128話 あの日のように、私とアテナと彼女の涙
机には冷めた紅茶と、メリーが作ってくれたスコーンと、ルシアンが置いていったジャム。
そしてなんだかよくわからず置いて行かれた私。
私はポカーンと固まっていた。
なんか一方的にお願いされて、こっちは了承したとか一言も言ってないのに逃げられたし。
ジークをつけることはまだしも、レオンと結婚の件については了承してやる義理もないというか。
私としては、結婚したらディオメシアから追い出される可能性がある今、もし一緒にいるなら苛烈なレオンよりルシアンのほうが優しそうでいいな~くらい思ってたんだけど。
「ディアーナ、なに固まってんだ。食わないならスコーン、あたしがもらうぞ」
「あ、ああ……アテナが食べなさい。わたくしは今いらないわ」
執務室の隅で一人待機していたアテナは、ルシアンとの対談中もずっと控えていた。
ジークに気配の消し方でも教わったのか、ルシアンはアテナに気づいてなかったみたいだけどね。
アテナは私の皿からスコーンを奪うとごってりジャムをつけ、一口大に割ったりせず大口を開けてかぶりつく。
美しさとかマナーとか全部外してるけど、見ていて気持ちいい食べっぷりに気が抜けた。
あー、知らないうちに緊張してたみたい。
「さて、どうするべきか……ジークをレオンにつけるのはいいのだけれど」
「あ?いいのかよ、お前の警護が手薄になるのに」
「今だって、ジークは勝手に出歩いているでしょう?今日はアテナとジークがそばにいる日なのに、いないじゃない」
「そうだけどよ……エラの銃撃があったし、あいつ死にかけただろ。なんか、気味悪いぐらい早く回復してたけどな」
エラの、というか王家の祝福について私は誰にも言っていない。
ディルクレウスの側近が不気味だったっていうのもあるけど、なにより私の身の安全のために。
(祝福があるって知れたら、身辺警護が手薄になる可能性がある。私は、死んだって生き返らないのに)
それは私がディアーナの偽物ってバレることに繋がる。
そうなれば、本物のディアーナ王女殺害罪と、その隠匿と、王族に成り代わった罪と、本物だと偽っていろんな要人を騙した罪と……罪のデパート状態なので、処刑一直線だ。
だから、私は大怪我なんてできない。
ちょっとした怪我ならいいけど、命に係わる怪我とか病気をしたら一発アウト。
不本意だけど、私はあの側近の言うとおりにしているというわけだ。
「エラはちゃんと元気になったんだから、気にしなくていいわ。それより、あなたたちの配置を考えないといけないわね。負担が増えるけれど、身の回りを整えるのをメリーに担当してもらって、アテナとコマチをそばに置けばジークが抜けても何とか」
「あのさ、ずっと考えてたことがあんだよ」
アテナは指についたジャムを舐めとって、私をじっと見つめる。
スコーンをすっかり食べきって、少し真剣な目のアテナは久しぶりな気がした。
「お前、二年前言ったよな。『未来がわかるのが自分の王家の祝福だ』って」
「……言ったわね」
「じゃあ、どうして予測できなかったんだ?エラが撃たれたのも、今回の結婚相手決めも、お前にはわからないことだったんじゃないか」
「それは」
「あたしに、嘘ついたのか?あたしが、頭悪いから騙せると思ったのか?」
アテナはちょっと泣きそうな顔をしていた。
さっきまで豪快に私のスコーンを奪っていたのに、そんなことを考えていたなんて。
確かに、アンナの暗殺阻止しようとしたとき、原作知識で動くことをアテナに感づかれた。
その時、アテナが『王家の祝福ってやつか』と言ったのに乗って、私は少し未来が見えるって設定にしたんだった。
本物の祝福は、もっと残酷で重々しいものだったけどね。
でも、騙したのは確かだ。
だけど、騙すつもりはないっていうか、ちょっと未来が見えてるのは原作者だから当然だし、ここ最近は原作乖離ばっかりであてにならないのも事実だし……
(困った…アテナは専属だし、情もあるし、ここでさらに嘘つくのはさらにこじれそう。でも私が『実はこの世界は私が作って~』とか言ったらわけわかんなくなること間違いなし!)
「未来が『少し』見えるといったでしょう?どの時点の未来が見えるかなんて、わたくしにもわからないのよ」
「でも、これまでは結構見えてただろ。アンナ王妃が死んだのも、エラが嫌がらせ受けてたのを助けたのも、王子が来たのも、ディルクレウス王がエラと結婚するって言ったのも、驚いてなかったよな」
「よく、見ているのね」
「あたりめーだ。なぁ、聞かせてくれよ」
アテナは立ち上がって、私の前に立つ。
その顔は、どこか思い詰めていて沈んでいた。
そして、このアテナから見下ろされて一対一で問答する感じは覚えがある。
(アンナの暗殺阻止しようとしてた時の、私に忠誠を誓ったときと同じだ)
「最近、あたしら専属に言ってないことあるだろ。あたしだけじゃねぇ…メリーもコマチもジークの野郎も、気づいてる。あいつらは言わないけど、あたしは言うぞ」
「わたくしが言えないことがあったら、何かいけないかしら?」
「いけないことは、ねぇよ。そもそも主人と従者だ。従者に言えないことがあって、従者は主人に隠し事をしちゃいけないのも当然だと思う。けど、けどよ……」
絨毯にパタッパタタッと水滴が落ちる。
下を向くアテナの目から涙が流れるのを、見上げる私にはよく見えている。
専属使用人の中で、一番正直で、一番感情に動かされやすいアテナだから、わからないことをそのままにできないんだ。
「あたしらは、お前の手足だ。それでいい、でも頭のお前から信頼されてないんじゃないかって思うと、腹が立ってきて…!」
「アテナ、落ち着きなさい」
「レオンが、あいつが……ヴァルカンティア人が先の戦争で大量に死んだのはディルクレウスのせいだって。でも、あたしはその娘のお前を信じてる。なのに、今、隠し事くらいで信じきれないのが、嫌なんだ…!」
ああ、泣いている。
アテナが、私のことを考えて泣いている。
自分の心を信じられないと、自責の念で泣いている。
ただメイドが泣いているだけ。主人に見せるべきじゃないもの。
だけど、私は偽物の王女で、中身は簡単に人にほだされちゃう凡人だ。
でも転生者で、転生前は山あり谷あり、いろんなことがあった人間だ。
私は、アテナに手を伸ばした。




