ざまぁ騒動に見る最近の人の動きの考察……じゃなくてどーなの?とただ書いただけかもしれない
発端作品、見事に「ざまぁ」されましたね!
いや、実に見事。
考察に対して追記するだけのシンプルさで相手を追い出したのですから、華麗なる手腕です。
今も日間にポツポツと上がっていて、まぁ親を殺されたのでしょう、敵討ちもしょうがないですね。
多数の意見や気持ちも代弁していて、ポイントが入り、四半期にもランクイン!
後書きで評価へのお礼をちゃんと述べていて、読者もきちんとした人柄に応援したくなるのでしょう。
ファンがたくさんいる作品のページ内に、きちんと宣伝してあったりと周知にも余念がない。
やり手で読者を飽きさせない、作者の姿勢として素敵です。
オラ、アミーゴ!
いつでも大抵ニッチの隙間に挟まっている。
おしゃんてぃ色機能性塗料ぬりかべ三屋城です☆
さて。
一連の人の動き、ざまぁに思い入れも、ざまぁ嫌いに思い入れもない側から見た視点。
ちょっと観察してみてもらいたいなぁと思って、書いてます。
考察ともちょっと違う、一視点と思ってもらえたら。
まず、一人が集団へと殴り込みをしました。
それについて様々エッセイストの方の視点ごとの作品が、割と考察を持ったり、感情のままだったりしながら、発表されます。
その中で一際群を抜いて共感を得た作品がありました。
ここまではさして、普通のことと思います。
ただ、ここからが見ているとなんだかスッキリしない。
エンタメとしてもカタルシスがない。
単騎殴り込み作は、言葉を開いていました。
語って、語り返してもらって、人としての温度があり著者自身気付いてゆく過程のある作だった。
殴り返し作は、言葉を閉じ。
語らず、けれどファンと徒党を組むつもりなのか他作品内宣伝し評価へ感謝し、ただひたすら高い場所から見下げる作だった。
確かに最初に殴った方が、悪いです。
殴り返しやむなしでしょう。
けど、ピクリとも動かなくなった相手を、グループになって殴り続ける喧嘩の仕方って、どーなのです。
追記して相手の価値観否定してまで、やってますから。
相手が認めてないからといって「価値観を認め合おう」と書いてある作品内で人の価値観苦笑しながらけなしてどーするんだって。
説得力、感じませんでした。
やる方はスッキリし続けて満足かもしれないですけどね。
私は好きじゃないです。
喧嘩はちゃんと、おさめる方法があるんじゃないかと。
ちょびっとでも良いから、かっこいい大人でいたいじゃないかと。
ざまぁって何してもいい免罪符だったっけ。
報復は理不尽への刃ではなかったっけ。
反省や、改心や、理解が深まったことへも、さらに追加でざまぁしてし続けて何を得るんだっけ。
はっきり言うと、どっちが悪役令嬢なわけですか?!
いつの間にか応援してた悪役令嬢が闇落ちしてるやんけー!!
ってならないのかなぁと、疑問な気持ちなのでした。
ちなみに、水戸黄門的様式美のお話、私は嫌いじゃないですよ。
感情移入というよりは、物語のちょっとした展開を楽しんだり、悪いお代官がははーってなるのとか「よかったねぇ」ってなります。
かっかっか笑いは、好き!
ちなみに、この作品は単騎でそれでも殴り返しエッセイと肩を並べたくて書きました。
四半期は無理でも、せめて月間だけでも良いから誰か〜!!