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4.大富豪のお屋敷



 着いた場所は、ほとんど森の中だった。

 鮮やかに紅葉したメイプルが繁る向こうに、黒い館の姿が見えていたが、やがて一直線に伸びる鉄柵が現れて、その突き当たりが門になっていた。


「ケン、門を開けて」


 ヘル=ハウンド男爵が声をかけると、それまで二頭の馬にリズミカルに鞭を当てていた御者が、御者台からポンと飛び降りた。


「あら」


 私はつい声を洩らした。門に向かって駆け出した御者の背丈が、まるで子供のように小さいことに初めて気づいたのだ。


「門から屋敷までは、歩いて十五分ほどです。馬車で行きますか、歩きますか?」

「歩いて行きたいです」


 男爵様のエスコートで、私は馬車を降りた。

 トランクを男爵様が持とうとしてくれたが、断わった。捨て犬がそこまでさせるわけにはいかない。

 門の前に来て、重々しい鉄扉の上部を見ると、そこには三つ首の犬の彫像があった。

 犬には敏感なので、見逃しはしない。


「扉に犬の彫刻を飾っているのですか? 珍しいですね」

「ケルベロスです。やつは番犬として優秀でしてね。なぜなら三つの首が交代で寝るので、二十四時間ずっと見張っていられるのです」


 よく見ると、確かに向かって右側の首だけ、眠っているように目を閉じていた。


 門を開けてくれた御者の背中に、私は「ありがとう」と声をかけた。

 するとその小さな御者は、ビクッと身をすくめた。


「ケン、ご挨拶しなさい」


 男爵様が声をかけると、


「こんちは、姉ちゃん」


 と、振り向いて高い声で言ったので、彼がまだほんの少年であることがわかった。


「こんにちは、お嬢様と言いなさい」

「こんにちは、お嬢様」

「こんにちは、ケンさん」


 私が挨拶を返すと、恥ずかしそうに男爵様の背中に隠れてしまった。


「ケン、どうした。早く馬車をしまって、馬の世話をするんだ」

「はい、ヘル=ハウンド様」


 少年は素直に言って馬車に駆け戻った。


「ケンは孤児でしてね。あの歳で乞食をしていたのです。僕は成金になると、彼のことを思い出して、育てることにしました。なかなか働き者なので、屋敷の雑用をやらせています」

「歳はいくつですの?」

「あれでもう、十五になります。成長期に栄養不良だったせいか、大きくなりません」


 十五歳なら、私と三つしか違わない。そう考えると小さすぎるが、立派に御者をして、屋敷で働いていると聞くと、何だか私よりも大人のような気がしてくる。


 馬車のあとから、歩いて門をくぐった。

 噴水の横を通り過ぎたとき、大きな黒犬が寄ってきた。ニューファンドランドだ。

 正直に言おう。私は犬に親近感を持っている。人間より、ずっと好きなくらいだ。


(ああ、私の大好きな大型犬。体重は六十キロもありそう。抱きつきたい、さすりたい、モフりたい……)


「僕の飼っているチョコです。黒い犬は好きですか?」

「ええ、とても」

「チョコも、お嬢様に一目惚れしてしまったようです。大好きだと言っています」

「あら、男爵様は、犬の言葉がわかりますの?」

「もちろん。ヒルダお嬢様は、わかりませんか?」


 ニューファンドランドの顔を、じっと見つめた。


(……おじょう、さま、だい、すき)


 私はさっと男爵様を見た。


「わかりました」

「でしょう?」

「変な気持ちです」

「お嬢様には、その才能があると思っていました。僕の屋敷に来て、きっとその才能が一気に開花したのです」

「犬の言葉がわかる、才能ですか?」

「ええ。犬が本当に好きで、心が極めて純粋できれいなら、会話できます」


 私はチョコの背中をさすりながら、訊いてみた。


「あなたのお腹に顔をうずめても、いい?」


(……どうぞ)


 チョコはそう言うと、ゴロンとお腹を向けて寝た。

 私は思う存分、チョコのお腹をモフった。


「おい、チョコ。いい加減にしろ。甘えすぎだぞ」


 チョコから顔を離して見上げると、男爵様の様子は、明らかに苛立っていた。


(男爵様、もしかして、嫉妬?)


 私は思わず噴き出した。


「……何か、おかしいですか?」

「ごめんなさい。男爵様が、嫉妬なさっているように見えて」

「ヒルダお嬢様。僕は恋を知ったばかりなのです。まだ落ち着いた気持ちではいられません。少々心が乱れることもあります」

「でもまさか飼い犬にーー」

「関係ありません!」


 男爵様は大きな声を出したが、すぐに反省したように身体を小さくした。


「すみません。もっと大人にならないといけませんね。こんなことで嫉妬しているようじゃ、いい夫になれません」

「男爵様のお歳は?」

「二十七です。しかし時々、百万年も生きてきたような気もするし、産まれたての赤ん坊のような気もします」

 

 やはり男爵様は、どこか不思議だ。


「もう犬には嫉妬しません。約束します。しかしチョコのやつ、番犬にでもなると思ったが、人が好きすぎて話になりません。まあ、番犬などいなくても、怪しい人間が来たら、僕の鼻がすぐに匂いを嗅ぎつけますがね。こいつより、僕のほうがよっぽどいい番犬になれますよ!」


 まだどこか苛立った様子の男爵様がそう言うと、


(……すみません、ヘル=ハウンドさま)


 チョコがペコペコと頭を下げた。


 意外と男爵様はペットに暴君なのかと疑ったが、やがて気を取り直したように、


「もういい。水浴びを許す」


 と言ったので、チョコは嬉しそうに噴水に飛び込んで、水浴びを始めた。


(あ、犬に優しいんだ)


 そう思った瞬間、初めて私は、男爵様の背中に抱きつきたい衝動に駆られた。


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