11.事態の収束とそれから
一族が集まり、クルト誘拐についての裁きが行われた。本館の広間を使い、クラーラとクルトとロルフ、そしてカルゼ、メーベルト伯爵家関係の人々がおよそ10人ほど集まり、重苦しい雰囲気でそれは始まった。出席者の中には当然レギーナもいたが、誰がどういう立場なのかをまったくわからないまま、縮こまる。
どうやらカルゼは、故メーベルト伯爵の側室の子供らしく、本妻に子供が長く生まれなかったことで、幼い頃から「お前が後継者になるんだ」と母親に言われて育てられていたようだった。しかし、後継者を選ぶにしても最初から彼一人しか候補がいないことはよろしくない、ということで、平民として生きていたロルフが呼ばれて来た……というのが、本当の筋の話らしかった。
だからカルゼはロルフにより冷たく当たっていたし、後から生まれたクルトを敵視していたのも仕方がないことだったのだろう。
ロルフとクラーラは、カルゼと侍女長が手を組んでクルトをさらったことを主張。ロルフの護衛騎士は、彼とクルトが庭にいる時にカルゼを見張っていたが、その時の彼は特に何もしていなかったと報告。だが、侍女長については、アリバイがないと説明をした。そしてまた、クルトが閉じ込められていた離れ担当の侍女は観念して、侍女長がクルトを連れて来たと証言。
それと同時に、カルゼがレギーナの出身修道院を知っていたということで、侍女長と通じていたということ。そして、彼が誰よりも「レギーナに罪を負わせようと」していたことを主張。他、いくつかの余罪の追及もあり、カルゼ、侍女長が主犯、そして離れの担当侍女もそれを手助けしていたことがはっきりとした。
悲しいことに、そこでは「カルゼが横やりをしなければ、しばらくの間はカルゼを当主代理にしようという話が出ていた」ということが伝えられ、彼は愕然とする。そんな……と彼は膝から崩れ落ちた。
レギーナはただただひたすら恐縮しつつ、だが、自分の番ではしっかりと発言をした。勿論、その順番が終わった後は、またすみっこで小さくなっているだけだったが。
「後継者争いはこれではどうにもならない」
と、故メーベルト伯爵の兄である男性がはっきりと言い放つ。
「我らとしては、クルトに伯爵当主になって欲しい。しかし、やはり今のクルトをすぐに当主にすることは難しいと思われる」
それは妥当な意見だ。要するに、そのため、代理人として一時的にカルゼを立てようという話になりそうだったのだと言う。
「なので、それをロルフに任せようと思う」
「えっ!?」
まさかの名指しで、ロルフはガタンと椅子から立った。
「俺が? それは……」
「お前が『ここ』に来てから、日々後継のための教育を受けていたことをみなは知っている」
「と言っても、俺は15歳からしか学んでいない」
「だが、クルトはそれよりもまだ学び足りない上、年齢が年齢だ」
ロルフは、ぐっと口ごもる。それは彼もわかっていたことだからだ。
「ロルフ。5年だ。我々もお前を助ける。そして、クルト、5年後にはお前が後継者として、伯爵の名を継ぐんだ」
「ぼっ、僕は、嫌、です……」
「嫌でも、お前が継がなければいけない」
クルトはまだ反抗をしていたが、どう考えてもこれぐらいしか落としどころがないことは皆もわかっている。ロルフは顔を歪めて「5年ですね。そうすれば、クルトもまあ確かに今よりだいぶ大人になるし……」と溜息をついた。それへ、クルトは「僕、嫌だよ」ともう一度言ったが、彼の言葉は聞き遂げられず、その場の話し合いは終わったのだった。
カルゼは裁かれ、また、今回の件で名前こそ出てこなかったが、故メーベルト伯爵の後妻は、近くの別荘に居を移すことになった。もともと領地経営には何の手出しもしていなかったのだから、本館にいる必要もない。この先は、決められた予算を分配されて、それ以上の収入はなく、その予算内でやりくりして生活をする。ただそれだけの立場になった。
当然、その「予算」も、レギーナが聞けば卒倒するほどの金額だが、ロルフの話だと「それだけじゃ足りないって言いそうだ」ということだった。カルゼと手を組んで、今後もメーベルト伯爵家の資産をあれこれうまく使おうと思っていたのだろうが、残念ながらそれは許されないことだ。
「とはいえ、今後何かがあってカルゼが後妻のことを白状しなければ、というだけだが」
とロルフは言う。彼らの見込みでは、十中八九カルゼは口を割ると思われており、そうなったらまた後妻の処遇は変わるだろうと言うことだった。
「本当にロルフが後継者の、そのう、代理みたいなものになるんです?」
「なるしかねぇなぁ……」
何故か、レギーナが昨晩泊った部屋にロルフはやって来た。レギーナは「わたしはこれからどうしたらいいんだろうか……」と思いながら、仕方なくソファに座ってロルフの相手をする。
「それにしても、ロルフも後継者の教育っていうの? 聞いた話より、ちゃんとしていたみたいですね?」
「俺がやっていたことなんて、たかがしれてるよ。例えば、カルゼなんかさ、本当に10才ぐらいからずーーーっとそういう教育を受けて来たんだ。だから、あいつが後継者になれれば良かったんだよ。だけど、性格や考え方に難があるからさ……」
なるほど、確かにそのようだ。うまくいかないものだ……レギーナはそう思って、ため息を小さくついた。
メーベルト伯爵家の後継者候補は、三者三様で長所と短所が極端だ。消去法で仕方なくロルフが代理人になることになったが、彼自身が「向いている」かどうかはまた別の話だ。
「あのう、ロルフ、そろそろわたし、離れに戻りたいのだけど……」
