠えるのもやむを得ないこと。
「やめとけよディアーナ!あんな胡散臭くて信用ならなくて、あたしを縛り上げて脅したジジイだぞ!」
「ジジイとは失礼な。これでもまだ30歳にもなっていない有能若手なんです俺。
もうディアーナ様から専属の証いただきましたので、俺達4人で仲良くお揃いですね」
「ディアーナ様、今からでも遅くありません。この男からカメオを取り上げましょう、不遜が過ぎます」
「コマチちゃんもやめようよぉ……ジークさんも静かにしてくださいぃ」
突撃しようとするアテナを、後ろから必死に引っ張るメリー。
それを眺めつつディアーナに進言するコマチ。
部屋の中には使用人たちによる混沌が広がっていた。
だが、それを諫める主はさっさと自分のベッドに座り、ずっと黙りこくっている。
いつもなら騒ぐメイドたちをしばらく見つめたところでツッコミを入れ、止めるというのに。
「あっ、みなさん、静かにしてください……ディアーナ様が」
メリーの声に、混沌を繰り広げていた三人は一斉にベッドの上の王女を見る。
そこには、ベッドに寝転び、安らかな寝息を立てているディアーナの姿があった。
喪服のドレスはそのままで、葬儀のために美しくコマチが整えた髪も解かず。
その姿は、この四人を手中に収めるために頭脳と交渉のすべてを尽くした王女ではなく、疲れてただ眠る子供だった。
「ったく、眠いなら言えよな。どうする、これ起こした方が早いぜ」
「ですが、この数日ずっと気を張っておられたのです。何とかこのまま着替えさせましょう」
「ずっとちゃんと眠れてなかったようですし、疲れちゃったんですね。でもこれどうやれば?」
メイド三人はジークを放ってベッドに寄ると、各々飾りや着替えさせようと奮闘し始めた。
ディアーナを起こさぬように、そっと着替えさせようとする三人はちまちましていて何とも可愛らしい。
「大変じゃないですか?俺が起こしますよ」
「ディアーナ様にはしっかり休んでいただきたいので結構です。貴方は男性ですよね?いつまで女性の着替えを見るおつもりですか?」
「それは、確かに。じゃあ、これだけお手伝いをしてから退室いたします」
コマチに退室を迫られたジークは、ディアーナをふわっと抱き上げる。
そして、手探りで背中のボタンを外し、手早く脱がせやすいようにしてすぐに寝台に戻してやった。
抱き上げられた感覚でディアーナが身じろぎするも、起きることはない。
「これで後は簡単でしょう。では俺は失礼します」
さっさと出ていくジーク。
その動作にポカンとしつつも、メイドたちは王女が眠りやすいように整えていく。
途中、少しうなされたように寝言を言うものの、ディアーナが目覚めることはなかった。
「ライ……ラ…やだ、もうすぐシンデレラ…来る」
「げん……さくほう………かい」
もごもごと寝言を言う幼女は、どんな夢を見ているというのか。
そんな思いを馳せつつ、仕事を終えた三人はろうそくの灯りを吹き消すと部屋を出て行った。
ディアーナの寝言が、未来の出来事を予知していたと気が付く者はいない。




