どうせ他人に捧げられるのなら、最後に嘘を暴かれたい。
微百合、微ざまぁ短編です。
「竜の女王の王配令嬢」シリーズ第二弾にあたります。
「冤罪で婚約を台無しにされた令嬢の代わりに、側室に捧げられようとしている主人公の話」です。
やはり私は神に愛されていますね、とアルティラはカップの取っ手を指でなぞった。報告を終えたメイドが、そっと下がる。彼女はお茶相手の王女の視線が外れていることを確認し、目を伏せた。
(私は王子の側室に捧げられる前提で、婚約を破棄されるでしょう。
屈辱であり、苦難でありますが……その先は望み通りでもある)
祝福と受難が同時にやってくるスリリングな己の人生を、彼女は「神に愛される」と評していた。アルティラは驚きに満ちた転生人生を、今少し振り返る。
ブレッド辺境伯家で多くの家族親族に囲まれて生を受けたとき、アルティラは〝続き〟のようだと思った。大往生の後に、まったく知らぬ異世界に生まれたことを、神の祝福だと思った。
幼少時、辺境から王都に渡って妃選定に請われたときも、自分が主役のように感じた。教育は厳しかったが、前世を長く生きた彼女にとっては易しい内容であった。そこでの彼女は、まさに物語の姫君のようであった。
貴族学園に入る頃、婚約者にも恵まれた。鮮烈な赤髪、緑の深い黒目の美しい少年に、熱烈にアプローチされた。前世では与えられることはあっても、求められたのは初めてであった。舞い上がった。
だがこの人生には、多くの呪いもあった。それは神の与え給うた試練のようであった。
1つ目は、アルティラの故郷が、魔物の襲撃を受けたことである。竜の加護があり、このドラグライト王国には魔物は攻めてこないはずだった。だが彼女が2歳の頃、建国以来初となる魔物の大規模な侵攻が始まった。辺境伯領は、甚大な被害を受けた。
5つの頃にはなぜかぴたりと止んだが、実家は大変なことになった。幸いにも家族は無事であったが、親族や領民に夥しい数の犠牲が出た。防衛や復興で、辺境伯家は王家や貴族に多大な借りを作った。アルティラは王都に避難したまま、長く故郷に帰ることもできなかった。
2つ目の呪いは、怪物のような女に出会ってしまったことである。アルティラは妃選定で、自分の10分の1も生きてない令嬢に負けたのだ。彼女は物語の主役では、なかった。
相手は5歳下の公爵令嬢、メディリア。蹴落としてくる他人の〝本性〟を暴いて返り討ちにする、化け物。どれだけ翻弄しても、正面から競おうとも、まったく歯が立たなかった。
喪失と敗北を得た彼女には、さらなる屈辱が待っていた。
「アルティラ、王都に来ていたのですか。領におられたはずでは」
柔らかなテノールを聞き、アルティラは顔を上げる。王宮の庭園に現れた人物を、笑みを浮かべ、立って出迎えた。赤の眩しい髪、深い緑の差した瞳を愛おしげに眺めてから、礼をとる。
「あら。ご存知かと思いましたが、クロア様」
「いいえ。今しがた知ったところですよ。
おっと。セラフィナ王女、ご機嫌麗しゅう」
令息が、王女に向かって深く頭を下げている。彼の名はクロア。宰相・リーブス侯爵の息子である。そして、アルティラの4つ年下の婚約者だ。
彼の頬が僅かに赤みを浮かせたのを見て、アルティラは笑みを深めた。
(セラフィがここにいることを知って、来てみたら私がいた、と。
ひどい方ですね)
彼女の婚約者は、気の多い男である。これが3つ目の呪い。不覚にもアルティラは、そんな男を愛してしまった。
クロアは、アルティラにも十分気を寄せている。だが彼女の親友で、第一王女のセラフィナに対してはそれ以上だ。
そして、もう一人。
「クロア様。そのようにめかし込まれておられるのは。
私に会いにくるためですか?
セラフィに会いにくるためですか?
