19.人生って不思議
王室ではポメラニアンを飼っていて、特に第二王子は、犬をこよなく愛していた。
「ヒルダさんのご活動のことは、以前より、大変興味深く思っておりました」
たくさんの名士たちが招かれた晩餐会の席上で、第二王子から直々にそう言われたときは、思わぬ成り行きに顔が真っ赤になった。
「人間には医者が必要です。そして、ペットにも医者が必要なことを、ヒルダさんの活動によって我々は初めて認識させられました。そこで我が国では、あなたの後継者を育てるべく、学校を設立することに決定しました」
驚きに、はしたなくも、口をあんぐり開けてしまった。
「犬や猫だけではなく、家畜である馬や牛についても研究し、病気による死をできるだけ少なくしたいと思っています。つきましては、ぜひヒルダさんのお力をお借りしたいと」
「そんな」
テーブルの下で男爵様の手をギュッと握りながら、私は消え入りそうな声で言った。
「私は、ほんのちょっと犬の言葉がわかるだけで、病気による死を少なくするなんてとても……」
「心配なさらず。病気の研究は専門家がします。ヒルダさんには、動物と心を通わせることの重要性について、週に一度だけ授業をしてもらいたいのです。これからの医療は、もっと心に目を向ける必要があります。それを人々に教えられるのは、ヒルダさんしかいません」
第二王子の熱意がひしひしと伝わってきた。
私はその熱意に感動し、自信はないままに、「はい」と返事をした。
それからは、もっと忙しくなった。
犬医者の仕事のほかに、授業の準備。
しばらくすると、学生たちが実習生として、H&H犬病院にやってくるようになった。
私も、後継者を育てる必要性を痛感していた。だから、必死になって学生を教えた。
「先生、私、この子の言葉が少しわかりました!」
ラブラドールレトリバーの首を抱いて、目に涙を浮かべて女学生がそう言ったときは、嬉しくてもらい泣きした。
「それはあなたの心が純粋だからよ。その心、決して忘れないでね」
学生たちの中に、貴族の子息や令嬢はいなかった。全員が平民ーー農家や商人の家の子ばかりだった。
まだまだ貴族が俗世で働く、しかも動物相手の仕事をするなどということは、「常識」が許さなかった。
時間は矢のように過ぎた。
五年、十年、二十年……
「ねえ、ヒルダ先生」
ある日、常連で通ってきている貴族の御婦人が、小声で私に訊いてきた。
「受付の子、昔から、ずっと同じ子?」
「ルナ? そうですよ」
「だとしたら、もう三十半ばになるわよねえ。それなのに少女のままみたい。童顔で羨ましいけど……」
その晩、私たちは相談して、男爵様とルナとケンに少しずつ老け顔メイクをしてもらうことに決めた。
でないと、昔から私たちを知っている人には奇異に思われ、知らない人から見たら、私が男爵様の母親か何かに見られてしまうからである。
あるとき鏡を見ていると、後ろに男爵様が立っていることに気づいた。
「ねえ、あなた」
私は鏡に映った男爵様に言った。
「あなたの歳、いくつだっけ?」
「二十七」
思わず噴き出した。
「嫌ねえ。私は五十歳になったのに。いよいよ息子みたいになっちゃったわ」
「でもヒルダは、出会った日から、心は少しも老けてませんよ。僕は心しか見ないから、ヒルダは十八歳のままです」
嬉しかった。確かに顔にしわはできたし、白髪も増えたし、身体は疲れやすくなったし、腰や膝が痛くなったりした。
でも、そんなことに目をつぶれば、私の心は男爵様の言うとおり、あの日のままだった。
捨て犬になって、未知なる男爵様に拾われた、あの十八歳の日のまま。
「ねえ、森の散歩をしない? メイプルの紅葉を眺めたいわ」
「いいですとも」
私たちは手を繋いで森を歩いた。そのうち、新婚旅行の昔に帰って、私は男爵様の背中にまたがり、男爵様は私を乗せて四つ足で森を走り回った。




