平等2
俺は日本育ちの勇者。先日まで一年目浪人生をやっていたが、ある日の予備校帰り異世界転移を果たした。
結論から言おう。
この世界はイカれた"平等"な世界だ。
事あるごとに平等、平等、平等って……。
直近の出来事だけでもいくつか思い浮かぶ。
たとえば前の朝のこと。
俺は心地よい安眠の中にいたのに、叩き起こされたのだ。あの精霊に。
「今日は休日でしょ……」
恨みがましく俺は呟いた。
重たい瞼を持ち上げると、プライパンとお玉を装備したアストレアの姿が……そして。
「起床時間は"平等"だ」
朝食に目玉焼きが用意されていたこともある。これはこれは、日本人の中でも何をかけて食べるかわかれる一品だ。
「ケチャップ派なんだけど……」
「塩で"平等"だ」
アストレアに一蹴された。
それに、日本人からしたら入浴は日課でしょ。
けれど。
「お風呂は?」
「三日に一度で"平等"だ。浄化を使え。浄化を」
「なにそれ?」
だから決めた。
「この"平等"不公平にしてやる!」
俺は暗闇の自室で高らかにそう宣言したのだ。
なんかその時。扉のそばから物音が聞こえた気がしたのはきっと、精霊に対するストレスから発生した幻聴だったのだろう。
***
「時刻は15時。おやつの時間です」
聖女の部屋に、勇者がワゴンを引いて入り込んできた。
彼女が優雅に紅茶を一口含んでから答える。
「勇者様。昨日は反した振りをしましたが、実はあなたの料理、聖典に載っていたのです」
ぼそっと、今朝確認したら、と付け足したが、その言葉が勇者の耳に届くことはない。
「つまり聖典のもと、食は”平等”のまま!」
声を張り上げてどや顔で告げる。
だがしかし。
「へーそうなんですねー」
「ええ!? 反応薄くないですの? ほら、ここに!」
想像していた反応と違うことに戸惑いを感じつつ、机を挟んで反対側に立つ勇者に聖典を見せつける。該当ページの見出しには、たまごかけご飯、と。
勇者がそれに顔を近づけて覗いた。
(……聖典ねー。前文で飽きたんだよな。憲法みたいなもんでしょ)
どちらかというと、宗教の教義のようなものだが、前文しか読んでいない彼には学校の授業で少し噛んだ憲法に思えた。
勇者はまともに確認せず、ふと目についたことを尋ねる。
「ここ色違くないですか?」
大部分が黒文字で書かれている中で、一部に赤文字があった。筆跡もそこだけ違い、まるで慌てて空白に書き足したかのように字同士が繋がっている。おまけにレイアウトのバランスも悪い。
そのことを指摘すると、聖女は特に気にした様子も見せず、さも当たり前と言わんばかりに返答した。
「強調したい箇所は赤で書くものでしょ?」
「確かに……」
勇者の頭に赤シートと参考書が浮かび上がる。
聖典の確認が終わり、勇者は周囲を見渡した。そこでようやく気が付く。
「そう言えば、精霊は?」
「アストレアなら朝から厨房に用があると言って……」
「厨房? 何してるんですかね?」
「さあ……」
首を傾げながら答えた直後、聖女ははっとなって一つの可能性に至る。
「もしかして! お料理をしているなんて!?」
当り得ないと言わんばかりに驚く聖女。
「え〜、まっさか〜」
転移してまだ日の浅い勇者も彼女に激しく同意だった。
「で、ですわよね」
互いに意見が一致し、安堵のため息をついてから気持ちを切り替えた。
「まあ、いなくて都合がいいや。……お嬢様」
勇者がワゴンから大皿を取り出す。昨日と同じ形式だ。
「おやつは『カスタードプリン』。昨夜に仕込み、自室の冷蔵魔道具で保存していたものです」
そう言って彼が蓋を開けると、ガラスの器の上でぷるんと震えるプリンが現れた。
「わあ〜、踊ってますわ〜」
聖女はそう短く感想を述べてプリンをじっと見つめる。口は半開き状態で微動だにしない。
「……じゅるり」
必然的にたれるたれる。
が、勇者のワゴンを漁る音で意識を取り戻した。
「わっ! あぶなかったです」
急いで口元を拭い勇者に目をやると、彼が何やら取り出すのを目撃した。