それとも、噂の男爵令嬢に会いに行くからですか?」
アルティラが尋ねると、クロアはぴたり、と動きを止めた。
もう午後だと言うのに、彼は制服姿であった。用があって王宮に来るには、おかしな恰好である。一方で今から貴族学園に行くのも、妙な時間である。
彼はゆっくりと姿勢を正すと、婚約者に向き直った。その顔からは、もう赤みが消えている。
「学園から呼び出しを受けまして」
短くそう告げたクロアは、笑みを浮かべていた。
(ボロが出るから、1つ1つをきちんと否定しないのですね……悪いお人)
彼がアンドリュー男爵家の令嬢、アネモネという少女にも恋をしているのは明らかであった。嘘でも自分に会いに来たと言ってくれない婚約者に、アルティラは落胆の表情を隠さず見せた。
「本当は、あなたのためと言いたいのですが。アルティラ」
彼は少しは申し訳ないと思ったのか、アルティラに近づいて手をとり、その甲に口づけを落とす。彼女はされるがままとしたが、婚約者が顔を伏せた隙に小さなため息を漏らした。
「そういうわけでして。
ご挨拶だけで、申し訳ありません。失礼いたします」
一方的に告げて、セラフィナへと視線を向けてからクロアが去る。
(旗色が悪くなると、すぐコミュニケーションを打ち切ってしまう。
彼の悪い癖ね。もっと嘘をついて、見せてほしいのに)
アルティラは彼を見送ってから、呼び鈴を鳴らしてメイドを呼んだ。茶と茶菓子の代わりを言い付け、再び席に着く。
「例のアンドリュー男爵家の令嬢、クロアとも懇意なの? アルティ」
「そのようですね。少なくとも、クロア様は本気かと」
「まぁ。いつもの小粋な嘘じゃないわ。本当なの?」
前のめりなセラフィナ王女から目を逸らし、アルティラはお茶の注がれたカップを口元へ運ぶ。目を伏せ、その香りを飲むように楽しんでから、口を開いた。
「私は、婚約を破棄されるでしょう」
「それは穏やかではないわね。どういうことか、聞かせてほしいわ」
熱い茶で少しだけ唇を湿らせ、ソーサーにカップを戻す。
「ブラッド王子が、問題の男爵令嬢を〝正室にする〟という話が漏れ聞こえています」
アルティラは王女に、かいつまんで説明した。
彼女が卒業して久しい貴族学園では今、ある噂が囁かれていた。第一王子ブラッドが、さる男爵令嬢に懸想し、彼女を正室に娶ろうとしているというのだ。だがブラッド王子には、公爵令嬢のメディリアという婚約者がいる。ブラッドが本当にそんな愚行に踏み切った場合、メディリアとは破談になる。彼女の実家・シルク公爵家が、男爵家の下につくことを許さないからだ。
すると、妃教育も受けていない男爵令嬢のみが、第一王子の妃となる。彼女を支えるのにちょうどいいのが、ブレッド辺境伯令嬢のアルティラというわけである。まず、妃選定で最後までメディリアと競っている。資質十分であった。加えて、防衛と復興で王家に多大な恩があるアルティラの父・ブレッド辺境伯は、国に逆らうことができない。
この状況で王子の側近であるクロアは、アルティラとの婚約を破棄し、王子の側室に捧げるだろう……というのが、彼女の見立てである。
「男爵令嬢をナスタ公爵家に養子入りさせ、王子と結婚させるという腹積もりでしょう。クロア様は」
アルティラは話をそう、締めくくった。
「さすがの深謀遠慮ね、アルティ。
辺境にいながら、どうやってそこまで状況を知ったの?
あなたはつい昨日、王都に来たばかりでしょう」
「妃選定で知り合った子たちが、たくさんいるので。学園にも」
アルティラは温度の丁度よくなった茶を飲み、味わうように目を伏せる。
彼女はかつて受けた妃選定で、多くの令嬢たちを蹴落とした。そのうち半分からは憎まれており、残りの半数からは逆に慕われている。学園卒業後は領でクロアとの結婚を待つ日々であったが、その間も王都の状況を知らせる手紙が、彼女を慕う令嬢たちから毎日届いていた。
「それにしても。
クロアはブラッドの側近とはいえ、自分の婚約者を捧げるというの……?
