13話 私と登場しなかった理想人
人は、理想を追い求めすぎて「これは使えない」となることがある。
私にとってそれが彼「ジーク」だった。
すらりとした長身、人好きのする愛嬌と、爽やかな顔。
そして、彼が持つもう一つの顔
「どこまで、何を、ご存じなのですか?」
目が笑っていない、殺気を放って私を品定めする彼。
それは紛れもない彼の素性だ。
彼の殺気に足が震えるけど、歯を食いしばって睨む。
「それは、今言う暇がないのよ。でも後で必ず言うから、わたくしに協力してちょうだい」
「我が祖国を知っていて、素直に従うと、思いますか?」
「ええ。あなたが今協力しなかったら、正体をバラすわ。『ヴァルカンティア国のスパイ』さん?」
ジークの瞳が強く私を射抜く。
私は泣きそうだった。
怖いに決まってる!精神は大人でも今は子供、まして今脅迫している相手は「作中トップクラスに優秀な戦闘キャラ」として私が作り上げた私の大好きなキャラ。
アンナの祖国、国民のすべてが武道に通じている超軍事国家。
このジークは、その国でも心技体全てを兼ね備えた選ばれた者しかなれないスパイ。
存在を知られないことこそが至高の国の影で、闇で、最後の懐刀の戦力の一人。
……私の清書した世界には、登場が叶わなかった人。
「ここであなたの命を消すほうが簡単なことは、ご存じでしょうか」
「いいえ、殺さないわよあなたは。だって、わたくしお母様の娘だもの。あなたがどれだけお母様を大切に思ってるか、知ってるわ」
怪訝そうだったジークの表情が、少し和らぐ。
そう、この人はアンナが大切。だからこそ、何度止められても単身でこの国に乗り込んでしまうくらいに。
「おねがい。信じてもらえないかもしれないけど、力を貸して。お母様の命が危ないかもしれないの」
私は、この王宮に来て初めて誰かに頭を下げた。
高飛車なディアーナは絶対にしないだろうこの行動は、ジークにどれだけの衝撃だったんだろう。息をのむ声が聞こえた。
「お母様を守りたいの、でもわたくしもわたくしのメイドも、誰も今日は勝手に動けない……だから、おねがいよ。パーティーが終わるまで、誰にもバレずにお母様を守って……!」
私の目から涙がこぼれる。
自分でも卑怯だと思う。だって幼女が大人にお願いして、それを叶えてほしいと泣いているんだぞ!?それを無視できる大人がいるだろうか!
少なくともジークは、それを冷静に切れる冷めた男じゃない。
しかも私の髪はアンナ譲りの赤銅だ。彼の心の琴線を刺激するものなんて、私が一番知っている。
「そのお話の根拠は、お話しできないのですか」
「ええ。でも、きっと後悔はさせない」
私の言葉にため息を一つついたジーク。
次の瞬間、私は自分の顔に何かが強く押し当てられる。
ぐいぐいと触れてくるそれはハンカチで、私の涙を拭っていた。
ハンカチの主は優し気に戻ったジーク。さっきまでの剣呑な空気はどこかに行ってしまったみたい。
でも、その手つきが問題。
「いった!目が!もっと気遣ってくれませんこと!?力が強くってよ!」
「あはは、すみませんねぇ。大人を脅迫したり、かと思えば泣き出すような生意気娘にはこれがちょうどいいと思いまして」
「なんですって!」
「少し前に自分の母親が死ぬかもと聞いて、大泣きしながら部屋飛び出してスラムまで行ったのはどこの誰だと?まったく、人が変わったようだとはアンナ様に報告しましたが、クソガキなことには変わりないらしい」
「えっ、それって……」
(ディアーナがスラムに?じゃあもしかして、ひとりでスラムに来たのは母親のいない悲しい未来から目をそらすため?)
私の脳裏に、あの日のディアーナが蘇る。
少し目元を赤くしていた。
あれは迷子になって怖かったんじゃない。母親の死を考えて流した涙を誰にも見られたくなくて、でも王宮は誰かの目があるから誰も来ないだろうスラムに来たのか。
だとしても傍迷惑なやつ!
私の思考をよそに、ジークは立ち上がって私を見下ろす。
「乗ってやるよ、ディアーナ様。だが、これだけ聞いていいか?」
「……当ててあげるわ。『なんで自分を選んだのか』でしょ」
「そうだ。この王宮内にいる王妃擁護派の権力を持った奴なんて他にいる。なのに、どうして王宮内じゃ何の力もないただの庭師に目を付けた」
ジークの顔は優しいけど、この質問は失敗したらいけないと直感する。
彼にとって「どうして自分なのか」という疑問は、人生の命題だからだ。
「ジークなら、お母様を守れるから。守ったうえで、自分がそれを足掛かりにのし上がろうなんて考えないと思ったから。それに……」
「それに?」
「動かすなら、あなたであるべきだと私が見抜いたから」
私の言葉に頷いたジークは、無言でその場を去っていった。
ジークに嘘は一つもついていない。
彼はスパイだから、この国の表舞台には出てこないはず。アンナを影から守るのに必要な頭脳と武力も兼ね備えている。
でも一番の理由があった。
(ジークは、私が構想段階で登場を断念した「最高の男」だけど「物語の登場人物」じゃなかったから)
メリー、アテナ、コマチは私が作っていない所謂「モブ」だ。
だからこそ彼女たちを選んだ。
「原作を突破できる力がある」と考えているから。
きっと、何もしなければ物語の登場人物は「既定のストーリー」を歩む。
でもモブはそれに縛られない。だって、物語に名前すら出ていないから。
だからこそ、ストーリーを打破する可能性がある。
ジークを登場させるには、アンナがディオメシア王国に嫁ぐ前から書かねばならず、私の力量ではさすがにそこまで長いものは書けなかった。
物語に登場しなかったからこそ生まれた「最強のジョーカー」こそが彼だ。
「あっ!ディアーナ様ぁぁ~!」
「おいクソ女!さっさと部屋に戻りやがれ、メイド長がそろそろおかんむりだぜ」
ジークと入れ替わりに庭園に踏み込んできたのはメリーとアテナだった。
彼女達の声を聞いて、私はゆっくりと芝生の上に腰を下ろす。
(どうしよう、腰が抜けちゃった……!)
「どうしたんですか、お化粧がすごく崩れちゃってます」
「お前、あの庭師だれだよ。さっきまで話してたやつ」
「……あなたたちの顔を見て安心する日が来ると思ってなかったわ」
訳が分からないという顔の二人に手を引くように指示して部屋に戻る。
この二人は私が選んだ人。強い殺気に当てられて削られた心には、心から私を信頼していない手だとしてもひどく暖かかった。