12.伯爵家の未来
「騙された!!!!!!!」
さて、それからひと月後。
レギーナは執務室でそう叫んで、執務机の上に並べられているわけがわからない書物の上に突っ伏した。
それから、ゆっくりと顔をあげて、そっと机の上をもう一度見る。
「うう。なんてことでしょう!」
何度見ても、そこにはそれまで読んだこともない書物やら何やらが大量に並んでいる。執務室の大きな机を埋め尽くす量。そして、それをにやにやと見ている双子は、小さな応接セットのソファでごろごろと横になっている。
あれから彼女は離れより本館に移り、使用人用の部屋を一室もらった。が、彼女はあれこれと教育が足りないため、仕事の合間にそれらの勉強をした方が良い、と使用人でありながら、誰も使っていない執務室を借りることとなった。
その時点で話が実はおかしかったのだが、彼女は「そういうものなのか。使用人の教育にそんなに力を割いているのね」と呑気に捉え、日々の空き時間そこで過ごしていたのだが……。
「騙してないよぉ~」
とクルトが言えば、クラーラも「そうそう」と笑う。
「ロルフの世話係になるには、文字の読み書きが完璧にならなければいけないと聞いて、仕事の合間に勉強をしました」
「うん」
「それから、クルトとクラーラの世話係になるには、マナーを一通り知らなければいけないと聞いて、これも仕事の合間に勉強しました」
「うん」
「それが終わったら、結婚ですって!? まさか、今までわたしが勉強をしていたのは、そのためのことだったんですか!?」
クルトとクラーラは腹を抱えてぎゃはぎゃはと笑っている。レギーナは「そんな話は聞いていないわ!」と叫ぶ。
「いいじゃない? 代理人でも期限つきの伯爵夫人よ?」
「良くないわ! そんな立場になるには……まず、最低限ここに積まれていることをやらなくちゃいけないなんて……!」
とレギーナは頭を抱える。どうやら、彼女はロルフと結婚をするのが嫌なのではなく、目の前に積まれた様々な書物を読んで勉強をすることを難しいと考えている様子だ。
「僕たちが教えるからさ」
「そうそう! わたしたちと遊んでくれる時間、今度からはレギーナの勉強時間にしましょ?」
「そんなぁ……」
心底悲しい顔をするレギーナ。こんな勉強をしなければいけないなんて、頭がパンクしてしまいそうだ……そう愚痴を言いたくもなる。
「でも、レギーナ、これでメーベルト伯爵の妻になれるんだから、最初の目的はある意味達成したんじゃない?」
とクラーラ。レギーナはその言葉にハッとなって
「そっ、そ、その話は、その、一体どこで……どこでっていうかロルフから聞いたんですか!?」
「「そうだよ~」」
2人は同時に呑気に笑う。一方のレギーナは赤くなったり青くなったりで忙しい。
「そのう、あれは、本当にわたしの、えっと、軽佻浮薄といいますか」
「けいちょーふはく! 難しい言葉を知ってるね!」
とクルトが声をあげればクラーラは「どういう意味?」と尋ねる。
「軽はずみな行動をとるっていう意味だよ」
「へえ~!」
そう説明をされると、より一層恥ずかしいのだが……とレギーナは「うう」と呻いた。
「おにいちゃんだって毎日頑張ってるんだし、レギーナも毎日頑張れば、それぐらいの量すぐよ!」
とクラーラは言うが、それは双子の2人が天才だから言えることだ。自分は凡人以下なのだ……とレギーナは思う。
「そう言えば、どうしてお2人はロルフのことを『おにいちゃん』と呼ぶんですか? そのう、貴族の方々でしたら『お兄様』とか『兄上』みたいな……?」
「おにいちゃんは貴族になりたくなかったんだよ。だから、僕たちはそれを尊重したんだ」
尊重。また子供のくせに難しい単語を……と思うレギーナ。
「でも、どうしようかな。これからお兄様って呼ぼうかな? それで、レギーナはお姉様って呼ぶことになるのかなぁ」
と、クラーラがにやにや笑う。
3人でああだこうだと話していると、コンコン、とノックの音が響いた。それを聞いてクラーラは「いっけない。おにいちゃんだ」とソファから立ちあがった。クルトも慌ててそれに倣う。がちゃりとドアを開けて、顔を出すロルフ。
「こら、お前たち、今日から新しい先生がいらっしゃるんだろう? 侍女たちが待っているぞ。着替えて出迎えろ」
「「はあ~い!」」
返事をする2人に、レギーナが「先生、ですか?」と尋ねる。
「あのね、クルトには植物学の先生、わたしには彫刻の先生がつくことになったの」
その言葉にレギーナはあんぐりと口を開けた。植物学とは一体何だ。彫刻の先生とは一体どういうことを教えるのだ。それを同時に口に出すことは出来ず「え、え、え……」と唸っていると、2人は「レギーナまたね!」と言って部屋からばたばたと出ていく。ロルフは「まったく……」と言って、走っていく2人の背中を通路で見送った。
「ロルフ」
ようやくしっかり声が出るようになったレギーナは、執務椅子に座ったままロルフに尋ねた。
「うん?」
「あの、わたしたち結婚するんですか?」
「ははっ!」
またそんな他人事のように尋ねるレギーナの様子がおかしかったので、ロルフは声をあげて笑う。
「なんだ。あいつらから聞いたのか? ったく、黙ってろと言ったのに」
「黙ってろ!?」
「ああ、違う、騙そうとかそういうことじゃなくてだな」
