2話 私は彼女に出会った
墓場へ向かう道すがら、突然の頬への衝撃に、私は地面に倒れ込む。
いきなりの暴力に元凶を見上げれば、そこには予期せぬ人物がいた。
「お前、下品な貧民のくせにわたくしの言葉を無視するの!?」
彼女は出会って早々にビンタをかまし、そこそこ重い蹴りを入れてきた。
墓地に向かう道の途中、スラムの住居が密集しているところから少し離れた丘の途中。
いきなり話しかけられたかと思いきや、私はいきなりの攻撃につんのめって転ぶ。
高飛車な話し方に、幼い声に体躯。ここがどんなスラムかわかっていないお貴族のお嬢さんかと顔を上げた私は、驚愕に目を見開く。
「ディアーナ…!」
そこにいたのは、私の小説での悪役令嬢……の幼い姿。
ディオメシア国の第二王女、わがまま放題で国の全てを私物化して崩壊の一因を作った典型的な悪役令嬢。
スラム生まれが王族と会うなんて、起こってしまったのだ「ひょん」が!
(どうして護衛もつけずにひとりでスラムなんかに!こんなエピソード、作中にはなかったはず)
どうして彼女がここにいるのか必死に考えても答えは出なかった。なんせ今のディアーナはちいちゃな女の子だったからだ。
物語の始まりはディアーナ17歳のとき。
つまり、幼女時代の彼女のエピソードは作者の私でもそこまで深くは作っていないのだ。
トレードマークの真っ赤でふんわりフリルのドレスとボレロでいかにもオジョウサマ。
やんちゃで少々焼けた肌に赤銅色のセミロング。
そしてちょっと目元が赤くなっている。ひとりでこんなところを歩いたから怖かったのか?
「黙っていないでお話できないの?わたくしが『ごきげんよう』と言ったのだから返すのが当然でしょう!」
(いやそのごきげんようっての聞いてないんだよなあ私!)
「せっかく護衛を撒いてきたのよ、お前が窓から見えたから」
「私が、ですか?」
ディアーナはうつむいている私の顔を、扇子のようなもので強引に上げさせる。
まだあどけない幼女の顔を見ながら、うわぁこんなシチュエーション体験する日って来るんだなぁと考えていると、ディアーナは口の端を釣り上げて意地の悪い顔をした。
「お前、やっぱり似ているのね。決めた、お前は今日から私のものよ」
「えっ、はっ!?」
「ちょうど身代わりが欲しかったのよね、わたくしの代わりになる人形を。こんなにも都合のいいことったらないわ」
まずい、実にまずい。
ディアーナは頑固で欲しいと言ったものは絶対に手に入れるまで諦めない。
しかも、物語の中で彼女の奴隷になった者はすべからくひどい扱いを受けるのだ。
「おおおおおおやめください!身どもは卑しいスラムの民だからして、お貴族様にふさわしくはございません!」
「わたくしに指図をするの?お前は誰の国の誰の領地で暮らせていると思っているの?全てパパのおかげでしょう!」
いやお前は何もしてないでしょうが!
そんな事を言いたかったけど、到底無理な話。私は彼女に髪を掴まれて強引に立たせられ、引きずって歩かされる。
(くそっ!こうなったら切るしかない!)
懐から小さなナイフを取り出すと、勢いよくピンと張られた自分の髪束を切断する。
(売るためとはいえ、頑張って伸ばしていた髪だけど、今は逃げることが先決だ)
一瞬の隙をついてどうにか逃げようと駆け出す。
でもディアーナはすぐ追いついて、持っていた扇子を力強く私の背中に叩きつけてきた。
金属でも仕込んでいるのか、予想よりずっと強い攻撃。思わず倒れこみ、また髪を掴まれる。
「うぐっ、いった……」
「逃げるんじゃないわよ!言うことを聞きなさいってば!」
ディアーナがどうしてスラムなんかに。
それさえなければ面倒なことを全部回避した平和生活がゲットできていたというのに!