ホイップクリームとさくらんぼと切り分けられたバナナだ。
それを見て彼女は察した。
「いけません! そんな事をしたら、プリンがプリンでなくなってしまう!」
彼女が勢いよく席を立ち上がり説得を試みるも、その思いは一瞬で砕け散る。
プリンにホイップクリームが乗り始めてすぐ口をつぐんだ。次にバナナが添えられるのを見て、わあ〜、と声を漏らしてしまう。最後にさくらんぼが飾られる頃には、再びよだれを滴らせた。
いつの間にか自分の目の前に置かれるのを楽しみに姿勢を正して待つ。その姿はもはや、欲しいならいい子にしてないとだめよ、と母親に言われた子供そのものに見えた。
だが。
「別に問題ありませんよ」
そう言って勇者が席についた。プリンの皿は今も彼の手元にある。
「俺が食べるんですから」
平然とした口調で述べる。
「……へ?」
それから勇者がプリンをスプーンで掬い、わざとゆっくり口に運ぶ。それを数回見せつけられて、遂に堪えられなくなった聖女が横から彼の腕を掴んだ。
「わ、私の分は……?」
正気を失いかけたような涙目で彼の体を揺らす。
「聖典に反するんでしょ?」
「それは……」
しばし葛藤に陥る聖女。その群青の瞳が捉えているのは、美味しそうに頬張る勇者の姿と刻一刻と減っていくプリン。
ついに半分を切った。あわわわわ、と聖女が焦りだす。
「一度や二度なら大丈夫。悪魔さんが言ってました。それに昨日のはノーカンだから実質初めて」
既に心は陥落し、ぶつぶつと言い訳を並べて食べる理由を探していた。
勇者が、独り理由探しの旅に出ている彼女を眺めながら口角をあげる。ここまで全て予定通りだと。
そろそろ旅の道しるべでも提供することにした。
「実はですね、聖女さん。プリン作りすぎてしまって。とてもだけど俺一人では食べきれないんです。余りは残念ですが廃棄するしか……」
俯き悲しそうにこぼす。
「……」
ふと、沈黙が流れた。
それから聖女が素早く勇者の手を握る。
「食品ロスはダメ! 絶対!」
この日、食の"平等"が乱された。
「フコーヘー最高ですわ〜」
ほっぺたを落としながら聖女が呟く。
プリンの味を殺さず絡み合うクリーム。
バナナの甘さとさくらんぼの酸っぱさがなす見事なコントラスト。
全人類に食べさせてあげたい!
至福のおやつタイムにそんな思いを抱きつつ、次々とプリンの欠片を頬に含んでいく。
そんな時。
聖女が扉の方を見ると、羨ましそうに覗きこむメイドたちがいた。
彼女らは昨夜、厨房で勇者がスイーツを作るところを目にしていた連中だ。一体どんな完成品が出来上がるのか、欲と好奇心に負けた者たちが群がり、その密集がさらに人を呼び寄せた。
聖女がワゴンを振り返り、プリンの在庫数を確認する。それから勇者に視線を送った。
「勇者様、彼女たちにもいいですか?」
もしかすると、おかわりはできないかもしれない。その事を少し惜しく思いながらも、彼女の中ではみんなにも食べて欲しいという気持ちの方が強かった。
すると、勇者が意味ありげに笑いながら言う。
「もちろんですよ。だって……スイーツは一緒に食べた方が美味しいですから」
その言葉に彼女は一瞬目を見開いたが、すぐにクスリと笑い返した。扉に体を向け、メイドたちに手を振って中に入るよう示す。
勇者と聖女とメイドたちはプリンパーティーを楽しんだ。
その夜厨房。
厨房の入り口付近で、うす緑色髪と尖った耳を持つ美しい女性が佇んでいる。
「くははははっ、勇者め。我に恐れ慄き不公平をやめたか。一日中厨房に張り込んでいた甲斐があった」
そう呟いて勝利に酔いしれっているのは、精霊アストレアだ。
そこに、夕食で使った食器を運ぶメイドが現れた。
「勇者様ならおやつの時間にお嬢様と、変わったプリンを食べておりましたよ?」
昼間、同僚たちと一緒に食べたプリンを思い出しながら彼女は言った。
「……は?」
ぴたりと固まるアストレア。
次の瞬間。
「な、なな、なんだとぉぉぉおおおおお!?」
屋敷中に叫び声が響いた。