平等1
異世界から勇者がやってきて数日。
我は初代聖女により現世に召喚された上位精霊アストレア。初代から今代に至るまで、長いとき聖女を支えてきた。
そんな中、昨夜。
『この"平等"不公平にしてやる』
と、暗闇で意味深に呟く勇者の姿を目撃した。
今代の聖女も御年19となり立派になられたが、まだ少し抜けている部分もある。
だがそれを補うのが我の役目。奴の魔の手から主君を守ってみせよう……。
***
次の日の朝、勇者は早速行動に出た。
「時刻は7時。朝食の時間です」
静かな食堂に彼の声が響く。ここには長机が一脚のみあり、部屋全体が豪華な作りだ。
そこに厨房から料理の乗ったワゴンを引きずって彼が現れた。
「勇者よ……。貴様の不公平とやらが通じると思うな。お嬢様に」
アストレアが睨みながら言い返す。
側には純白の僧侶服を着た少女が、丁寧に膝の上に手を置いて座っていた。
「これは異世界のレシピです。必ずや気にいるでしょう」
勇者は少しも臆することなくそう言い放ち、ワゴンから大皿を取り出す。それにはドーム型の蓋がされており、中身は隠されていた。
「フッ、笑止千万。お嬢様は聖女であり、『聖典』を継承されたお方だ。
聖典とは誰もが平等を享受できるよう、初代聖女が作り上げた規則本。
それに載らぬ料理など、決して食わん!」
ぴしゃりと言い切るアストレア。食べるかどうかの選択権を持つのは聖女のはずだが、まるで自分事のように振る舞う。
「そうですか……。それでは大変不本意ですが、今朝の食事は抜きになります」
平然と嘯く勇者に、残念がる気持ちは皆無に見えた。
「なっ、貴様にそんな権利があるものか!」
思わずアストレアが怒り声をあげる。
しかし、勇者は余裕の溢れる笑みで返した。
「勇者の言葉は絶対。前文に書いてあるでしょ?」
「「!」」
その言葉には、アストレアだけでなく聖女も反応する。
「料理人を脅したわけですか……」
これまで沈黙を貫いていた聖女が、咎める視線を投げつけながら呟く。
「何たる非道を……!」
アストレアも同調して強く拳を握り締めた。
翻って勇者は反論することなく、冷ややかな笑みを浮かべる。その無言が二人の中で、脅しを確信に変えた。
「……ですが、私は誇り高き聖女。聖典を反すことはありません」
鈴を転がす声が食堂にこだます。決して大きくはないが、覚悟の伝わるものだった。彼女のサファイアのように透き通る瞳がまっすぐ勇者を見据える。
「お嬢様……流石です!
見たか勇者。お嬢様は貴様の不公平に決して屈さない!」
自信みなぎる聖女の姿に称賛を送りつつ、アストレアは勇者を振り返り高らかに謳う。
それでもなお、彼はどこ吹く風でため息を一つ落とすだけだった。
「……仕方ないですね。では、俺一人で食べます」
勇者が呆れながらそう言って席に着くと、蓋を開けた。
すると。
「……なんだそれ? 白米と卵?」
姿を見せたのは、ゆらゆらと白い湯気をあげるご飯に細長の生卵。アストレアから気の抜けた声が溢れる。
けれどすぐ我に返り、馬鹿にするように笑った。
「くははっ、愚者め。残念だが既にそれはこの世界にある。聖典の第三章グルメ編、たまご部門その1『たまごかけご飯』!」
勝ち誇った様子で勇者を見下すアストレア。
だが、その隣で。
「お米ツヤツヤ〜」
両手を胸の辺りで合わせて、釘付けになっている人物。
「お嬢様?」
思わずアストレアが突っ込んだ。
「ちちち、違いますわ! 別に釣られた訳じゃなくて!