「ああ、それも話さなくちゃいけなかったな……あのさ、離れはさ……後継者選びが終わったら、離れの掃除などはまた当分やらなくてよくなるらしいんだよ」
ロルフの言葉にレギーナは驚いた。何故なら、彼女はこの先もずっと離れを綺麗に維持すれば良いと思っていたからだ。実際、雇われて侍女長と話をした時も期限については何も言われていなかった。勿論、それもまた今回の事件ありきのことだったのだろうが……。
「ええっ!? そ、それは、聞いていませんでした……いえ、いえ、そもそも後継者選びが行われているという話も、ロルフから聞いた話でしたし……」
「だって、次の後継者選びはクルトの後継者だぞ? 何年後だと思ってるんだ?」
確かにそれはそうだ。きっと、30年後、もしかしたら40年後ぐらいになる可能性だってある。それまで、毎日毎日あの離れに暮らして綺麗に維持を……
「確かに、ちょっと無駄ですね……」
うう、とレギーナは口をへの字に曲げた。ロルフは「そういうこと」と肩を竦める。
「それでさ。あんたは……給金を修道院に送ったんだよな? この先も、そうしたいと思っている?」
そのロルフの言葉に、レギーナは背すじをぴんと伸ばす。
「はっ、はい! そうです! ですから、そのう、出来ればこちらでこのまま雇っていただくことは出来ませんか……? こんな図々しいお願いをするのは申し訳ないんですが……わたし、お掃除も、お洗濯も、得意です! そのう、お食事を作ったりは、えーっと、厨房は自信がありませんが、いえ、自信がないっていうのは、わたしは庶民の食事しか作れないからで……えっと、それから……」
「そうか。じゃあ、頼みがあるんだが」
「はい!」
「まず、俺の世話をして欲しいんだが」
「ええっ!?」
レギーナは目を丸くする。
「そして、その上で、クルトとクラーラの遊び相手になってくれないか」
「えっ?」
ロルフの表情は真剣だ。
「あいつらは、まあ俗にいう天才でさ……とにかく、勉強がとんでもなく出来る。頭が良い。でも、まだまだ子供だ」
「……はい……」
「そんなあいつらに、何の隔てもなく遊んでくれたのはあんただけだ。あいつらは、あんたの前だけは年齢相応の顔を見せる。だから、しばらく、俺の世話をしつつも、彼らの相手をしてあげてくれないだろうか。お世話係というか……」
レギーナは困惑の表情を浮かべた。確かにそれは願ってもないことだが、こんな大事になってしまった上に、他の侍女たちと扱いが違う世話係になっても大丈夫だろうか……そう思って一瞬躊躇をした。
が、ロルフはそんな彼女の様子をうかがって
「俺の世話係とあいつらの遊び相手になれば、給金があがる。なんといっても、メーベルト伯爵代理人の世話と、未来のメーベルト伯爵の相手なんだしな」
「ううっ……そのう、ロルフの世話というのは、何をすればいいんでしょうか?」
レギーナはおずおずと尋ねた。すると、ロルフは「ははっ」と笑う。
「朝、俺を起こして、着替えさせて、俺が執務室にいっている間に部屋の掃除をすりゃいいだけだ。それで、たまに茶を持ってきてくれたらいい。多分な。父の世話係は大体そんなことをしていた気がする」
「えっ、え……き、着替え、させる?」
いささか頬を赤くしてたじろぐレギーナ。それへ、少しだけ意地悪をしたくなったのか、ロルフは「メーベルト伯爵の女になりに来たのに、それぐらいでへこたれるのか?」と言った。
「もお! からかわないでください! あれは、本当に、そのう、そのう、えっと……わ、わ、若気の至りというやつです!」
言葉の意味としてはいくらか間違っているのだが、勢いでレギーナはそう言った。ロルフは笑って「わかってるっての」と返す。
「ちょうどいい仕事ってのがなくてさ。クルトとクラーラの相手をする、って言っても毎日とは限らないし、朝から晩までじゃないからさ。だから、俺の面倒も一緒に見てくれよ。その、さ……俺も後継者代理とか言われても、正直困ってるし……」
ロルフのその言葉は本音のように聞こえる。
「あんたが、俺の傍で笑っていてくれたら、ちょっと頑張れる気がするんだけど」
「!」
レギーナは「そう言われると……」ともごもごとなる。とはいえ、それは公私混同というものではないか、だとか、しかし、自分がここに来たのも若干公私混同だったので、とか、ぶつぶつ呟く。
「ひとまずさ、それで受けてくれよ。おいおい、これじゃよろしくないとか、これだと何が困るとかさ、出てきたらその時に考えたらいいんじゃないか? な?」
「ロルフは、なんだか押しが強くないですか!?」
「馬鹿だなぁ……」
ははは、とロルフは笑う。
「言っただろ。あんたを後継者選びのごたごたに巻き込まないように、一応一線を引いてたつもりなんだってさ。それがなくなったら、そりゃあさ」
「で、でも、身分差、というものがですね……! うう、身分差。自分で言ってちょっとショックですけど……」
「あっはは、何を今更言ってるんだ? 俺は半分しか貴族の血は流れていないし、人生の半分以上は平民として生きて来たんだ。気にすることもないだろ?」
そう言って立ち上がると、彼はレギーナに手を伸ばす。一体何を? とレギーナはその手に掴まると、ぐいと立たされた。
「離れから、あんたの道具を持ってこよう。俺も手伝うからさ。使用人の部屋はもう用意をしてあるんだ」
「もう! 強引にもほどがあります!」
レギーナがそう叫ぶと、ロルフは「はは」と笑う。彼のその笑みを見れば、ついついレギーナも「もう!」ともう一度言いながらも微笑むのだった。