にわかには信じがたいわ」
「代わりにクロア様のリーブス侯爵家は、セラフィの降嫁を要求するでしょう」
アルティラの友が、顔をはっきりと曇らせる。
セラフィナ王女が22になって婚約もせず、未婚で止め置かれているのは、その瞳が黄金だからだ。正当なる統治者の証〝竜の目〟。セラフィナはそれが出ている者の一人であるがゆえ、まだ王太子も決まっていない状況では嫁に出しづらい。
クロアはセラフィナ王女を慕っており、彼女を狙っている。アルティラを差し出すなら、代わりとして王女を要求するのは明白であった。ブラッド王子は姉と仲が良く、反対するだろう。しかしクロアの父・宰相リーブス侯爵がセラフィナ王女を求めたら、王家は未婚の娘を降嫁させるに違いない。
そして一方のセラフィナは、クロアのことを何とも思っていないのだ。
彼女の想い人は、別にいる。
「あなたの良い人。国外にいるのでしたよね?
まだ、どなたなのか、教えていただいていませんが」
セラフィナは答えず顔を俯かせ、眉根を寄せている。王女として政略結婚は覚悟していただろうが、忸怩たる思いがあるようであった。
アルティラにとって彼女は、避難した王都で出来た唯一の友であった。その近くは、祝福と呪詛で上下する人生における、安定した大地のようであった。己の大事な憩いの場が、地の底に沈もうとしているのを理解して、アルティラは。
(私のやるべきことは、決まりましたね)
茶を飲み干したカップの冷たい取っ手を、また撫でた。
◆ ◆ ◆
そろそろ、日も沈もうという頃。
一人庭園に残っていたアルティラの元へ。
クロアが、戻ってきた。
「あら、お茶も出されなかったようで。喉がお渇きでしょう」
礼をとって出迎えたアルティラは、メイドに茶の用意をさせる。先に座ったクロアが、作法を守りながらも、運ばれてきたぬるめの茶をぐっと飲み干した。
「大事なお話があると、連絡を受けましたが。クロア様」
「そう、なのです。アルティラ。状況が変わりまして」
「私との婚約は、白紙に戻されると」
席に着いたアルティラが切り出すと、婚約者は唖然とした。
その様子がおかしくて、笑いがでそうであった。表情を誤魔化すために、彼女は笑みを浮かべる。
「ブラッド殿下の側室が決まらず、私にその役を求めておられるのでは?」
「そ……! そうです。ブラッドは私が支えても、未だに立太子できていない。
あなたの力添えが、必要なのです」
(ひどい嘘つきだわ。
男爵令嬢を正室にしたいなんて、愚かなことを言い出したから、なのに。
それを隠して、私の提案に飛びつくなんて)
アルティラは嬉しそうに、目を細めた。彼女は、嘘が好きである。吐くのも、吐かれるのも。嘘は人生の大事なスパイスだと、そう考えていた。特にクロアは「保身のためにその場しのぎの嘘を吐く」ので、見ていて楽しいのだ。
「申し訳ないのですが。
断れるとは、思わないでいただきたい。アルティラ」
緑の差した綺麗な瞳が、睨むように見てきた。彼女の実家の窮状を踏まえ、クロアはそれを盾に取る気のようだ。
アルティラはそっと、目を伏せる。
(クロア様とお会いするのは、きっとこのお茶会で最期。
いつものように、途中で逃げられてしまっては、もったいない。
どうせ破談になるのなら……最後までその嘘、見せていただきましょうか)
彼女の様子は、クロアからは苦悶しているように見えたであろうが。アルティラはむしろ、ここからの遊びに心躍っていた。
「事情は理解致しました。
お父さまには、知らせておきましょう」
「このようなことになって、すみません。助かります、アルティラ」
ほっとしたようで、クロアが頭を下げている。
明らかに油断した様子で――――狙い目であった。
「ですが。クロア様はよろしいのですか?
