平等4
ここは人族領と魔族領が隣り合う国境地帯。
私はここら一帯を代々守護し、治めてきたフェアー辺境伯家の長女。
また、聖典を受け継いだ誇り高き聖女でもある。
聖典のもと労働時間は"平等"。
私は週に5日8時間、モンスターから集落を守る結界を張り直したり、教会で聖典を説いたり、孤児院で文字を教えたりといった仕事に勤しんでいる。
今日はお休みの日。
眠気が催す昼下がりに、おやつの時間まで何しようかと考えながら屋敷の中を歩いていると、いつの間にか彼の部屋の前にいた。
「はっ! どうして私はここに……」
――彼。
異世界よりやって来た勇者。黒髪と黒目が特徴で、私と同い年の人。
彼が作る聖典に載らない料理はとっても絶品で……。
「じゅるり……」
先日食べたプリンを思い返していると、口元に垂れてくるものがあった。
「わわわっ!」
いけないいけない。
慌てて拭い周囲を見渡すも、他に人がいなかったことに安堵のため息をつく。
それから不覚にも流されかけた己の心を叱咤するように思い出した。自分とは何者であるか。
「私は聖女であり、聖典を受け継いだ者! 聖典に載らない料理など決して食べません!」
静かな廊下で独りなす決意表明。
この決心が揺らいでしまう前にその場を立ち去ろうとした、その時。
「お願いだ、起きてくれ! 俺にはお前の力が必要なんだ!」
突然、部屋の中から悲痛な叫びが聞こえてきた。扉越しのくぐもった声は内容こそ把握出来なかったが、唯ならぬ事態の予感がする。
「勇者様、大丈夫ですか!」
心配になり勢いよく扉を開けると、そこには膝から崩れ落ちて下を向く彼の姿が。
その手は、黒くて四角い物体を大切そうに握り締めていた。
***
「え? デンゲンがキレた?」
聖女が首を傾げながら呟く。
「はい。スマホの充電が遂になくなってしまって……」
あのあと、勇者はびくりと肩を揺らし、慌てて後ろを振り返った。恥ずかしそうに立ち上がりながら、例の物体をポケットにするりとしまい込み、誤魔化すように何の用かと尋ねる。
聖女はノックもせずに開けたことを謝罪しつつ理由を説明したところ、勇者は頬をかいてバツが悪そうに答えた。
元の世界から持ち込んだ物の一つが事切れたのだと。
「スマホとは何ですの?」
机の上に置かれた黒くて長方形の物体。裏面は大理石のようにつるりとした白だ。
見た目以上のことは何も分からず聖女は説明を求めた。
「う〜ん、何と言えばいいか。魔道具とも根本的に違うし、機械とか電力も分からないだろうしな……」
どう説明すればよいか勇者は迷う。
スマホは多機能すぎる。そして、そのどれもが恐らくこの世界にはない技術や仕組みだ。加えて勇者自身も、それらを分かりやすく説明できるほどの知識を持ち合わせていない。
しばし彼が思考に耽っている間、聖女は彼の手元にある幾枚もの紙に目がいった。どれもびっしりと何やら書き込まれたものだ。もしかすると、スマホとやらに関係あるかもしれない。
そう考えて助け舟を送る。
「勇者様は、それを使って何をしていたのですか?」
「ああ、それは……」
勇者も思考の渦から脱出し、その舟に乗りかかろうとした。けれど結局少し逡巡をしたあと、首を横に振る。
「いや、やっぱ秘密です」
「ええっ! 今の間は何ですの!? それにこのお名前、とても美味しそうな響きがしますわ!」
「……!」
鋭い指摘にぴくりと勇者が眉をあげる。
この世界の言語で書いたことが仇となった。彼は転移特典で異世界言語を習得しているが、本を読んでいると画面酔いのような状態になり、慣れる為にこちらの言葉を使っていたのだ。
「バレたなら仕方ないか。これらは全て、異世界レシピです」
つまるところ、日本食を中心とした地球食だ。
「それは……フコーヘーなお料理!」
「そう、それです」
わあ〜と声を漏らしながら、聖女が次々にレシピを見回していく。
「勇者様は料理がお好きですのね……」
どのレシピも用いる材料の細かい数値から作る工程まで詳しく書いてあり、ところどころ吹き出しの形で豆知識のようなメモがある。とても分かりやすい形式だった。だからよっぽど料理が好きなのだろうと思い聖女は尋ねた。
けれど勇者は、想定外なことを言われたかのように固まり、それから言葉を濁した。
「いや~別に好きってわけでは……」
その理由はこのレシピらが、書籍から丸パクリしたものだったからだ。
異世界はもちろん圏外でスマホはほとんど使い物にならなかったが、わずかに使用可能なものもあった。それがダウンロード済みの電子書籍だ。
「え、そうですの? でもこの間のプリンとてもおいしかったですわ」
「あ、ありがとうございます」