力が強いディアーナは、私の頭を掴んでまた歩いていく。
幼女の力とは言え、髪の毛を引っ張られるのはちゃんと痛い。
それに、王族に手を出すのは本当にマズイ。
もう私はこのまま連行されるしかないのか・・・
グッバイ私のセカンド人生、太陽を見られるのは今日までかな。
「ライラ、伏せろ!」
聞き覚えのある大声が、丘に響き渡る。
反射的に私は地面に伏せた。髪がビンと張って痛いけど、そんなことは気にしてられない。
そして、私の頭があった位置の近くに矢が放たれたのが見えた。
その矢は、まさかの、ディアーナの頭に……!
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ディアーナの倒れる音と私の悲痛な叫びを聞いて、弓を抱えたジャックが大人と共に走ってきた。
私がいつまでも来ないから、大人を呼びに行ってくれたのかもしれない。
でも、彼は最悪の事態を作ってしまった。
大人達は血相を変えてディアーナを診るも、手遅れなことは私から見ても明らかだった。
弓は正確に彼女のこめかみを射抜いている、助かるはずがない。
大人たちは、ざわざわと騒ぎながらディアーナの持ち物を物色する。
死んだ奴の持ち物をまさぐるなんて、スラムじゃ当たり前だから。
「貴族のガキが、不用心に俺らの仲間に手出すからだ」
「……待て。この子供、やけに質がいいものを持ってる。何てことだ、持ち物に王族の紋!」
「まさか王女なのか」
最初は淡々と探っていた大人たちはだんだん事の重大さに気づいてきた。このスラムで起こる荒事の中でも、王族相手にしでかしたことは最上級にやばいのだ。
ディオメシア王国のスラムは治外法権。
城下町を囲むように配置されたスラムは、建国のころから「スラムのある場所で起きた荒事は王国の法律が適用されない」「ただし、王族に関することはその限りではない」「王族がスラムに入るときは事前に通達しなくてはいけない」という暗黙の了解(私が作った設定)がある。
だからこそ、ただの貴族はボディーガードを携えないとスラムにやってこない。自分たちがスラム住民から殺されても、王国の法律で裁かれることはないからだ。
この世界(物語)のスラムの民は、最下層だけど特別。
「どうしよう、俺、ライラが危ないと思って、まさか王族が一人で来るなんて」
「ジャック、お前は悪くない。ライラを守るために頑張ったな」
「でも!ボクのせいで、王族が。どうしよう、俺死んじゃう!?」
「……それは」
ジャックがシー先生に宥められているのが見えた。
さっきの声は間違いなくジャックのものだ。弓の使い手としてとても優秀な彼ならねらって撃つことなんて造作もない。きっと私が危ない状況だと判断して行動したんだろう。
そして私も、スラムで「伏せろ」と言われたから伏せただけ。スラムでの「伏せろ」は従わなければ死に直結する。
つまるところ、誰も悪くない。ディアーナ王女が無防備に来てしまったから、今スラムは存続の危機にある。
「もしこれがバレたら、スラムはどうなるんだ」
「わからない、王族を殺した事なんてない」
「現国王なら、唯一の子供を殺したことに怒ってスラムの解体もありうるのでは」
大人たちの不安が伝染していくように、ジャックの顔色は悪くなる。当たり前だ、10歳を超えていてもまだ子供。怖くなるのも仕方ない。
かくいう精神が大人の私もビビっている。だって想定外だ、こんなこと私は書いた覚えないのだから。
ディアーナが早々に死んだなら、私が書いていないわけがない。
それに、大人たちはディアーナを唯一の子供と言った。ということは、物語上の重要な地点をまだ通過していないのだ。
ディアーナがいなければ、この国はどう転ぶのか想像がつかない。
これは、私という存在がディアーナに目をつけられたために起こった原作改変。
私もスラムのおねえさんたちに囲まれ、慰めの言葉をもらったけど全く聞ける状態じゃない。
少し離れた場所でシー先生を中心とした大人たちが何やら話し合いをしている。
怒りだす人、泣き出す人、様々いたけど多くは押し黙っていた。
そして大人たちが、私とディアーナを見る。
今ならわかるのは、この時、私の運命は大人たちに大きく舵を切られたということだ。