差し出す婚約者が、正室ではなく、側室に押し込められるなど」
突然そのように言われ、クロアが頭を下げたまま固まっている。保身のために嘘を吐く彼は、自尊心が刺激されるとすぐ言い訳を考えるのだ。
短くない付き合いで、アルティラは婚約者の性格を熟知していた。
「それ、は……ですが。あなたを正室に、無理に押し上げること、は」
「ああ……クロア様がブラッド殿下の〝側近〟でいらっしゃるから。
甘んじてもおよろしいのだ、と」
「どういう、意味でしょう」
アルティラはもちろん、彼の弱点もよく知っている。クロアは周りを見下しており、地位や能力の高い者に嫉妬しているのだ。特に仕えるべき、ブラッド王子のことを。
「いえ。ただ……側近ではなく、宰相であるのならば。
ご自分の意見を国のため、王に具申することも。
お仕事ではありませんこと?」
「っ……」
ゆえにそのプライドをくすぐり、彼が王子の〝上〟に立てるという幻想を見せると。
「あなた様が自ら望み、選んだ婚約者は。
王子殿下が望みもしない正室候補の方に。
劣ると、そう言われるのでしょうか」
「そんなことは、ありません……! あなたは! 私は……!」
こうして、すぐ心を揺らがせる。
「ああでも」
期待通りに釣れていることを喜びながらも、アルティラはさらに揺さぶりをかけることにした。
「もしも私が正室になったら。
ブラッド殿下に、身も、心も捧げねばなりませんね」
「それは、そうでしょうが……」
納得の意を示しながらも、クロアの目が泳いでいる。彼はセラフィナが欲しいから、アルティラを差し出すつもりである。だが本心では、自分のものを王子に渡すことが嫌なのは、見え透いていた。
「かつて妃選定に敗れた私には、当時から殿下の側室にとのお話もありました」
「そんな話、私は聞いていません!?」
クロアが顔を上げ、声も上げる。
アルティラは内心で、ほくそ笑んだ。
「それはもう、あなた様が私を射止めてくださった後のことだからです。
お断りし、私の胸の内にしまい込んでおりました。
ですがこうなったからには。
私は心を入れ替え、殿下にお仕えしなくてはなりませんね」
「アルティラが、本当に、あいつに……」
アルティラは、クロアが言うほど彼女を愛していないと確信している。だから、王子をダシに煽った。見下している主人に、自分のものを捧げる。そう突きつけられて、クロアはひどく動揺している様子だった。
(やはり、無意識に嫌なことから目を逸らしていたのでしょうね。
さぁ。そろそろ保身のために、大きな嘘が見られるはず。
もう一押し、です)
「ここまで私との婚姻を待たされた挙句の、クロア様の苦渋のご選択。
あなた様のご期待にお応えするためにも。
私は、誠心誠意、殿下の妻を務めるほかありません」
クロアの主人たるブラッドの立太子、および結婚は進んでいない。ゆえにクロアとアルティラの婚姻も、ここまで差し止められてきた。アルティラに指摘され、ついにクロアの劣等感や王子への不満に火が着いた。
「ち、がいます、わかってくださいアルティラ!
あいつが不甲斐ないから、我々は結婚できなかった!
王家に差し出せと言われては、あなたは嫁ぐしかない!
あなたの心まで取られてしまうなんて、私は……!」
席を立ち、クロアが訴えかける。感じ入った声、洗練された身振り手振り、目を潤ませた顔。情熱的なその「嘘まみれ」の姿を見て、アルティラはほくそ笑んだ。
「随分私を気にされるのですね?
