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5.同棲生活スタート



 犬に本気で嫉妬したヘル=ハウンド男爵様。

 それは、顔、身長、財産の三拍子揃った男爵様にも、欠点があることを教えた。


(でも、それがかえってホッとする。欠点だらけの自分との距離が、少し近くなった気がするから)


 と、思ったのも束の間。


「これが僕の屋敷です」


 馬車からも見えた黒い館の前にいざ来てみると、その途方もない大きさに目が眩んだ。


(ダメだ。こんな王侯貴族でも住みそうなお屋敷の持ち主と、犬令嬢のヒルダ・ゴズリングが釣り合うはずがない。自分に不釣り合いな結婚をしても、みじめになるだけだ)


 またしても、男爵様との距離がグンと広がった。


(せっかく好きになりかけたのに……でも諦めよう。捨て犬なんかが夢を見てはいけないのだ)


「……すごいお屋敷ですね。宝石の取り引きだけで、これを建てたのですか?」

「いえいえ。たった四ヶ月でこの館は建ちませんよ。僕には高貴な身分の知り合いがいると言いましたが、これはその方が趣味で購入された廃館の一つなのです。それを改装し、僕に無償で貸して下さったのです」

「では、男爵様のお屋敷ではありませんのね?」

「しかし、半永久的に貸すという約束ですから、僕の持ち物と言ってもいいと思います」


 いや、持ち物でないほうが、距離が縮まるのだ。よって持ち物でないとする。よしっ。


「黒い館というのは珍しいですね。何だか、幻想的な感じがします」

「新月館と呼ばれていたようです。まるで新月の夜のように真っ黒だという意味で。しかし僕は、黒犬館と呼んでいます。ヒルダお嬢様は、どちらの呼び方が良いですか?」

「新月館で」


 犬令嬢が黒犬館に住んだら、なんだかなー、である。


「ではどうぞ。屋敷を案内します」


 男爵様が言った瞬間、私の足は固まった。


「どうしました? 漆黒の館が不気味ですか?」

「いえ」


 考えてみれば、男性の家に招かれたのは初めてである。それが足をすくませた。


「すみません。私は、こういうことに疎いのです」

「疎いとは?」

「全然知らないのです」

「何を?」

「そのー、優しかった男性が、ひとたび女性を家に招き入れると……」

「入れると?」

「その、意味がよくわからないのですが、何でも狼に変身するとか」


 そのとたん、男爵様が手を叩いて爆笑した。


「アハハハ! 僕が狼に変身? こいつはおかしい。あの、僕より数等劣った狼に、わざわざ変身? アハハハハハハハ!!」


 そんなにウケる? と首を傾げるほどの笑い方だったが、この様子を見て、何に変身するとしても絶対に狼にだけは変身するまいという確信が持てた。


 しかしそれでも、屋敷に入る前に確認しておきたいことがあった。


「男爵様、私はまだ、男爵様の求婚を受け入れたわけではありません」

「もちろんです」

「とはいえ、ゴズリング家に帰る気はもうありません。となると、ここに住むしかなくなります」

「どうぞお住み下さい。僕と使用人の部屋以外は、全部空き部屋ですから」

「私は婚約者ではなく、かといって普通の滞在客でもない。あくまでも、捨て犬を拾って下さったのだと思っています」

「どうか卑下なさらず。僕はいつか、正式に結婚したいという希望を抱いていますから」


 それはお互いに相手のことをよく知って、愛が十分に育ってからーーという条件は、すでに伝えてあった。


「男爵様のお気持ちは嬉しいです。女性として、嬉しくないはずはありません」

「……ありがとう」

「でも、その気持ちに甘えてここに住み始めたら、婚約もしないうちに、実際には大富豪の妻と同じ生活をまんまと享受することになります」

「そんなふうに考えないで下さい。僕が望んだことなのですから」

「噂好きの貴族社会のこと、きっと私と男爵様との不釣り合いな同棲生活は、あっという間に知れ渡ります」

「僕はかつて一度も、貴族連中の噂を気にしたことはありません」

「私も噂は気にしません。でも、不釣り合いなのは気にします」


 すると男爵様は、意味がわからないというように手を広げた。


「何を遠慮しておられるのです? 僕はついこのあいだまで路上生活者だったのですよ? それがたまたま財産を得ただけで、偉そうにこんな館に住んでいるのです。しかもあなたのような美しい子爵令嬢を連れて。釣り合わないことをしているのは僕のほうですよ」


 そう言われて、少し気が楽になった。


「ではお言葉に甘えて」

「甘えて下さい。それが僕には嬉しいのですから」


 男爵様に促されて、ホールに足を踏み入れる。 

 ふっと、幻想の世界に迷い込んだ気分になる。

 高い天井と壁のあちこちに、さまざまな伝説の獣の絵が描かれ、柱にも恐ろしげな獣の首が刻まれていた。


「前の持ち主の趣味でしょうね。古代の武器やら、拷問具などが飾られたりしていますけど、気にしないで下さい。僕には興味のないものばかりです」


 それには答えなかった。

 私が見ていたのは、絵でも飾りでもなかった。

 ホールから二階に上がる大階段の途中に、黒いメイド服を着た女性が立っていた。

 その、すらりとしたスタイルの、まだ少女らしく見えるメイドの目が、エメラルド色に妖しく光っていたのだ。


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