底なしの笑顔で褒められて嬉しくも恥ずかしくもなったが、勇者は心の中で過去の自分に感謝を捧げた。
彼にはそもそも好きとも嫌いとも言えるほど料理経験がない。
この電子書籍は現役生時代に、合格し一人暮らしする自分を妄想してつい買ってしまった負の遺産。捕らぬ狸の皮算用さまさまで購入し、本棚で眠っていたものがまさか異世界で役立った。
妙に懐かしく感じる日々に思い馳せている正面で、料理一つ一つに大げさな反応を示す聖女を見て、勇者から自然と笑みが零れる。
この調子では全ての料理がネタバレしてしまうと思い、彼女から紙を掻っ攫った。
「企業秘密ですから。これ以上は閲覧禁止です」
「あー!」
さも、大切なものを無慈悲に奪われたかのような切ない声があがる。聖女がむぅ、と頬を膨らませて恨みがましく睨んだが、一枚だけまだ彼女の手元に残っていた。それだけは頑なに譲ろうとしない。
「そんなにその料理が食べたいんですか?」
「はい。この初めて見る形状……とても気に入りましたわ!」
そんな満面の笑みに、勇者が呆れた口調で言う。
「聖典はどうしたんですか?」
「そ、それは……」
最初こそあわあわと焦りだしたが、途中、天啓を授かったかのように顔をキリッとさせた。
「『バレなきゃ、犯罪じゃない』。聖典に載っています」
その言葉に思わず勇者が吹き出した。
「ぷははっ、ホントにあるんですか?」
腹を抱えながら聞き返す。
「あります! 聖典の最終章のさらに後ろ。ほら、後書きにちょこんと!」
「マジであるじゃん!」
聖女に証拠を見せつけられて、勇者は図らずも目を見開いた。同時に初代聖女の人となりを理解した。
多分あれ。
こんなつもりじゃなかったのに、と何度もぼやく姿が容易に想像できた。
「それじゃあ、料理長に頼んで夕食に作ってもらいますか」
レシピ本通りに勇者が作るのも可能ではあったが、間違いなく精霊に妨害プレイされると思い、料理長に勇者特権で作らせることを選んだ。恐らく嬉々として作るであろうが。
「はい!」
聖女が元気に頷きを返す。
「あ、ただその代わり……」
「な、なんでしょう」
何だか無償でレシピを譲るのは面白くない。勇者はこの機会を利用していくらか情報を聞き出すことにした。
「この世界のことを教えてくれませんか? まだ一度も屋敷を出たことがないんで、いろいろと知りたくて」
「……それならば! フェアー辺境伯家長女にして、聖女の私がいくらでもお教え致しますわ!」
一瞬身構えた聖女だったが、お願いを聞くとすぐにふわりと笑い、得意げに自領の説明を始める。
適当にまとめると、こうだった。
今でこそ人族と魔族は同じ人間にカテゴライズされているが、長らく対立していた時期がある。その時に、敵対から協調に導いたのが初代聖女というわけだ。
だから今でも神のように崇められ、彼女が記した聖典はずっと人々の規範となり続けている。
だが、みんな仲良しハッピーで平和な世界かというと、そうとも言い切れない。
モンスターがいるせいだ。
特にドラゴンやオーガといった知能のあるモンスターは、下っ端を率いるため非常に厄介らしい。
現在は冒険者ギルドを中心に討伐や対策に当たっていると。
聖女の大変熱心なご説明が終わった直後に、扉のノックする音が鳴った。
時刻はもうすぐ15時。
「時が来ましたわ」
「ん?」
彼女の意味深な呟きに、勇者は一瞬あの病を疑ってしまったが、時計を見て理解した。
「ああ、おやつか。……今日は何でしょうね」
「すぐに分かりますわ」
聖女が席から立ち上がると淑女の全速力で入り口に向かい、扉を開いた。
「楽しみに待っていましたわ――え?」
しかし、目の前に立つ人を見て思わずギョッとする。
「だ、大司教様? どうしてここに?」
「……」
その惚けた声に、大司教と呼ばれた女性は一瞬顔を引き攣らせた。それでも、何も話さないで微笑み続けている。
聖女には彼女が無言のままでいる理由が分からず、大司教の道案内をしていたメイドに目を向けた。
「お嬢様……」
するとメイドが顔を近づけて、こそっと告げる。
「今日はまだ、五つめの日ですよ」
「……へ?」
一週は七つ。聖女の労働の日は一つから五つめの日まで。
だらだらと汗が流れる。
「ああ、いや、その……ええっと」
見苦しくも言い訳をしようとしたが、大司教の低い声が聖女を突き刺した。
「私もずーっと、ずーーっと、教会で待っていたのですよ?」
その直後。
誇り高き聖女はドレスの皺も気にすることなく跪くと、地面に頭をつけた。
「すすすすすす、すみませんでしたぁぁぁああ!」
この日、労働時間の"平等"が乱された。
聖女の自爆により。