あなた様が私一人にそのお心を傾けることは、ないというのに」
「ち、違います!? 私が愛しているのは、あなただけです!」
「本当にございますか?」
「誓って!」
畳みかけるごとに、次々と嘘が出たのを見計らって。
「ではクロア様は、私が去った後、どなたも娶られないのですか?」
アルティラは、止めの一撃を加えた。
(これに嘘をついてしまったら、あなたは後戻りできない。
さぁ、どうします? 私の愛しい嘘つきさん)
アルティラの言葉に、クロアは目を見開いた。だが彼は一度視線を外してから、アルティラのことをじっと見つめて来た。
「誓いましょう。私の妻になる人は、あなた一人です。
他の者となど、結婚しないと」
アルティラは一筋の涙を落とし、微笑みを浮かべる。
「では。私を殿下にお捧げするのは、やめておきましょう」
「ありがとう、アルティラ!」
座るアルティラに近寄り、クロアが彼女を抱きしめる。アルティラはしばしされるに任せてから、彼の胸元を手でそっと押した。
「……すみません、このような場所で」
「いいえ。信じておりますので、クロア様」
「約束は果たします。いつか、迎えに行きます」
クロアが身を離したので、アルティラは席を立った。
「早速ですが、私は手配に移ります」
「よろしく頼みます、アルティラ」
礼をし、クロアが王宮の方へ立ち去る。
(本当に、ひどい嘘つきだわ。
結局自分で吐いた嘘に振り回され、私に簡単に翻弄された。
ですが…………私の嘘には、何一つ気づかなかった。
実に、詰まりません)
アルティラは、嘘が好きである。
吐くのも、吐かれるのも。
暴くのも、暴かれるのも。
クロアは嘘つきだが、人の嘘を暴けない。彼自身の嘘は、どこまでも暴かれるのを拒否する。アルティラにとって彼は、楽しめる相手だったが、物足りなくもあった。
(さようなら、かわいい嘘つきさん。最後まで――――)
アルティラは彼とは反対、貴族学園の方向へと足を向けた。
(あなたは何の疑問も抱かず、私の嘘や隠し事に切り込まなかった。
私がなぜ、辺境からわざわざ出てきていたのか。
それくらいは……聞いておくべきでしたね)
◆ ◆ ◆
貴族学園の中庭。かつてアルティラが通っていた頃は、ここは乱れた密会の場であった。校舎が身分で別れているため、ここで通じている男女が多かったのだ。ところが彼女が卒業して早々、カフェが建った。オーナーは、シルク公爵令嬢メディリア。アルティラを打ち負かした女である。
彼女はメディリアに、面会を求めてやってきた。
(初めて入りましたが、地球のものより洗練されてますね。
会員制の喫茶店、身分ごとにサービスが違うとは)
王宮の使用人よりも訓練された様子の給仕に案内され、中央のオープンテラスに通される。そこだけが元の中庭のまま、吹き抜けの空間になっていた。雨が降ったら大変だろうに、質のよさそうなテーブルや椅子、インテリアが並んでいる。
中央の巨木から下がる明かりの元に席が1つあり、そこに店の主人がいた。
(やはり私は、神に愛されていますね……不気味ではある。
ですが、あまりに望ましい状況です)
席につかず、アルティラは公爵令嬢のすぐ隣を見る。
「この可能性は、非常に低いと考えていました」
そこには、黄金の瞳をした可愛らしい少女がいた。ブラッド王子やクロアたち令息をたぶらかしてるはずの、男爵令嬢。アンドリュー家の娘、アネモネである。
王子を巡って対立しているはずの二人が、仲良くお茶しているのだ。アルティラが掴んでいる情報を踏まえると、わけがわからない状況であった。
「クロア様らが。
そちらのご令嬢を、メディリアがいじめたという証拠を集めていました。
彼らはあなたを糾弾し、側室に押し込める狙いだった。
ところが王子殿下らは撃退されたようですし。
ご令嬢は、あなたのそばにいる。
本当に、何をどうやったのです? メディリア」
アルティラはゆえあって、人を使ってその男爵令嬢を監視していた。だが昨晩から、急に情報が入ってこなくなった。王子やクロアらが確保したのかとも思ったが、メディリアが押さえていたわけである。
「アルティラこそ、その情報をどうやって掴んでいるのやら。
アネモネの確保なら、スピリアに頼みました」
澄ました顔でお茶を飲んでる三人目の令嬢に、アルティラは視線を向ける。彼女はリーブス侯爵の娘で、クロアの妹。つまり、アルティラの義妹予定だった女だ。
「私、あなたより友達多いし、大事にしてるから。お義姉様?」
監視を頼んだ者たちが、スピリアの頼みで見逃したということである。アルティラは思わず、口元を引きつらせた。
「その呼び方はやめてください。虫唾が走ります、スピリア」
彼女は、妙に子ども染みたこの女が苦手であった。それこそ中身で言えば、祖母と玄孫ほど年の差がある相手だ。だがどうにも反発を覚え、言葉を交わすとつい辛辣になる。
「あら。クロア殿は、もうあなたとの婚約を破談にしたのですね」
