120話 二人の王子が夜の廊下
太陽もすっかり落ち、夜を迎えた王宮。
ディアーナ王女の私室では、静かな話しあいが行われていた。
「ディアーナ、大丈夫なのか?」
「うん。ちょっとお熱が出たみたい…ずっとお忙しかったし、眠れてなかったみたいだったから」
「あの側近について行ったからですね?彼に話をつけてきます」
「はいやめましょうね~。あなたドアの前で昏倒させられてたの忘れました?賢いくせに鳥頭になってしまわれたなら仕方ないですが」
エラの治療のために血で濡れたディアーナ王女の寝具は取り替えられ、今は部屋の主が顔を赤くして眠っている。
4人の専属使用人たちは、彼女が目覚めないようにと小声で会話をしていた。
ディアーナ王女は体が丈夫である。
そんな彼女が気絶するほどに無理をするということはこれまであまりないことであった。
エラの治療で疲れているはずのジークとメリーも。
エラを撃った何者かの痕跡を探すのに走ったアテナも。
側近に一時昏倒させられ、自らも先ほど目覚めたばかりのコマチも。
全員がディアーナ王女の身を案じていた。
「ったくよ…エラは撃たれるし、ディアーナは倒れるし、走らされたのに証拠は空薬莢しかねぇし…あたし疲れた、腹減った」
「証拠を残さなかったのか、アテナの目が節穴なのかどっちですか?」
「この空薬莢、どこかで見覚えがあります。ミクサに聞いてみますね」
「あとでサンドウィッチでも作るね。ディアーナ様、起きたら何が食べたいかな…」
てんでバラバラな事を話し出す4人。
主がこのまま弱って寝続けているのであればいいのだが、起きた瞬間に「コマチは無事か」「アテナは何を見つけた」等々言いかねない働き者なのだ。
できるだけ情報共有を行い、彼女をサポートするのがディアーナ王女に隠している4人の業務であった。
その最中、ドアがノックされる。
コンコン、コンコン
丁寧なノックは、控えめに小さな音。
誰が来たのかとアテナが確認すれば、そこにいたのはルシアン王子だった。
手には簡単にまとめられた数本の花。
彼の儚げな外見と相まって、妙に絵になる光景だった。
「こんばんは。ディアーナ様は…」
「すまねぇなルシアン王子。今ディアーナは寝込んでる、夕食は一緒に食えないぞ」
「いえ、今回は別件で。…これを、ディアーナ様に渡してくださいますか?」
「花をか?なんでだよ、贈り物で気引くんか」
「そういうことでは…ないのですが、そうなってしまってもしょうがない、ですよね」
アテナの遠慮のない物言いと荒い口調に、ルシアンは丁寧に返す。
一瞬下を向く彼は、それでも何かを伝えようと口を開く。
「エラ嬢があのようなことになったのを近くで見ていたでしょう。きっと、お辛いはずです…この花はボクからだと言わなくていいので、どうかそばに活けてください。庭師のおじさんたちから、分けてもらったものですが」
「いいのかよ、本当に言わないぞ」
「構いません。エラ嬢のお部屋の前にも花は置いてきましたから、どうかディアーナ様も。花だけで、癒えるものではないですけど…」
アテナは気弱に答えるルシアンの手から花を奪う。
そして「メリー、花瓶あるか?これディアーナの側に活けてくれよ」と振り向いて声を上げた。
花束を受け取ってもらえたことに驚くルシアンをしれっと無視したアテナは「じゃ、ディアーナが体調良くなるまであんまここ来るなよ。もう一人の王子にも言っといてくれ」と言って扉を閉めた。
静寂に包まれた廊下に、立つのはルシアン一人。
少し寒くなってきた王宮内に、ディアーナ王女を案じる彼のため息が響いた。
同時刻
エラの部屋の前に置かれた花束があった。
エラの部屋には鍵がかかっており、中に人はいない。
撃たれた彼女はまだ蘇生が済んでいないために地下礼拝堂にいるのだが、それはディアーナ王女と側近しか知らぬこと。
二人の王子は側近に「エラ嬢は部屋で休んでいるので近寄らぬように」としか聞いていないために、ルシアンは静かに花を置いたのである。
しかし、その花束はドアの前に現れた人物によって無残に踏みつぶされた。
ぐしゃっ、ぐしゃっ、ぐじゃっ…
足を何度も花に向かって踏み下ろし、踏みにじるのはレオンだった。
ひとつ残らず花弁を散らし、憎しみを込めたその眼差しは見るものを蹴散らせるほどの殺気を含んでいる。
「ルシアンのやつ、エラ嬢にまで手を出すつもりか?ふざけるな、ふざけるなよ。俺の、俺の、なのに」
誰もいない廊下で、花束を崩壊させるほどに踏みしめたレオンはエラの部屋の扉に手をついた。
コン、コン、コン
ノックをしても無人の部屋で返事が来るわけもない。
無人であることを知らないレオンは、少々落胆しつつも愛しそうに扉を指で撫でる。
先ほどの花とは対照的な、熱と情のこもった手つき。
彼の目の奥には、自分に向かって友好的な視線を向けるエラが生きていた。
「休んでいるんだよな。今日は痛かったなエラ嬢…明日会えたら、今度こそお茶をするんだ。君と、手紙の話をして、俺の話を聞いて、穏やかに微笑む君が見たい」
部屋の中に語り掛けるレオンの姿を見るものは誰もいない。
しかし、それは幸運であった。
彼のその姿は、狂気に満ちている。
同時刻、冷たくなった王宮の廊下。
二人の王子は、会えない女性に向けてそれぞれの感情を燃やしていた。