そう言うとロルフはレギーナに近づいた。
「俺が、あんたにプロポーズしていないのに、勝手にあいつらに言われちゃ困るだろうが。だから、聞いてない振りをしてくれたら嬉しいんだけど」
「!」
そう言ってにやりと笑うロルフに、レギーナは頬を赤らめながら「い、いいですよ、わたし、何も、何も聞いていません」と目を逸らしつつ言う。
「はは、じゃあ、初めてのように驚いてくれ。レギーナ、俺と結婚してくれないか」
あっさりと、しかし、はっきりとロルフは言う。それを聞いたレギーナは口を大きく開け、両手でそれを塞ぐというわざとらしいポーズをとってから「うふふ」と笑って
「喜んで!」
と椅子から立ち上がった。まるでそれを待っていたかのようにロルフは両腕を広げる。そこへレギーナが抱きつけば「良かった。断られたらどうしようかとひやひやした」と、ロルフは安堵のため息をつく。
「そんなわけないじゃないですか。そのう、まだまだ先のことだとは思っていましたけど」
「俺が、耐えられなかった」
「耐えられない?」
「毎日、あんたに会ってるのに、使用人と主人だなんて、やっぱり無理だった」
「まあ!」
今、レギーナは毎朝彼を起こして、着替えを手伝って、そして「お仕事を頑張ってください」のキスまでを朝の習慣にしている。それをひと月も繰り返した結果、ロルフには更に欲が出て来たということだった。
「あまり我慢が効かない人なんですねぇ」
あっけらかんとレギーナに言われて、ロルフはさすがに「面目ない」と謝りつつ「でも、自分に素直なのは悪いことじゃないだろう」と言って、軽く口をへの字にした。
ロルフの腕からそっと離れ、レギーナは
「ところで、わたしのあの勉強らしいもの、どうにかなりません?」
と尋ねたが、それについては
「ならないな」
と即答だ。肩を落とすレギーナに「でも、一ついいことを教えてやるよ」と言うロルフ。
「トイフェル修道院への援助が、ここ10年間ほど中抜きをされていることがわかった。他の修道院も同じようにな。それは、多分、父の後妻に横流しされていた様子でさ。金の管理をしていたやつを捕まえて、これからそこはもう一度精査するんだけどよ……」
「まあ!」
「そういうわけで、正しい金額と、過去の差分を乗せて修道院に送ることになったんでね。すまなかった。過去のあんたに謝ることは出来ないが、でも、この先修道院のことを心配する必要はほとんどなくなったと思っていい」
「そうなんですね……! まあ、まあ、それは嬉しいわ!」
そう言ってレギーナはくるりと一回転した。
「ロルフ、ありがとう。あの、次のお休みになったら、わたし一度トイフェル修道院に行ってもいいでしょうか……?」
「それなら、一緒に行こう。資金援助の額が変更になった話と、謝罪をしなければいけないからな。各修道院には俺の部下が行くことになっているんだが……一緒に、トイフェル修道院に行って、それから、あんたと俺の結婚のことも話して来よう」
レギーナは大喜びで「嬉しい!」と言ってロルフに抱き着いた。が、その直後
「ね、あの勉強らしいもの、どうにか……」
ともう一度打診をし直したが、ロルフに「嫌だと思うが、互いに勉強はしないとな。そこは、なんとか飲み込んでくれ」と言われてしまい、不承不承「うう、頑張ります!」と叫んだ。
メーベルト伯爵家の伯爵夫人に平民がなる、ということについては、誰も特に文句を言うことはなかった。何故ならば、もともと故メーベルト伯爵の側室も、愛妾も、どちらも平民だったからだ。
こうして、彼らはあっという間に結婚を決めた。そして、訪れたトイフェル修道院で大修道長は、ロルフの自己紹介を聞いて目を白黒させて
「レギーナ!? 本当にあなたはやらかしたんですね!?」
と、大いなる誤解をすることとなる。
さて、余談になるが植物学の先生と会ったクルトは
「ねえ、僕、いつか植物学の先生と一緒に旅に出たいんだよね。だから、5年後にもそのままおにいちゃんに伯爵になって欲しいんだけど……」
とクラーラに言い出した。
勿論、クラーラも「クルトは後継者に向いていない」ということは薄々わかっていたし、彼が植物学に興味を持ち、そして、実は高名な先生を呼んでいることを考えれば将来もなんとなく見えてくる。結果、双子は「このままおにいちゃんを伯爵にしようね」と頷き合うことになった。
「本当はみんなおにいちゃんに頑張ってもらいたいんでしょ。だけど、それじゃあおにいちゃんが絶対断るから、逆にクルトのことを口実にして『そう』させたってことよね」
「そうでしょ? だから、あんなに僕が嫌だ嫌だ言っても、無理矢理そうさせる、みたいな感じだったんじゃない?」
それが答えだ。2人は「おにいちゃんなら、なんとかしてくれるでしょ」と結論づけた。
彼らの目論見通り、5年後にクルトは置手紙をしてメーベルト伯爵家を勝手に抜け出し、旅に出てしまう。そして、ロルフは晴れて代理ではなく完全に伯爵になり、レギーナも正式に伯爵夫人となってしまう。
メーベルト伯爵となったロルフは、多くの才は持たなかったものの、堅実な手腕を発揮して、安定をした領地経営を行う。そして、その横に立つ伯爵夫人は、2人の男の子と2人の女の子を産み、いつも笑いが絶えない家庭を築き、領民たちにも慕われていたと言う。
了