油断して〝義姉〟呼びに反発したところを、怪物に食いつかれた。目を細めた彼女の顔は明らかに、アルティラの本性や考えを暴く気満々である。
だが、話があるのは彼女ではない。
「今日はメディリアと遊ぶ気は、ありません。
そちらの、〝竜の女王〟陛下にお話があってきたのです」
メディリアの顔に、明らかな緊張が浮かぶ。
一方の少女、男爵令嬢アネモネは涼しい様子であった。
「結論から申し上げますが、私は臣従に参りました。
もちろん、立たれる気がないならそれで構いません。
すべて忘れて、辺境に帰ります」
「あなたは何を掴んでて、アネモネを竜の女王だというのよ。
まずそこを話してよ、アルティラ」
(本人かメディリアから言質を引き出そうと思ったのに、邪魔ですねこの女……)
スピリアに横合いから釘を刺され、アルティラは少しのため息を吐いた。そしてアネモネの黄金の瞳を、じっと見つめる。
「簡単な話です。この国は竜の加護で守られていて、魔物に攻め込まれない。
ところが20年前、先代国王の崩御とともに大規模侵攻が始まった。
そして17年前。アンドリュー男爵家に娘が誕生した日に、止んだ」
「それで? 王族にしか生まれない、金の目をしてるし。
この子が竜の女王だっていうの?」
「そうです。王家に伝わる古文書に、残されているのですよ。
竜の血が薄まって、加護が弱まるとき。
竜の女王の転生体が現れると」
「――――その書の内容。
どうやって〝竜の目〟がない貴女様が知ったのです?」
今まで黙っていた男爵令嬢の。
黄金の目が。その瞳孔が。
縦に、開く。
「っ。セラフィナ王女に、読んでもらいました。彼女は〝竜の目〟の持ち主です」
「伝達で目を失っていないのなら、貴女様は王女殿下に信頼されているのですね。
問題はないでしょう」
アネモネが目を伏せる。
視線が外れて、アルティラは思わず肩で息をした。
「で。アルティラは、なんでアネモネに臣従したいとか言うのよ」
「このままだと、セラフィナ王女は……私の友達は。
クロア様に嫁がされる。それを防ぎたいのです」
アルティラとしては、アネモネが王子らと結ばれたいというなら、喜んで側室になる気だった。そうでなく、ひっそりと生きたいのならば、匿い、守る腹積もりである。
だが友の自由と恋を守るためには、こうするしかない。竜の女王に王位を簒奪してもらい、王子たちの企みをすべてご破算にするのである。
「確かにお兄様に王女殿下を、というのは気の毒ね。王女様が。
でもどうしてあなたがそこまでするのよ。
友達のためって言われても、信じられないわ」
「…………なぜです」
「嘘つきだから、信用ならない」
ずばりスピリアに言われ、アルティラは言葉を飲み込んだ。
前世のアルティラは、お嬢様だった。何でも与えられた。金銭も、物も、夫ですらも。しかも才気まであった。努力すれば、望むものは何でも手に入った。地位も、名誉も、愛しい家族も。そんな彼女は、少しの刺激を求めて嘘を吐く。あるいは隠し事をして煙に巻く。
人を翻弄するのが楽しく、嘘を吐くのはアルティラの癖になっていた。
今世でも控えめにやっているが、彼女の嘘が通用しない者たちがいる。スピリアはその一人だ。直感で嘘や隠し事を看破し、突っかかってくる。親友のセラフィナもそうだ。彼女は嘘だとわかって、楽しそうに付き合ってくれる。
そしてもう一人。
「アルティラは優しいですから、大丈夫ですよ。スピリア。アネモネも」
かつて妃教育の場で嘘をばらまき、アルティラは疑心を煽って令嬢たちを蹴落とした。そのすべてを看破し、アルティラの本性を暴き立て、食らいつくした女。
それが、公爵令嬢メディリア。
「いやいや。この嘘つきが優しいって、どういうことよ。メディリア」
「妃選定は過酷でした。明らかに向いてない子たちまで集め、無理やり詰め込んで。できなければ、容赦なく鞭で打って。
アルティラは教育者たちに気づかれないよう、たくさんの令嬢たちを無事に家に帰したんです。
嘘で疑心暗鬼を作り上げ、早々に多数の子を落第させることで。
彼女たちの心を、守ったのです」
アルティラは、メディリアの断言に。かつての彼女に嘘を暴かれ、敗北を味わったときの快絶を思い出し、頬を紅潮させ、身を震わせた。
「セラフィナ王女は想い人がいますし、王家の政略に使われるのを阻止したいのですね。その上でアネモネに対して臣従という選択をとるのは、恩義と義憤に駆られてでしょう。その存在自体が、アルティラにとっては故郷の救い主。
スピリア、恩人が王族の権力闘争に利用されそうだったら、あなたならどうしますか?」
「……ちょっとそんな王家には絶えていただく方向で」
「過激ですね。でもアルティラも、同じことを考えていますよ。
竜の女王本人に〝立て〟ということは。
王位の返上を、求めるのでしょう?」
アルティラは、嘘つきである。
嘘を吐くのは楽しい。人を翻弄するのは、楽しい。
だがそれ以上に。
(メディリア……! 私の試練、神の与え給うた呪詛!