ただお米が宝石のように美しくて、そしたら宝石たちが美味しそうに見えただけであって」
「普通に誘惑されてる……」
アストレアの落胆した口調に聖女が慌てて付け足す。
「そ、そもそもです! これは食べても問題ありません!」
「……まあ、確かに」
誤魔化された気がしつつも、アストレアは聖典に載っているのは事実だと頷く。二人揃って勇者に訝しげな目を向けた。
すると彼は生卵を割り、ご飯の中央に添えながら笑みを深めた。
「異世界レシピはこれからです」
そう言って勇者がワゴンから何やら取り出す。
それは、ガラス製の瓶に詰められた黒い液体と小皿だった。銀色に輝く瓶の蓋には『麺つゆ』と書かれ、小皿には刻まれたネギが乗っている。
「まさか! それを!」
聖女が上品に口元を押さえて驚く。
その予想通り、勇者がたまごかけご飯にネギをまぶし、麺つゆをスプーンで掬ってまわしかけた。
「んな邪道な! 初代聖女ひと口メモ"醤油と鰹節であらずんば、たまごかけであらず"!」
アストレアが机を叩いて叫ぶが、それを他所に聖女から言葉にならない声があがる。
「はわわわわぁぁ〜!!」
麺つゆを引き立てる鰹だしの爽やかな香り。
丼の上に散らばるネギさんたちは目に優しい緑色。
ふと、彼女の心の中に天使と悪魔が出現した。
『ぐぎゃぎゃぎゃ、食っちまえよ聖女。聖典? んなもん一度や二度くらい破ってもいいだろ?』
こう言うのは、鰹だしの匂いから生まれた悪魔、キューカク。
『そうよ〜。もう見た目だけでもぞくぞくして堪らないわ。一緒に気持ちよくならな〜い」
こう言うのは、ネギの映えから生まれた悪魔、シカク。
「お嬢様! お気を確かに!」
遠くの方で語りかけてくるのは、どうしてかアストレアに似た天使。
誘惑と善導の狭間。
「……どうしましょう」
心の中のチビ聖女が俯きながら呟いた。
口を抑えてわなわなと震える姿は、さながら激しい葛藤の渦中にいるかのようだが、実際は全くもって違う。
「……疼く」
小さくか細い声。
「お嬢様……大丈夫ですか?」
心配そうに天使が近づいてきて背中を摩ろうとした、その時。
唐突に顔をガバッと上げて、チビ聖女が叫んだ。
「ミカクが疼きますわ!」
現実の聖女の口からぽろりと垂れる。
「お嬢様!? 今すぐ拭ってください! ええ今すぐに!」
アストレアが必死な声で注意するも、聖女の手が布を握ることはなく。
そこで、ことんと器の置かれる音が響いた。
その音で聖女は我に返る。
「……え?」
なぜか目の前には、たまごかけご飯があった。
何がなんだか分からず呆けながら見上げると、勇者の屈託のない笑みに辿り着く。
「ご飯は一緒に食べた方が美味しいですから」
「……」
彼のまっすぐな目を見て、それが本音なのだと聖女は確信が持てた。ならば自分も本音を返すべし。
彼女はゆっくりと目を閉じ、そっと深呼吸を繰り返した。霧が晴れていくように頭の中のモヤが次第に薄れていき、彼女の心の奥底で存在を主張する欲の核があらわになる。
聖女の欲。
「……えへへ、一度や二度ならいいですよね〜」
「お、おじょ、お嬢様ぁぁぁぁぁぁああああ!!」
この日、食の"平等"が乱された。
「いっただっきま〜す」
食堂に元気一杯の声が響く。
聖女がたまごかけご飯をスプーンで掬い、口に運んだ。
「ん〜〜。とーってもっ、美味しいですわ〜!」
片頬を押さえながら感想を述べる。その姿はとても幸せそうで、勇者は自分の丼に手をつける事なく、彼女の食べる様子を眺めた。
そこではっと勇者がある事を思い出すと、すぐ聖女の食べるペースが加速する前に待ったをかける。
「お嬢様、もっと不公平にしてみませんか?」
誘いをかけて勇者が取り出したのは、これまた瓶に入ったものだ。その中身は……。
「……お海苔! しかも味付き! しますしま〜す」
「待ってッ! お嬢……様……」
その制する声が聖女に届く事はなかった。止めようとして伸ばした腕は空中で行き場を失い、アストレアはしばらくの間固まるのだった。
その夜聖女の部屋。
「お嬢様、神聖力お借りします」
眠っている聖女の手にアストレアが赤色の魔法ペンで魔法陣を書き込む。
「ふへへ。悪魔さんこれからも宜しく」
聖女がくすぐったそうに体を捩らせた。
『神聖魔法"聖典原本召喚"』
アストレアが短く詠唱すると、空中に拡大された魔法陣が展開し、神々しい光を溢す聖典の原本が顕現する。そんな光に晒されてもなお、聖女は一向に目覚める気配がなかった。
それを確認してからアストレアは、魔法ペンで何やら聖典に書込み始める。
「ページはたまごかけご飯。追記事項は材料に麺つゆ、ネギ、味のり。
それと初代聖女ひと口メモの下に、"※あくまで個人の感想です"を書き足して……更新。これで証拠隠滅完了。すべての聖典に情報が共有された」
最後に召喚を解除すると、眩い光が一瞬で消え失せた。
すると、さも壮大なミッションをやり遂げたかのようにアストレアは額の汗を拭う。
「これで、食の"平等"が守られた。お嬢様は聖典を反していない」
まるで自分に言い聞かせるような呟きだった。
「勇者よ、覚悟しておけ。貴様の思い通りにはさせんぞ」
それから暗闇の中で、歯を食いしばった。