14話 私と赤毛のメイド
王宮内から人の入ってくる音がだんだん大きくなっていく。
足音、話し声。それを出迎える使用人たちの慌ただしい掛け声。
それら全部が一緒になって、少し遠くの会場からのざわめきはまるで大きな生き物みたいだった。
その生き物は、私を……いや、私とアンナ王妃と、何よりこの国の恐王の登場を今か今かと待っているに違いない。
自分には向かう国を武力で統治し、どれだけ大怪我を負っても翌日には前線で敵を殲滅させていた王。
悪政を敷いているのに、不思議な手腕でこの国を列強として統治する不気味な王。
(今回集まった貴族はみんな王の怒りを買わないように恐れてるはず。王はほとんど姿を現さないけど、独裁的な一面があるから)
心臓がずっと大人しくなってくれない。
今日を迎えてからずっとそうだった。
静かな自室で鏡の前に座る私は、私自身が見えなくなりそうなほどディアーナ。
動きづらい、赤のレースと王家の紋章が刻まれたふわふわのドレス。
子供でも容赦なかったキッツいコルセット。
いつもはしない、豪奢なティアラ。
私の誕生日で、私がディアーナとして公の前に姿を現す初めての場。
そして、この世界のラスボスであり、悪政の王との初めての対面。
考えることは山積みで、ずっと頭が痛かった。
(私が、自分で作った運命を自分でぶっ壊すんだ。こんなので立ち止まっていられない)
「おい、シケた面すんな。もうすぐ王妃と王が迎えに来るんだろ」
私の背後、この部屋にいる、私以外のただ一人が腕を組んで仁王立ちしていた。
いつも通りのシンプルパフスリーブの黒の膝下ロングスカートに、白いエプロン。
わたしとは対照的に、いつもと全く変わらない彼女は一人で私のそばに控えている。
「アテナ。あなた本当に持ち場はいいの?メリーもコマチもメイド長に指示が出ていたでしょう。あなただって仕事があるのに」
「いいんだよ。あたしは元々言うこと聞かねえって鼻つまみ者だったし、会場よりここがいい」
「だとしても、あまりよくないわよ」
「うっせえな、こんな時に自分の飼い主一人にしておけるほどあたしはノロマじゃないんだよ」
かったるそうな彼女は、何を言ってもここから出ていきそうにない。
会場入りする前に、アンナが暗殺されないよう一人でシミュレーションするはずだったのに。
はぁとため息が出る。メリー以外の二人は、全く私の想定通りに動いてくれない。
「わたくしの心配はいらないわ。もう少ししたらお父様とお母さまが私を連れて会場入りするのだし」
「王妃が死ぬかもしれないパーティー会場にな」
思わず振り返った。
鏡越しに見ていたアテナは、さっきからずっと変わらず私から少し離れた背後に仁王立ちしている。
その瞳は私を観察するみたいに静かで、まるで捕食者に似ている。
そして気づいた。違和感の正体に。
(アテナはいつも窓辺の椅子に座って待機しているのに、さっきから私の背後から動いてない)
メイドは基本仁王立ちなんてしない。
それは初めに習うマナーだし、アテナもこれだけ粗雑だけど普段の立ち姿は美しいのに。
頭に浮かんだもしもの可能性を否定するために、私は平静を装って笑う。
ここ数か月で慣れた、少し意地悪そうな笑みだ。
「縁起でもないわよアテナ。お母さまが死ぬわけない」
「嘘つくな!あたしをただのメイドだと思うなよ、あたしは耳も、身体能力も高いんだ。昼間庭師としてた会話、聞いてたぜ」
「は?あのとき庭に私たち以外人なんていなかったわよ」
「あの庭師はジーク、王妃の祖国のスパイ、お前はそいつに王妃の警護を命じた。大体あってるか」
組んでいた腕をほどいて、真剣な目で相対するアテナ。
まるでいつでも動けるように、脱力している構え。
そして思い出した。アテナの取っているこの体勢は、敵が来たときに即時攻撃ができる『戦うもの』の姿。
アンナの祖国の兵は白兵戦になったとき、このようにゆらりと力強く立ちふさがり、敵を打ち倒す。
自分で描いたアクションシーンの構えがこんな時に現れるなんて、想像もしていなかった。ましてや、私がちゃんと想定していなかった「モブ」にそれができるなんて。
アテナは怒ってるんじゃない、睨んでいるんじゃない、ましてや妬んでもいない。
私を攻撃する気ではない気がした。
「アテナ、あなた一体何者なの」
「ジークってやつと同郷の、今じゃ何もかも微妙なただの孤児だけど」
「ヴァルカンティアの……!?じゃあ耳がいいのも、足がすごく早かったのも」
「お前の血にも入ってるだろ。戦闘民ヴァルカンティアの特徴だろうが、この赤い髪は」
「だって、そんなこと想定してない」
(ヴァルカンティアでもちゃんと赤髪で戦闘できる奴なんで少ないって私設定に書いたのに、まさかのここで引き当てることある!?)
私の言葉に、アテナは目を細めて口で笑う。
ただのモブだと思っていたメイドが重要な国の血を引いていて、まさかの戦闘要員になれるスペックがあるなんて想定外だよ!
相当王女らしくない顔をしていたと思う。そんな私を見て、アテナは声をあげて笑いだす。
だけど、その様子がおかしい。
純粋におもしろくて笑ってるんじゃないことはすぐにわかる。
王女に問い詰められているこの状況下で、笑えるアテナに鳥肌が立った。
「ははっ、あんたのそんな顔初めて見た。……なんだよ、ただの人じゃんか」
アテナは、私を見てそれだけ言うと悔しそうに、声にならないうなり声をあげながら片手で前髪をぐしゃっと崩す。
泣きそうなアテナは子供っぽくて、7歳のディアーナではなく、8歳のライラでもなく、成人女性の私の心に深く刺さった。
ヴァルカンティアの先住民は戦闘民族で、身体能力が高い。でも、アテナはまだ13歳の女の子だ。親を亡くして生き抜くことの厳しさはよくわかる。
だからつい、ディアーナらしくないことが口から出ていた。
「わたくしは、ただの人よ。お母様を助けたいのに自分一人じゃ何もできない、立場だけがある子供なのよ」
「馬鹿言ってんじゃねーよ。ただの子供はあんなおっかない男にお願いなんかしない」
アテナは髪から手を下ろし、私を真っすぐに見つめてきた。
目を逸らしたら、誤魔化したらすぐに負ける。それだけが直感でわかる。
「お前、本当に王女か?」
まさか、この王宮で初めにそれを突きつけるのがメイドだとは思ってもみなかった。
ちらっと時計を見る。
あと10分後にはアンナと王がこの部屋にやってくるだろう。
この話の決着を、早くつけないといけない。