今日はあなたと遊ぶつもりは、なかったのに。
あなたは私に、いつも甘美なる敗北を与える……!)
彼女は、嘘や隠し事を「暴かれること」が大好きであった。
バレた瞬間、たまらぬ愉悦が味わえるのだ。
メディリアによって、アルティラの嘘の鎧は砕かれた。
玄孫にまで囲まれ、大往生した彼女の本当の善性が。
彼女の本性が、アネモネの目に留まる。
「ああ、そういう」
完璧な少女の仮面の下からは、恐ろしき笑みが覗いていた。
「私がツガイと産んだ、真なる竜がもたらす加護を。とこしえの守りを。
子々孫々のために、得たいのですね? アルティラ様」
竜の女王の手によって、アルティラの本当の願いは容易に晒された。
嘘が暴かれ、身悶えしながらも、彼女はアネモネから目が離せなくなった。
その顔に、覚えがあったからだ。
(まるで、鬼子母神……!
これが竜の本能! 偽りなき原初の野生!
素晴らしい! 過ぎたる激しい愛が、溢れている!)
それは、凶暴なる剝き出しの母性。
アルティラが心の底から共感する、熾烈な善の感性。
彼女は無上の幸福と歓喜を覚え、静かに礼をとった。
「はい、女王陛下」
妃選定の場は、幼子たちの無言の泣き声で満ち満ちていた。彼女は、子どもを虐げる王国の有り様が許せなかった。だから悪辣な手段をとってでも、秘密裏に彼女たちを逃がした。
老若男女が惨たらしく殺された、20年前の魔物侵攻はまさに地獄であった。彼女は子どもたちが死なねばならない王国の脆弱さが、許せなかった。だから真なる加護を得るために、竜の女王について調べつくした。いずれ必ずや、アネモネのツガイを探し出し、献上する腹積もりであった。
アルティラの手が無意識に懐を探り、取り出したものを差し出す。
「辺境から兵を呼び、王都周辺に潜伏させております。
是非に、ツガイ探しにお使いいただければと存じます」
彼女が捧げたのは、家紋の入った短い宝剣であった。
しばしそのまま待つと、さやに入ったそれがアネモネの手に取られた。
「あなたの願い、是非に叶えたく思います」
愉しげな声に、アルティラは顔を上げる。
「私の卵を産むために、この国を整えてください」
間近に立つアネモネが、視線の端でメディリアを見ている。
アルティラは、2つのことを悟った。
1つは、この可憐な竜に恋をしたこと。
もう1つは、もうツガイはいて――――また怪物に敗れたこと、である。
想い人の前で、アルティラは悦びの涙を流し、体を震わせた。
(ああ……やはり私は、神に愛されている。
素晴らしい祝福と呪いが、また得られるなんて)
前世では、何でも与えられた。
望めば、すべてが手に入った。
だからこそ、彼女は。
決して手に入らないものが、何よりも恋しいのだ。
こうしてアルティラの人生には、竜の祝福が降り注いだ。
それはいくつかの呪いを消し去り。
より強固で消えぬ恋の呪いを残した。
かつての婚約者のことなど、綺麗に忘れ。
深謀遠慮の、嘘つき令嬢は。
軍を率いて、竜の将となる。
◆ ◆ ◆
お読みいただき、ありがとうございます。
あと数編、短編追加を予定しております。
次回クロア視点の末路を投稿いたします。12/11(水)の予定です。
その後はブラッド王子のざまぁものを一本。
お話のまとめとしてのアネモネ視点の一本で、計5篇の見込みです。
#よりにもよって髪の色を間違えていたので修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。