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2.卒業パーティーと一目惚れ



 捨て犬の私は、生まれ育った家に何の未練もなかったので、トランク一つ分の服や小物だけを持ち、ヘル=ハウンド男爵様の豪華な二頭立ての四輪馬車に乗った。

 ゴトゴト揺られながら、レースのボンネットを被った頭を、隣の男爵様のほうへそっと向ける。


「男爵様」

「何でしょう? ヒルダお嬢様」

「私にずっと憧れていたとおっしゃいましたけど、あれはどういう意味でしょう?」

「おお、よくぞ聞いてくれました!」


 男爵様の目は、感動で潤んでいるように見えた。


「あれは今年の五月、月のない晩のことでした。貴族学校の卒業パーティーから帰るあなたを、偶然見かけたのです」


 今は九月。だからあれは四ヶ月前のことになる。

 私にとって、史上最悪の日だった。

 学校生活そのものに、いい思い出はなかった。

 容姿に引け目を感じ、また実際に容姿を笑われていた子爵令嬢ヒルダ・ゴズリング。

 

(どう? 私の顔、犬そっくりでしょ? 体型も寸胴で、ブルドッグとかダックスフンドみたいでしょ?)


 そんなふうに、クラスメイトと一緒になって自分を笑うような道化になれたら、学校生活もうまく過ごせたかもしれない。

 でも私は、そうしなかった。

 面白いと思わないことは、笑えなかった。

 私は他人の容姿を笑ったことはないし、自分のことも笑うつもりはない。

 ヒルダ・ゴズリングは、犬は犬でも人に尻尾を振る愛玩犬ではない。

 野犬だ。


 とはいえ、卒業パーティーには出たかった。

 自分にもその権利はあると思った。

 がーー


「うわー、犬にも衣装だねえ! おっと、失言」


 パーティーの雰囲気に舞い上がった男子や女子は、普段よりも軽口がひどくなった。

 こんな晴れの日には、少しくらいきついジョークを言っても許される。みんながそう思っているように見えた。


 想像してみてほしい。

 直立した犬が精一杯のドレスアップをして、頭に角帽を載せたところを。

 あなたも笑いますか? それが当然だと思いますか?


 私は許すつもりはなかった。

 その発言をした男子の頬を張った。

 私自身は、張り手をしたつもりである。

 ところが他人には、爪で引っ掻き攻撃をしたように見えたらしい。そこでまた笑いが起きた。


 我慢できずにパーティー会場をあとにした。

 その日はたまたま新月だった。

 もう陽が落ちていたので、月のない夜は暗かった。

 待たせてあった二輪馬車に乗って、屋敷に帰った。


「馬車に乗っている私を、見かけたのですか?」

「そうです。一目惚れでした。僕はハートを射抜かれたのです」


 射抜かれた、という言葉が「犬かれた」と聞こえてしまうのは、私の劣等感がなせる業だろうか?

 それはそれとして、あの短い帰り道で、誰かに見られた記憶はない。

 他の馬車とすれ違うこともなかったし、道を歩く人の姿もなかった。

 ただ、馬車が十字路に差し掛かったときに、両目が炎のように赤く光った大きな黒犬がいて、それにジーッと見られたことを、気味悪く憶えているだけだった。

 

「一目惚れというのは、私の容姿を見て、好きになったということですか?」

「まさしくそうです」

「あの暗い夜道のどこで、男爵様に見られたのでしょう?」

「フフフ。僕は夜目が利きましてね。まあ、それはジョークとして、あのころの僕は、乞食同然でした。路上生活をしておりましてね。路地裏で寝そべっていたときに、あなたを目撃したのです」


 満面笑顔の男爵様をまじまじと見つめた。

 

「あのー、それはいったいどういう御冗談でしょう?」

「なんの、冗談ではないのです。ほんの四ヶ月前まで、僕は何の誇張もなくそういう存在でした。人々に忌み嫌われ、あいつが現れると不吉だ、死人が出るぞ、なんて悪口を言われたりして。でもあなたに恋をして、生まれ変わったのです。あなたに近づける存在になりたいーーただそれだけを願って、一念発起して財産をなし、成金男爵としていささか有名になりました。そこで今日、あなたに会いに来たというわけです」


 男爵様の奇妙な告白は、謎だらけだった。


「あなたを見ると不吉だなんて、そんなひどいことを言う人がいたのですか?」

「それはもう、しょっちゅう」

「乞食というだけで?」

「ヒルダお嬢様。あなたは、乞食を差別なさいませんか?」

「していないつもりです。少なくとも、男爵様がそうだったと聞いて、苦労なされたのだなとは思っても、それを悪く思う気持ちはありません」


 男爵様が胸ポケットからハンカチを出して、目頭を押さえた。やはり、相当つらい過去を送ってきたのだろう。


「すみません。お嬢様の優しさが胸に沁みました。やはりお嬢様は、僕が思ったとおりの方です」

「私の性格など、ご存じないでしょう?」

「いえ。あなたの美しさに、きれいなお心が存分に表れています」


 私はつい、男爵様をにらんだ。


「私は自分の容姿については自覚しています。美しいなどと言われても、ちっとも嬉しくありません。それよりも、どうしてそんな正反対のことを言うのかと、男爵様の動機を疑ってしまいます」

「何ですって?」


 男爵様の涼しげな目が、大きく見開かれた。


「あなたは自分の美しさをご存じない? そんなバカな。そのゴールデンレトリバーのような美しい髪、マルチーズのような愛らしい瞳、ポメラニアンのような可愛いーー」


 思わず男爵様の頬を張っていた。

 犬づくしで褒められて、バカにされたと感じたのである。


(男爵様も、卒業パーティーで私をなぶった人たちと同じだわ。犬そっくりの私を愚弄している!)


 が、ヘル=ハウンド男爵様の顔を見て、ハッとした。

 男爵様は、卒業パーティーで私に叩かれた男子とは、まったく違う反応をした。

 あの男子はせせら笑っていた。しかし男爵様は、いきなり叩かれた理由がわからないのか、ショックを受けたように傷ついた表情を浮かべていたのだ。


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